親の面倒を見るのは当たり前

親の面倒を見るのは当たり前

親の面倒を見るのは当たり前

夕焼けが窓枠を茜色に染める頃、智也はため息をついた。古びた木造アパートの六畳一間。夕食はコンビニ弁当。一人暮らしを始めて五年になるが、この生活に慣れたとは到底言えない。頭の中をぐるぐると回るのは、実家の母からの電話だった。

「智也、お父さんのことなんだけど…」

いつものように、父の体調を気遣う言葉から始まった電話は、結局、金銭的な援助を求める内容で終わった。父は数年前に脳梗塞で倒れ、後遺症で身体が不自由になった。母はパートの仕事をしながら懸命に介護をしているが、生活は逼迫している。

「親の面倒を見るのは当たり前」。

幼い頃から、母の口癖のように聞いてきた言葉が、重い足枷のように智也の心にまとわりつく。祖母の介護を五年間も続けた両親の背中を見て育った智也にとって、それは疑う余地のない絶対的な価値観だった。

祖母が寝たきりになった時、家の中は一変した。朝早くから夜遅くまで、母は祖母の世話に明け暮れた。父も仕事から帰ると、疲れた体で祖母の体を拭いたり、体位を変えたりしていた。幼い智也は、遊びたい盛りの時期を、静かに過ごすことを強いられた。友達と遊ぶ約束をしても、祖母の容態が急変すればキャンセルせざるを得なかった。

それでも、両親は文句一つ言わなかった。「親の面倒を見るのは当たり前」だから。

智也が高校生になった頃、祖母は静かに息を引き取った。解放されたと思ったのは、ほんの一瞬だった。今度は父が倒れた。まるでバトンを受け渡すかのように、介護の対象が祖母から父へと変わっただけだった。

大学進学を機に家を出た智也は、東京で一人暮らしを始めた。仕送りは十分とは言えなかったが、アルバイトをしながらなんとか生活していた。しかし、毎月のように実家から電話がかかってくる。内容はいつも同じ。お金の無心だった。

「親の面倒を見るのは当たり前」。

その言葉が、智也を縛り付ける。仕送りを減らしたり、アルバイトを増やしたりして、なんとか工面してきた。しかし、自分の生活は常にギリギリだった。友達と遊びに行くことも、趣味に時間を使うことも、ほとんど諦めてきた。

ある日、大学時代の友人との飲み会で、実家のことを話す機会があった。友人は驚いた顔で言った。

「親の面倒を見るのは当たり前って言うけど、それって全部一人で背負い込むことじゃないよな。お前だって自分の生活があるんだし、無理する必要ないんじゃないか？」

友人の言葉は、智也にとって衝撃だった。今まで、誰にも相談できなかったことを、初めて打ち明けたことで、心の重荷が少し軽くなった気がした。

その後、智也はインターネットで介護に関する情報を調べ始めた。介護保険制度や地域の相談窓口など、今まで知らなかった情報がたくさんあった。もっと早く知っていれば、両親も自分も、もう少し楽になれたかもしれない。

智也は意を決して、実家に電話をかけた。

「お母さん、父さんの介護のことなんだけど、一度ちゃんと話がしたいんだ。僕もできることはするけど、全部僕だけで背負い込むのは無理だよ。地域の相談窓口とか、介護サービスとか、色々調べてみたんだ。一緒に考えてみないか？」

電話口の母は、最初は戸惑っていたようだったが、智也の真剣な口調に、静かに頷いた。

夕食後、智也はアパートの窓から夜空を見上げた。都会の夜空は星がほとんど見えないが、それでも、遠くで瞬く光を見ていると、少しだけ心が軽くなった気がした。

「親の面倒を見るのは当たり前」。

その言葉の意味は、決して一つではない。全てを一人で背負い込むことではない。感謝の気持ちを持ち、できる範囲で支え合うこと。そして、必要であれば周りの助けを借りること。それもまた、「親の面倒を見る」ということなのだと、智也は思った。

翌日、智也は地域の包括支援センターに電話をかけた。初めての経験で少し緊張したが、電話口の担当者は親切に対応してくれた。

「親の面倒を見るのは当たり前」。その言葉は、智也の中で少しずつ形を変え始めていた。それは、重い足枷ではなく、家族を繋ぐ、温かい絆へと変わりつつあった。