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第2章
第11話 祈りを忘れた理由
しおりを挟む「はははっ。紗奈子もなんだかんだ言って、デイヴィッド先生が作る庭のファンになったんだな。まぁ、ゼルドガイアでは珍しい斬新なデザインの庭を作るお方だ。新婚生活の記念になるさ」
「えっ……う、うん」
久しぶりに実家への里帰りをした私に待ち受けていた試練は、お父様からの結婚祝いという名のお庭改装計画だった。娘の嫁ぎ先の庭を著名な芸術家の先生にカッコよくリフォームしてもらいたい……という何ともミーハーなお父様の願いは、アッサリと叶えられることになった。最初は断るつもりだったはずなのに、私自身が芸術家デイヴィッド先生の圧倒的な雰囲気に飲まれて、契約書にサインしてしまったからだ。
「それにしても、今日中に契約が出来るとは芸術家として嬉しい限りです。近々庭園の下見に伺うのでヒストリア王子の趣味もその時に取り入れましょう。なに、古典派至上主義者の心を動かすような良い庭を提供してみせますよ」
「あっはい。楽しみです」
端正な顔をやや歪めてニッと笑うデイヴィッド先生は、まるで生きた彫刻のようである。魔法にでもかけられたように、スラスラと動いてしまった万年筆をようやくテーブルの上に置き、ローズティーを飲んで落ち着きを取り戻す。
(どうしよう、つい契約書にサインしちゃった)
「庭造りは弟子のオレも手伝うことになるけど、こういう形で兄貴と紗奈子の家に初めて行くことになるなんて思わなかったよ。いろいろあったけど、これからもよろしくな」
「アルサル……ありがとう。よろしくね」
スッと自然にアルサルから差し出された手は、何処か生身の人間を超越した青白さがあって不安な気持ちが襲ってくる。きっと一度は好き同士になったはずの男性に対して、拒絶したい気持ちが生まれているせいだと自分に言い聞かせた。握手に応じて手を握り返すと、その手の冷たさに思わずゾッとするほどだった。
(あれっ? 人間の体温ってこんなにも冷たかったかしら。アルサル、具合が良くないのかな。顔色も悪いし)
今では『夫の腹違いの弟』という接点になってしまったアルサルに対して、必要以上に馴れ馴れしくするわけにもいかず。その後はお父様達と適当な世間話を続けて、夕日が降りる前にヒストリアとの住まいへと帰ることになった。
* * *
帰宅するなりニコニコとした笑顔で、ヒストリアお付きの執事やメイドが出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、紗奈子様。先ほどお父様のブランローズ公爵からお電話があり、この邸宅の庭造りを著名芸術家のデイヴィッド先生に依頼されたとか。いやぁ流石は公爵様、結婚祝いに洒落たことをなさいますね」
「ごめんなさい、実はヒストリアの許可を貰う前に契約書にサインをしてしまったの」
どうやらお父様が私の帰宅より先に、ここの使用人達に改築工事について連絡を入れてくれていたようだ。申し訳なく思い謝るが、それほど気にしていない模様。
「何と言っても芸術家の先生は、ヒストリア様の弟君アルサル様の師匠というお話ですし。せっかくのご厚意を無碍には、出来ますまい。それに今回の改築工事はアルサル様のお仕事でもありますし、これも隣国とのお付き合いの一環と言えるでしょう。ヒストリア様には爺やからも説明しておきますゆえ、安心してください」
お付き合いの一環、か。
確かにアルサルのお仕事を増やす意味でも今回は良いのかも。お目付役と言える爺やさんがヒストリアにいろいろと内情を説明してくれるらしく、ホッと胸を撫で下ろす。
ピンポーン!
