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3.男爵令嬢の長い一日

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スノーローズ。その年に大寒波が来る前兆として、初冬の晴れた空に舞う吹雪のことである。

棘のような風に頬は切れ、薔薇の花弁のような雪が降ることからそう呼ばれるようになった。

男爵令嬢の私、ハーレルイ・ケンダルは十代の輝かしい金髪を肩に揺らし、皇室の皇后離宮の庭にガーデンテラスがあり、こちらはレアルペンタゴンと呼ばれる皇后様お気に入りの茶室ですと、前を歩く皇后様の侍女に案内されてきた。

そこには二人分の茶器が用意されており、ポットからは湯気が立ち、まもなく皇后様がお見えになられるまでご存分に、と去ってゆく侍女。

は、まじ?
自分でお茶淹れて飲めってことだよね。
平民と変わらない男爵令嬢にお茶なんか淹れられるわけないじゃん。

家じゃお茶っぱの入ったポットに沸いた鍋の湯を注いで熱々をふーふー言いながら飲むんだから。

引きつった顔を元に戻し、とりあえず椅子に座った。サイドテーブルの茶器に目をやるも、どれが何だかわからない。湯気が立つポットはまあいい、カップが二種類あるのはどういうことだ?あっちのボールみたいなのは何に使うんだろう。

もうやだ。何で私なんかがこんなところに呼び出されたんだろう。両手で顔を覆って現実逃避してみる。

お義父さん、お義母さん、もう帰りたい。

身寄りのない私が日雇いメイドとしてお義母さんに雇われ、まるで亡くなった娘の生まれ変わりのようだとお義父さんに泣き付かれ、養子になったまではアハハウフフ今日から私お嬢様よと浮かれていたが、春秋叙勲の祝賀会に娘のお披露目、いわゆるこんな可愛い娘が出来ましてという自慢がしたかったらしく、ホクホク顔のお義父さんの腕に手を添えてああ早く時間よ過ぎろと貼り付けた笑顔の下で願っていると現れる、明らかに毛色の違う金髪のイケメン。

時間が許す限り貴方と話がしたい、と手を差し出されるとお義父さんがぜひそうしなさいあっちの個室がいい、いや庭でゆっくり二人っきりで、と背中を押されてしまい金髪イケメンに危うくぶつかりそうになって手を取ると、ぐらりとよろけたもう片方の腕も取られ引き寄せられてしまった。

ガッチリとホールドされた腰、ちょっとどこ触ってんのよと見上げれば、うっとりとした潤んだ瞳、肉厚な唇が目の前に見えて「ひゃ」と顎を引いたらそのまま庭に連行され一時間、愛を囁かれ続けた。

「ひとめで恋に落ちた私は愚か者ですか。」
すいません何て返すのが正解ですか、私は落ちてません。

「愚かな私を少しでも貴方の心に住まわせて欲しい。」
1LDKだし満室です。

「願わくば、全てを捨ててでも貴方の心が欲しい。」
捨てたくないです、私は義父母とひっそり安寧の日々が欲しいです。

全く噛み合わない二人の心情に0時を知らせる鐘が鳴った。一人はウエディングベルのようだとのたまい、一人は丑の刻参りの呪いのようだと表情を失っていた。


その翌日、私は今ここにいる。

ふう。とりあえず、お茶が飲みたい。自分で淹れるしかないけど。

と両手で顔を覆っていた手を下ろして顔を上げる。

なぜか目の前に茶器がセットされ、琥珀色のお茶が入ったカップが置かれていた。

あれ?誰もいないわよね?でも、誰かが淹れてくれたってことでいいのよね?まあいいか。喉カラカラだし。

ひとくち飲むと、コクのある甘い味わいにかすかに感じる柑橘の香りに心が安らいだ気がした。

「待たせたかしら」
待たせたなんて思っていないだろう真顔で皇后は現れた。

立って挨拶をと身じろぐと侍女が私を制し、ゆったりと座った皇后のカップにお茶が入ったポットから注いでいく。私が淹れたわけじゃないけど、雰囲気からどうやら私が淹れたお茶だと勘違いされている気がする。

「まぐれでも美味しいわ。次回も宜しくね。」
真顔で「まぐれ」だとおっしゃられても。

しかもさり気なく次回があると言いました?

「手土産にいただいた加工品は皇后様はお召しになりません。次回は刺繍したハンカチなどが宜しいでしょう。」
侍女が。安物のお菓子なんか食べるわけないでしょ、刺繍の腕を見てやるから持ってこい。と私を見下ろしている。

皇后に呼びつけられてこれから何度もお茶を淹れさせられる予感に私が震えていると、昨日の金髪イケメンが遠くから走ってくるのが見えた。

「母上!」
やっぱり、そうきたか。そうじゃないかとは思っていたよ。

「何です、騒々しい。」
涼しい顔でお茶を飲む皇后の元にかけ寄るイケメン。

私を連れ出しに来てくれたイケメンの登場にホッとすると、

「どうです、彼女、可愛いでしょう。」
ん?今、皇子、何と言いました?

