上 下
33 / 56
12月:マスターの決断

32

しおりを挟む


◇◆◇


「っはぁ、つかれた」

 俺は白み始めた明け方の空の下をぼんやりと歩いていた。冷たい風が疲れた体を通り過ぎ、白み始めた空は淡く星を照らした。
 十一月の終わり頃から始めたコンビニの深夜バイトも、少しずつ慣れてきた。

「今、五時か。ちょっとは、寝れるかぁ」

 ただ慣れたといっても、仕事に慣れてきただけで、決して体力的に慣れてきたワケではない。出来るだけ急いで帰りたいのに、意思に反して歩幅は緩やかで、まるで季節の疲れを重ねるごとに重くなるようだった。

--------なに、なんか予定でもあんのかよ

「……寛木君に、バレないようにしないと」

 店の為にバイトをしてるのがバレたら、きっと彼は怒る。怒って、そして自分の事を責めるだろう。自分のやってきた事が間違っていた、と。まだまだやりようがあったのに、考えが足りなかったのだ、と。

「寛木君のせいじゃないよ。全部、俺のせい」

 でも、彼はそういう子だ。責任感の強い、ウソの吐けない、不器用な子で……とても良い子だ。
 寛木君は、俺の「金平亭はまだ間に合うか」という問いに対してこういった。

--------爺ちゃんに感謝しなよ。土地と店を受け継げてなかったら、多分無理だったろうから。

「……凄いなぁ。寛木君は。店の収支なんて一回も見せた事ないのに、なんでそんな事が分かるんだろ」

 そう、あの店。喫茶金平亭が、俺が爺ちゃんから受け継いで得た店なら、今頃はこんなバイトなどせずに済んだだろう。きっと、赤字も少しずつ減っていったに違いない。しかし、現に、今の金平亭はそうはなっていない。

「爺ちゃん、なんで売っちゃったんだよ。金平亭」

 金平亭の前で、俺はボソリと呟いた。
 もう自分のアパートに帰る程の時間は残っていない。最近はもうずっと店で寝泊まりを繰り返している。

「……なんで」

 俺はあの頃となんら変わらない店の外観を見つめながらボソリと呟く。
 鍵穴に鍵を通し、扉を開ける。その瞬間、フワリと香ってきたコーヒー豆の匂いに、俺は静かに目を閉じた。

「良い匂いだなぁ」

 このコーヒーの香りで満たされた店内も、あの頃のままだ。でも、この店に爺ちゃんは居ない。店の中も、あの頃とは全然違う。

--------いいか、キリ。お前は店を継ごうなんて思うなよ。この店はもう終わりだ。

 店の中に一歩足を踏み入れた瞬間、爺ちゃんの声が遠くに聞こえた気がした。
 そう、この店は爺ちゃんから引き継いだ店なんかじゃない。爺ちゃんは自分に病気が見つかった時、すぐに店を引き払う準備を始めた。

 俺が、大学四年の頃の話だ。
 コツコツと、店の中を歩く。見れば見るほど、あの頃とは何もかもが異なる店内。寛木君と俺で、大きく変わった。

「ほんとは、ここも、あそこも……本棚があったのに。俺、全部好きだったのになぁ」

 それなのに、爺ちゃんは一冊残らず処分した。図書館になんて置いてなさそうな古い本があるかと思いきや、その隣には新しい雑誌が並んでいるような、そんな、まとまりのない本棚だった。でも、それが爺ちゃんらしくて、俺は学校をサボってはここで本を読むのが大好きだった。

 でも、その全てを、爺ちゃんはアッサリと廃棄した。

「橘さんも、最初来た時ガッカリしてたよ。昔とは変わちゃったなぁって」

 俺よりも十歳以上年上の彼もまた、学生時代に金平亭で過ごした日々を懐かしそうに語っていた。時代も記憶も別のモノなのに、場所が同じというだけで懐かしさを共有できたあの瞬間は、とても嬉しかった。

「でも、今の俺の店もいいじゃんって褒めてくれたよ」

 リップサービスなのは丸分かりだったけど。だって、記憶にある金平亭に勝てるワケがない。俺だってそうだ。

「爺ちゃん……店をやるって大変だね」

 今なら分かる。爺ちゃんが俺に店なんか持つなと言った意味が。俺なんかには到底無理だと爺ちゃんは分かっていたのだ。
 でも、あの時の俺は爺ちゃんの言葉の意味なんてまるで分かってなくて。だから、コージーと大人になって再会したとき、これはチャンスだって思った。

--------なぁ、コージー。一緒に金平亭、作ってみないか?

 コージーは高校時代、金平亭で知り合った友達だ。お互い、学校に居場所が無くて、気付けば毎日店で会うようになっていた。話も合って、ともかく一緒に居るのが楽で。コージーとは一生付き合える友達だと、俺は思っていたのに。

「……失敗した」

--------おい、霧!別にこだわるなって言ってるんじゃない!こだわりは売上を上げてからだって言ってるんだ!このままじゃ、金平亭はダメになるぞ!

 コージーはいつも数字を見ていた。でも、数字の事しか言わないコージーに、俺は正直ガッカリだった。コージーの言う、なんだか小手先の営業方法や宣伝みたいなのが、凄くダサく見えて。そういうの、爺ちゃんの店っぽくないって思って。

 俺は爺ちゃんみたいに美味しいコーヒーと金平亭さえあれば、客は来てくれるって思っていたのだ。

「ごめん、コージー」

 コージーは間違ってなかった。むしろ、俺が無視して目を背けていたところを、コージーがいつも代わりに見てくれていたのに。
 爺ちゃんみたいに、自分の店を持つのが夢だった。自分が自由でいられる場所が欲しかった。

しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

幸せのカタチ

杏西モジコ
BL
幼馴染の須藤祥太に想いを寄せていた唐木幸介。ある日、祥太に呼び出されると結婚の報告をされ、その長年の想いは告げる前に玉砕する。ショックのあまり、その足でやけ酒に溺れた幸介が翌朝目覚めると、そこは見知らぬ青年、福島律也の自宅だった……。 拗れた片想いになかなか決着をつけられないサラリーマンが、新しい幸せに向かうお話。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

台風の目はどこだ

あこ
BL
とある学園で生徒会会長を務める本多政輝は、数年に一度起きる原因不明の体調不良により入院をする事に。 政輝の恋人が入院先に居座るのもいつものこと。 そんな入院生活中、二人がいない学園では嵐が吹き荒れていた。 ✔︎ いわゆる全寮制王道学園が舞台 ✔︎ 私の見果てぬ夢である『王道脇』を書こうとしたら、こうなりました(2019/05/11に書きました) ✔︎ 風紀委員会委員長×生徒会会長様 ✔︎ 恋人がいないと充電切れする委員長様 ✔︎ 時々原因不明の体調不良で入院する会長様 ✔︎ 会長様を見守るオカン気味な副会長様 ✔︎ アンチくんや他の役員はかけらほども出てきません。 ✔︎ ギャクになるといいなと思って書きました(目標にしましたが、叶いませんでした)

目標、それは

mahiro
BL
画面には、大好きな彼が今日も輝いている。それだけで幸せな気分になれるものだ。 今日も今日とて彼が歌っている曲を聴きながら大学に向かえば、友人から彼のライブがあるから一緒に行かないかと誘われ……?

ガラス玉のように

イケのタコ
BL
クール美形×平凡 成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。 親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。 とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。 圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。 スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。 ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。 三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。 しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。 三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

処理中です...