言の葉でつづるあなたへの想ひ

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
325 / 491

石うちの女 ヨハネ8章1~11節

しおりを挟む
ヨハネ8章1~11節
8 しかしイエスはオリーブ山に行かれた。2 それでも,夜明けには再び神殿に姿を現わされ,民はみなそのもとに来るのであった。そして[イエス]は腰を下ろして彼らに教えはじめられた。3 そこへ,書士とパリサイ人たちが,姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来た。そして,彼女を自分たちの真ん中に立たせてから,4 彼にこう言った。「師よ,この女は現に姦淫を犯しているところを捕らえられました。5 モーセは律法の中で,このような女を石打ちにすることをわたしたちに規定しました。あなたはいったい何と言われますか」。6 もとより彼らは,[イエス]を試して,訴える手がかりを得ようとしてこれを言っていたのである。しかしイエスは身をかがめ,指で地面に[何か]書きはじめられた。7 彼らが執ように尋ねると,[イエス]は身をまっすぐに起こして彼らに言われた,「あなた方の中で罪のない人が,彼女に対して最初に石を投げなさい」。8 そしてもう一度かがんで,地面に[何か]書きつづけておられた。9 ところが,これを聞いた者たちは,年長者たちから始めて一人ずつ出て行き,やがて彼ひとり,そして彼らの真ん中にいた女だけが残った。10 イエスは身をまっすぐに起こして彼女に言われた,「女よ,彼らはどこにいるのですか。だれもあなたを罪に定めなかったのですか」。11 彼女は言った,「だれも,だんな様」。イエスは言われた,「わたしもあなたを罪には定めません。行きなさい。今からは,もう罪を習わしにしてはなりません」。


理由はよくわからないのだが、
新世界訳の新しい聖書からヨハネ8章1から11節が消えてしまった。
わたし、結構、ここに書かれているエピソード、好きだったのにな。
石うちにされそうな女をイエスが
「あなた方の中で罪のない人が,彼女に対して最初に石を投げなさい」
と言われ、誰も最初の石を投げることができなかった話なのだが、
なくなってしまうのは忍びないので書き留めて起きたい。


