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第40話 リンの正体
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リンのほうも片が付いたようだ。僕はパブロとの戦いで神性力を使い過ぎたせいか、歩くだけで精一杯の状態である。リンに近づいて行くとちょっとした罵り合いが聞こえる。
「…はぁ。そなたはバカ者だな、娘騎士よ。守られる側の人間が気絶するなど、そなたは騎士として未熟じゃ」
「ぐぅ…」
起き上がったフィリアからぐぅの音がでた。どうやら自覚があるようだ。だがリンは騎士失格とは言わない。そこにリンらしさを感じた。
「…悪かったわね!でも…ありがとう。助かったわ」
「まったくじゃ!迷惑ばかりかけおって…」
リンは照れたように言ったが、実際その通りであった。
僕たちは聖騎士であるフィリアさんには関わない方針でいた。なのに呼び出しを受けたり、突然接触してきたりと驚かされてばかりであった。ましてこの国の中枢である教皇の選定に関わる陰謀に巻き込まれるとは思わなかった。
でもこれで少しは彼女たちに恩が売れたのではないだろうか。ルイはもちろん、僕とリンはフィンさんの側近を守り、町に入り込んだゾンビを倒すことに協力した。元々フィンさんも話を聞きたいと言っていたので、この際交渉するべきである。
僕はこの考えを話そうとリンを見て思い出す。
「…そうだ、リン!そんなことを言っている場合じゃないよ!腕!それに止血もしないと…!」
「仁、そう慌てるな。儂は大丈夫じゃ。それよりそなたはよくやった!怪我などは大丈夫か?」
「え…?」
そう言われて自分の体を見る。そして左肩を触る。どうやら傷が塞がり止血も出来ているようだ。肉体的、精神的な疲労を除けば無事であるといえる。おそらく神性力により回復したのだろう。
今はリンのほうが重症である。
「僕は大丈夫だけど…。それよりリンは片腕が斬られたんだよ!なのにどうして平気そうにしてるの?」
「その通りよ!あなたは私のせいで腕を失ったのよ!なのにどうして落ち着いているのよ!」
僕の動揺にフィリアが乗っかる。リンはこれから片腕で生きていかないといけないかもしれないのだ。僕は経験したことはないが、それはとても不利で不便なことに違いない。特にここ異世界では。
「そなたらも落ち着け。儂は一旦腕を拾ってくる」
リンはそう言うと、腕を探しに行った。その場には僕とフィリアが残される。せっかくなので、僕は不安を解消するためにフィリアに質問する。
「…ねぇ、フィリア。僕たちってこのままフィンさんに捕まったりしないよね?大丈夫だよね?」
「…わからないわ」
「何で?」
「そもそも私はなぜフィン姉様があなたたちに話を聞きたいと言っているのかわからないからよ」
「それは…一年前の事件で捕まえ損ねたリンを突き出すためじゃないの?ほらもう一人の騎士のセネクスさんも言っていたじゃないか。それが原因で責められたって」
「それはないわ。確かにあれは私もむかついたけど。でもフィン姉様はそんな個人的な報復のために強引な手段はとらないわよ。だから別の理由があるはずだわ」
「…じゃあ、間違っても処刑されたりしないよね?」
「そうね。今回、私は命を救われたわ。騎士としてその分のお返しはするつもりよ」
「…良かった」
一息つく。フィリアは今回の件をちゃんと恩に感じてくれているようだ。フィンさんにリンが見つかったときはどうなることかと思ったが、最悪の状況は回避出来そうである。
リンが自分の腕を見つけて戻ってくる。
「娘騎士よ。そういえばそなた、セネクスとやらは探さなくて良いのか?」
「出来れば合流したいと思っているわよ」
「なら儂があやつといた場所を教えてやるゆえ、行くといい。襲っていた二人は後で運んでおいてやろう」
「…そこまで言ってくれるなら、お願いするわ。じゃあ、以前仁たちが来たことがあるこの町の高台で待っているわ」
フィリアはリンから場所を聞き走っていった。まだ仲間の無事が確認出来ていないのだ。情報の共有もしたいのであろう。
リンはそれを見送ると僕に近づく。
「仁よ。そなたはうるさそうじゃから、儂の先程の言葉が本当だと証明してやろう」
「…どういうこと?」
僕は首を傾げた。
「そなたこれを見よ。儂の腕じゃ。種も仕掛けもなく、繋がっておらんただの腕じゃ」
そう言ってリンは傷口が見えないように配慮しながらも、力の入っていない腕を掲げる。なんだろう、種も仕掛けもないとは。
「良いな?一旦、目を閉じ顔を伏せるのじゃ。10秒くらいな」
そう言ってリンは勝手にカウントダウンを始めた。僕はその急に下がっていく数字に焦りを覚え、素直に目を閉じた。
「…5,4、3、2、1」
ーーパンッ!
