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羽化・月光花
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羽化
「お、帰ってきた。おかえり。」
「おかえり、じゃないですよ、すっかりここに居座って…。先輩の家って無いんですか?」
「あるわけないだろ、俺は旅人だからな。」
「その割には滞在期間が長すぎません?1年近く理研特区にいるのでは?」
「本当はこんなに長居する予定は無かったんだがな。」
なんたって不老不死者というのものは定住に向いていない。歳をとらないことが周りにバレては不都合だからだ。
「そうだ、久々の学校はどうだったんだ?」
「どうって普通でしたよ…いや、少し変わっていたかな…?」
「そりゃあ1年も行ってなければなぁ。」
「うーん、なんというか時間の空白というよりもっと根本的な何か…。」
「根本的な?あー、とりあえず話してみろ。」
「はい。とりあえず朝から順を追って話しますね…」
―約一年振りに登校した青条だったが教員たちからは咎められることなく久々の登校を歓迎され、クラスメイトからは根掘り葉掘り事情を聞かれることもなく至って平穏な朝であった。そもそも青条のことを知っているクラスメイトはほとんどいなかったのだが。
「青条じゃん、久しぶり!もう外に出てもいいのか?」
「長崎…!」
だが、青条の親友である長崎司が隣のクラスにいた。
「俺はもう大丈夫だよ。外も落ち着いたみたいだしね。」
「全くお前はビビり過ぎなんだよ。直也さんの素晴らしい研究が俺たちに害な訳ないだろう。」
「え?」
「世の中の人々は皆あの事件を直也さんのせいにする。だが直也さんは悪くない。皆が醜い本性を持っているのが悪いんだ。だがそんな醜い心を持つヤツらは全部それを直也さんのせいにする。直也さんは偉大だというのに!」
「な、長崎…?」
「青条!お前はそんなこと無いよな!?そうか、お前が外に出なかったのは世間に出回る直也さんの悪口を見聞きしないためだな。お前の判断は確かに正しい。だが時には逃げてばかりじゃ駄目なんだ。いいか、今こそ直也さんの名誉を回復する時!無能なヤツらに直也さんの偉大さを知らしめる時なんだよ!お前もそれをわかって外に出たのだろう!?」
「長崎…?何を言っているの…?」
そこで予鈴が鳴り、その日青条は長崎から逃げるように過ごした。かつての長崎は正義感に溢れた人間だった。だが今日会った長崎の正義感は酷く歪んでいるように感じられたのだった。
「一文路先輩がやっていたこと…昔の長崎なら絶対に許さないでしょう。でも今は…」
「狂気的な個人崇拝…。お前には気の毒だがその長崎ってやつも被害者だな…。」
「…やっぱり…。」
「もしかしたらもうお前以外に寄生虫の被害に遭っていない人間はほとんどいないかもしれないな。」
「あれだけ社会現象になるくらいだからそうですよね…。」
ここ数日は少し明るい表情だった青条だが、また初めて会った時のような沈んた顔に戻ってしまった。だがこれが現実だから仕方ない。
「…でもあなたは寄生虫の影響を受けず1人戦ってきた。今はそれだけが俺の希望です。」
“希望”ねぇ。随分と俺は信頼されているようだ。だが俺があの寄生虫の影響を受けないのはこいつにも説明したはずだが、この特殊な体質のせいだ。決して強いメンタルを持つ訳では無い。この人間離れした、誰にも真似は出来ない能力で俺は自らの身を守ってきた。いわばチートだ。きっと青条は俺なんかではなくホルニッセのように人間としての力だけで生き延びている者を敬うべきなのではないかと珍しく俺も後ろめたさを感じるわけである。
月光花
ある朝何処から現れたのか、いつからあったのかわからないが、羽の模様が青白く発光する不思議な蝶が現れた。特に飛び回る以外何もしないが何故かそれらは青条の周りを執拗に飛び回っているように見えた。それを気味悪がったのはもちろん青条だ。