この後、この許された女はどう生きたのだろう。

「だれも,だんな様」と、答えているので、助けてくれたイエスに信仰を働かせたのだろうか。

悔い改めて、生き方を変えのだろうか。

そもそも姦淫を犯して、広場に引きずり出されるぐらいだから

貞操観念がないのではないのか。

夫ともセックスレスで寂しい女だったのではないだろうか。

ひょっとしたら、アルコールに問題があってブラックアウトになり、

朝チュンで気が付いたらベッドに男が寝ていたとか……。

マリア・マグダラネのように7つの悪霊につかれ、

イエスに追い出してもらって、感謝で満たされイエスの追随者になって

ずっと死ぬまでそばに居たとかだといいんだけど、

後に影響を及ぼすのなら聖書の写本から消される訳もなく、

ただの作り話かうまく改心できなかったか、離婚されて行方が分からなくなったか。

想像するだけでも、物語は何時までも続いていきそうだ。

シンデレラのようにハッピーエンドで終わるお話をわたしが思い描けますように。


日がな一日、ぼーとただ息をしている。

生きているというだけで、汗をかく。

尿が出る。大便もする。鼻水も、耳あかも目やにふけもでる。

なんだか、自分がとっても汚いものに思えてきて、

折角イエス様に救っていただいた命なんだけど、

生きている価値がないような、

あのまま死んでいればよかったとさえ思ってしまうの。

わたしは、結局誰も愛せない。誰も信じられない。

どうせ、ほんの一時が過ぎたら、わたしに飽きてしまうんでしょう。

「ナザレのイエス」神の子だと言われるあの方でさえ、

どうしようもないわたしから、離れて行ってしまうんだわ。

わたしは、マグダラのマリアほど美しくはない。

賢くもない。貞淑でもない。

掃除もできないし、お金の管理もできない。

何の役にも立たないボロ雑巾のようなあばずれ。

おもいきり、思いつくまま自分の悪たれ雑言を書きまくる。

わたしの父が、他の女の人に子供を作ってわたしたちを捨てたように。

信じるだけ馬鹿を見る。

そもそも、あの助けてくださったイエス様だって、うさんくさいカルト宗教。

負の連鎖を断ち切って、何一つ良い習慣を身に着けることができないわたしが

あの方たちの集団についていけるはずがない。

「どうせ……」

ネガティブな言葉で心が埋め尽くされて行く。

菜種梅雨の降り続く雨がやみ、明るい光が差してくる。

満開の桜の花びらがはらりはらりと風に舞う。

わたしはお風呂を沸かし、行水のような浅い湯の中に体を沈める。

浸礼。

どうせなら、浸って溺れるほど深ければいいのに……。

蛇口をひねり、お湯を足す。

浅かった水深にどんどんかさを増していく。

おへそが隠れるほどになり、胸も埋もれていく。

肩が埋まり、首筋まで来たとき、湯船は一杯になった。

風呂桶を掃除して、新しいお湯を張ったはずなのに、なぜか濁って見えた。


「わたしもあなたを罪には定めません。行きなさい。

今からは,もう罪を習わしにしてはなりません」。


イエス様の言葉が、走馬灯のように頭の中で繰り返される。

汚いのなら、清くなるまで洗えばいい。

あの方を信じてみよう。

「どうせ、死んだ命なのだから」

その途端、柔らかな光で包まれる。

聖霊が注がれ、全ての罪が許されたような開放感がベールのように

天の網のように降りてくる。

わたしは丁寧に体を洗い、強めのシャワーで流していった。


『恐れてはならない。わたし自らあなたを助ける』

「わたしは……あなたを本当にしっかりととらえておく」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

聖書

春秋花壇
現代文学
愛と癒しの御手 疲れ果てた心に触れるとき 主の愛は泉のごとく湧く 涙に濡れた頬をぬぐい 痛む魂を包み込む ひとすじの信仰が 闇を貫き光となる 「恐れるな、ただ信じよ」 その声に応えるとき 盲いた目は開かれ 重き足は踊り出す イエスの御手に触れるなら 癒しと平安はそこにある

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

神・悪魔・人間・罪

春秋花壇
現代文学
神・悪魔・人間・罪

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

老人

春秋花壇
現代文学
あるところにどんなに頑張っても報われない老人がいました

日本史

春秋花壇
現代文学
日本史を学ぶメリット 日本史を学ぶことは、私たちに様々なメリットをもたらします。以下、そのメリットをいくつか紹介します。 1. 現代社会への理解を深める 日本史は、現在の日本の政治、経済、文化、社会の基盤となった出来事や人物を学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、現代社会がどのように形成されてきたのかを理解することができます。 2. 思考力・判断力を養う 日本史は、過去の出来事について様々な資料に基づいて考察する学問です。日本史を学ぶことで、資料を読み解く力、多様な視点から物事を考える力、論理的に思考する力、自分の考えをまとめる力などを養うことができます。 3. 人間性を深める 日本史は、過去の偉人たちの功績や失敗、人々の暮らし、文化などを学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、人間としての生き方や価値観について考え、人間性を深めることができます。 4. 国際社会への理解を深める 日本史は、日本と他の国との関係についても学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、国際社会における日本の役割や責任について理解することができます。 5. 教養を身につける 日本史は、日本の伝統文化や歴史的な建造物などに関する知識も学ぶ学問です。日本史を学ぶことで、教養を身につけることができます。 日本史を学ぶことは、単に過去を知るだけでなく、未来を生き抜くための力となります。 日本史の学び方 日本史を学ぶ方法は、教科書を読んだり、歴史小説を読んだり、歴史映画を見たり、博物館や史跡を訪れたりなど、様々です。自分に合った方法で、楽しみながら日本史を学んでいきましょう。 まとめ 日本史を学ぶことは、私たちに様々なメリットをもたらします。日本史を学んで、自分の視野を広げ、未来を生き抜くための力をつけましょう。

処理中です...