34 / 59
正編 第2章 パンドラの箱〜聖女の痕跡を辿って〜
11
しおりを挟む魂の深層で、アッシュ王子とポックル君が精霊として甦るための旅の準備をしているとラルドが教えても、慰めや気休めに違いないと言うアメリア。彼女は愛する夫をたった一晩で亡くした日から……毎日泣くようになった。
「アッシュ君、どうして死んでしまったの? 一生愛してくれるって言ってたじゃない! いなくなるなら、一緒に連れていって欲しかった。愛してるのに、愛してたのに……! 神様、どうして彼を連れ去ったのっ? 答えてよぉ。うっ……うっ……うわぁああああっ」
いつもは優しかった態度も、聖女のような慈悲も、平和に対する祈りも何も出来ない。
アッシュ王子の亡骸は、ラルドの助言に従い火葬も土葬もせず精霊用の棺に納めた。特殊な保護魔法のもと、未だに眠っているような状態で安置されている。見方によっては、仮死状態にも見えるだろう。
『ラルド様。ワタクシ、この羽根にかけて必ずやアッシュ王子を一人前の精霊に育てて、再び現世に甦らせると約束しましょう。しばらく時間がかかりますが、それまでアメリア様とどうにか凌いでください。カラシの種一粒ほどの信仰があれば、きっと願いは叶う。まるでパンくずくらいの小さな信仰で。神の導きを信じて……』
『ポックル君、本当にそんなことが出来るのですか? まるで聖書の天使様のようなことを言う。僕は精霊として、もう駄目なのに』
『聖書に出てくる大天使はね、羽根がとても多いんですよ。六枚もあるんです。鳩の姿に変化してもきっと、羽根が溢れてフクロウのように見えるでしょう。いいですか、苦難の時の貴方達の信仰は……パンを分けることで始まります。苦しい時こそ食べ物を分けて、助け合いなさい』
必ず精霊として完全なアッシュ王子の身体を得て戻ると約束したポックル君を信じて、ラルドはアッシュ王子の亡骸を守ることにした。それは彼にとっての償いであり、最後まで予言の成就を信じている気持ちの現れだった。
一方、まともに魔法が使えなくなったアメリアはギルドクエストを休み、アッシュ王子の棺の元へ通うだけの生活となった。
「アッシュ君、今日は何も食べれなかったよ。何だか痩せてきちゃった。けど、ちょっとだけアッシュ君に近づいたかな?」
「世界がね、滅びそうなんですって。災害が増えて、アスガイアもペルキセウスも被害がある。けど、私……魔法が使えなくなっちゃったから、何も出来ないの。災害地では魔法の使えない女は足手纏いだって……」
「会いたい、早く天に召されてアッシュ君に会いたい。アッシュ君がいない世界なんて、私には意味がない……」
いつの間にか、アッシュ王子がアメリアの世界の全てとなっていて、アッシュ王子のいない世界は彼女にとって意味をなさないものとなった。だから、これから祖国アスガイアが滅びようと、その流れでペルキセウスや他の国が滅ぶと予言されても。何も気にならないほど、既に彼女の世界は終わってしまっていた。
「アメリアさん、世界崩壊まで時間がありません。きっと貴女がかつて見た予知夢が当たって、パンドラの箱が開いてしまったんだ。アッシュ王子が護ろうとした世界を、まだ見捨ててはいけない」
「ラルドさん。もう無理よ……だって世界はもう滅んでいる。アッシュ君がこの世にいないのだから……。私にとっては滅んでいるのと同じなの。貴方も予言を出すという【神格】と縁を切った方がいいわ……だってアッシュ君を助けてくれなかったじゃない。精霊の貴方は彼のために聖なる剣を作り、聖女の私は彼の妻となった。予言通り進むように、私も貴方もあんなに頑張ったのに」
「アメリアさん……いつから、そんな風になってしまったんだ」
当然のように、アメリアを支えていた神への信仰心も一気に崩れ落ちていっていた。アメリア達の世界では、ジーザス・クライストによる神の御子伝説は異世界の御伽噺とされており、聖書は倫理を学ぶための優秀なテキストという扱いだ。
だが、信仰を持つ人々は精霊さまに予言を授けてくれる【神格】こそが、本物の神様に近い存在なのでは……と考えていた。