「可愛いだけでは皇妃は務まらないのですよ。」
そうです私には到底無理無理です。

「大丈夫だよ。ルシアより可愛いんだから。」
可愛いは正義みたいに言うな。

「ルシーリア・ライフェン公爵令嬢と呼びなさい、もう婚約者ではないのですよ。」
はい、話が変わった、何ですと?

「昨日貴方達が庭でイチャイチャと愛を語らっている間に怒った公爵が婚約は白紙でよろしいですね、と令嬢を連れて帰ってしまわれたのです。この醜聞を知らぬ貴族はもはやどこにもいないわ。」
皇后の眉間にこれでもかとシワが寄る。私に見せつけるように。

いやいやいや、私は語っていませんでしたよ。一方的です。私を共犯者にしないで。

「もう、母上は心配性だなあ。大丈夫、僕を信じて。彼女ならきっと立派な皇妃になってくれるはずだから。母上は何も心配しないで、彼女の皇妃教育をしっかりしてくれればいいだけなんだから。」
ん?もしかしてもしかしなくても皇太子なの?皇太子なのに公爵を怒らせちゃったの?

「はあ……貴方という子はまったく。それで、ケンダル男爵は何と言っているのです。」
「うん、聞いてきたよ。全て僕に任せてくれるって。だから今回の叙勲、伯爵位にしてあげて、ね、母上ぇー。」
うわぉ。すごい甘えた声。え?確か皇太子は成人されてますよね?いやまて、それよりも、今、お義父さんを伯爵にすると言いました?

「そうですか」
ジロリ、と皇后の蛇のような目が、カエルをひと飲みにしてやるぞという睨みが、私を捕らえる。

あーこの目、知ってるわぁ。身寄りのない私を養子に迎えてくれたばかりの頃、男爵家の意地悪な使用人がこんな目をしてたなあ、懐かしい、すぐクビになってたけど。

「こうなった以上仕方ありませんね。ケンダル伯爵令嬢、覚悟なさい。このツケは貴方の体で払っていただきますからね。」
伯爵令嬢は決定ですか?ていうか、皇太子の暴走ですよね明らかに?!何で私のせいみたいになっちゃってるんですか?

「くふふふ。ルシアもこの国一番可愛かったけど、まさか、それ以上がいるなんて想定外だったから焦っちゃった(てへ笑)。あーよかった、無事手に入って。ほんと。可愛いなあ。」
皇太子の手が伸びて私の顎を掴み、右、左と横顔を確認するように品定め、最後に真っ直ぐ見据えると、顎を掴んだ親指を唇に這わせてきた。

ひいぃ?!こ、こいつ……すんなり婚約白紙になったことといい、トントン拍子に男爵が伯爵になっちゃうとか……もしかしなくても私、この馬鹿皇太子を押し付けられた?!

これってあれだよね映画でよくある貴族のラブロマンスでいうところの、馬鹿皇太子を廃嫡するに分不相応に欲どうしい男爵風情と一緒に没落させて財産没収で王族だけがウハウハしちゃう展開が待ってるやつですよね?!

「初夜が楽しみすぎるぅ。」
「僕ちゃん。」
「はーい、母上。じゃ、また後でね、ルイ。たっぷり母上に可愛がって貰うんだよ?母上の言うこと聞いてれば間違いないからね?」
え?待って。私を一人置いてくつもり?

皇太子は目の前で、私の唇に這わせた親指にキスを落としウインクを見せつけて去っていった。ざっけんなふざけるなっ。

「今日から貴方は後宮に住み込み、睡眠時間をギリギリまで削ってでも皇妃教育を一年で身に付けていただきますのでそのつもりで。さ、お茶が冷めてしまいました。新しく淹れなおしてください。」
慇懃無礼いんぎんぶれいに侍女が顎で私に指図する。

お茶なんか淹れらんない。どうしろっつーの。何でなの。お義父さんは爵位欲しさに私を売ったの?……まさか養子も最初からそのつもりで?……一年後……私、生きてる?

身寄りもない頃からずっと身につけている左薬指の指輪をくるくる回しいじりながら、そわそわしていると抜け目の無い侍女がギンッと睨む。

「何です、そのみすぼらしい指輪は。皇妃に相応しくありません。外しなさい。」
「え!でも、これはずっと」
「外しなさい」

これは外しちゃいけない気がする。だって、ずっと身に着つけていたんだもの。これだけが、私のものだってわかる。

「外しなさい!」
「いや!やめて!」
侍女が無理矢理、私の指から引き抜こうとする。皇后はテーブルに肘をついてニヤニヤと眺めて楽しそうだ。

やめて!返して!

