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第3章

第05話 もう……この手を離さない

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 追い詰められた背後から徐々にこぼれ出す光は、間違いなく外の世界からのもの。そして、私達が異空間の外に、助けを呼んだことに気づいた闇の狼達。攻撃の手を止めて、音を立てて出来始めた裂け目を見つめてから、再び私とヒストリアに目を向けた。

「チッ……娘よ、その優男と錬金術に救われたな。だが、今回は運が良かっただけのこと。この世界において、彷徨える魂が長居することは御法度なのだ。そのところは、肝に銘じておくんだな」
「貴方達、一体……?」

 シュッ!
 私をはじめとする異世界から魂を転生させてきた存在を許さない派閥だったのか。闇が擬態化した狼達はボスの号令とともに、瞬時に消え去った。もしかすると、守護天使様達と顔を合わせないように、素早く撤収したのかもしれない。

(私は……今度こそ、ヒストリアと一緒に、幸せになろうと思ったのに。どうして、二度も愛する人が傷つくの?)

 決して頑丈とは言えない細身のヒストリアが、その背を盾に私をモンスターの攻撃から庇ってくれた。攻撃手段が一切通じない敵を相手に、逃げ道のない閉じ込められた異空間。自らを犠牲にして背に傷を負っていく姿は、ジーザス・クライストを彷彿させるような最後の手段だ。

 因果を断ち切る乙女剣士を名乗りながら、結局、手も足も出なかった自分自身に悔しさと哀しさが込み上げる。

「紗奈子、ほら大丈夫だったろう。泣かないで……」
「だけど、だけど、ヒストリアが……そんな怪我をするなんて。私の……私のせいだわっ」

 一度目の絶望は、前世からの因果を持つアルサルが、不幸な事故で帰らぬ人となった時間軸のこと。結局、タイムリープ魔法で別の時間軸に戻り、アルサルが健在な世界に辿り着いたけれど。今回はあろうことか、ヒストリアが瀕死の重症となってしまった。
 まるで私と縁を結ぶと、必ず不幸になると、言わんばかりに。

 気がつけば、ポロポロと涙がこぼれ落ちてくる。するとヒストリアは、自分の怪我で苦しいはずなのに、私の頭を撫でて優しく慰めてくれた。

「違うよ、キミのせいじゃない。それにね……僕は嬉しいんだ。いざという時に非力な僕が、愛する紗奈子のことをこの身で守ることが出来て。ガーネットみたいに……失わずに、済む。紗奈子……大好き……だよ」
「ヒスッ? ヒストリア……しっかりしてよ! お願い、目を開けて!」

 やがてヒストリアの声は次第に小さくなり、私を抱きしめたまま、倒れ込むように目を閉じた。背中に回した手に、ぬるりと血の感触が伝わり、かなりの出血量であることが痛いほどよくわかる。けれど、抱き合う形で倒れ込んだ彼から聞こえる鼓動は、まだ命が続いていることを示していた。

(心臓の鼓動は、途絶えていない。すぐに手当てをすれば、間に合うかも……ううん、間に合わせないとっ)

「ヒス、傷口を塞ぐから。ちょっとだけ我慢してね。もうすぐ、異空間の外に出られるから……!」
「う、うぅ……!」

 苦しむヒストリアを横たわらせて上着を脱がせ、応急処置用の薬で消毒する。狼達の爪の跡は無数に彼の背中に傷をつけたようで、所々深い傷も見受けられた。

 ギリギリギリギリ……! パキンッ!
 数分かけて暗闇の異空間に外から大きな裂け目が出来ていく、まるで天幕が開いて朝が訪れたかのような眩い輝き。それは、希望という名の暖かな日差しであった。私とヒストリアのそれぞれの守護天使様であるフィード様とナルキッソス様が、空間の裂け目から救いの手を差し伸べる。
 神様は、私とヒストリアを見捨ててはいなかった。正確には、アルサルが残してくれた錬金召喚ボックスのおかげで、異空間を越えて助けを呼ぶことが出来たのだけど。

