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六話
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(ギルバルト視点)
ギルバルトの人生の内、最悪にして最低の失敗は、きっとこの時だったろうと後になって思う。
男はこれまで、殆どのことに興味を持ってこなかったし、唯一興味を持つことになった一人の女の存在は、彼にとって輝かしいものをもたらしたものの、それ以外に興味を持てない部分は決して変わっていなかった。
彼女を取り巻く環境や、住んでいる国自体の事などはどうでも良かったし、何とも思っていなかった。
自分の元に会いにくる彼女の事ばかりで、それ以外はどうでもいい。
アリアという人間には好意を抱き、告白していないにしろ、彼女の周りに残るのは自分だけだという慢心。故にあまり急いて動くということもしなかった。
なにせ、ギルバルトには時間がある。
アリアにも、恐らく膨大ともいえる時間が。
それならばこの芽生えたものを育てるのは、今すぐでなくてもいいと判断した。
アリア当人が、ギルバルトを恋愛の対象とは見ていないことは、分かっていたから。
彼女の傍にはギルバルトしか残らないことを長い時間をかけて育てれば、厭でも彼女の傍には自分しか残らない。
これまでのんべんだらりと暮らしてきたこともあったし、そもそもギルバルトは、恋などしたこともなかった。
それが齎す結果というものも、彼自身、まだ淡いものでしかなかったのだ。
だから危機感、というものにかけていたとも言える。
これは言い訳に過ぎないし、大抵の最悪なことと言うのは、やって来てから知ると言うもの。
ギルバルトが気が付いた時には、何もかも遅かった。
*
アリアが会いに来ない、というのに気が付いた時、ギルバルトは漸く重い腰を上げた。
最近は仕事が忙しいのだ、と本人が言っていたから、何か立て込んでいるのだろうとも思ったが……それにしても顔を見ない。
あれは何か月前の話だったのか。
気配を探ってみれば、アリアの気配はごく薄くしか感じられなかった。
それも、まるで虫の息のように感じられるほど。
それに気が付いた瞬間、ギルバルトは生きていて初めて戸惑った。
――何度も、別れなど、経験してきたが、胸の中に沸きあがった恐怖に。
まさか、アリアのような図太い女がそう簡単に自分に黙って死ぬものか、と思うものの、ギルバルトは内心焦り始める胸の内に困惑した。
こんな気持ちも、初めてだ。
魔力が消えたわけではないのだから、死んだわけではない。
そう言い聞かせて、必死になって気配を探った。
アリアの魔力の気配を辿って彷徨う白森の奥には、小さな家があって、目を瞬かせる。
いつの間にこんなものを用意してあったのだろうか。
…………いや、アリアがその内仕事をやめてのんびりしたい、と話していたことくらいはあったか。
アリアの気配は、確かにこの家の中からする。
けれど、中に入ろうにも、ギルバルトの肉体よりも小さな家の中に、ギルバルトの竜体は当然のように入らない。
流石に、この家の壁か屋根を壊して中に押し入ることは出来まい。
なにより……家自体に防御の魔法が掛けられている。
出会った頃よりも上達したアリアの魔法は強固なもので、ギルバルトならば壊せないこともないが、全力を出せば家の方が耐え切れないだろう。
アリアに嫌われるようなことはしたくないので、実行は憚られた。
そのくらいの分別は、ギルバルトにもある。
アリアの様子が気になる。
何故、顔を見せない。
会いにも来ない。
どうしてこんなにも弱っている?
私は、何も知らない。
好いた相手の事なのに。
――焦燥、怒り、不安、愛しさ――
様々な感情が胸を渦巻いていっぱいにする。
ああ、アリア、アリア。
お前が愛しくて、愛しくて、だからこそ憎くてしょうがない。
(お前は、どうして、勝手に、消えた?)
