上 下
152 / 284
第3章:俺の声はどうだ!

136:ベイリー役のオーディション

しおりを挟む



『タンタンちゃん』


 その呼び方は、幼いテザー先輩が上手に一人で“靴下”を履けなかった事から、そう呼ばれ始めたらしい。

「ベイリーの故郷では、靴下の事を幼い子供に言う際“たんたん”と呼ぶと言っていた」
「へぇ」

 だから、“タンタンちゃん”と言う呼び方が、二人の間で定着したワケか。
 と、こんな風にテザー先輩はベイリーとの思い出を、色々と話してくれた。最初こそ恥ずかしがっていたが、どうやら俺が本気でバカにしたりしないと知ると、むしろ進んで話してくれるようになっていた。
 きっと、テザー先輩もベイリーの事を、本当は誰かに聞いて貰いたくてたまらなかったのだろう。

「ベイリーは、薄いクリーム色の髪色をしていて、長さは……そうだな、今のお前くらいだった。瞳の色は濃い茶色。目は大きい方ではなかったが、垂れ目がちで、笑うと頬の、この部分が少しくぼむ。あと、いつも石鹸の匂いがしていた」
「うんうん。クリーム色の髪、濃い茶色の瞳。垂れ目、えくぼ。石鹸の香り……」

 三百年以上前に亡くなった人間の事を、そりゃあもうテザー先輩はよく覚えていた。なにせ歩き方の癖から、耳の裏にあるホクロに至るまで、ベイリーのありとあらゆる身体的特徴を淀みなく口にしたのだ。

「少し……変態っぽいな。そう、仲本聡志は腹の奥底で密かに思った」
「なんだ?どうした?」
「いえ、何でもありません。続けてください」
「そうか」

まぁ、それ程にまで、先輩の中の“ベイリー”は大きな存在だったのだろう。おかげで、俺の中でモヤの中に隠れていたベイリーのキャラデザ……いや容姿が、少しずつ姿を現していった。

「俺はベイリーに背中を撫でて貰えるのが好きだった。あぁ、確か……ベイリーもお前のように、すぐに床に座り込む癖があってな。基本、床にばかり座り込んでいた。俺はそんなベイリーの太腿に頭を乗せ、背中に手を回してよく抱き着いていた」
「うんうん」
「そうするとな、ベイリーは俺の背中を、上から下に撫でて……こう言う」

--------タンタンちゃんは、今日も甘えん坊さんで可愛いね。良い子、良い子。

 テザー先輩の口調が、少しいつもよりもゆっくりになる。声の調子も、いつものテザー先輩の声より少しだけ高い事から、多少なりとも似せて喋ってくれているのだろう。
 こういうのは、ありがたい。ベイリーの事を直接知っているのはテザー先輩だけなのだから。

「声調は高めで、ゆっくり。語尾は……どうだろう。伸ばすか、引くか。ベイリーの性格と、幼い子供を相手にしている事を前提で考えると、少し伸ばすか」
「……」

 よし。ある程度、声の的を絞った。
 あとは、声を出しながら詰めていくしかない。そろそろ、テザー先輩に声を聞いて貰った方がいいだろう。そこから細部は詰めていけばいい。

なにも、いつものオーディションと違って一発勝負というワケではないのだから。

「テザー先輩、そろそろ声を聞いてもらっていいですか?」

そう、俺が頭を上げてみると、そこには、どこかポカンとした顔で此方を見つめる先輩の姿があった。声を演じる時、俺の顔の情報は邪魔になるから見ないで欲しいのだが。

「あの、出来れば目を瞑ってて欲しいんですけど」
「あ、あぁ」
「いや、待てよ……そうだな」
「……」

 俺は腰掛けていた椅子から立ち上がると、最初にこの部屋に来た時のように床に座り込んだ。

「お、おい。サトシ・ナカモト。お前、なにをしている?」
「先輩、こっち来てください」
「は?」
「すみません。さっき先輩がベイリーにしていたって言ってたアレ、俺にしてもらっていいですか?」
「は?」
「あの、太腿に顔を乗せて、ってヤツです」
「はぁ!?」

 そんなに驚くような事を、俺は言っただろうか。俺は、自分の太腿を二、三度叩いてみせる。早くして欲しい。俺は早くベイリーになってみたいのだから。

「な、なっ」
「すみません。風呂に入ったのは昨日の夜なので、多分、石鹸の匂いはしないと思うんですけど」
「お前、何を言っているんだ!?」
「だから、俺の太腿に顔を乗せて背中に腕を回してくださいと言っているんですよ」
「……う」

 戸惑う先輩に、俺は今度こそ口に出して「早く」と、短く言い切った。すると、先輩は弾かれたようにベッドから立ち上がる。そして、そろそろと俺の元に近寄ってきたかと思うと、遥か上空から俺の顔を見下ろしたまま固まってしまった。

「はい、どうぞ」
「……これは、意味があるのか」
「ある。めちゃくちゃ、あります。これが、ベイリーの声を再現する為の肝と言っても過言じゃない」
「そう、なのか」
「そうです。先輩、ベイリーに会いたくないんですか?」
「っぐ」

 先輩はようやく観念したのか俺の前へと座り込むと、ゆっくり俺の正座した足の上へと体を倒してきた。尖った耳の先だけでなく、髪の間から覗く首筋も、今や真っ赤に染まり切ってしまっている。

「ちゃんと背中に手を回してください」
「あ、あぁ」

 そろそろと、俺の背中に先輩の腕が回るのを感じた。
そのせいで、先輩の頭がグッと俺の腹に押し付けられる。少し苦しい。きっと“タンタンちゃん”の時は、もっと小さくて丸かった筈だ。今、ここに居るのはまだ“テザー先輩”というワケか。

「よし、これでいい」
「……」

 おかしいな。俺は幼い頃の先輩なんて知る筈もないのに、何故か俺の腹に頭を寄せて抱き着いてくる先輩に、「大きくなったなぁ」なんて思ってしまった。

「ふーー」

 息を吐く。
 そう、こういうのは、必ずしも“完璧に”ベイリーの声と重なる必要はない。

 そもそも、俺はベイリーの声に、完璧になり切ろうなどとは思っていないのだ。俺は、先輩の記憶の中に居るベイリーの声に、“成り変わろう”としている。
 もうベイリーはこの世に居ない。ただ、テザー先輩の中に居る“ベイリー”というキャラクターに、今から声を当てる。

 三百年も前の、曖昧な記憶を“俺の声”で塗り替えてやる。

 よし、テザー先輩。今からしっかりと、

「……俺の声を聴け」


しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

神は眷属からの溺愛に気付かない

グランラババー
BL
【ラントの眷属たち×神となる主人公ラント】 「聖女様が降臨されたぞ!!」  から始まる異世界生活。  夢にまでみたファンタジー生活を送れると思いきや、一緒に召喚された母であり聖女である母から不要な存在として捨てられる。  ラントは、せめて聖女の思い通りになることを妨ぐため、必死に生きることに。  彼はもう人と交流するのはこりごりだと思い、聖女に捨てられた山の中で生き残ることにする。    そして、必死に生き残って3年。  人に合わないと生活を送れているものの、流石に度が過ぎる生活は寂しい。  今更ながら、人肌が恋しくなってきた。  よし!眷属を作ろう!!    この物語は、のちに神になるラントが偶然森で出会った青年やラントが助けた子たちも共に世界を巻き込んで、なんやかんやあってラントが愛される物語である。    神になったラントがラントの仲間たちに愛され生活を送ります。ラントの立ち位置は、作者がこの小説を書いている時にハマっている漫画や小説に左右されます。  ファンタジー要素にBLを織り込んでいきます。    のんびりとした物語です。    現在二章更新中。 現在三章作成中。(登場人物も増えて、やっとファンタジー小説感がでてきます。)

ツンデレ貴族さま、俺はただの平民です。

夜のトラフグ
BL
 シエル・クラウザーはとある事情から、大貴族の主催するパーティーに出席していた。とはいえ歴史ある貴族や有名な豪商ばかりのパーティーは、ただの平民にすぎないシエルにとって居心地が悪い。  しかしそんなとき、ふいに視界に見覚えのある顔が見えた。 (……あれは……アステオ公子?)  シエルが通う学園の、鼻持ちならないクラスメイト。普段はシエルが学園で数少ない平民であることを馬鹿にしてくるやつだが、何だか今日は様子がおかしい。 (………具合が、悪いのか?)  見かねて手を貸したシエル。すると翌日から、その大貴族がなにかと付きまとってくるようになってーー。 魔法の得意な平民×ツンデレ貴族 ※同名義でムーンライトノベルズ様でも後追い更新をしています。

攻略対象者やメインキャラクター達がモブの僕に構うせいでゲーム主人公(ユーザー)達から目の敵にされています。

BL
───…ログインしました。 無機質な音声と共に目を開けると、未知なる世界… 否、何度も見たことがある乙女ゲームの世界にいた。 そもそも何故こうなったのか…。経緯は人工頭脳とそのテクノロジー技術を使った仮想現実アトラクション体感型MMORPGのV Rゲームを開発し、ユーザーに提供していたのだけど、ある日バグが起きる───。それも、ウィルスに侵されバグが起きた人工頭脳により、ゲームのユーザーが現実世界に戻れなくなった。否、人質となってしまい、会社の命運と彼らの解放を掛けてゲームを作りストーリーと設定、筋書きを熟知している僕が中からバグを見つけ対応することになったけど… ゲームさながら主人公を楽しんでもらってるユーザーたちに変に見つかって騒がれるのも面倒だからと、ゲーム案内人を使って、モブの配役に着いたはずが・・・ 『これはなかなか… 面白い方ですね。正直、悪魔が勇者とか神子とか聖女とかを狙うだなんてベタすぎてつまらないと思っていましたが、案外、貴方のほうが楽しめそうですね』 「は…!?いや、待って待って!!僕、モブだからッッそれ、主人公とかヒロインの役目!!」 本来、主人公や聖女、ヒロインを襲撃するはずの上級悪魔が… なぜに、モブの僕に構う!?そこは絡まないでくださいっっ!! 『……また、お一人なんですか?』 なぜ、人間族を毛嫌いしているエルフ族の先代魔王様と会うんですかね…!? 『ハァ、子供が… 無茶をしないでください』 なぜ、隠しキャラのあなたが目の前にいるんですか!!!っていうか、こう見えて既に成人してるんですがッ! 「…ちょっと待って!!なんか、おかしい!主人公たちはあっっち!!!僕、モブなんで…!!」 ただでさえ、コミュ症で人と関わりたくないのに、バグを見つけてサクッと直す否、倒したら終わりだと思ってたのに… 自分でも気づかないうちにメインキャラクターたちに囲われ、ユーザー否、主人公たちからは睨まれ… 「僕、モブなんだけど」 ん゙ん゙ッ!?……あれ?もしかして、バレてる!?待って待って!!!ちょっ、と…待ってッ!?僕、モブ!!主人公あっち!!! ───だけど、これはまだ… ほんの序の口に過ぎなかった。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

BLゲームの世界でモブになったが、主人公とキャラのイベントがおきないバグに見舞われている

青緑三月
BL
主人公は、BLが好きな腐男子 ただ自分は、関わらずに見ているのが好きなだけ そんな主人公が、BLゲームの世界で モブになり主人公とキャラのイベントが起こるのを 楽しみにしていた。 だが攻略キャラはいるのに、かんじんの主人公があらわれない…… そんな中、主人公があらわれるのを、まちながら日々を送っているはなし BL要素は、軽めです。

処理中です...