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正編 第2章 パンドラの箱〜聖女の痕跡を辿って〜
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しおりを挟む結局アッシュ王子が、『咆哮の槍使いレイネラ』とは過去、どんな関係だったのか追及することは出来ずに、アッシュ王子の養親の家へと挨拶することになった。季節柄暑い時期だが夕刻以降は、この辺りは一気に冷え込むと言うので警戒して室内で休むことになったのだ。
「アメリア、今日はここで泊まることになったからさ。部屋は、オレが昔使っていた部屋を使うことになっちゃうけど」
「養親ってことは、一応第二の実家ってことよね。何だか緊張してきちゃったわ」
「いちいち、気を遣わなくていいよ。今の時間帯はアイシャしかいないはず」
ドアの鍵を開けて家の明かりをつけると、二階からパタパタと軽い足音が聞こえて来た。現れたのは、ぱっちりとした大きな瞳が印象的な亜麻色の髪のツインテール美少女だ。年齢は異母妹レティアよりも年下の十三歳くらいに見えた。
「おにーちゃん、お帰りなさいっ! もうっ。一応妹何だから、結婚式くらい呼んでほしかったなぁ。あっ初めまして、アイシャです。アメリアさんでしょう? お兄ちゃんからお手紙でいろいろ教えて貰っているから。どうぞ」
「アイシャちゃん、ね。初めまして。えぇと……お邪魔します……」
自分よりかなり年下であろう妹にさえ、緊張してしまうアメリアに、アイシャは笑って対応する。
「うふふっ。緊張しなくていいよ、お父さんとお母さんは泊まりの仕事だから、一人で寂しかったんだ。お兄ちゃん達が来てくれて良かった。あっ……せっかくだから、ヴェスタさんも呼んでみんなで歓迎会しようか? お腹の赤ちゃんも診て貰えば安心だし」
もう既に妹のアイシャはお腹の赤ちゃんのことを来ているらしく、それで余計に気を遣ってくれていることが判った。
「んーそうだな。そうすれば安心か。ヴェスタっていうのは、オレ達が小さい頃からお世話になっているエルフの薬師なんだ。まぁ相手はエルフでずっと年齢が若いから、そのうちオレらの方が見た目年齢追い越しちゃうんだろうけどな」
「へぇ、エルフ族なんてアスガイアでも滅多に見かけないけど。さすがは流通拠点シルクロードへの道が近いだけ、ある……わよね……あ、意識が……」
「あっアメリアッ! 大丈夫か、アメリアッしっかり!」
エルフ族の薬師にお腹にいる赤ちゃんの様子を診て貰うことになり、自分が身重であることを改めて実感する。だがアメリアはここまでの移動の疲れがドッと出てしまい、ついに倒れてしまった。
* * *
夢の中でアメリアは、今はもう戻ることもないであろうアスガイア神殿の懺悔の部屋にいた。目の前には、かつて自分が信仰していたアスガイアの精霊像がある。これまでの辛い思いが一気に溢れ出たアメリアは、縋るように精霊像に懺悔の言葉を溢す。
「あぁ……精霊様。私は、もうダメです。生意気な異母妹のレティアがあんな形で殺されて、私達姉妹は永遠に喧嘩別れしてしまった。私は魔法の箱を、彼女の心臓を収めるために贈った訳じゃないのに。婚約破棄した王太子のトーラスだって、かろうじて魂が現世にあるだけでもう長くはないでしょう。馬鹿な妹と優柔不断な幼馴染みに対して、別に、そんなこと望んでいなかった。けれど、情けないことに今つらいのは……そういう理由じゃないの!」
『では、一体何が辛いのですか、アメリア』
「年下の夫アッシュと上手くやっていけるか不安になってしまったの。私は彼のことを何も知らず、ただ鮮烈に彼のことが好きになってしまった。あんな年下男に入れ揚げてと、頭がおかしくなった、非常識だと……世間から馬鹿にされたような目で見られても。私の全てを投げうってでもアッシュ君のことが好きになった。なのに、今は自信がない」
『全てを投げうったのに、何故自信を無くしてしまったのですか? アメリア』
「彼のことが好きになって、私の世界はアッシュ君だけになった。けれど、それは私だけ。アッシュ君は私以外にもたくさんの世界を持っていた」
『貴女には帰る家もなく、故郷にも帰れず、頼れる人はいつの間にか皆死に、もはや誰もいないのに?』
「そうよ! アッシュ君には帰る家があって、帰郷する故郷があった。それに、家族だって……実の両親とお姉さんがいて、育ての親と妹さんがいて。王宮関係者がいて、先代剣聖のマルセスさんがいて……きっと特別な女性だったであろうレイネラさんがいた。他にもきっとたくさん。そして、これからも……アッシュ君は一生、その人達と関わり続ける。私はその中のごく一部、アスガイア次期王妃の姉という体裁の良いトロフィーワイフだったんだわっ。それすら今は通じない……。私はアッシュ君のことが、好きで好きで堪らなくて、理由なんか見つからないくらい好きで。だから、結婚したのに」
