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第2章

彷徨える霊魂アルサル目線:01

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 庭師という仕事柄、様々な国の花の種や庭園作りの道具を仕入れる事には慣れている。ブランローズ庭園のように、オープン形式で観光客を呼び込んでいる大きな庭園なら尚更。加えてオレは錬金術師としての顔も持っているから、必要となる材料は他の庭師よりも多い。
 年末の忙しい季節に向けて、来年の分もあれこれ注文するとなると出張は致し方のないことだ。卸を行う隣国の大手庭園へと足を運ぶのは、庭師の大事な勤めである。

 それに、ここの店主さん達は、それほど評判の良くないオレにも親切なご夫婦で、いつもお世話になっていた。人間関係のいざこざで、トラブルになりそうなところを仲裁してもらったことも幾たびかあり、頭が上がらない。手土産を持って、年末の挨拶に行くのも良いだろう。

「ご無沙汰しております。予約しているブランローズ庭園の者ですが……」
「おっアルサルさん。もうすっかり冬の気候だし、外は寒かっただろう。早いところ、中へ入りなよ。家内にお茶を用意させるからさ」

 ブランローズ庭園は、ここの卸をずっと利用しており、すでに常連客となっている。一般客は立ち入りしない事務所内で、香り豊かなジャスミン茶と茶菓子を頂きながら、カタログなどを手に細かな発注を行う。

「やっぱり、ここのジャスミン茶は美味しいですね。自分もいろんな茶葉のブレンドに挑戦しているけれど、まだこの味わいは出せないなぁ」

 ジャスミン茶はここの店主手作りで、小豆入りの茶菓子と良く合っていた。自分の作るお茶と何が違うのだろう……と思わず疑問を呟くと、店主さんが機嫌よく笑った。

「あはは! まぁジャスミン茶は、この庭園一番の『自慢の土産』だからなぁ。こればかりは、ブランローズ庭園にも負けられないってもんよ」
「よし、来年はお茶の製作に力を入れるために、ハーブティーの茶葉になる花をもっと増やそう」

 大切な年に何度かの買い付け……ここで、来年分の計画と話し合いを終える。

「では、来年分の大まかなブランローズ庭園の計画、承りました。今年までのアルサルさんは、一介の庭師ということになっていますが。いよいよ来年は、ブランローズ家との婚姻により公爵となり、新国家設立への第一歩を歩まれるのね。少し、寂しい気持ちもありますが、応援しております……忙しくなったら、お庭づくりは出来なくなるかも知れませんから」

 店主さんの奥方が、それとなく新国家の噂を話題に出す。世間からすると、公爵令嬢との結婚イコール新国家設立への第一歩、といったイメージなのだろう。

「ありがとうございます。でも、新国家なんて大それたものを設立できるかは、まだ分からないし。多分、来年もまた庭師としてお世話になると思います……それじゃあ、また」
 新国家なんて、遠い遠い未来よりも今は現実的な計画で頭がいっぱいだ。無難な返答しか出来ず、宿泊施設へと戻ることに。

「ええ。お気をつけて! 紗奈子嬢とお幸せに」
「アルサルさん、これは年長者としてのアドバイスだが。長いこと片想いして、ようやく手に入れたご令嬢だ。モテるからって、浮気しちゃダメだぞ!」
「分かってますって。オレには、紗奈子だけですから!」

 冗談めいて浮気しちゃダメだと茶化す店主さんに苦笑いしつつ、庭園を抜けて大通りへ。道中、ぴゅうぴゅうと吹きつける風が、オレを叱責するかのごとく冷たく痛い。

(はぁ……浮気か。オレは、『紗奈子・ガーネット・ブランローズ嬢』ひと筋なんだけどな。まぁそれまでいろいろあったから、注意されても仕方がないか)

 最初は叶わぬ恋だった公爵令嬢を忘れるためとはいえ、知人に誘われるまま娼館に足を踏み入れたことも。それ以外にも好意を寄せてきたメイドと、身体の関係を結んだことが何度かあった。

『アルサルさんの想い人が、ガーネット嬢であることは皆存じております。けれど、あの方はヒストリア王子のものですわ。アルサルさんの心がガーネット嬢に囚われていても、いいですから。一晩だけでもいいから……抱いてください』

