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1部第1章 再会

血に染まった白いトレーニングウエア

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 中学1年の秋、私はデビューしてから数年が過ぎていた。
 所属していたアイドルグループが解散となり、一人になってしまった。
 でも私は、私だけは……ママの威光からなのか? 次々と仕事が舞い込んで来ていた。

 皆と一緒にアイドルをしていた時は楽しかったなって、今になって思う。
 ママは忙しくあまり家には帰って来ない。
 私はまだ中学生なので撮影は朝や昼だけ……。
 つまり夜はいつも一人、今、私は一人ボッチだ。
 学校もろくに行けない、人前も歩けない、そう……私は孤独だった。

 そんな寂しさを紛らわす為に私は仔犬を一匹買った。
 名前を『チック』と名付けた。
 静まり返った部屋にいつもチックタックと時計の音がしてたのと、好きな歌の歌詞から取って名付けた。

 初めて飼うペット、でも……チックは最初私に全然なつかなかった。いつも私に向かって吠えてばかりいた。

 頭を恐る恐る撫でればガブガブとその手を噛む。
 餌をあげるときだけ尻尾を振るチック……食べた後は私にあまり近付かないで一人で遊んでいる。

 そのチックの姿と傷だらけの自分の手を見て、私は腹を立てていた。

 本当にむかつく、私がご主人様なのにって、チックはまるで私を召し使いかなんかだと思ってる……ううん、この場合、飯遣いだって思ってると言った方が良いのかも知れない。
 
 飼わなきゃ良かったって私はそう思い始めていた。

 でも、ある時私が寝ていると、チックは私のベッドに入り込んで来た。
 寒かったからなのだろう……でも、なんかその時凄く嬉しい気持ちになった。
 
 私は孤独じゃないって感じられた。

 それから段々と私になついてくれるようになり、チックは私に取って家族の様な存在になっていった。


 チックを散歩に連れていくのはいつも早朝、昼間は目立つし、夜は危ないから。

 そして、あの日は撮影で仙台に行っていた。
 いつもはペットホテルに預けるのだけど、その日は取材でチックも連れて行く事になっていた。
 いつもと違う小さなホテル、でもチックと一緒にだなんて私はまるで家族旅行の様な……ううん、違うな、家族旅行なんてあんなくだらない物と一緒になんてしたくない。

 そう、まるで恋人と一緒にお泊まりするくらいに浮かれていた。

 ちなみにチックはメスだけど……。

 そして、いつものようにその日も早朝、日課の散歩に出かけた。
 ホテル近くの公園にチックと共に来ていた。

 初めてのチックとの旅行で、浮かれていたからなのだろうか?

 普段は人目を避ける様に生活をしている私、だけどその日はハイだったからだろうか? 旅先だったからだろうか? 公園に入って来た同じ年らしい子につい声をかけてしまった。

 だって……彼のその姿が、走る姿があまりに綺麗で美しいって思ったから……。

 その時……彼は真っ白なトレーニングウエアを着ていた。
 そして少し汗ばんだ顔が、爽やかだった。

 多分私の事は知らなかったのだろうその彼の様子にちょっと悔しく、ちょっと安心した。
 
 でも……その安心感が、旅先の浮かれ気分が……あの人をあんな目に遭わせてしまった。


 急ブレーキの音と共に、彼の白いトレーニングウエアが真っ赤に染まった。

 私はどうする事も出来なかった。

 助けた彼の手と身体に守られたチックは、元気に私の元に走って帰ってくる。
 そして何事も無かったかのように、私の周りを無邪気にグルグルと走り回っていた。

 私は、何も出来ずに、ただただその場に立ち尽くしてしまう。

 早朝とはいえ、それなりに公園の前に人はいた。

 事故に遭った彼の周囲に人垣が出来る。
 今思えば、そんな事を気にせずに彼の元へ駆け寄り、彼の付き添いをしなければって、ううんしておけばって思っている。

 でも私はその時、その人垣を見て……動けなくなった。
 今、自分があそこに行けば騒ぎになるって思ったから、でも最低だ……私はその時最低だった。

 私はブルブルと震える手を抑えながら持っていたスマホでマネージャーに電話をした。

 現場はマネージャーも宿泊しているホテルの目の前……。
 駆けつけたマネージャーは私に向かって言った。

「騒ぎになるから貴女は部屋に戻ってなさい!」

 いつもはピシッとしたスーツを着ているマネージャー、よほど慌てて駆け付けたのかかなりラフな寝間着姿だった。
 そんな姿を見て益々パニックになった私は、彼女にそう言われフラフラと部屋に戻ってしまった。
 
 警察には、マネージャーから事情を話してくれたそうだ。
 
 それでも、その日の仕事をキャンセルして、あの人の所に行かないとって、そう思い直しマネージャーにお願いした。

 でも、それは叶わなかった。

 マネージャーとママの弁護士の人が全部やるからって言われた。彼の運ばれた病院は教えて貰えなかった。

 早朝男の子と会っていた事実が知られたら、色々言われる可能性があるって、恋人なんて書かれたら大きな仕事が決まったばかりのママや、私と契約しているスポンサーさんに迷惑がかかるからと、そう説得された。

 そしてその時彼の命に別状は無いって聞かされて少し安心した。

 ただそれ以上は、何も教えて貰えなかった。

 初めは仕方ないって、諦めたけど、でも私はやはり彼の事が気になった。
 
 
 だから調べた、あの人の事を……。


 直ぐに彼が優秀な短距離の選手という事はわかった。

 私立城ヶ崎学園の生徒という事も……直ぐにわかった。

 ただ彼が無事だって聞かされて、私は安心していたのだろう。

 そして、有名だった私が彼に会いに行けば、彼に迷惑がかかるって思ってしまう。
 だからその時は……ママの言う事を素直に聞いて、全て弁護士さんに任せればって……そう思っていた。

 仕事仕事の毎日の中、彼の事は一度たりとも忘れた事は無かった。
 仕事の合間に陸上雑誌で彼の名前を探してみたりした。
 
 でも彼はあの事故以来どこの大会にも出場して来なかった。
 
 不安が私を襲った、もしかしたらと私は再度彼の事を調べた。

 そして……私は彼の事を、そして彼のその後を知った、知ってしまった。

 彼の足の事を……知ってしまった。

 私はママをなじった、なぜ教えてくれなかったのかって、マネージャーとも言い争いになった。
 それからは喧嘩ばかりの毎日だった。

 そして……私は家を出ると決めた。

 仕事も……辞めるって決めた。
 
 そして鶴ヶ崎学園に入るって、彼の元に行くって……そう、決めた。


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