「一体何なんでしょう…突如現れたと思ったら俺に付きまとってくるし…。」
「見た目は綺麗だが…。大丈夫か?何か害は?」
「特に無いです。何も害が無いのにただふよふよと周りを飛んでいる…。かえって不気味ですよ。」
「全く心当たりは無いのか?」
「ええ。強いて言えばこんな蝶を見たことがあるような…。ああ、でも名前が思い出せない!」
突如現れて“一見”無害に見えたものと言えば1年前一文路直也が放ったあの寄生虫もそうだった。この蝶の出現は偶然か、それとも失踪した彼がまた何か新たなものを作り出したのか…。
「でももし俺に害があるものだとしても白城先輩がかけてくれた魔法があるので大丈夫です!あ、でも無害だったとしても触ったら死んじゃうのか。それはちょっと可哀想だな。」
青条は飛び回る蝶に触れないように手を伸ばした。
「そういえば、学校にそいつら連れていく気か?」
「えっ…あっ!そっか。どうしよう!」
「変な見た目しているけどこいつらも蝶だろ?なら…」
あるものを探す俺を青条は怪訝な顔で見つめていたが、俺がそれを見つけると思ったより驚いていた。
「えっ、白城先輩まさかそれで…!?」
「ああ、蝶なら虫とり網で捕獲すればいいだろ。おっ、ちゃんと虫かごもあるじゃないか。」
「あ、それ俺に貸してください。先輩の言う通りこの蝶が普通の虫のように捕獲できるならここは俺の出番です。」
「ほいよ。なんだお前インドアに見えて虫取り得意なのか。」
とはいえ青条は生態研究科に住まう人間だ。自ずと生物を身近に感じるようになるのだろう。ならば幼少期に虫取りを嗜むくらい普通であろう、そう思いながら俺は網を手渡した。
だが俺の目に映ったのは想像を絶する光景だった。青条は自分の周りを飛び回る蝶たちを見る者が惚れ惚れするような網さばきで華麗に捕らえていく。舞のように軽やかに、剣技のように激しく、こうして瞬く間に彼の周りを飛んでいた5匹の蝶は大人しくお縄についた…じゃなくていくつかの虫かごに収まった。
「ふう。あっ、そろそろ学校に行く時間なので!先輩も行きます?」
「俺に子どもと混ざっておべんきょうをする趣味はねぇよ。」
「なにおじさんみたいなことを言ってるんですか。あなただってまだ17歳でしょ。」
「は、はは。そうだな…17歳ねぇ。十分おじさんだよ、はは…。あ、遅刻するぞ、ほら、行った行った。」
危なかった、つい年寄りじみた―いや実際年寄りなんだが―言葉を口にしてしまう。ここでは俺は17歳で通っている、そういうことになっている。学校に行っていないのは旅人だから、ということにしている。
青条が出かけて暇になった俺は先ほど捕らえた蝶をまじまじと観察することにした。よく見るとやはり不気味だが美しい。漆黒の翅の中央を走る青緑の模様。それが呼吸をするように緩やかに、規則的に青白く輝いている。一文路直也が作り出したメカニックな見た目をした気味の悪い虫とは違い、害があるとは思えない美しさだ。いや、こいつらに惹き込まれ過ぎるのはむしろ害なのかもしれない。
「しかし、こんな模様の蝶がいるもんなんだな。羽に青いスジみたいなものが入っている…。なんだ、青条って字がお似合いの見た目じゃないか。」
だから青条の元に現れたのだろうか、と俺にしては珍しく非合理的なことを考えていた。
夕方いつもより遅く青条が帰ってきた。
「すみません、遅くなって。ちょっと調べ事をしていて。」
「別に帰りが遅くなることは構わんさ、俺は親でもない。それより何を調べていたんだ?」
「大したことではないですけど、学校周辺の植生調査をしていました。」
「え、は?すまん、何て。」
「え、だから植生調査を…。」