 オレが国王の隠し子であるとの噂は、すでに様々なところで囁かれており。なんとかオレと身体の関係を持とうと、そんな風に誘ってくる女は何人もいた。腹違いの兄であるヒストリアと公爵令嬢の婚約中は……嫉妬で胸が焼かれる想いで……。彼女を忘れるためとはいえ、欲に任せて他の女を何人も抱いた過去は消えない。

(そうだ……過去のこととはいえ、それとなく注意されるくらいには、オレには女グセが悪いイメージがついているのだろう。けど、これからは違う……今後一生、オレは紗奈子以外の女には触れない。帰国したら彼女の純潔を……貰うのだから)

 紗奈子と婚約してからは他の女から誘われても断っているし、娼館にも行っていない。金銭的にも人間関係的にも、いわゆる過去の清算を済ませて、スッキリとした状態だ。それ以前に、ヒストリア王子から女遊びが出来ないように、呪いをかけられたせいもあるけれど。

 ゼルドガイアへと帰ったら、ついに婚約者である『紗奈子・ガーネット・ブランローズ嬢』と夫婦になるための契りを交わす予定だ。本来ならば、腹違いの兄であるヒストリア王子の婚約者であった彼女。だが、地球での前世の記憶を持つ彼女はすでに以前の公爵令嬢ガーネットとは見做されず、一旦ヒストリア王子との婚約も破棄となった。

 新たな婚約者として、白羽の矢が立ったのがオレ……庭師アルサルだ。辺境の地出身で、爵位持ちなのに趣味が高じて庭師をしている気ままな若者。それが、表向きのオレのプロフィールだったが、実のところ隣国王家とゼルドガイアの両方の血を引く新国家の国王候補である。
 先立つものは金とはよく言ったもので、ゼルドガイア国王の隠し子とはいえ辺境伯からいきなり国王になるのは難しく。ゼルドガイア随一の金持ちであるブランローズ公爵のご令嬢と婚約して、『公爵の爵位をもらってから、新国家を作る』のが無難だと言われていた。

 ヒストリア王子と破綻した後に、ブランローズ公爵のご令嬢を妻にするのは勇気がいる選択だという者もいたが。それ以上に、オレは……紗奈子嬢にベタ惚れだった。

 だが、無事に素材の買い付けを終えて、ゼルドガイアへ帰国をしようとした次の日の朝……。オレは、何者かの襲撃に遭い……命を落とす。

 肉体と魂が分離せずに1つになっていた頃の、オレの記憶はここまでだ。

 気がつけば、オレは成仏出来ぬ彷徨える霊魂となり、未練がましく愛する紗奈子の周辺に取り憑くこととなった。


 * * *


 霊魂の状態でブランローズ庭園に帰ると、オレと紗奈子の住まいである管理の館にはゼルドガイアの魔法ギルドの面々が、オレの遺体を館の中に運んだ後だった。
 棺に納められたオレを見て、紗奈子は青ざめながら事情をヒストリアに問いただす。

「アルサル……アル、サル……。ねぇ……ヒストリア王子、嘘でしょう? なんで、どうしてアルサルが……アルサルがこんな酷いことにっ」
「ごめん……紗奈子。僕がもっとアルサルの周辺に気を遣ってあげていれば……。蘇生呪文は間違えていないはずなのに、どういうわけかアルサルには通じないんだよ。ごめん、ごめんね……」

 絶望的な解答で、紗奈子に最後通告するヒストリアは天使さながらの風貌でありながら、死神のようにも感じられた。かろうじて、魔法の香油で仮死状態を作り出しているものの、完全に死ぬのも時間の問題だろう。

「あぁ……アルサル、いやぁああ!」

 ショックのあまり気絶した紗奈子の荷物が、音を立てて床に落ちる。袋の中には食材がたくさん入っていて、わざわざオレのために手料理を振る舞うつもりだったようだ。
 世間知らずの公爵令嬢としての暮らしをしていた紗奈子は、お世辞にも料理が得意とは言えないのに。オレのことを想って、わざわざ苦手な料理に挑戦しようとしてくれたのかと思うと胸が痛い。

(紗奈子、ごめんな。オレが力及ばず殺されてしまったから、お前を哀しませて)

