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一章 お、おれ?

2 なんで何にも言わないの?

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 週明け月曜日。何にもなかったような一ノ瀬課長。仕事も特に変わった様子もなく、彼と話す内容もいつもと同じ、仕事の話も雑談もするし、一ノ瀬さんも含めてみんなでランチにも行った。代わり映えのしない日常で、週の終わりには告白されたことすら俺は忘れていた。

「課長、俺これから◯社に寄って直帰します」
「うん。頼むね」

 俺は夕方の定時間際にモバイルと書類なんかをバッグに詰め込んで、客先に急いだ。エレベーターホールに向かい、あそこの担当者は少し面倒くさいんだよななんて、行ってからの事を頭を巡らせていた。

「楠木くん」
「ひゃっ!あ、課長。なにか?」
「うん。ふふっ」

 不意に声かけられて驚いてしまった。でも課長出かけるって言ってたっけ?とか思ってると、まあまあとエレベーターに押し込まれ一緒に下に。

「あのさ。先週の告白の返事きちんと聞かせてくれないかな」
「へ?」

 何にも言ってこなかったからすっかり忘れてた!どうしよう……変な汗をかきながら一階に到着。俺断ったよね?伝わってなかったか?

「あの……断って……え?」

 エレベーターを降りて、エントランスホールの端にあるソファに座ろうとふたりで座った。

「あれは断ったうちに入らない、僕は納得はしないよ。ねえ、◯社何時間で終わるの?」

 マジか……強い。

「二時間くらいで終わるはずです」
「そう。ならその時間に迎えに行くね」
「うっ……」

 俺の引きつった顔に彼は小首を傾げた。

「僕はね、前彼みたいな事は絶対にしない。本気で嫌なら今言って欲しい」
「あの……その……」

 正直このチームに来た時から見た目は好みで、俺は年上大好き。あんなことがあって引き取り手のない俺を、迎え入れてくれたのもこの人だ。本当は組合とか総務とかにやられるはずだったのを拾ってくれたんだよ。
 謹慎後、初出社前に人事に来い言われて説明を聞いた後、そこで俺の同期に内緒だぞって内情を教えてもらったんだ。
 それに一ノ瀬さんは不思議な雰囲気があって、仕事も出来るし見た目も細マッチョでどこかかわいい感じのイケメン。歳はずいぶん上なのにかわいい笑顔なんだ。俺は簡単に答えられなかった。

「まんざらでもない感じかな?」

 俺を覗き込んでねえって。

「その……」
「考え込むくらいには気にしてくれてるのかな。もう時間ないでしょ?終わる頃に迎えに行くから、その時に聞かせてよ」
「あ、はい。分かりました」

 じゃあ仕事頼むねって手を振って、エレベーターホールに行ってしまった。

「問題児の俺を好きとかあの人どうかしてるな」が正直な感想だ。俺なんかどこにでもいる量産型のパッとしない……自分で言っててイヤ。でもモテないのは確かだからな。
 はっ!まず仕事だよ急がないと!俺は足早にビルを出て客先に向かった。そして滞りなく仕事を終わらせ外に出ると、一ノ瀬さんが外のベンチに座ってて、俺に気がつくと立ち上がって近づいてきた。

「お疲れ様、上手くいった?」
「お疲れ様です。ええ、新商品の契約が出来ました」
「そう。おめでとう」
「ありがとうございます。週明けから工場とのやり取り頑張ります」
「うん。忙しくなるだろうけど頼むよ」
「はい」

 ニコニコといつもの笑顔で仕事の話が終わると、スッと彼の顔つきが変わった。笑顔の質が違うっていうのかな、見たことがない顔。

「そうだな。夕飯一緒に食べながら聞かせてよ」
「はい」

 いいところがあるんだと、彼の部屋の近くの店に行くことになった。出先のビルから数駅電車に乗って、ほぼ会社に戻る駅だ。
 俺は車内で何話していいか分からなくて不安でいると、一ノ瀬さんはそれを汲んでくれるように、チームの佐々木さんの面白話とかして気を使ってくれた。

「ここだよ」

 雰囲気の良さそうな和風居酒屋だった。
 中に入るとカウンターと個室のテーブル席がいくつかある店で、割烹料理屋の方があいそうな店構えだった。
 個室の一つに案内されて、一ノ瀬さんは料理を適当に頼んでくれた。