ぐるりと唸って、ギルバルトは自身に魔法を使う。
人間など矮小な生物に化けるなど考えたこともなかったが、どの道、アリアと番う予定ならば、いずれは考えなくてはいけないことだ。
ギルバルトは己の肉体を人間のものに変化させた。
鏡はないので、自分の姿がどんなものかはわからないが、今はどうでもいい。
アリアの好みの姿であればいい、と思うが。
アリアの防御魔法は、外敵を阻むような仕組みになっているようだが、魔法の膜に触れたギルバルトを弾くことはなかった。
小さなドアをくぐって、真っ直ぐに気配を追いかける。
アリアの姿はすぐに見つかった。
寝室と思われる場所で、アリアは『眠って』いた。
ただ眠っているだけ。そのことに安堵する。
しかし起こそうにも、きっと彼女が自分で掛けたのだろう魔法の眠りは深い。
ベッドに腰を下ろしてアリアの顔を覗き込むように額を当てる。
彼女の身に何があって、自分に黙ってこんなことになっているのか、知らなければ気が済まなかった。
魔力を深くアリアの身体と混じり、合わせ、記憶を探る。
アリアが眠っていて無防備だからこそ、記憶を覗き見るのは容易だ。
これが常識に欠ける行為だとしても、アリアが眠っていて、口をきかないのだから悪い。文句など聞かない。
今は、そう思うことにした。
それで分かったのは、アリアが国に蔑ろにされて疲れ果ててしまったこと。
彼女の心が深く傷ついて、自棄を起こしたこと。
彼女は、眠る前にギルバルトの事を、ただ一人の『友人』を思い出してはくれていた。
その程度の、存在だ。
ギルバルトは、それらについて何も相談されていない。
そのことがショックで、相談さえしてもらえなかった自分が疎ましくすら思えてくる。
ああ、自分の怠慢だ。もっと彼女に好意を見せてこなかったギルバルト本人の。
(ああ、アリア、君が起きたら、愛してるってちゃんと君に分からせることにするよ)
ギルバルトは、人の姿に化ける魔法を解いて、王都に向かって飛び去った。
――そしてその日、一つの国が地図から消えた。
もっとも、きっとアリアが怒りそうなことはするつもりはないし、無駄な殺生をして怒りを買う方が面倒くさい。
単純にギルバルトがその日潰したのは、彼女を聖女と崇めたてて擦り減らしていった王家の人間と、アリアを子供を産むための道具にしようとした貴族の一派。
それから、彼女の知識から得た、これから先邪魔になりそうな貴族の連中。
有用そうな人間だけ残して、あとは武力で擦り潰す。
元より、政治に関心などないし、国の金を食い潰すだけの王がトップの国などないほうが国民は幸せだろう。
近隣の三国……アインス国、ツベルフ国、ドライシュ国の三国で、かつてのアリアの故郷を取り分けさせ、罪のない国民が被害を受けないように配慮はした。
そもそも、竜に、人間の法を当てはめる方がどうかしている。
戦争になりそうな気配は、力で黙らせた。
国が消えるのと、大人しく従うのとどちらが好みなのか、と言い聞かせて。
アリアが聞けば悲しみそうなことはさせるつもりはない。
次に彼女が目覚めた時に、憂いなどないように。
これが、白森の主の黒竜の逆鱗に触れた愚かな国の末路。
……真実、八つ当たり、ともいう。
ギルバルトの人生の内、最悪にして最低の失敗は、きっとこの時だったろうと後になって思う。
男はこれまで、殆どのことに興味を持ってこなかったし、唯一興味を持つことになった一人の女の存在は、彼にとって輝かしいものをもたらしたものの、それ以外に興味を持てない部分は決して変わっていなかった。
彼女を取り巻く環境や、住んでいる国自体の事などはどうでも良かったし、何とも思っていなかった。
自分の元に会いにくる彼女の事ばかりで、それ以外はどうでもいい。
アリアという人間には好意を抱き、告白していないにしろ、彼女の周りに残るのは自分だけだという慢心。故にあまり急いて動くということもしなかった。
なにせ、ギルバルトには時間がある。
アリアにも、恐らく膨大ともいえる時間が。
それならばこの芽生えたものを育てるのは、今すぐでなくてもいいと判断した。
アリア当人が、ギルバルトを恋愛の対象とは見ていないことは、分かっていたから。
彼女の傍にはギルバルトしか残らないことを長い時間をかけて育てれば、厭でも彼女の傍には自分しか残らない。
これまでのんべんだらりと暮らしてきたこともあったし、そもそもギルバルトは、恋などしたこともなかった。
それが齎す結果というものも、彼自身、まだ淡いものでしかなかったのだ。
だから危機感、というものにかけていたとも言える。
これは言い訳に過ぎないし、大抵の最悪なことと言うのは、やって来てから知ると言うもの。
ギルバルトが気が付いた時には、何もかも遅かった。
*
アリアが会いに来ない、というのに気が付いた時、ギルバルトは漸く重い腰を上げた。
最近は仕事が忙しいのだ、と本人が言っていたから、何か立て込んでいるのだろうとも思ったが……それにしても顔を見ない。
あれは何か月前の話だったのか。
気配を探ってみれば、アリアの気配はごく薄くしか感じられなかった。
それも、まるで虫の息のように感じられるほど。
それに気が付いた瞬間、ギルバルトは生きていて初めて戸惑った。
――何度も、別れなど、経験してきたが、胸の中に沸きあがった恐怖に。
まさか、アリアのような図太い女がそう簡単に自分に黙って死ぬものか、と思うものの、ギルバルトは内心焦り始める胸の内に困惑した。
こんな気持ちも、初めてだ。
魔力が消えたわけではないのだから、死んだわけではない。
そう言い聞かせて、必死になって気配を探った。
アリアの魔力の気配を辿って彷徨う白森の奥には、小さな家があって、目を瞬かせる。
いつの間にこんなものを用意してあったのだろうか。
…………いや、アリアがその内仕事をやめてのんびりしたい、と話していたことくらいはあったか。
アリアの気配は、確かにこの家の中からする。
けれど、中に入ろうにも、ギルバルトの肉体よりも小さな家の中に、ギルバルトの竜体は当然のように入らない。
流石に、この家の壁か屋根を壊して中に押し入ることは出来まい。
なにより……家自体に防御の魔法が掛けられている。
出会った頃よりも上達したアリアの魔法は強固なもので、ギルバルトならば壊せないこともないが、全力を出せば家の方が耐え切れないだろう。
アリアに嫌われるようなことはしたくないので、実行は憚られた。
そのくらいの分別は、ギルバルトにもある。
アリアの様子が気になる。
何故、顔を見せない。
会いにも来ない。
どうしてこんなにも弱っている?