『あぁ神様、どうして私の夫アッシュを貴方は見殺しにしたのですか? 精霊ラルドさんに何故、嘘の予言を読ませたの? それとも所詮、私達の世界には……本物の神はいないと仰りたいのですか?』
* * *
いよいよ世界崩壊が近いと、あらゆる土地の神殿にご神託が出たある日。大陸の貿易要所であるペルキセウス国に神官長や巫女が集められ、対策会議が開かれた。
『世界が滅ぶ原因は、パンドラの箱に詰められていた原罪が世界中に散らばったことだと予測されます』
『もっとも被害が多いのは、精霊魔法国家アスガイアですが、遅かれ早かれ世界中が闇に包まれるでしょう』
『聖書の神様がいないこの世界で、救世主を求めるのは馬鹿げているとおっしゃる方もいます。ジーザス・クライストのように、原罪を背負って下さる方が現れると良いのですが……』
ヒントは異世界から伝わった御伽噺の聖書であったが、ジーザス・クライストのような救世主を待つには時間が足りなかった。
『誰かが犠牲になるしか無いのか、例えば神格と交信できる精霊神あたりなら……原罪を背負えるかも知れぬ』
『しかし、自ら十字架にかけられて死にたい精霊神など、今どきいるかどうか……』
神格と繋がっている精霊神こそが、この世界でのジーザス・クライストに最も近い役割だとし、原罪を背負うのに相応しいのではないか……との結論が出た。
巫女でありながら信仰を失ったアメリアは会議に出席せず、そのまますべてを投げ出そうとしていたが、見兼ねたラルドが聖書を片手に勉強会に誘った。勉強会と言っても、アメリアとラルド、そして一緒にお留守番をしている鷹のルーファス君だけだ。
「アメリアさん、ルーファス君のお世話……アッシュ王子から頼まれていたじゃないですか。せめて、ポックル君の言う期限が来るまで待ってあげましょう」
「アッシュ君……」
アッシュ王子の死から既に二ヶ月が経とうとしていたが、アメリアは未だに立ち直れずにいた。ポックル君が言う甦りまでの期限が迫る中、信仰を取り戻すための聖書の勉強会が行われた。
『とある村に、婚約者のいる処女のマリアがおりました。ある日、神のみ使いが現れてお腹に神のチカラで救世主が宿ったと告げられます』
「処女の身体で身籠もれたとしても、愛する男性の子じゃないなら意味がないわ。私は夫のアッシュ君との間に子が欲しかった。聖母マリアと夫のヨセフは、嫌じゃなかったのかしら」
「けれど、アメリア。ジーザス・クライストは穢れなき身体から産まれたからこそ、救世主なのですよ」
「聖母マリアと神様の間には、きっと深い信頼関係があったのね。本当は……私なんかよりそんな方が、神のいとし子なのでしょう。どうして、ラルドさんは私を神のいとし子なんて勘違いしたのかしら?」
アメリアの素朴な疑問に、ラルドは一瞬だけ自分の未来を見た気がした。自分にとっての聖母マリアは、神のいとし子は……アメリアなのだと。
「勘違いではありませんよ。だって僕は最初にひと目みた時から、貴女を【神のいとし子】だとわかったのですよ」
「ふふっ。ラルドさんって、不思議な人」
彼女に笑顔が戻り、ラルドは心が安らぐのを感じた。既に彼女の心はアッシュ王子のもので、それでもラルド・クライエスはアメリア・アーウィンのことが一番大切だった。
(そうだ……僕にとっての聖母マリアは初めて出会った時から、彼女だと決まっていた。彼女は神のいとし子であり、僕もいずれ……彼女を通して【神のいとし子】になるであろうということを)
33
お気に入りに追加
2,094
あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、隠していた力を解放します
ミィタソ
恋愛
「――よって、私は君との婚約を破棄する」
豪華なシャンデリアが輝く舞踏会の会場。その中心で、王太子アレクシスが高らかに宣言した。
周囲の貴族たちは一斉にどよめき、私の顔を覗き込んでくる。興味津々な顔、驚きを隠せない顔、そして――あからさまに嘲笑する顔。
私は、この状況をただ静かに見つめていた。
「……そうですか」
あまりにも予想通りすぎて、拍子抜けするくらいだ。
婚約破棄、大いに結構。
慰謝料でも請求してやりますか。
私には隠された力がある。
これからは自由に生きるとしよう。