カウントが0になる瞬間、手を叩いた音がなった。そして僕は目を開ける。
「!?」
するとそこにいたのは両手を合わせ、いたずらっぽい笑みを浮かべているリンがいた。
「ふふ。どうじゃ?驚いたか?驚いたじゃろう?」
「…」
僕は閉じていた目を見開き、声がでない。リンの腕がつながっている。斬られ、放置され、力を失っていた腕が戻っている。時間を巻き戻したかのように、あるべきところに治まっている。
僕がそうして固まっていると後方から聞き覚えのある声が聞こえた。
「二人ともどうしたの?そんなにボロボロで?何があったの?」
それはルイであった。何事もなかったかのようにいつも通りなルイがそこにいた。僕はここで起きたことをルイに今すぐにでも話したい気分になったが、目の前で起きたことがうまく処理できなかった。
なぜなら、腕を戻すには神性力や魔法を使っても簡単にできることではないと聞いたことがあるからだ。他でもないリンとルイに。なのにリンは腕を再生させた。非常識である。
「ルイか。無事そうじゃな」
「まあね!キミたちよりは無事さ。無様な様子のキミたちを無難に見つけて駆けつけて来たのさ!」
ひどい言い様である。
「言いたい放題じゃな。儂も仁もそれなりに頑張ったんじゃがのう」
「あはは、ごめんごめん。それでどうしたの?仁なんて固まっちゃってさ」
「ふむ。儂がどうやって腕をつなげたのか、理解できないらしい」
「へぇ…。もしかして仁は気づいていないの?意外だね。ボクよりもリンと一緒にいたのに」
ルイが意地悪そうな笑顔で言った。
「ルイよ。そう言ってやるな。そなただって仁が気づいていないことに勘付いていなかったじゃろうが」
「?」
どうやらルイは知っていて僕にはわかっていないことがあるようだ。
僕はもしかしたらという思いで質問する。
「…ひょっとしてリンは神だから、人間の僕らと違って腕を治すようなことができるの?」
「いや、それは違うよ。確かにリンは神だし、ボクらと違うという意味では間違っていないけどね」
「…じゃあ、どうしてリンは腕を治すことが出来ているの?」
僕はその答えを聞くのがなぜか怖くなった。まるで僕の知っているリンが遠ざかるような、いや間違った認識が、現実が正される予感を覚えた。
ルイはまるでマジックのネタバラシでもするかのように楽しそうだ。そんな僕らを見てリンが答える。
「それはじゃな…、儂がーーだからじゃ」
「…え?」
僕はその言葉をうまく嚙み砕くことが出来なかった。体に電撃が走ったかのように衝撃を受け、思考が真っ白になる。
ルイが続ける。
「仁も多少は思い当たることがあるんじゃないかな?」
「…」
僕はルイのその言葉で今までのことを思い返した。今日までのことを。リンと共に過ごした日々を。だが特に変なところはなかったような気がする。
そんな僕を見て、リンが先程とは違う真剣な表情で問う。
「仁、そなたは儂が寝てるところを見たことがあるか?」
そう言ってリンは問い始め、解き始めた。僕を説得し納得させるために。
「いや、ないけど…」
「そうであろう。この町の宿では部屋は別だったし、村でもゾンビが来る前は村の守るための準備をしておったからな。野営のときも儂が見張りを受けていた。それは見る機会はなかろう。じゃが、儂らはこの世界に来てからずっと一緒じゃった。なのに儂が眠っているところを見たことがないというのは変でないか?」
確かに変な気がする。僕はリンと一緒にいて、リンが寝静まるところや眠りから覚めるところを見ていない。この町で暮らしている間は別の部屋だったことは事実だ。しかし僕はリンが眠そうにあくびをしているところや寝起きでスッキリしているところも知らないのである。
「…それは、そうだけど。でもそれは野営のときはリンが僕に気を遣って休ませてくれたんじゃないの?実際にこの世界に来て最初の夜、洞窟で疲れていた僕を一晩眠らせてくれたよね?」
「そうじゃ。儂は確かに仁の疲労回復を優先させた。じゃが、それはおかしいと思わぬか?仁は儂より体格的に大きい。ならば仁が疲れているほど消耗していたなら、儂はもっと疲れていて当然じゃと思わぬか?」
元の世界であればそう思っただろう。普通に考えて高校生である僕がリンのような少女に負担をかける構図は異常だ。だがここは異世界で、リンは人間ではない。
「それは…リンが神だからじゃないの?」