「まず俺は調べ事と言ってもまさか野外調査の類だとは思ってもみなかった。そして更には何故急に学校周辺の植物なんて調べようと思ったんだお前は。」
「そりゃあ、あの子達の餌になるような植物を探していたんですよ。」
「あ、ああ、あの蝶か。」
「図鑑で似たような種類がいないか調べました。翅が光る種なんてものはありませんでしたが見た目はアオスジアゲハというアゲハチョウに似ていました。」
「へぇ、アオスジアゲハねぇ…。」
「彼らの幼虫が食べるクスノキなどの木は校内にたくさんありましたから一安心でした。…そもそも彼らは繁殖とかするのかはわかりませんが。」
「さすが生態研究科。詳しいな。」
「いえ、調べないとわからないくらいですから。生態研究科にいると言ってもただ生き物が好きなだけで先輩方や長崎たちのように研究者のようなことは…」
「誰も専門家のように詳しいな、とは言ってないだろう。あー、…俺より詳しければ詳しいんだよ。」
危うく数百年生きている俺より詳しければそりゃ詳しいなどと口走りそうになった。
「俺が学校に行っている間はどうでした?」
「どうって…別にこれといって変わったことは無かったな。退屈もしなかったぞ。こいつら、見てて飽きない。」
「まさか一日中蝶見て過ごしたんですか!?」
「よくあるこった。」
「もう少し時間を大事にして下さいよ…。」
時間を大事に、か。俺にとっては無尽蔵なものでもこいつや普通の人間にとって時間は有限で貴重なものである。そんなズレも感じながら生活する必要があるのか。
「やはり先輩も学校に行った方がいいですよ!時間が勿体ないです!」
「どう使おうと俺の勝手だろ。」
「俺が見てて嫌です!」
「なんでだよ。」
「今は一応家族みたいなもんなんですから。」
「青条千になった覚えはねーよ。なんならお前を白城真琴にした覚えもねーよ。」
「そういうことじゃないですよ!」
「なんだ、怒んなよ。別に男同士なんだから照れることでもないだろ。」
「あー、もう、この人と話をしていても埒が明かない!」
「あらら。」
何故青条がここまで怒っているのか俺には全く理解出来なかった。そしてそれがわからないうちは彼と分かり合うことは出来ないのだろう。
毎日毎日怒られっぱなしも困るので俺は少し散歩に出掛けることにした。とはいえ今更歩き慣れた理研特区の街中の風景から得られるものなどあるのだろうか。結局今日も適度な運動をした、という程度で一日が過ぎるのではないか。そんなことを考えていたら(考える程のことでもないが)ある光景に度肝を抜かれた。どうにかして籠から抜け出した蝶が1匹、俺に付いてきていたようだったのだが、そいつが俺から離れたかと思いきや例の寄生虫をパクリ、と食らってしまったのだ。そう、パクリと。蝶に本来無いはずの牙を剥き出しにしてどこから現れたのか獣のような大口を開けて。
「ひえ、バリボリと音を立ててやがる。お前らの餌はこれだったのか。」
その翅の美しさや小さな姿とは裏腹にいとも豪快に怪獣の如く寄生虫を噛み砕き食す。目を背けたくなるがどうしても視線が向いてしまう。こいつらは普通の蝶ではない。だが寄生虫を餌にするといった点では我々の脅威になるとも言い難い。
「きっと一文路の寄生虫に対抗して誰かが作ったものだろう。だがこいつらは俺といるべきではないのだろうな。」
満腹になったのか、蝶はまた俺のもとに戻ってきた。俺は蝶を連れて帰った。
「あっ、帰ってきた。」
昼過ぎに出掛けてから随分と時間が経っていたようだ。今日は青条の方が帰りが早かった。
「どこへ行っていたんですか。って、その蝶外に出したんですか!?」
「散歩してたらついてきたんだよ。」
「そんな犬みたいに…。」
「ほとんど俺の側から離れなかったんだぜ。側を離れた時はというと…そうそう、こいつらとんでもないもの食うぜ!」
「とんでもないもの…ですか?」
「あの一文路が作った寄生虫をバリボリと食す。」