私は、何も知らない。
好いた相手の事なのに。
――焦燥、怒り、不安、愛しさ――
様々な感情が胸を渦巻いていっぱいにする。
ああ、アリア、アリア。
お前が愛しくて、愛しくて、だからこそ憎くてしょうがない。
(お前は、どうして、勝手に、消えた?)
ぐるりと唸って、ギルバルトは自身に魔法を使う。
人間など矮小な生物に化けるなど考えたこともなかったが、どの道、アリアと番う予定ならば、いずれは考えなくてはいけないことだ。
ギルバルトは己の肉体を人間のものに変化させた。
鏡はないので、自分の姿がどんなものかはわからないが、今はどうでもいい。
アリアの好みの姿であればいい、と思うが。
アリアの防御魔法は、外敵を阻むような仕組みになっているようだが、魔法の膜に触れたギルバルトを弾くことはなかった。
小さなドアをくぐって、真っ直ぐに気配を追いかける。
アリアの姿はすぐに見つかった。
寝室と思われる場所で、アリアは『眠って』いた。
ただ眠っているだけ。そのことに安堵する。
しかし起こそうにも、きっと彼女が自分で掛けたのだろう魔法の眠りは深い。
ベッドに腰を下ろしてアリアの顔を覗き込むように額を当てる。
彼女の身に何があって、自分に黙ってこんなことになっているのか、知らなければ気が済まなかった。
魔力を深くアリアの身体と混じり、合わせ、記憶を探る。
アリアが眠っていて無防備だからこそ、記憶を覗き見るのは容易だ。
これが常識に欠ける行為だとしても、アリアが眠っていて、口をきかないのだから悪い。文句など聞かない。
今は、そう思うことにした。
それで分かったのは、アリアが国に蔑ろにされて疲れ果ててしまったこと。
彼女の心が深く傷ついて、自棄を起こしたこと。
彼女は、眠る前にギルバルトの事を、ただ一人の『友人』を思い出してはくれていた。
その程度の、存在だ。
ギルバルトは、それらについて何も相談されていない。
そのことがショックで、相談さえしてもらえなかった自分が疎ましくすら思えてくる。
ああ、自分の怠慢だ。もっと彼女に好意を見せてこなかったギルバルト本人の。
(ああ、アリア、君が起きたら、愛してるってちゃんと君に分からせることにするよ)
ギルバルトは、人の姿に化ける魔法を解いて、王都に向かって飛び去った。
――そしてその日、一つの国が地図から消えた。
もっとも、きっとアリアが怒りそうなことはするつもりはないし、無駄な殺生をして怒りを買う方が面倒くさい。
単純にギルバルトがその日潰したのは、彼女を聖女と崇めたてて擦り減らしていった王家の人間と、アリアを子供を産むための道具にしようとした貴族の一派。
それから、彼女の知識から得た、これから先邪魔になりそうな貴族の連中。
有用そうな人間だけ残して、あとは武力で擦り潰す。
元より、政治に関心などないし、国の金を食い潰すだけの王がトップの国などないほうが国民は幸せだろう。
近隣の三国……アインス国、ツベルフ国、ドライシュ国の三国で、かつてのアリアの故郷を取り分けさせ、罪のない国民が被害を受けないように配慮はした。
そもそも、竜に、人間の法を当てはめる方がどうかしている。
戦争になりそうな気配は、力で黙らせた。
国が消えるのと、大人しく従うのとどちらが好みなのか、と言い聞かせて。
アリアが聞けば悲しみそうなことはさせるつもりはない。
次に彼女が目覚めた時に、憂いなどないように。
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