「おつかれ!」
「お疲れ様です」

 ビールで乾杯して、俺はつき出しをつまんでいた。どうしようかとここに来るまでずっと考えていたけど、悶々としただけだった。

「君、先週逃げ帰ったでしょ?僕けっこう傷ついたんだよね」
「すみません……」

 俺はあの日の修羅場がフラッシュバックして怖くなったんだ。仕事がなくなるってね。俺この会社の開発部に入りたくて就活頑張ったんだ。ダメなら同業他社も視野には入れてはいたけどさ。
 あんなことがあって自宅謹慎の期間、本気で生きた心地がしなくてさ。来ていいよって言われた時の嬉しさは半端なかった。

「僕はね。今まで会社の人と付き合ったことはないんだ」
「はい」

 カミングアウトしてる人は当然恋人はいるんだよね。大きな会社だから多少ゲイはいるだろうけど、見つけるのは至難の業だ。前の恋人はたまたまだし。

「なんで俺ですか?」
「うん。まず見た目が好きかな」
「はあ……俺かわいくもかっこよくもないですよ?」
「それは君の主観だ」

 一緒に働いて、変に真面目で裏表が少なく、少し慎重すぎかなとは思うけど、ペアの木村さわとも上手く分担して仕事を進めているのを見て、好感を持ったのが始まり。

「大人にしては純粋過ぎかなとも思わないでもない」

 ニコニコは崩さずビールを飲んでいる。

「あの、それ褒めてませんよね?」
「褒めてるよ。でも大人の素直って武器にもなるし弱さにもなる。君の魅力でもあるんだ」

 そうか?裏表がないのはただ単に要領悪くて企むとか出来ないからだ。そんで弱い。だから包容力のある年上の人を好んでしまう。俺は受け身のバリネコだからね。

「ねえ返事聞かせてよ」
「……はあ」

 この会話の間に料理も運ばれてきて、どれも美味しかった。野菜の素焼きとかとてもきれいで目を楽しませる料理が多く、一ノ瀬さんのお店のチョイスはセンスがいいと感心した。俺は深呼吸して彼を見つめた。

「一ノ瀬さん、俺は会社とは違います。恋人には言い返せないし、甘えるの好きだし、ベタベタしたいし……自分からなにかするの苦手です」
「ふふん。いいじゃん」
「へ?」

 いつもの笑顔とは違う……なんだろう。ころころと笑う、いつものかわいいものではなくて、下心のようものがある気もする。その笑顔は、俺の心の情欲をいやらしい手つきで撫でた気がした。

「僕は人を見る目はあると思っている。きっと君はそんなだろうと予想はしてたんだ」

 ほほう、分かった上での告白なのね。

「一ノ瀬さんは何でも出来る人ですし、若いのに課長です。俺は相応しくないのではないですか?」

 小首をかしげて微笑んで、ならさって。

「じゃあ君が考える僕に相応しい人とはどんな人かな」

 うーん。俺はやっはり同じくらいの能力のある人の方が、切磋琢磨出来るのかなって思った。彼は若手の中ではかなり早く課長になった人だし、他の同期は課長代理以下の役職とか、ヒラの人も多いんだ。だからそれを話した。

「ふーん。君はそう考えるんだ。僕個人を見てはくれてなかったのか」
「え?」
「数ヶ月も一緒にいたのに、僕自身を見てはくれなかったのかと思ってさ。あはは、残念」

 ええ?課長はチームの長だし、尊敬以外の気持ちはもちろんない。俺がその言葉に驚いていると少し身を乗り出した。

「僕のチームの人はね。すぐに砕けた感じで僕に接する人が多いんだ。君だけだよ、距離取ってたのは」
「そりゃあ上司ですから」
「そうだけどさ」

 彼の話によると、数ヶ月もするとみんな慣れて、タメ口の人まで出るくらいが普通。僕はそれだけチームのマネジメントに力を入れているんだと言われた。報連相を嫌がられるとか以ての外だと考えているそう。

「俺はその……問題起こしたのを知られたくなくてですね。誰の目にも入りたくない。出来ればあなたにも忘れた欲しいくらいでした」

 今は知られてなくても、いつかみんなの耳にも入る時がくるだろう。もしかしたら知ってて黙ってくれてるのかもしれない。仲良くなり過ぎると聞かれるかもと思ってて、当たり障りのない感じにはしてた。実は木村さんにも自分のことはあまり話してはいない。