「はあ!?何を言ってるのかさっぱりですよ。蝶が他の虫を食べるはずが…!」
「でも美味そうに食ってたぞ。」
「そもそも小型の蜂サイズの寄生虫をどうやって食べるんですか。そんな大きな口、見た感じありませんよ。」
「それが頭部がガッと開いてパクッと寄生虫を包み込んだかと思ったら細かい牙で噛み砕いて飲み込んだ。あれはホラーだよ。」
「そんな馬鹿な…。」
俺がいくらその時の様子を話しても青条は怪訝そうな顔を続けるだけだった。確かにあの光景は異様過ぎて話を聞くだけでは到底信じようと思えない。
「だがこいつは俺たちにとって益虫だ、ということはわかった。どちらかと言うとお前が連れていた方がいいんじゃないか?」
「学校に連れていっても大丈夫かなぁ…。」
「蜂みたいな虫が校内を飛び交ってた時期があったくらいだし大丈夫だろ。指摘されたらペットだとでも言っておけ。」
「そんな適当な…。」
ともあれ蝶たちが青条の護衛を務めてくれるなら有難い。俺の力だけでは限界があるからだ。
「でも、だったら籠に入れておく必要も無さそうですね。」
青条が籠を開けると案の定蝶たちは青条の近くに寄ってきた。先程は俺の側をついていたが優先順位は青条の方が上らしい。やはり蝶にしては賢すぎる。
「最初は気味悪いなって思ってたけど…俺の後をついてくるところとか、可愛いな。って自分勝手ですよね、利益をもたらすとわかった途端可愛がるのは。」
「いや、人ってそういうもんだろ。」
「なんか白城先輩って達観しているというか何十年も生きてるようなこと言いますよね。」
「そ、そうか?旅人だからじゃないか?」
実際は何十年どころか何百年も生きているわけだが。青条の観察力はなかなか侮れない。それにしても旅人という言葉は便利だな。
「旅人ってそんな違うものなんですか…?だったら俺も旅してみようかな…。」
「ま、まあ俺の性格的な問題かもしれないしな!」
青条の表情からして全く誤魔化しきれていないようだった。しかし俺の素性を明かすわけにもいかないのだ。
「お、帰ってきた。おかえり。」
「おかえり、じゃないですよ、すっかりここに居座って…。先輩の家って無いんですか?」
「あるわけないだろ、俺は旅人だからな。」
「その割には滞在期間が長すぎません?1年近く理研特区にいるのでは?」
「本当はこんなに長居する予定は無かったんだがな。」
なんたって不老不死者というのものは定住に向いていない。歳をとらないことが周りにバレては不都合だからだ。
「そうだ、久々の学校はどうだったんだ?」
「どうって普通でしたよ…いや、少し変わっていたかな…?」
「そりゃあ1年も行ってなければなぁ。」
「うーん、なんというか時間の空白というよりもっと根本的な何か…。」
「根本的な?あー、とりあえず話してみろ。」
「はい。とりあえず朝から順を追って話しますね…」
―約一年振りに登校した青条だったが教員たちからは咎められることなく久々の登校を歓迎され、クラスメイトからは根掘り葉掘り事情を聞かれることもなく至って平穏な朝であった。そもそも青条のことを知っているクラスメイトはほとんどいなかったのだが。
「青条じゃん、久しぶり!もう外に出てもいいのか?」
「長崎…!」
だが、青条の親友である長崎司が隣のクラスにいた。
「俺はもう大丈夫だよ。外も落ち着いたみたいだしね。」
「全くお前はビビり過ぎなんだよ。直也さんの素晴らしい研究が俺たちに害な訳ないだろう。」
「え?」
「世の中の人々は皆あの事件を直也さんのせいにする。だが直也さんは悪くない。皆が醜い本性を持っているのが悪いんだ。だがそんな醜い心を持つヤツらは全部それを直也さんのせいにする。直也さんは偉大だというのに!」
「な、長崎…?」