「そうじゃが、厳密には違う。儂は眠る必要がない。そういう体をしておる。じゃからそもそも一度たりとも眠っておらん。じゃから仁は儂の寝顔を見たことはないし、洞窟でも一晩眠らずにいられたんじゃ」
リンは続ける。
「儂の名前のこともそうじゃ。儂はそなたに言った。『名前はない』と。じゃが、儂は『リン』と名乗っておる。これもおかしいとは思わぬか?」
「それは、単純に名前がないと不都合だからじゃないの?」
「それもある。じゃが、その名はそのとき適当に思いついたわけではない。現にレナたちは仁よりも先に儂の名を知っておったじゃろう」
「…うん」
その通りだ。彼女は村に入るとき、自分の名前であの村の村長やレオナさんを呼んでいた。それは僕と出会いよりも前からその名前を名乗っていたことの証明である。
そしてリンは嘘をつかない。仮病を使ったりと小ずるいところはあるが、少なくとも僕に対して嘘をついたことがない。そんな彼女が名前はないと僕に言った。そして『リン』と呼べと。だから矛盾しているようにも感じる。
「儂は神じゃ。そなたら人間とは違う摂理で誕生しておる。ゆえに名前を持っていない」
リンは神だから、僕らとは違う。僕には親がいるが、リンにはいない。名付け親がいない。それはつまり、リンは本当に名を持っていないのだ。だがなぜ周囲には『リン』と呼ばせているのか。
「…じゃあ、何で『リン』なの?」
この名前は単なる偽名ではないと思う。リンはこれまで僕に正直であろうとしていた。今もそうしているように。そんなリンがいつでも捨てることが出来る名前を名乗るとは考えられない。
「それはじゃな…借りておるのじゃ。仮の名前として元の持ち主から借りておる」
「…そう」
彼女はそう言うとそっと目を閉じた。僕は察した。
リンはきっと瞼の裏側に本来の持ち主を見ているのだろう。その持ち主が誰か、とは問わない。なぜなら僕にも見えているからだ。彼女の思い描く姿が。
僕も自分を納得させるために質問する。
「じゃあ、…何でリンは食事をするの?リンの体に必要なの?」
僕はリンの言葉を聞いて、疑問を持った。リンには僕らが取らないといけない栄養素は必要がない。なのにリンは僕らと一緒に宿で食事をしていたし、ステーキも食べた。
「ふむ。それは儂が活動するために必要だからじゃ。以前どこかで言ったと思うが、儂は食事から神性力を得ている。儂は神ゆえ、神性力が減ると動きが鈍る」
リンは悩みを打ち明けるように言った。
「じゃから、儂が戦うには食事が必要になる。それに味覚はあるから、うまい物を食うのは好きなのじゃ!」
「…そうなんだね」
リンは恥じらうこともなく、堂々としている。でも僕はそれを聞いて少しホッとした。なぜなら僕が感動したお店の思い出をリンと共有出来ているとわかったからだ。
「それにさ、ボクと初めて会ったときもそうだよ」
「?」
ルイと初めて会ったとき…。それは村でゾンビと戦っていたときだ。
「ボクが最初にキミたちを見たとき、ボクがどうしたか覚えてる?」
「確か…ゾンビと戦っている勢いで僕たちに向かって来ようとしてたかな?」
「そうだよ。ボクはリンを見て、一瞬迷った。勘違いした。そのときリンが言ってたよね。『空振るぞ』って。これはね、ボクの鎌のことじゃなかったんだ。ボクの神性力のことを言っていたのさ」
「…」
…そうだったのか。僕は指摘されてようやく気付いた。ルイは初対面からわかっていたのだ。リンが普通ではないことに。
ルイはあのときゾンビを狩っていた。ゾンビという既に死んでいるはずの人間を。動かないはずの体を斬っていた。ルイの神性力はゾンビに死を与えることが出来る。だがリンはゾンビでない。だからリンは無駄だと主張し、理解したルイは武器を納めた。
もしこの誤解が解けなかった場合は、リンはゾンビだと決めつけられていただろう。そして争うことになっていたはずだ。僕とリンはあのとき、危ない橋をひとつ渡っていたようだ。
「それにね、ヌー爺のこともそうだよ」
「ヌー爺さん?」
「うん。おかしいと思わなかった?ボクたちが教会に行ったとき、仁とリンのことをヌー爺さんは『お客様』ってボクに確認したよね?」
「確かにしてたけど、それが何かおかしいの?」
「うん。おかしいよ。だってさ、ボクたちはまだ何も言ってなかったんだよ。何の用件があるか話してないのに、何でヌー爺はそう言ったんだろうね?」