「ヒス、サナ、大丈夫かっ? 突然、姿が見えなくなったと思ったら、小妖精がキミたちのピンチを伝えに来て……」

 日差しを背中に浴びながら現れた守護天使様達は、背中に翼をはやし後光を受けた本物の天使の姿だった。本来ならば、守護天使様達は素性を隠すために人間に近しい翼のない容姿で、私達と共に行動している、地上において彼らが翼を見せて輝くのはとても珍しく、緊急事態用の聖なる力を解放していることが窺われた。

「守護天使様! 私は平気だけど、ヒストリアが……私を庇って、かなり酷い傷を負っているのっ。応急処置はしたけど、傷が深いみたいで。早く、早く治療を……!」
「これは……いや、まだ息がある。すぐに、回復術を施そう。天界の光よ、我が言葉に応え、傷ついた者に奇跡の力を与えたまえっ」

 パァアアアアッ!

 何処となくヒストリアと似た容姿のナルキッソス様が、祈りの魔法でヒストリアの傷を治癒し始めた。みるみるうちに傷が塞がると思いきや、部分的に紫色の鬱血が取れない箇所が現れる。

「えっ……治療した箇所が、部分的に治らない? どうして」
「もしかすると、これは厄介だな。呪いの爪で傷つけられたのかも知れない。いや、でもこの治癒魔法で、一命は取り留められたはず。呪いの解除方法は後で検討するとして、ひとまず外へ出よう」


 * * *


 目的地である神域の旅館まであと一歩というところで、大怪我をしてしまったヒストリアを抱えて、向かった先は山間にある和風の治療センターだった。手続きはボディガードとして同行していた爺やさん達が行い、付添い用の部屋も確保することが出来た。ハイキング中に怪我をした旅行者を対象に、簡易の宿泊施設代わりにもなっている。

「まぁ急患ですか、この傷痕は……最近神域に彷徨いている狼達でしょうか? それにしては傷が深いな、別種族の狼か」
「ちょうど神域の手前で襲われて、魔法で治癒してもらったんですが、部分的に治らない箇所があるんです。もしかすると爪の呪いがかけられているんじゃないかって、守護天使様が」
「呪いの類、ですか。ふむ……この地域特有の呪いであれば、専門の薬で治る可能性があります。襲われた時の状況を詳しく教えてください」

 着物姿の医師が一人、看護師が二人の少人数構成で、本当に緊急のための施設なのだろう。必死にその時の状況を説明すると、お医者様の目がみるみる曇る。

「あの……治る見込みは、どれくらいですか? 専門の薬って……」
「この数年、呪いの爪で倒れた人はいないのですが。ちょっと、待って下さいね。確かファイルに写真があるはず。あぁこれです! 良かった……ちょうど今の時期に、隣の里の山に自生していますよ。里まではそれほど遠くないので、採取してもいいですし、直接薬を買いつけにいくことも出来るでしょう」

 お医者様は私の言葉をストップさせて戸棚の資料を探し、とある野草の写真を見せた。滅多に使われない薬草のようで、この治療センターではストックが切れているようだが、隣の里で採取すればどうにかなるらしい。

「はぁ……うっ……紗奈子、ここは?」
「山間にある旅行者用の治療センターよ。もう大丈夫だから、安心して寝てて……」
「うん……紗奈子、おやすみ」

 ようやく呼吸が落ち着いてきて一瞬目を覚ましたヒストリアだったが、よっぽどダメージが強かったらしく、すぐに眠ってしまう。ヒストリアの手をキュッと握ると、生きている温かさが感じられる。

(良かった……なんとか治療の手がかりが掴めそうだわ。ヒストリアまで倒れてしまったら、私……私……)

 二人っきりになった病室で、彼の手を握りながら、涙が滴のようにポロポロと止めどなくこぼれ落ちた。

「もう……この手を離さないから。絶対に」

 私は自分の心の中で現在の夫ヒストリアの存在が、かつての婚約者アルサルよりも、ずっとずっと大きくなっていたことに……ようやく気付くのであった。
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