「青条!お前はそんなこと無いよな!?そうか、お前が外に出なかったのは世間に出回る直也さんの悪口を見聞きしないためだな。お前の判断は確かに正しい。だが時には逃げてばかりじゃ駄目なんだ。いいか、今こそ直也さんの名誉を回復する時!無能なヤツらに直也さんの偉大さを知らしめる時なんだよ!お前もそれをわかって外に出たのだろう!?」
「長崎…?何を言っているの…?」
そこで予鈴が鳴り、その日青条は長崎から逃げるように過ごした。かつての長崎は正義感に溢れた人間だった。だが今日会った長崎の正義感は酷く歪んでいるように感じられたのだった。
「一文路先輩がやっていたこと…昔の長崎なら絶対に許さないでしょう。でも今は…」
「狂気的な個人崇拝…。お前には気の毒だがその長崎ってやつも被害者だな…。」
「…やっぱり…。」
「もしかしたらもうお前以外に寄生虫の被害に遭っていない人間はほとんどいないかもしれないな。」
「あれだけ社会現象になるくらいだからそうですよね…。」
ここ数日は少し明るい表情だった青条だが、また初めて会った時のような沈んた顔に戻ってしまった。だがこれが現実だから仕方ない。
「…でもあなたは寄生虫の影響を受けず1人戦ってきた。今はそれだけが俺の希望です。」
“希望”ねぇ。随分と俺は信頼されているようだ。だが俺があの寄生虫の影響を受けないのはこいつにも説明したはずだが、この特殊な体質のせいだ。決して強いメンタルを持つ訳では無い。この人間離れした、誰にも真似は出来ない能力で俺は自らの身を守ってきた。いわばチートだ。きっと青条は俺なんかではなくホルニッセのように人間としての力だけで生き延びている者を敬うべきなのではないかと珍しく俺も後ろめたさを感じるわけである。
月光花
ある朝何処から現れたのか、いつからあったのかわからないが、羽の模様が青白く発光する不思議な蝶が現れた。特に飛び回る以外何もしないが何故かそれらは青条の周りを執拗に飛び回っているように見えた。それを気味悪がったのはもちろん青条だ。
「一体何なんでしょう…突如現れたと思ったら俺に付きまとってくるし…。」
「見た目は綺麗だが…。大丈夫か?何か害は?」
「特に無いです。何も害が無いのにただふよふよと周りを飛んでいる…。かえって不気味ですよ。」
「全く心当たりは無いのか?」
「ええ。強いて言えばこんな蝶を見たことがあるような…。ああ、でも名前が思い出せない!」
突如現れて“一見”無害に見えたものと言えば1年前一文路直也が放ったあの寄生虫もそうだった。この蝶の出現は偶然か、それとも失踪した彼がまた何か新たなものを作り出したのか…。
「でももし俺に害があるものだとしても白城先輩がかけてくれた魔法があるので大丈夫です!あ、でも無害だったとしても触ったら死んじゃうのか。それはちょっと可哀想だな。」
青条は飛び回る蝶に触れないように手を伸ばした。
「そういえば、学校にそいつら連れていく気か?」
「えっ…あっ!そっか。どうしよう!」
「変な見た目しているけどこいつらも蝶だろ?なら…」
あるものを探す俺を青条は怪訝な顔で見つめていたが、俺がそれを見つけると思ったより驚いていた。
「えっ、白城先輩まさかそれで…!?」
「ああ、蝶なら虫とり網で捕獲すればいいだろ。おっ、ちゃんと虫かごもあるじゃないか。」
「あ、それ俺に貸してください。先輩の言う通りこの蝶が普通の虫のように捕獲できるならここは俺の出番です。」
「ほいよ。なんだお前インドアに見えて虫取り得意なのか。」
とはいえ青条は生態研究科に住まう人間だ。自ずと生物を身近に感じるようになるのだろう。ならば幼少期に虫取りを嗜むくらい普通であろう、そう思いながら俺は網を手渡した。
だが俺の目に映ったのは想像を絶する光景だった。青条は自分の周りを飛び回る蝶たちを見る者が惚れ惚れするような網さばきで華麗に捕らえていく。舞のように軽やかに、剣技のように激しく、こうして瞬く間に彼の周りを飛んでいた5匹の蝶は大人しくお縄についた…じゃなくていくつかの虫かごに収まった。