「…それは、ヌー爺さんは副業をしているからとか?」
ヌー爺さんは副業で情報を売っている。だから僕たちのことをその情報を買いに来た『お客様』だと思ったのではないだろうか。
「それは違うね。ヌー爺さんは初対面の人間に副業のことを話す人間じゃない。それに、その場にはボクもいたんだよ。ならさ、ボクが布教に成功してた可能性もあるんじゃないかな?死神様を信仰する信徒をボクが連れてきたのかもしれない」
僕は宗教には詳しくないが、その可能性もあるかもしれない。
「そんな人に向かってさ、いきなり『お客様』なんて呼ぶかな?これから真面目に生きて、生真面目に信仰を捧げようとしている人間を『お客様』と呼ぶ神父がいるのかな?」
もしそんな神父がいたとしたら、その教会は長く持たないだろう。自分と同じ神を崇める者を、その信徒を『お客様』と呼ぶ。それはその者を金蔓として見てる証である。そんな神父はいないと思いたい。
だがヌー爺さんは守銭奴である。お金のために情報屋をやっているのも事実であった。
「でも、ヌー爺さんならあり得るんじゃないかな?僕はヌー爺さんのことをあまり詳しくないからわからないけれど」
「いや、それはないよ。そんな人間に教会の神父を任せるほど、ボクらは死神様を安く扱っていない。第一、ヌー爺さんがそんな人間ならボクがもう斬っているさ」
それは恐ろしい限りだ。ルイの死神の使徒としての一面が見えた気がした。
「だからヌー爺は副業もしてるけど、死神様の教会の神父としての務めもきちんと果たしている。だからヌー爺は信徒に対してそんなことは言わない。ヌー爺は既にキミたちが信徒ではないとわかっていたんだ」
ヌー爺さんがちゃんと神父として仕事をしている。そのことは以前もルイから聞いていた。だが何に気づいていたのだろうか。
「ヌー爺さんは何でわかっていたの?」
「ボクと同じだよ。ヌー爺さんはボクと同じことを見抜いて、勘違いしたんだ。その勘違いはリンが喋りだしたから、すぐに気づいただろうけどね」
「…そうだったんだね」
ルイと同じだと言われて理解できた。ヌー爺さんもまたリンのことをゾンビにされた一人だと誤解していたようだ。それでそのことを死神の使徒であり、神父でもあるヌー爺さんに解決してほしい。そう頼むために教会に来たと思われていたようだ。僕が依頼に来た『お客様』であると。
僕はリンとルイの話を聞いて、リンの告白をうまく吞み込めたと思った。
リンがなぜ腕を斬られても平気なのか、なぜ斬られた腕がすぐにつながったのかもリンのことがわかれば説明できる。
腕が斬られても平気なのは、僕らとは違うから。体の構造が同じでも、動いている理屈が違うからだった。腕が簡単につながったのは、再生でも回復でもないからだ。おそらく粘土をくっつけるように、腕をつなげたのであろう。
「この世界のこともそうだよ、仁」
ルイは続けた。
「以前、神々が神の領域に移ったと言ったよね。そして弱い神だけが残ったって。じゃあそこの基準は何なのか、考えたことはある?」
考えたことはない。だがルイはどうやらこの世界に住む者として、そこに仮説を立てていたようだ。そこの強弱の基準は何なのだろうかと。
ルイは述べた。
それは自らの力で自分の体を持っていたかどうかであると。借り物でなければ、自由に自分の意志で振舞える。その分影響力が大きくなる。そう判断されたのではないかと。
残ったのは自らの力で自分の体を持たない、弱い神だけ。つまりリンもまたその弱い神であった。
リンは二人で歩いていたとき、こう言っていた。『神は物に宿る』と。僕は例えばそれを特別な武器や長い年月を経た道具のことだと考えていた。付喪神のようなものだと。
だがそれだけではなかったのだ。どこの国や世界でも動物は狩られる。そして動かなくなり、取引され、物となる。人間もまたその動物たちのように、僕の武器や服のように自ら動かなくなるときがある。それは死んだときだ。息絶え、看取られたときだ。僕はこの場で自分が斬ったゾンビたちを見渡した。
そしてリンを見る。彼女は白髪で褐色。少女の姿をして、生きた人間のように動いている。だが『リン』は既にいない。『リン』はとうに死んでいたのである。
ーーそう。つまり目の前にいるのは『リン』に、死体に宿る神だったのだ。