「おぉヒストリア様、お帰りなさいませ。ちょうど紗奈子様もお帰りになられたばかりでして」
「うん。そうみたいだね、ただいま紗奈子」
「お帰りなさい、ヒストリア」
するとタイミングよくヒストリアも帰宅してきて、何だか気持ちがギクリとしてしまう。気のせいか、ヒストリアは元気がないようだった。
「ささっ紗奈子様、そうと決まれば今夜の夕飯作りですわ。ヒストリア様に手作りのビーフストロガノフを振舞うのでしょう?」
「あぁそうだったわ。支度しないと!」
それ以上会話が続かないように、使用人達が気を利かせたのか。私はすぐさまキッチンへ、ヒストリアは爺やさん達に仕事の報告となった。
髪を結いてエプロンを装着し、丁寧に薬用の石鹸で手洗いをして料理の準備は万端。ビーフストロガノフの食材は、あらかじめ使用人達が用意してくれたものを使う。
高級東方産牛肉の薄切り、シャッキリ玉ねぎ、魔法菜園の人参、きのこ各種にビーフシチューペースト、ホールトマトなど。サワークリームが加わることで、異国のテイストに様変わりするという。
「食材は全てこちらに……付け合わせのサラダなどは、料理人が別で作っておきますので」
「今日は勝手にお庭の大きな契約を結んでしまったし、謝る意味でもヒストリアに美味しい食事を食べてもらわないと。頑張るわよ!」
慣れない手つきで玉ねぎを薄切りにして、人参はピーラーを使い、キノコはざっくりと分けていって。食材をオリーブオイルでザッと炒めてペーストや赤ワインでグツグツ煮込んで、決め手のサワークリームを加えたら……完成!
「はぁ出来た。一応味見を……んっなんだか想像よりも若干酸っぱいけど、なかなかイケてるわ。あとはヒストリアの口に合えば良いんだけど」
高級食材を駆使しているおかげで、実際の料理の実力よりは何割増しか美味しくなっている私の手料理。使用人達と協力してテーブルに完成した料理を並べていくと、爺やさんと話し合いが終わったらしいヒストリアが着席した。
(心なしかヒストリアの表情が硬直している気がする。やっぱり契約のことお気に召さなかったのかしら)
「では、せっかくの夕食ですのでお二人でごゆっくり」
「あっうん。どうもありがとう」
使用人達が全員退場してしまい、私とヒストリアの二人っきりとなってしまった。テーブルの中心には赤い薔薇が飾られて、ビーフストロガノフをより一層美味しく演出している。
「へぇ今日は本当にビーフストロガノフに挑戦したんだね、ビーフシチューとどの辺が違うのかじっくり味わってみよう」
「う、うん。ちょっぴり酸っぱさがあるけど慣れると美味しいわよ、気に入ってくれると嬉しいな」
普段はカッコよく聞こえる落ち着いたイケメンボイスが、少しだけ緊張しているように感じられた。しとやかにスプーンを滑らせて、ビーフストロガノフを口に運び上品に食事が進んでいく。
「本当だ、サワークリームが効いているけど、これはこれで良いと思うよ。次は別のキノコを使って作ってみると良いかもね。バターライスもコクがあってバランスが取れてる」
「ほ、本当に? よかったぁ。初めて作るからどうなるかと……」
半分以上お世辞かも知れないけれど、私の不慣れなビーフストロガノフをヒストリアはお気に召してくれた模様。そこで違和感に気づく、ヒストリアにしては珍しく夕食をいただく前のお祈りがなかった。
「あっ……そういえば、ヒストリア。ビーフストロガノフに気を取られてお祈り忘れちゃっているわよ。今からでも遅くないから、一緒にしましょう」
「……! ごめん、ついうっかり。いや、平常を装っていたけど、やっぱり紗奈子がアルサルと会った上に無理矢理改築工事の契約をさせられたかと思うと、動揺しちゃってたんだ。本来は改築工事の件は僕とアルサルの兄弟間の付き合いもあるし、紗奈子が気にすることじゃないけど。僕もポーカーフェイスが出来ていないな」
「ヒストリア……ううん。私の方こそ、いろいろとごめんね。でもアルサルのことはもう何とも思っていないわ。むしろ会って良かったみたい、アルサルも前とは雰囲気が全然違くて別人みたいにクールだったし。ええと、食事のお祈りよね……じゃあ今日は私が」
いわゆる『天にまします我らが神よ……』という定番のお祈り、ヒストリアではなく私が中心となって祈るのは、結婚してから初めてのことだった。そしてヒストリアが日課のお祈りを失念している『本当の理由が何なのか』ヒストリアはこの時話そうとしなかった。
その日の夜はまるで、心の底から拭えない不安を打ち消すように、ヒストリアが激しく私を求めてきて。私が快楽の波に呑まれて気を失うほど、ずっとベッドの中で行為は続き……。激しいながらも私は『彼に愛されているんだ』って実感出来た。
まさかヒストリアが不安になっている本当の理由が『アルサルの遺体が納められた棺が発見された』ことだとは知る由も無い。
そしてあの日、私が会ったアルサルは、悪魔が作りし人造体『ホムンクルスに魂が内包されたもの』だとは……想像すらしないのだった。
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