 結局、オレの遺体を納めた棺は紗奈子の『剣の師匠』が邸宅内の礼拝堂で秘密裏に預かってくれることになった。紗奈子はヒストリアと共に、オレを蘇らせるための旅に出ることになった。だが、2人がその旅を通じて密接な関係になることは、目に見えていて……。正直言って、近い将来を予想すると失望感しかない。
 急ぎの旅のため、普段は使わないルート……即ち治安の悪い地域を通過して旅行用のバスを使い、そのまま船に乗るという。オレが倒れた噂は街中ですでに話題となっていて、その中には過去の女遊びの話も混ざっていた。

『アルサルさんって、何人ものメイドと関係があったとか』
『娼館通いもかなりしていたって、聞いたけど』
『ブランローズ公爵の娘さんは、このままヒストリア王子と復縁された方が……』

 過去の噂とはいえ、オレの女遊びがこのような形で紗奈子の耳に入る日が来るなんて。あくまでも昔の話だが、男と交わりを持ったことのない生娘である紗奈子の心を抉るのには、十分過ぎる内容だ。
 心の隙間を埋めるように、手を差し伸べて慰めるヒストリアへと紗奈子の心が傾いていくのが、目に見えて分かる。

「嗚呼、紗奈子! 結局、こうしてお前はヒストリアと縒りを戻してしまうのか? 紗奈子のことが好きだから、けれどお前は当時、ヒストリアの婚約者だったから。紗奈子を諦めるために、他の女を抱いただけなのにっ。婚約してからは、お前だけに自分を捧げるつもりで生きてきたのに! どうしてオレは、いつまでも幸せになれないんだっ」


 バスを降りて、船に乗り込む2人についていこうとするが、驚いたことにオレの霊魂は船に乗船出来なかった。2人を守るようにくっついている守護天使が、魔除けの術でも使ったのか。それとも領土を離れる船には、肉体を持たないオレは乗り込めないのか……理由は定かではない。
 陸地に置いてきぼりのオレの霊魂では、船に乗り込んだ2人と守護天使を目で追うのがようやくで。次第に2人の姿は遠ざかり、後ろ姿さえ確認出来なくなっていた。最後に見た寄り添う紗奈子とヒストリアは、いつも以上にお似合いに見えて……。

 そのキッカケがまさか、オレの魂を救うための旅だなんて……疎外感と嫉妬と絶望で、泣き叫びたくなる。

「紗奈子、待ってくれっ! 行かないでくれっ……。オレは、本当にお前のことだけを愛しているんだ……!」

 彷徨える霊魂の叫びなんて、生きている人間に聞こえるはずがない。あと数分でこの船は出立し、海にも似た巨大な湖を越えて東の都へ向かうのだろう。
 虚しく叫ぶオレを見兼ねたのか……はたまたそのタイミングを狙っていたのか。背の高い魔術師風の黒いフードの男が、心に入り込むような低い声色でオレに話を持ちかけてきた。

「あのご令嬢のことが、気がかりなのだろう? しかし……自分はいろんな女を抱いておきながら、惚れた女が他の男と手を繋ぐだけで嫉妬するとは……。人間とは不思議な生き物だ……いや、だからこそお前には見込みがある。心が弱く、未練がましく、自分勝手で……実に素晴らしい魂だ」

 散々な言われようだが、半分くらいは過去の自分がしでかしたことなので、反論出来ない。

「あんたさ、オレのことが見えるなんて人間じゃないよな? もしかして、悪魔?」
「さあな、けれど霊魂を乗船させるくらいわけないぞ。あのご令嬢の夢に介入して、王子よりもお前を選ぶように助言することも出来る。守護天使達がちと邪魔だが、あの2人が恋仲にならぬよう妨害するくらいなら訳もない。ちょっとした取引……いわゆる契約を受けてくれるならな。どうだ……この誘い、乗ってみるか?」

 フードを脱いで顔を見せた男は、青白い肌色であるものの驚くほど端正で。おそらく彼が、悪魔と呼ばれる種類のものだと、一見して理解できた。
 男にしては爪が長く、けれどスラリと美しい手がオレに伸びてくる。この手を取ってしまったら、どうなってしまうのか。

 その瞬間、汽笛が鳴る……このままでは、紗奈子がオレの届かない場所に行ってしまう。

「ああ、受けてやるよ……その契約。オレは、どんな手を使ってでも、紗奈子を逃したくないんだ」


 ――悪魔の誘いでも構わない、紗奈子がオレから離れないでいてくれるなら。もう、契約したらこの魂がどうなるかなんて……考えている余地はなかった。
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