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第5章

第01話 運命の行方は鏡の向こう側に

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 鏡の向こう側に映る世界にも、確かに人は存在する。それは、私達の虚像というわけではない。
 例えば、私が鏡の前で右手を上げても、向こう側の私はこちらの動きに合わせて左手を上げることはないのだ。むしろ、私から背を向けて何処か遠くへ行ってしまう可能性だってある。

 封印が解ける日の朝の夢。
 鏡の中にいたはずの赤い髪のご令嬢が、私に背を向けて扉の向こうに立ち去ろうとした。流石に扉の奥に入られたら、もう彼女の姿を確認することすら出来ない。

『ねぇ、待ってよ。ガーネット! 何処に行ってしまうの?』

 慌てて引き止めると、彼女は優しく微笑んで。けれど嗜めるように、耳元で囁く。

『違うでしょう、紗奈子。鏡の向こう側に行ってしまったのは貴女の方ですわ。そして最後はお互いの居場所に戻るのです。きっと私と貴女はやがて巡り巡る。永遠の愛を見つけた時……合わせ鏡の向こうで待っています』
『合わせ鏡……どういうことなの? ガーネットは私の鏡で、私はガーネットの……』

 気まぐれな公爵令嬢ガーネットは、全てを見守る女神像と違ってほんの少し辛辣だ。そうだ……彼女は美しい薔薇、棘があるのは当然のこと。

「お嬢様、紗奈子お嬢様……。起きてください! 実は……」

 嗚呼、夢が終わる。遠慮がちに朝を告げるクルーゼの声が聞こえてきた。
 紗奈子とガーネットは似て非なる別の存在、だから私も目覚めなくてはいけない。二人で一つの夢を見続けることは出来ないのだ。

 ――きっとそれが、パラレルワールド。自由意志のもう一つの異世界。


 * * *


 隔離空間と化した聖堂からようやく外へと出ると、バリア解除に気づいたこちら側の世界の使者が挨拶にやって来てくれた。彼の名はリーア・ゼルドガイア。

「私のことは……リーアとでもお呼び下さい。リーア・ゼルドガイアという名で、この数年は通しておりますので」

 ここ数年は……なんて、まるでそれ以前は別の名を名乗っていたかのような。何処か含みのある言い回し……初対面でそれ以上追求するわけにもいかないし、まずは挨拶から。

「初めまして、リーアさん。紗奈子・ガーネット・ブランローズです」
「サナコ……ではサナ、とお呼びしてもよろしいでしょうか? お近づきの印に、貴女の手の甲に口付けを……」

(ヒストリア王子に似すぎているわよね、リーアさん。髪型は、三つ編みを後ろで結いていて雰囲気が違うけど。ゼルドガイア一族ということは、やはり彼も王子様なのかしら?)

 透き通るような、白磁の肌。太陽の光を浴びて輝く金色の髪は、風に揺られてサラサラと揺れて、憂いを秘めた蒼い瞳を見え隠れさせる。整った唇から発する声は、柔らかい印象のヒストリア王子よりも少しだけトーンが低い。

「んっ……私の顔に何か?」
「あっ……いえ、ごめんなさい。リーアさんって、私の婚約者のヒストリア王子にあまりにもよく似ているから……つい」

 想定外の声のトーンも大人の男性……といった風貌によく似合っている。もしかしたら声の違いが、ヒストリア王子との決定的な違いなのだろうか。ヒストリア王子と似て非なる大人の色香に当てられたのか思わず見惚れてしまい、キュッと握られた手を放すタイミングを失ってしまう。

「失礼、婚約者に似ているとはいえ馴れ馴れしい態度はご法度ですね。ヒストリア王子……そうですか……私と似た方が。やはり、パラレルワールドは存在しているのか。おや、そちらの方は?」
「リーア様……恐れ入ります。公爵令嬢である紗奈子様の護衛役、エクソシストのクルーゼ・ウィルガードと申します」
「ほう! その若さでエクソシストとは……そんな立派な方が護衛なら安心だ。それに向こうでは、ブランローズ公爵家がまだ存続されているのですね。こちらの世界では、ゼルドガイア王家と併合しておりまして……親戚筋ではあるのですが」

 クルルが一応簡単に私の身分を説明してくれたが、まさかブランローズ公爵家が向こうではもう存在していないなんて。それだけ、世界線の違うパラレルワールドということだろう。
 紗奈子・ガーネット・ブランローズという存在は……本来の世界では公爵令嬢という身分や乙女剣士見習いというギルド的な職業を持っている。が、こちらの世界でそれが通じるとも限らない。なるべく慎重に、失礼のないように相手に接するように心がけたい。

「ブランローズ公爵家が……では、こちら側の世界ではあまり身分について語らない方が無難かしら?」
「おそらく、その辺りも含めて今日はこれ以上先の外界には出ずに、聖堂内でお話しを……」

 この短い時間の会話で、一つだけ気づいた違和感がある。リーアさんはここの世界において、どのような存在なのか。ゼルドガイア王家の苗字を名乗っているし、普通に考えればヒストリア王子と同じく王子様のはずだけど……ゼルドガイア王家が身につけている紋章がリーアさんの服装には見当たらないのだ。
 ヒストリア王子はもちろん王族を名乗ってからは王の隠し子だったアルサルですら、紋章入りのカフスボタンを必ず何処かに身につけていた。

(あれっ……そういえば、アルサルも王の隠し子ってバレる前は別の苗字を名乗っていて、紋章は身につけていなかったような……)

 先導するリーアさんの綺麗な後ろ髪を見つめながら後ろに続くと、私の視線に気づいたのか、何かを思い出したのか。くるりと振り返り、私の耳元で内緒話のように囁く。

「あぁ……それから、サナ。先に忠告しておきますね。私のことは間違えても王子様、と呼ばないように」

 低く甘い声が、心地よさと毒を孕んで耳元をくすぐり……胸が痛い。いや、彼の心の声がきっと痛いのだ。

「えっ? ゼルドガイア王家の苗字を名乗っているから、てっきり……」
「この世界でのゼルドガイア王家跡目は、弟のアルダー・ゼルドガイアただ一人。私は……リーア・ゼルドガイアは、王の隠し子ですから」

 それだけ告げて、フッと再び前に進むリーアさんは、夢の中で遠くに過ぎ去って行ったガーネット嬢を彷彿とさせる。
 鏡の向こう側が左右反転で映るように、ヒストリア王子とアルサルも鏡の世界では反転した関係になっているだなんて。私とガーネット嬢の運命がやがて巡り巡るのならば、ヒストリア王子とリーアさんの運命もやがて対峙する日が来るのだろうか。

 今はただ、リーアさんの金色に靡く長髪が眩しくて……それ以上前が見えなかった。
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