「ふう。あっ、そろそろ学校に行く時間なので!先輩も行きます?」
「俺に子どもと混ざっておべんきょうをする趣味はねぇよ。」
「なにおじさんみたいなことを言ってるんですか。あなただってまだ17歳でしょ。」
「は、はは。そうだな…17歳ねぇ。十分おじさんだよ、はは…。あ、遅刻するぞ、ほら、行った行った。」
危なかった、つい年寄りじみた―いや実際年寄りなんだが―言葉を口にしてしまう。ここでは俺は17歳で通っている、そういうことになっている。学校に行っていないのは旅人だから、ということにしている。
青条が出かけて暇になった俺は先ほど捕らえた蝶をまじまじと観察することにした。よく見るとやはり不気味だが美しい。漆黒の翅の中央を走る青緑の模様。それが呼吸をするように緩やかに、規則的に青白く輝いている。一文路直也が作り出したメカニックな見た目をした気味の悪い虫とは違い、害があるとは思えない美しさだ。いや、こいつらに惹き込まれ過ぎるのはむしろ害なのかもしれない。
「しかし、こんな模様の蝶がいるもんなんだな。羽に青いスジみたいなものが入っている…。なんだ、青条って字がお似合いの見た目じゃないか。」
だから青条の元に現れたのだろうか、と俺にしては珍しく非合理的なことを考えていた。
夕方いつもより遅く青条が帰ってきた。
「すみません、遅くなって。ちょっと調べ事をしていて。」
「別に帰りが遅くなることは構わんさ、俺は親でもない。それより何を調べていたんだ?」
「大したことではないですけど、学校周辺の植生調査をしていました。」
「え、は?すまん、何て。」
「え、だから植生調査を…。」
「まず俺は調べ事と言ってもまさか野外調査の類だとは思ってもみなかった。そして更には何故急に学校周辺の植物なんて調べようと思ったんだお前は。」
「そりゃあ、あの子達の餌になるような植物を探していたんですよ。」
「あ、ああ、あの蝶か。」
「図鑑で似たような種類がいないか調べました。翅が光る種なんてものはありませんでしたが見た目はアオスジアゲハというアゲハチョウに似ていました。」
「へぇ、アオスジアゲハねぇ…。」
「彼らの幼虫が食べるクスノキなどの木は校内にたくさんありましたから一安心でした。…そもそも彼らは繁殖とかするのかはわかりませんが。」
「さすが生態研究科。詳しいな。」
「いえ、調べないとわからないくらいですから。生態研究科にいると言ってもただ生き物が好きなだけで先輩方や長崎たちのように研究者のようなことは…」
「誰も専門家のように詳しいな、とは言ってないだろう。あー、…俺より詳しければ詳しいんだよ。」
危うく数百年生きている俺より詳しければそりゃ詳しいなどと口走りそうになった。
「俺が学校に行っている間はどうでした?」
「どうって…別にこれといって変わったことは無かったな。退屈もしなかったぞ。こいつら、見てて飽きない。」
「まさか一日中蝶見て過ごしたんですか!?」
「よくあるこった。」
「もう少し時間を大事にして下さいよ…。」
時間を大事に、か。俺にとっては無尽蔵なものでもこいつや普通の人間にとって時間は有限で貴重なものである。そんなズレも感じながら生活する必要があるのか。
「やはり先輩も学校に行った方がいいですよ!時間が勿体ないです!」
「どう使おうと俺の勝手だろ。」
「俺が見てて嫌です!」
「なんでだよ。」
「今は一応家族みたいなもんなんですから。」
「青条千になった覚えはねーよ。なんならお前を白城真琴にした覚えもねーよ。」
「そういうことじゃないですよ!」
「なんだ、怒んなよ。別に男同士なんだから照れることでもないだろ。」
「あー、もう、この人と話をしていても埒が明かない!」
「あらら。」
何故青条がここまで怒っているのか俺には全く理解出来なかった。そしてそれがわからないうちは彼と分かり合うことは出来ないのだろう。
毎日毎日怒られっぱなしも困るので俺は少し散歩に出掛けることにした。とはいえ今更歩き慣れた理研特区の街中の風景から得られるものなどあるのだろうか。結局今日も適度な運動をした、という程度で一日が過ぎるのではないか。そんなことを考えていたら(考える程のことでもないが)ある光景に度肝を抜かれた。どうにかして籠から抜け出した蝶が1匹、俺に付いてきていたようだったのだが、そいつが俺から離れたかと思いきや例の寄生虫をパクリ、と食らってしまったのだ。そう、パクリと。蝶に本来無いはずの牙を剥き出しにしてどこから現れたのか獣のような大口を開けて。
「ひえ、バリボリと音を立ててやがる。お前らの餌はこれだったのか。」
その翅の美しさや小さな姿とは裏腹にいとも豪快に怪獣の如く寄生虫を噛み砕き食す。目を背けたくなるがどうしても視線が向いてしまう。こいつらは普通の蝶ではない。だが寄生虫を餌にするといった点では我々の脅威になるとも言い難い。
「きっと一文路の寄生虫に対抗して誰かが作ったものだろう。だがこいつらは俺といるべきではないのだろうな。」
満腹になったのか、蝶はまた俺のもとに戻ってきた。俺は蝶を連れて帰った。
「あっ、帰ってきた。」
昼過ぎに出掛けてから随分と時間が経っていたようだ。今日は青条の方が帰りが早かった。
「どこへ行っていたんですか。って、その蝶外に出したんですか!?」
「散歩してたらついてきたんだよ。」
「そんな犬みたいに…。」
「ほとんど俺の側から離れなかったんだぜ。側を離れた時はというと…そうそう、こいつらとんでもないもの食うぜ!」
「とんでもないもの…ですか?」
「あの一文路が作った寄生虫をバリボリと食す。」
「はあ!?何を言ってるのかさっぱりですよ。蝶が他の虫を食べるはずが…!」
「でも美味そうに食ってたぞ。」
「そもそも小型の蜂サイズの寄生虫をどうやって食べるんですか。そんな大きな口、見た感じありませんよ。」
「それが頭部がガッと開いてパクッと寄生虫を包み込んだかと思ったら細かい牙で噛み砕いて飲み込んだ。あれはホラーだよ。」
「そんな馬鹿な…。」
俺がいくらその時の様子を話しても青条は怪訝そうな顔を続けるだけだった。確かにあの光景は異様過ぎて話を聞くだけでは到底信じようと思えない。
「だがこいつは俺たちにとって益虫だ、ということはわかった。どちらかと言うとお前が連れていた方がいいんじゃないか?」
「学校に連れていっても大丈夫かなぁ…。」
「蜂みたいな虫が校内を飛び交ってた時期があったくらいだし大丈夫だろ。指摘されたらペットだとでも言っておけ。」
「そんな適当な…。」
ともあれ蝶たちが青条の護衛を務めてくれるなら有難い。俺の力だけでは限界があるからだ。
「でも、だったら籠に入れておく必要も無さそうですね。」
青条が籠を開けると案の定蝶たちは青条の近くに寄ってきた。先程は俺の側をついていたが優先順位は青条の方が上らしい。やはり蝶にしては賢すぎる。
「最初は気味悪いなって思ってたけど…俺の後をついてくるところとか、可愛いな。って自分勝手ですよね、利益をもたらすとわかった途端可愛がるのは。」
「いや、人ってそういうもんだろ。」
「なんか白城先輩って達観しているというか何十年も生きてるようなこと言いますよね。」
「そ、そうか?旅人だからじゃないか?」
実際は何十年どころか何百年も生きているわけだが。青条の観察力はなかなか侮れない。それにしても旅人という言葉は便利だな。
「旅人ってそんな違うものなんですか…?だったら俺も旅してみようかな…。」
「ま、まあ俺の性格的な問題かもしれないしな!」
青条の表情からして全く誤魔化しきれていないようだった。しかし俺の素性を明かすわけにもいかないのだ。
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