アメリアは心の奥に封じていた不安と不満を一気に精霊像にぶつけた。懺悔とは呼べないような、心の昏い側面をただひたすら吐露するだけの行為。
『それならば、貴女が愛してやまないアッシュ王子と別れてしまえば良いでしょう。アッシュ王子の周りの人々への嫉妬心で、これ以上頭がおかしくなる前に。気づかれないように行方をくらまし、どこかの馬小屋で一人で子供を産み、育てられないのなら心優しい孤児院に預ければいい。子供だって情緒が不安定な母親に育てられるよりも、手放してもらった方が幸せになる。人生はそれからやり直せばいい。貴女も子供も、夫も……。貴女の場合、一人で生きていければの話ですが』
何もかも捨てて、一家離散し、いずれは自分自身も死ぬ世捨て人になるような案を平気で言い出した精霊像に、アメリアは不信感を抱く。
「それが精霊様のご意思なのですか、ご神託なのですか? 私に愛する夫を捨て、子供を産み捨て、自分自身さえ捨てろとおっしゃるの? 酷い、酷いわ……精霊様は、ラルドさんはそんな酷いこと言わなかった。貴方はラルドさんじゃないのね。ラルドさん……助けて、ラルドさん……!」
最終的にアメリアが縋りたい相手は、精霊像ではなく、神ではなく、ラルド・クライエスという個人だった。彼女を根底で支えていたのは、神への信仰でも何でもなく、憧れの男性への未練と依存心だ。
『はぁ……仕方がねぇなぁ。オレじゃ駄目なんだとよ、ラルドの兄貴。おーい。まだ無理か。あぁさっきまで気づかなかったみたいだけど、オレはラルドの分霊のエルドな』
「えぇっ? エルドさん。貴方、こんな仕事までラルドさんに代わってしていたの?」
『ったく、せっかくオレが兄貴の代わりに、懺悔を聴いてやろうと思ってたのに。愚痴愚痴メソメソ、かと思えば、アッシュ君好き好き、アッシュくぅん! はぁあぁああっ? 年下野郎なんかと結婚したんだから、姉さん女房の自分の方が不利って、覚悟決まっていただろう? アホか。まぁマリッジブルーとか、マタニティブルーってやつだなこりゃ』
ラルドとは全く違う切り口で、現実的な意見を述べるエルド。今まで悩んで愚痴ばかり言っていた自分が馬鹿みたいだと思うほど、エルドの意見は的確だった。
客観的に見れば、典型的なマリッジブルー、もしくはマタニティブルーなのだろう。結婚してすぐに妊娠、しかも交際期間は驚くほど短く、お互いのことは殆ど分からない状態だ。今になって現実を見ているだけという考えもある。
「……ラルドさんにはもう会えないの? 悪神ロキに魂を奪われたから?」
『兄貴は兄貴なりに、悪神ロキと戦っているよ。あのロキは分霊で、本霊がどこかにあるんだと。魔法の小箱、パンドラの箱に収まる聖女レティアの心臓の痕跡を辿っていけば、ロキの魔力の源を探ることは可能だ。ただ、肉体を乗っ取られちまったから、最悪兄貴も魂だけの存在になっちまう。新しい肉体だって、あるかどうか。精霊が入れる器なんてものはそうそう見つからない』
以前、ポックル君がアッシュ王子の魂と肉体の器が合っていないと言っていたという話をアメリアは思い出した。精霊の魂が宿れるような肉体は、数が少ないのだろう。
「ラルドさんは新しい肉体を探すの? もう今の肉体が駄目だから?」
『ヤドリギになるような器がちょうど有ればな。それに、悪神だって新しい器をさらに探すかも知れない。アンタも腹の中の子どもを悪神から守れよ。受胎告知前の不安定な生命、まだ魂がきちんと宿っていないんだ。それこそ、新しい器として最適……ッと、悪い。変な気起こすなよ』
言ってはいけないひと言だったのか、思わず謝るエルド。
受胎告知前のアメリアのお腹に、ラルドの魂が宿れるという情報。それが唯一残されたラルドにもう一度会う方法なのであれば……。
(ラルドさんの魂が、私のお腹に宿れば私はもう一度ラルドさんに会える。それが、これまでと違った愛の形に変わったとしても……!)
アメリアが自分のお腹をさすると、それ以上の交信はタブーなのか次第にアスガイア神殿から意識が離れていく。
「アメリア……?」
「あぁ……神よ、私のいとし子よ」
アメリアは微睡みながらも夫アッシュの腕の中で自分のお腹をさすり、胎内に憧れの人の魂を宿す決意をするのであった。
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