【完結】『妹の結婚の邪魔になる』と家族に殺されかけた妖精の愛し子の令嬢は、森の奥で引きこもり魔術師と出会いました。
蜜柑
恋愛
メリルはアジュール王国侯爵家の長女。幼いころから妖精の声が聞こえるということで、家族から気味悪がられ、屋敷から出ずにひっそりと暮らしていた。しかし、花の妖精の異名を持つ美しい妹アネッサが王太子と婚約したことで、両親はメリルを一族の恥と思い、人知れず殺そうとした。
妖精たちの助けで屋敷を出たメリルは、時間の止まったような不思議な森の奥の一軒家で暮らす魔術師のアルヴィンと出会い、一緒に暮らすことになった。

無能だと言われ続けた聖女は、自らを封印することにしました
天宮有
恋愛
国を守る聖女として城に住んでいた私フィーレは、元平民ということもあり蔑まれていた。
伝統だから城に置いているだけだと、国が平和になったことで国王や王子は私の存在が不愉快らしい。
無能だと何度も言われ続けて……私は本当に不必要なのではないかと思い始める。
そうだ――自らを封印することで、数年ぐらい眠ろう。
無能と蔑まれ、不必要と言われた私は私を封印すると、国に異変が起きようとしていた。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?
Debby
恋愛
キャナリィ・ウィスタリア侯爵令嬢とクラレット・メイズ伯爵令嬢は困惑していた。
最近何故か良く目にする平民の生徒──エボニーがいる。
とても可愛らしい女子生徒であるが視界の隅をウロウロしていたりジッと見られたりするため嫌でも目に入る。立場的に視線を集めることも多いため、わざわざ声をかけることでも無いと放置していた。
クラレットから自分に任せて欲しいと言われたことも理由のひとつだ。
しかし一度だけ声をかけたことを皮切りに身に覚えの無い噂が学園内を駆け巡る。
次期フロスティ公爵夫人として日頃から所作にも気を付けているキャナリィはそのような噂を信じられてしまうなんてと反省するが、それはキャナリィが婚約者であるフロスティ公爵令息のジェードと仲の良いエボニーに嫉妬しての所業だと言われ──
「私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」
そう問うたキャナリィは
「それはこちらの台詞だ。どうしてエボニーを執拗に苛めるのだ」
逆にジェードに問い返されたのだった。
★★★★★★
覗いて下さりありがとうございます。
女性向けHOTランキングで最高20位までいくことができました。(本編)
沢山の方に読んでいただけて嬉しかったので、続き?を書きました(*^^*)
★花言葉は「恋の勝利」
本編より過去→未来
ジェードとクラレットのお話
★ジェード様の憂鬱【読み切り】
ジェードの暗躍?(エボニーのお相手)のお話

婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~
ゆうき
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。
そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。
シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。
ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。
それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。
それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。
なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた――
☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆
☆全文字はだいたい14万文字になっています☆
☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆

虐げられていた姉はひと月後には幸せになります~全てを奪ってきた妹やそんな妹を溺愛する両親や元婚約者には負けませんが何か?~
***あかしえ
恋愛
「どうしてお姉様はそんなひどいことを仰るの?!」
妹ベディは今日も、大きなまるい瞳に涙をためて私に喧嘩を売ってきます。
「そうだぞ、リュドミラ!君は、なぜそんな冷たいことをこんなかわいいベディに言えるんだ!」
元婚約者や家族がそうやって妹を甘やかしてきたからです。
両親は反省してくれたようですが、妹の更生には至っていません!
あとひと月でこの地をはなれ結婚する私には時間がありません。
他人に迷惑をかける前に、この妹をなんとかしなくては!
「結婚!?どういうことだ!」って・・・元婚約者がうるさいのですがなにが「どういうこと」なのですか?
あなたにはもう関係のない話ですが?
妹は公爵令嬢の婚約者にまで手を出している様子!ああもうっ本当に面倒ばかり!!
ですが公爵令嬢様、あなたの所業もちょぉっと問題ありそうですね?
私、いろいろ調べさせていただいたんですよ?
あと、人の婚約者に色目を使うのやめてもらっていいですか?
・・・××しますよ?

完璧な妹に全てを奪われた私に微笑んでくれたのは
今川幸乃
恋愛
ファーレン王国の大貴族、エルガルド公爵家には二人の姉妹がいた。
長女セシルは真面目だったが、何をやっても人並ぐらいの出来にしかならなかった。
次女リリーは逆に学問も手習いも容姿も図抜けていた。
リリー、両親、学問の先生などセシルに関わる人たちは皆彼女を「出来損ない」と蔑み、いじめを行う。
そんな時、王太子のクリストフと公爵家の縁談が持ち上がる。
父はリリーを推薦するが、クリストフは「二人に会って判断したい」と言った。
「どうせ会ってもリリーが選ばれる」と思ったセシルだったが、思わぬ方法でクリストフはリリーの本性を見抜くのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる