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9月:くつろぎ君のやりがい

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「ゆうがくーん」
「……」

 閉店後。
 店内にカタカタとパソコンのキーボードを叩く音が響き渡る。レジを締め、収支をパソコンに打ち込むマスターの横顔は、最近どこか固い。

「はぁ」

 微かに吐かれた溜息と共に薄く目が細められ、前髪がサラリと揺れる。最初に出会った頃よりも大分伸びた髪の毛は、痛みのない黒髪で、一度も染めた事などなさそうな色艶をしている。触り心地は悪くなさそうだ。

「ねー、ゆうがくーん」
「……」

 金平亭が全商品を値上げして一か月が経った。
 あれから、あのクソババア共は一度も店に来ていない。まぁ、さすがに「警察を呼ぶ」と言われた店にのこのこ来る程、厚顔無恥ではなかったようだ。


「ゆうが君、ゆうが君」
「……」

 しかし、だからと言って客入りに変化はあまりみられない。つまり、好転もしなければ暗転もしていない。という事は、値上げの分、売上は上がっているハズだ。けれど、赤字が好転するような状態ではない事が確かだ。なにせ、一番重要な〝客〟が増えていないのだから。
 まぁ、あのパソコンだけは何があっても見せてくれないので、詳しくは分からないが、粗方予想はつく。

「……はぁ」

 先ほどから時折漏れる溜息が、それを証明している。

「……っはぁ」

 再び漏れた溜息と共に、髪の毛で隠れていたマスターの泣き黒子がチラリと顔を覗かせた。その瞬間、あの日「いつでもおいで」と言ってくれたマスターの泣き顔が鮮明に思い出された。

「もー!ゆうが君!ゆうが君ったらーーー!」
「っ!」

 その瞬間、それまで一切耳に届いていなかった俺を呼ぶミハルちゃんの声が、耳の奥まで響き渡った。次いで、それまで見えていたマスターが消え、視界いっぱいにミハルちゃんの顔が映し出される。

「っな、なに……?」
「さっきからずっと呼んでるのに無視しないで!……って、あれ?」

 あれ?という言葉と共に、ミハルちゃんの目が大きく見開かれる。
 俺は、そんな彼女から逃れるように視線だけを逸らすと、視界の片隅に先ほどまで真剣な顔でパソコンと向かい合っていたマスターと目があった。

「っぁ」

 その瞬間、カッと体中の体温が上昇する。ヤバ。なんだ、コレ。

「ねー、ゆうが君」
「な、んだよ……」
「顔、真っ赤だよー?」
「っっっっ!」

 ミハルちゃんに顔の熱を指摘された瞬間、俺は一気に息を詰まらせると、そのまま手元に残っていたアイスコーヒーに勢いよく口を付けた。後を引かない深みのあるコーヒーの苦みが、舌の上を通り抜け、喉の奥を通り過ぎていく。

 あぁっ!クソッ、なんでこんなにコーヒーが美味しく感じるんだよっ!

「っ赤く、ねぇしっ!」


 最近、俺は少し変だ。


◇◆◇


「で、なに?」

 俺はこちらをふくれっ面で見てくるミハルちゃんを横目に、アイスコーヒーへと口を付けた。氷が解けて、少し味が薄くなっている。どうしよう。二杯目を貰おうか。

「何って……!もー、全然私の話聞いてないじゃないですかー!」
「あー。聞いてたよ。めっちゃ聞いてた。半分くらいは」
「じゃあ、私はさっき何て言ったでしょーか!」
「……えっと」

 めんどくせぇと思いつつ、テキトーに考えるモーションを挟む。その瞬間、ミハルちゃんがしてやったりという表情で俺を見てきた。

「悩んだ時点でハズレー!だって私何も言ってないもーん!」
「は?ウッザ」

 思わず心の底からの本音が漏れた。
 今までの俺なら女の子相手にそういう事は絶対に言わなかっただろう。でも、ミハルちゃん相手なら言える。つーか、毎日言ってる。そういう異性は、俺にとっては新鮮で、彼女との会話は嫌いじゃなかった。むしろ、たの――。

「ゆうが君、最近ずーっとマスターの事ばっかり見て。ぜんぜっん私の言う事聞いてくれないからー!」
「見てねぇし!」

 前言撤回。
 この子普通にウゼェわ!

「全然、見てねぇし!窓の外見てただけだし!」
「見てた!私が呼んでるのにずーっとマスターの事ばっかり見て!マスターの事が好きなのは分かるけど、私の話も……」
「はぁぁっ!?全然好きじゃねぇしっっ!」

 俺は勢いのまま叫ぶと、とっさにミハルちゃんの鼻をつまみ上げた。その瞬間「もーー!はなしてー!」と叫ぶミハルちゃんの声が一気に鼻声になって聞き取り辛くなる。
 うん、異性にこんな事をしたのは初めてだ。そして、多分この子以外には今後も一生しないだろう。

「もー、さっきから何やってんの。ミハルちゃんも、コーヒー飲んだら早めに帰りなよ。最近、少し日も短くなってきてるからね」

 すると、そんな俺達に、パソコンに向かっていたマスターがひょいとこちらに向かって顔を出した。
 その瞬間、更に呼吸が乱れる。顔も熱い。

「ましゅたー、ひゅーが君がぁっ!」
「うるせぇっ!だーまーれ!」

 一体何を言う気だ!と、俺が更にミハルちゃんの顔に力を込めた時だった。

「寛木君。女の子に何やってんの」
「っ!」

 いつの間にか傍まで来ていたマスターの手が、スルリと俺の手に触れていた。

「今はまだ若いから許されるかもだけどねぇ、気を付けないと。社会に出たらすぐに『セクハラ』とか言われて大ごとになるんだよ」

 気を付けんのはソッチかよ。
 そう、突っ込んでやりたかったが、ミハルちゃんの鼻から手を離した後も、俺はマスターの手が気になってそれどころではなかった。

「まぁ、イケメンはその限りじゃないのかもしれないけどさ。一応気を付けとかないと、寛木君の場合は、逆に変な期待をされちゃったりとか色々ありそうだしね」

 温かい、少しカサついた指先が、スルリと手の甲に浮いた骨をなぞる。とっさに顔を上げると、そこにはいつも通り泣き黒子を称えたマスターがニコリと微笑んでこちらを見ていた。

「寛木君、お互い気を付けよう」
「っぁ、う」

 その顔を見た瞬間、腹の底にくすぶっていた熱が一気に爆発した。

「手ぇ離せよ!気色悪りぃなっっ!」
「っあ、あ、ごめん!すみません!ごめんなさい!」

 とっさに放った俺の言葉に、マスターはハッとした表情で手を離した。しかも、それだけではなく、勢いよく俺から数歩後ろまで距離を取る程だった。

「あ、いや。そういうつもりじゃなくって……!あ、あの、そうだね!?今は男の子とか女の子とか、関係なかったね!誓って、そんなつもりじゃないのでっ!」
「は?」
「ご、ごめんなさい。あの、違くて!俺、変な勘違いしたり、してないので!」

 そう言ってペコペコと頭を下げてくるマスターに、俺は呆然とし過ぎて何も言えなかった。

「お店、閉めるから。そろそろ帰りな」

 そう言ってジワリと俺から目を逸らすマスターの表情は、ハッキリと傷ついた顔をしていた。

 その顔は、やっぱり全然俺の好みの顔をしていなかった。



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