「…はぁ。そなたはバカ者だな、娘騎士よ。守られる側の人間が気絶するなど、そなたは騎士として未熟じゃ」
「ぐぅ…」
起き上がったフィリアからぐぅの音がでた。どうやら自覚があるようだ。だがリンは騎士失格とは言わない。そこにリンらしさを感じた。
「…悪かったわね!でも…ありがとう。助かったわ」
「まったくじゃ!迷惑ばかりかけおって…」
リンは照れたように言ったが、実際その通りであった。
僕たちは聖騎士であるフィリアさんには関わない方針でいた。なのに呼び出しを受けたり、突然接触してきたりと驚かされてばかりであった。ましてこの国の中枢である教皇の選定に関わる陰謀に巻き込まれるとは思わなかった。
でもこれで少しは彼女たちに恩が売れたのではないだろうか。ルイはもちろん、僕とリンはフィンさんの側近を守り、町に入り込んだゾンビを倒すことに協力した。元々フィンさんも話を聞きたいと言っていたので、この際交渉するべきである。
僕はこの考えを話そうとリンを見て思い出す。
「…そうだ、リン!そんなことを言っている場合じゃないよ!腕!それに止血もしないと…!」
「仁、そう慌てるな。儂は大丈夫じゃ。それよりそなたはよくやった!怪我などは大丈夫か?」
「え…?」
そう言われて自分の体を見る。そして左肩を触る。どうやら傷が塞がり止血も出来ているようだ。肉体的、精神的な疲労を除けば無事であるといえる。おそらく神性力により回復したのだろう。
今はリンのほうが重症である。
「僕は大丈夫だけど…。それよりリンは片腕が斬られたんだよ!なのにどうして平気そうにしてるの?」
「その通りよ!あなたは私のせいで腕を失ったのよ!なのにどうして落ち着いているのよ!」
僕の動揺にフィリアが乗っかる。リンはこれから片腕で生きていかないといけないかもしれないのだ。僕は経験したことはないが、それはとても不利で不便なことに違いない。特にここ異世界では。
「そなたらも落ち着け。儂は一旦腕を拾ってくる」
リンはそう言うと、腕を探しに行った。その場には僕とフィリアが残される。せっかくなので、僕は不安を解消するためにフィリアに質問する。
「…ねぇ、フィリア。僕たちってこのままフィンさんに捕まったりしないよね?大丈夫だよね?」
「…わからないわ」
「何で?」
「そもそも私はなぜフィン姉様があなたたちに話を聞きたいと言っているのかわからないからよ」
「それは…一年前の事件で捕まえ損ねたリンを突き出すためじゃないの?ほらもう一人の騎士のセネクスさんも言っていたじゃないか。それが原因で責められたって」
「それはないわ。確かにあれは私もむかついたけど。でもフィン姉様はそんな個人的な報復のために強引な手段はとらないわよ。だから別の理由があるはずだわ」
「…じゃあ、間違っても処刑されたりしないよね?」
「そうね。今回、私は命を救われたわ。騎士としてその分のお返しはするつもりよ」
「…良かった」
一息つく。フィリアは今回の件をちゃんと恩に感じてくれているようだ。フィンさんにリンが見つかったときはどうなることかと思ったが、最悪の状況は回避出来そうである。
リンが自分の腕を見つけて戻ってくる。
「娘騎士よ。そういえばそなた、セネクスとやらは探さなくて良いのか?」
「出来れば合流したいと思っているわよ」
「なら儂があやつといた場所を教えてやるゆえ、行くといい。襲っていた二人は後で運んでおいてやろう」
「…そこまで言ってくれるなら、お願いするわ。じゃあ、以前仁たちが来たことがあるこの町の高台で待っているわ」
フィリアはリンから場所を聞き走っていった。まだ仲間の無事が確認出来ていないのだ。情報の共有もしたいのであろう。
リンはそれを見送ると僕に近づく。
「仁よ。そなたはうるさそうじゃから、儂の先程の言葉が本当だと証明してやろう」
「…どういうこと?」
僕は首を傾げた。
「そなたこれを見よ。儂の腕じゃ。種も仕掛けもなく、繋がっておらんただの腕じゃ」
そう言ってリンは傷口が見えないように配慮しながらも、力の入っていない腕を掲げる。なんだろう、種も仕掛けもないとは。
「良いな?一旦、目を閉じ顔を伏せるのじゃ。10秒くらいな」
そう言ってリンは勝手にカウントダウンを始めた。僕はその急に下がっていく数字に焦りを覚え、素直に目を閉じた。
「…5,4、3、2、1」
ーーパンッ!
