親子

義務の重さ

「義務の重さ」

松本亮太（まつもと りょうた）は、父親の介護を始めて三年が経とうとしていた。父は脳梗塞で倒れ、半身不随となり、要介護の状態になっていた。仕事を辞めざるを得ず、母とともに自宅での介護を引き受けた亮太は、日々の介護業務に追われながらも、自分が「親の面倒を見るのは当たり前」という言葉に縛られているのを感じていた。

父は決して優しい人ではなかった。子供の頃から厳しく、時には手を上げられることもあった。亮太はそんな父親に反抗することなく育ってきたが、特に愛情を感じることもなかった。それでも、倒れた父の姿を見たとき、心のどこかで「仕方ない」と思いながらも介護を引き受けるしかない状況に追い込まれてしまった。

最初の一年は、亮太も自分を納得させることができた。親を支えるのは当然だと思い、頑張ろうと決意した。しかし、次第に疲労が蓄積していく。介護は24時間体制で行われ、夜中でも父の呼び声に応じなければならない。日中は食事やトイレの世話、体を拭くなど、手を休める暇もなかった。母もまた、年齢的な衰えから亮太に多くを頼らざるを得なかった。

ある日、亮太は友人との飲み会に誘われたが、結局断らざるを得なかった。父の体調が不安定なため、外出することができなかったのだ。そんな状況に腹を立てた自分に驚き、亮太は自分の中で燻る不満が増えていることを自覚した。

「なんで俺がこんなに犠牲にならなきゃいけないんだ？」

彼は母親にその不満を口にした。母は困惑したように、しかしどこか冷たい口調で答えた。

「親の面倒を見るのは当たり前でしょ？私たちだって、ずっとあなたを育ててきたんだから。」

その言葉に、亮太は何も返せなかった。母の言うことは正しいのだ。親に世話になって育ったのだから、今度は自分が面倒を見返す。それが当たり前だという価値観に反論する余地はなかった。しかし、亮太の心にはどうしても割り切れない感情が残った。

ある日のこと、亮太は偶然、近所のスーパーで幼馴染の加藤直樹（かとう なおき）に会った。直樹は結婚して子供もおり、順調にキャリアを積んでいるらしく、亮太に「最近どうしてる？」と軽い口調で声をかけた。

「まあ、介護してるよ。親父が倒れてさ、もう三年になる。」

亮太がそう言うと、直樹は一瞬驚いた顔をしてから、口を開いた。

「それ、大変だな…。でもさ、正直、介護ってプロに任せた方がいいんじゃないか？自分の人生を犠牲にしてまでやることじゃないと思うぞ。」

その言葉に亮太は動揺した。直樹の言うことは一理ある。自分の人生を犠牲にしてまで、父の世話をする必要があるのか。専門の施設やプロに任せる方が、家族にも父にも良いのではないか――そんな思いが心の中に生まれた。

しかし、同時に亮太の中にある「親の面倒を見るのは当たり前」という信念が、その考えを否定する声を上げた。家族を捨ててしまうような罪悪感に襲われ、亮太は答えを出せないまま、もやもやとした気持ちを抱えたまま直樹と別れた。

その夜、父の介護をしている最中、亮太は限界に達した。父が食事を拒んだり、文句を言ったりする姿に、イライラが爆発してしまったのだ。

「もうやめろよ！俺だって限界なんだ！」

思わず声を荒げてしまった。父は驚いたように亮太を見つめ、しばらくの沈黙の後、小さな声で言った。

「…悪かったな、こんな息子に世話されるのはつらいもんだ。」

その言葉に亮太は一瞬、心が凍りついた。父もまた、自分が介護をされる立場であることに苦しんでいたのだ。亮太は、これまで父の世話を「当たり前」として無理やり自分に言い聞かせてきたが、父にとってもそれはつらい現実であることを初めて理解した。

「親の面倒を見るのは当たり前」――その言葉は、家族の絆を強くするものだと思っていたが、実際にはお互いに重荷を押し付けるものだったのかもしれない。亮太はそう感じ始めた。

数日後、亮太は母に相談した。

「俺、父さんを施設に預けることを考えたいんだ。俺たちも限界だし、父さんにとってもその方がいい気がするんだ。」

母は最初、反対した。しかし、亮太の真剣な表情と、彼の疲れ果てた姿を見て、次第に彼の考えを受け入れるようになった。親の面倒を見ることは大切だが、自分たちの生活や幸せもまた大事だということを理解したのだ。

最終的に、亮太たちは父を専門の施設に預けることに決めた。亮太は施設に父を送った日の帰り道、複雑な気持ちを抱きながらも、どこかほっとした気持ちもあった。自分の人生を取り戻す一歩を踏み出したように感じたのだ。

その後、亮太は再び仕事に復帰し、少しずつ自分の生活を取り戻していった。父との関係も、介護の重圧から解放されたことで少しずつ改善されていった。家族の面倒を見ることは確かに大切だが、無理をしすぎず、自分自身の人生も大切にすることが、家族全体の幸せにつながると亮太は学んだ。

「親の面倒を見るのは当たり前」――それは亮太にとって、単なる義務ではなく、もっと柔軟な形で実現すべき大切な絆なのだと感じるようになっていた。