侍女の手によって引き抜かれた、私の左薬指にあった小さな宝石のついた指輪に、私の涙がこぼれ落ちた。

ドンバリンゴゴゴン。衝撃が頭の中を突き抜けてゆく。

古の魔女ハーレ一族最後の生き残り、ハーレクイーンオブハート。

ぐちゃり。私の人差し指と親指が、封印の指輪を掴んでいた侍女の指ごとひねり潰していた。
「ひぎゃああああ」

髪に魔力が流れ、キラキラとした流星群が髪に流れると艶のある金色の髪が腰まで伸びた。

狼狽えていた瞳に生気が戻り、美しいエメラルドのような輝きに、長い睫毛まつげがパサリと揺れる。

健康的に日焼けした四肢は白くしなやかに、ハリのあるむっちりとした胸、ウエストはキュッとくびれ、指先に真っ赤なマニキュアが塗られた。

ぷっくりとした瑞々しい唇はきっと皇太子がいればさぞや喜ぶに違いない。

十代後半の若々しい肢体に色気と生気が宿る。

肘をついて固まった皇后の顔に生気はない。

「解除」
サッサと回収、回収っと。ケンダル男爵家を包んでいた祝福の加護が消え去り、私の右薬指に指輪が戻ってきた。あれあれ?っと、自身を包んでいた幸福感が急に無くなり狼狽えるお義父さんの姿が目に浮かぶようよ。ふん。

「答えよ、シトロン。」
「何なりと」
私の声に、庭に生えているミカンの木から精霊が現れる。

鮮やかなオレンジのオーラが人型になる。

「貴方がお茶を淹れてくれたの?」
「はい。私の仲間はハーレ様に救われたのです。ハーレ様のお役に立てれば幸いにございます。」
「ありがとう。とても美味しかったわ。ねぇ、私と一緒に来ない?」
「有り難き幸せ。……これをお持ちください。」
シトロンは即答して木から小さな実をもぎると私に渡し、その実にスルリと入った。

「シトロン、様とは……まさか、大精霊様なのですか」
へえ、皇后には見えるんだ。そういえばこの国の発祥は精霊の加護の宿る土偶がたくさん見つかった遺跡を中心に広がった精霊の国の末裔とか何とか。でも私には関係ない、魔女だし。

侍女は狼狽えて何かぶつぶつ呟いているけど無視無視。

マザコン親子にも、虐待親にも用はない。とくるりと背を向けた。

辺り一面真っ白に染まった樹海。ログハウスにも雪が積もり、その側に可愛らしい雪だるまが。

まあ。懐かしいわ。グレーテルがこの森に迷い込んだ時、道に迷わないようにとあちこちにグレーテルが作っていた小さな雪だるまね。結局、さらに降り積もった雪に見えなくなって迷子になったのよね。

「おかえりなさいませ、ルイ。」
「ただいま、グレーテル……なんか、機嫌悪くない?」
ぷりっとグレーテルの頬が膨らんでいる。

「浮気したから罰が当たったのです。」
浮気?心当たりを探ってみると、思い当たるのは、虐待親のこと、かな?嫉妬してくれたの?ベルダに聞いたのかしら。

「私がいるのに。」
耳まで赤いのは、寒いから?それとも。
「ごめんなさい、グレーテル。あの人達が可哀想に思えて。でもグレーテルの言う通りだわ。浮気はダメね、私にはグレーテルがいるんだもの。」
きゅっとグレーテルの手を握ってポケットに入れた。

「そうそう。シトロン。」
「何なりと」
反対側のポケットから果実を取り出すと、シトロンが姿を現した。

どのあたりがいいかしらと悩んで、出来るだけお側にと言うので、ログハウスのすぐ後ろに植えた。

植えてすぐニョキニョキと伸び、ログハウスを覆うほどの傘のようになった。これだといちいち雪下ろしもしなくて済みそうだわ。と思っていると、木が大きく揺れてログハウスに積もっていた雪が振り払われた。助かるー。

「じゃあ、お茶にしましょう。」
「今日はシトロンに淹れて貰うわ。とても美味しいのよ。」
「照れます」

シトロンは照れながら、ログハウスに入っていく二人の後についていく。

ふと、少しだけ振り返る。

きっと今頃は大精霊のいなくなった土地から精霊が次々と去っていき、木は枯れて土地は痩せやまいがはびこることだろう。もとより、あれは精霊の国でも何でもない、生贄の精霊が閉じ込められた土偶の墓だ。精霊が少し見えるくらいの人間が、昔は精霊を殺し、今は崇めているのだから滑稽だ。今年は大寒波が来る。あの国はもう終わりだな。

「しとろーん」
ハーレ様がひょっこりとログハウスから顔を出して名を呼んでくれた。シトロンは照れながらログハウスに入っていく。






注釈.スノーローズの吹雪も創作です。
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