カウントが0になる瞬間、手を叩いた音がなった。そして僕は目を開ける。
「!?」
するとそこにいたのは両手を合わせ、いたずらっぽい笑みを浮かべているリンがいた。
「ふふ。どうじゃ?驚いたか?驚いたじゃろう?」
「…」
僕は閉じていた目を見開き、声がでない。リンの腕がつながっている。斬られ、放置され、力を失っていた腕が戻っている。時間を巻き戻したかのように、あるべきところに治まっている。
僕がそうして固まっていると後方から聞き覚えのある声が聞こえた。
「二人ともどうしたの?そんなにボロボロで?何があったの?」
それはルイであった。何事もなかったかのようにいつも通りなルイがそこにいた。僕はここで起きたことをルイに今すぐにでも話したい気分になったが、目の前で起きたことがうまく処理できなかった。
なぜなら、腕を戻すには神性力や魔法を使っても簡単にできることではないと聞いたことがあるからだ。他でもないリンとルイに。なのにリンは腕を再生させた。非常識である。
「ルイか。無事そうじゃな」
「まあね!キミたちよりは無事さ。無様な様子のキミたちを無難に見つけて駆けつけて来たのさ!」
ひどい言い様である。
「言いたい放題じゃな。儂も仁もそれなりに頑張ったんじゃがのう」
「あはは、ごめんごめん。それでどうしたの?仁なんて固まっちゃってさ」
「ふむ。儂がどうやって腕をつなげたのか、理解できないらしい」
「へぇ…。もしかして仁は気づいていないの?意外だね。ボクよりもリンと一緒にいたのに」
ルイが意地悪そうな笑顔で言った。
「ルイよ。そう言ってやるな。そなただって仁が気づいていないことに勘付いていなかったじゃろうが」
「?」
どうやらルイは知っていて僕にはわかっていないことがあるようだ。
僕はもしかしたらという思いで質問する。
「…ひょっとしてリンは神だから、人間の僕らと違って腕を治すようなことができるの?」
「いや、それは違うよ。確かにリンは神だし、ボクらと違うという意味では間違っていないけどね」
「…じゃあ、どうしてリンは腕を治すことが出来ているの?」
僕はその答えを聞くのがなぜか怖くなった。まるで僕の知っているリンが遠ざかるような、いや間違った認識が、現実が正される予感を覚えた。
ルイはまるでマジックのネタバラシでもするかのように楽しそうだ。そんな僕らを見てリンが答える。
「それはじゃな…、儂がーーだからじゃ」
「…え?」
僕はその言葉をうまく嚙み砕くことが出来なかった。体に電撃が走ったかのように衝撃を受け、思考が真っ白になる。
ルイが続ける。
「仁も多少は思い当たることがあるんじゃないかな?」
「…」
僕はルイのその言葉で今までのことを思い返した。今日までのことを。リンと共に過ごした日々を。だが特に変なところはなかったような気がする。
そんな僕を見て、リンが先程とは違う真剣な表情で問う。
「仁、そなたは儂が寝てるところを見たことがあるか?」
そう言ってリンは問い始め、解き始めた。僕を説得し納得させるために。
「いや、ないけど…」
「そうであろう。この町の宿では部屋は別だったし、村でもゾンビが来る前は村の守るための準備をしておったからな。野営のときも儂が見張りを受けていた。それは見る機会はなかろう。じゃが、儂らはこの世界に来てからずっと一緒じゃった。なのに儂が眠っているところを見たことがないというのは変でないか?」
確かに変な気がする。僕はリンと一緒にいて、リンが寝静まるところや眠りから覚めるところを見ていない。この町で暮らしている間は別の部屋だったことは事実だ。しかし僕はリンが眠そうにあくびをしているところや寝起きでスッキリしているところも知らないのである。
「…それは、そうだけど。でもそれは野営のときはリンが僕に気を遣って休ませてくれたんじゃないの?実際にこの世界に来て最初の夜、洞窟で疲れていた僕を一晩眠らせてくれたよね?」
「そうじゃ。儂は確かに仁の疲労回復を優先させた。じゃが、それはおかしいと思わぬか?仁は儂より体格的に大きい。ならば仁が疲れているほど消耗していたなら、儂はもっと疲れていて当然じゃと思わぬか?」
元の世界であればそう思っただろう。普通に考えて高校生である僕がリンのような少女に負担をかける構図は異常だ。だがここは異世界で、リンは人間ではない。
「それは…リンが神だからじゃないの?」