「それは分かってる。でもチームのメンバーは君が来てよかったと言ってるよ。地方の支店から来て、取引先の規模も、やり方だって多少違うはずなのに慣れるのが早いって」
「それは…ありがとうございます」

 地方とは言っても関東の県だけどね。でも本社の人にしたら地方だ。それはここに来て分かった。扱う単位も大きいし、みんな自発的に動く人ばかりで売り上げを上げている。指示待ちの人なんか新人くらい。

「僕はね。そのままの君に惹かれたんだ」

 そうなんだ。俺はチームで浮かないようにって意識してただけなんだけどね。

「あの……自分が分からないんです。一ノ瀬さんは好みではあります。俺年上の人好きだし」
「うんうん」

 視線を合わせず話してたけど、彼を見ると余裕のある態度だ。

「好かれて嫌とかじゃないんです。俺この仕事好きで……またなんかあって仕事を辞めなきゃならないとか、怖くなって」
「それはないよ。僕はそこまでバカじゃない」

 彼は間髪入れず否定した。この自信あるげな感じは恋愛にのめり込んで失敗するタイプではないだろう。それに俺ばっかが好きになる恋愛も嫌なんだよ。前の恋人はそうなってて……俺が教えたくせに「生意気だ、口ごたえすんな」って言われたし。あ~あ、嫌なこと思い出した。

「ねえ僕と付き合ってよ。あれからあんまり日が経ってないのは分かるけどさ。僕は君を大切にする」
「あ、あの……」

 俺は怖くて「うん」って言えない。こんな俺の理想みたいな人に「やっぱり違った別れよう」なんて言われるのは嫌だ。俺の依存体質舐めんなよ?甘えていいとなったら図々しくなるぞ?初めからベッタリだぞ?クソッ自分で言って悲しくなる。

「楠木くん」
「あ……はい」

 呼ばれて正気になったけど言葉は出ない。ふうとため息が聞こえるとスッと立ち上がり、仕方ないなあって俺の椅子の隣に立った。え?なに?

「ねえ」
「はい……?」

 一ノ瀬さんはしゃがんで俺の両肩に手を置いた。うん?すると顔が近づきチュッて俺の唇に触れた。扉が閉まってて誰からも見えないとはいえ驚いてビクッとした。

「へ?」
「過去のことや会社のこととかで怖くて返事出来ないんでしょ?僕は君を裏切ったりしない。会社での僕と私生活の僕は違う」
「はあ」

 肩に手を置いたまま笑顔もなく真剣に話してくれる。イケメンの真顔は破壊力すげえ。

「僕は君の甘えたい気持ちを受け止める。苦には思わないしね。それどころか嬉しいタイプだ」
「そ、そうなの?」
「うん」

 そんな顔しないで僕の気持ちを受け入れてよって、もう一度チュッと唇が触れた。

「僕のキスはいや?」
「いいえ」
「なら言って?」

 彼の目を見つめた。「うん」と言って俺は後悔しないのかな。どうしよう不安で胃がキュウってする。彼はそれこそ好みだしここで断ったらこの先恋人なんていつ現れるか分からん。うーっもう!失敗してもいい!このイケメンが俺のになるチャンスなんだよ!

「お、お願いします!」
「よし!絶対大切にするから!」
「はい」

 彼は立ち上がると自席に戻り、早く食べて僕の部屋に行こうって。

「はい?」
「それと名前で呼んでいい?」
「え?ああどうぞ」

 ならねってれんこんの海老挟み揚げを食べながらニッコリ。

「敬語も止めてよ。ふたりの時はね?」
「はい」
「よし!智也、早く飲み込んで急げ!」
「え?」
「んふふっ分かってるでしょ?」
「はあ……なにが?」

 嫌だよこの子はって。もぐもぐ食べながら、

「今日は僕の部屋に泊まってくれるんでしょ?なら分かるよね?」
「あ、はい……」

 その言葉を理解すると顔が真っ赤になった。この人に抱かれるの?マジで?自覚したらもう料理の味なんか分からなくなった。エビ……
 美味しいエビとれんこんの歯ごたえを噛み締めながら彼の見るともうね……目がおかしい。したい気持ちを隠しもせずエロそう。この人本当に訳わからん。あはは。



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