「そうじゃが、厳密には違う。儂は眠る必要がない。そういう体をしておる。じゃからそもそも一度たりとも眠っておらん。じゃから仁は儂の寝顔を見たことはないし、洞窟でも一晩眠らずにいられたんじゃ」
リンは続ける。
「儂の名前のこともそうじゃ。儂はそなたに言った。『名前はない』と。じゃが、儂は『リン』と名乗っておる。これもおかしいとは思わぬか?」
「それは、単純に名前がないと不都合だからじゃないの?」
「それもある。じゃが、その名はそのとき適当に思いついたわけではない。現にレナたちは仁よりも先に儂の名を知っておったじゃろう」
「…うん」
その通りだ。彼女は村に入るとき、自分の名前であの村の村長やレオナさんを呼んでいた。それは僕と出会いよりも前からその名前を名乗っていたことの証明である。
そしてリンは嘘をつかない。仮病を使ったりと小ずるいところはあるが、少なくとも僕に対して嘘をついたことがない。そんな彼女が名前はないと僕に言った。そして『リン』と呼べと。だから矛盾しているようにも感じる。
「儂は神じゃ。そなたら人間とは違う摂理で誕生しておる。ゆえに名前を持っていない」
リンは神だから、僕らとは違う。僕には親がいるが、リンにはいない。名付け親がいない。それはつまり、リンは本当に名を持っていないのだ。だがなぜ周囲には『リン』と呼ばせているのか。
「…じゃあ、何で『リン』なの?」
この名前は単なる偽名ではないと思う。リンはこれまで僕に正直であろうとしていた。今もそうしているように。そんなリンがいつでも捨てることが出来る名前を名乗るとは考えられない。
「それはじゃな…借りておるのじゃ。仮の名前として元の持ち主から借りておる」
「…そう」
彼女はそう言うとそっと目を閉じた。僕は察した。
リンはきっと瞼の裏側に本来の持ち主を見ているのだろう。その持ち主が誰か、とは問わない。なぜなら僕にも見えているからだ。彼女の思い描く姿が。
僕も自分を納得させるために質問する。
「じゃあ、…何でリンは食事をするの?リンの体に必要なの?」
僕はリンの言葉を聞いて、疑問を持った。リンには僕らが取らないといけない栄養素は必要がない。なのにリンは僕らと一緒に宿で食事をしていたし、ステーキも食べた。
「ふむ。それは儂が活動するために必要だからじゃ。以前どこかで言ったと思うが、儂は食事から神性力を得ている。儂は神ゆえ、神性力が減ると動きが鈍る」
リンは悩みを打ち明けるように言った。
「じゃから、儂が戦うには食事が必要になる。それに味覚はあるから、うまい物を食うのは好きなのじゃ!」
「…そうなんだね」
リンは恥じらうこともなく、堂々としている。でも僕はそれを聞いて少しホッとした。なぜなら僕が感動したお店の思い出をリンと共有出来ているとわかったからだ。
「それにさ、ボクと初めて会ったときもそうだよ」
「?」
ルイと初めて会ったとき…。それは村でゾンビと戦っていたときだ。
「ボクが最初にキミたちを見たとき、ボクがどうしたか覚えてる?」
「確か…ゾンビと戦っている勢いで僕たちに向かって来ようとしてたかな?」
「そうだよ。ボクはリンを見て、一瞬迷った。勘違いした。そのときリンが言ってたよね。『空振るぞ』って。これはね、ボクの鎌のことじゃなかったんだ。ボクの神性力のことを言っていたのさ」
「…」
…そうだったのか。僕は指摘されてようやく気付いた。ルイは初対面からわかっていたのだ。リンが普通ではないことに。
ルイはあのときゾンビを狩っていた。ゾンビという既に死んでいるはずの人間を。動かないはずの体を斬っていた。ルイの神性力はゾンビに死を与えることが出来る。だがリンはゾンビでない。だからリンは無駄だと主張し、理解したルイは武器を納めた。
もしこの誤解が解けなかった場合は、リンはゾンビだと決めつけられていただろう。そして争うことになっていたはずだ。僕とリンはあのとき、危ない橋をひとつ渡っていたようだ。
「それにね、ヌー爺のこともそうだよ」
「ヌー爺さん?」
「うん。おかしいと思わなかった?ボクたちが教会に行ったとき、仁とリンのことをヌー爺さんは『お客様』ってボクに確認したよね?」
「確かにしてたけど、それが何かおかしいの?」
「うん。おかしいよ。だってさ、ボクたちはまだ何も言ってなかったんだよ。何の用件があるか話してないのに、何でヌー爺はそう言ったんだろうね?」
「…それは、ヌー爺さんは副業をしているからとか?」
ヌー爺さんは副業で情報を売っている。だから僕たちのことをその情報を買いに来た『お客様』だと思ったのではないだろうか。
「それは違うね。ヌー爺さんは初対面の人間に副業のことを話す人間じゃない。それに、その場にはボクもいたんだよ。ならさ、ボクが布教に成功してた可能性もあるんじゃないかな?死神様を信仰する信徒をボクが連れてきたのかもしれない」
僕は宗教には詳しくないが、その可能性もあるかもしれない。
「そんな人に向かってさ、いきなり『お客様』なんて呼ぶかな?これから真面目に生きて、生真面目に信仰を捧げようとしている人間を『お客様』と呼ぶ神父がいるのかな?」
もしそんな神父がいたとしたら、その教会は長く持たないだろう。自分と同じ神を崇める者を、その信徒を『お客様』と呼ぶ。それはその者を金蔓として見てる証である。そんな神父はいないと思いたい。
だがヌー爺さんは守銭奴である。お金のために情報屋をやっているのも事実であった。
「でも、ヌー爺さんならあり得るんじゃないかな?僕はヌー爺さんのことをあまり詳しくないからわからないけれど」
「いや、それはないよ。そんな人間に教会の神父を任せるほど、ボクらは死神様を安く扱っていない。第一、ヌー爺さんがそんな人間ならボクがもう斬っているさ」
それは恐ろしい限りだ。ルイの死神の使徒としての一面が見えた気がした。
「だからヌー爺は副業もしてるけど、死神様の教会の神父としての務めもきちんと果たしている。だからヌー爺は信徒に対してそんなことは言わない。ヌー爺は既にキミたちが信徒ではないとわかっていたんだ」
ヌー爺さんがちゃんと神父として仕事をしている。そのことは以前もルイから聞いていた。だが何に気づいていたのだろうか。
「ヌー爺さんは何でわかっていたの?」
「ボクと同じだよ。ヌー爺さんはボクと同じことを見抜いて、勘違いしたんだ。その勘違いはリンが喋りだしたから、すぐに気づいただろうけどね」
「…そうだったんだね」
ルイと同じだと言われて理解できた。ヌー爺さんもまたリンのことをゾンビにされた一人だと誤解していたようだ。それでそのことを死神の使徒であり、神父でもあるヌー爺さんに解決してほしい。そう頼むために教会に来たと思われていたようだ。僕が依頼に来た『お客様』であると。
僕はリンとルイの話を聞いて、リンの告白をうまく吞み込めたと思った。
リンがなぜ腕を斬られても平気なのか、なぜ斬られた腕がすぐにつながったのかもリンのことがわかれば説明できる。
腕が斬られても平気なのは、僕らとは違うから。体の構造が同じでも、動いている理屈が違うからだった。腕が簡単につながったのは、再生でも回復でもないからだ。おそらく粘土をくっつけるように、腕をつなげたのであろう。
「この世界のこともそうだよ、仁」
ルイは続けた。
「以前、神々が神の領域に移ったと言ったよね。そして弱い神だけが残ったって。じゃあそこの基準は何なのか、考えたことはある?」
考えたことはない。だがルイはどうやらこの世界に住む者として、そこに仮説を立てていたようだ。そこの強弱の基準は何なのだろうかと。
ルイは述べた。
それは自らの力で自分の体を持っていたかどうかであると。借り物でなければ、自由に自分の意志で振舞える。その分影響力が大きくなる。そう判断されたのではないかと。
残ったのは自らの力で自分の体を持たない、弱い神だけ。つまりリンもまたその弱い神であった。
リンは二人で歩いていたとき、こう言っていた。『神は物に宿る』と。僕は例えばそれを特別な武器や長い年月を経た道具のことだと考えていた。付喪神のようなものだと。
だがそれだけではなかったのだ。どこの国や世界でも動物は狩られる。そして動かなくなり、取引され、物となる。人間もまたその動物たちのように、僕の武器や服のように自ら動かなくなるときがある。それは死んだときだ。息絶え、看取られたときだ。僕はこの場で自分が斬ったゾンビたちを見渡した。
そしてリンを見る。彼女は白髪で褐色。少女の姿をして、生きた人間のように動いている。だが『リン』は既にいない。『リン』はとうに死んでいたのである。
ーーそう。つまり目の前にいるのは『リン』に、死体に宿る神だったのだ。
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