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第2章:俺の声はどう?

104:聡志からの贈り物

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『ごめんね、キン君。聡志、また喉が痛くて熱が出ちゃったの。だから、今日は遊べないのよ』
『え?』

 聡志の母親の言葉に、当時四歳だった金弥はこの世の終わりのような気持ちになった。なにせ、“熱”が出たから聡志と遊べないなんて、その時の金弥にとっては、初めての事だったのだ。
 そんな、金弥の絶望的な表情に、聡志の母親は慌てて付け加えた。

『大丈夫よ。いつもの事だから。寝てたら治るわ』
『いつ?』
『うーん、どうかしら。今週いっぱいは難しいかもしれないわね。空気が乾燥すると、すぐこうなるのよ。キン君に移したら大変だし、治るまでちょっと待っててあげて』

 その瞬間、金弥は完全に絶望の淵から奈落の底へと突き落とされた。今日はまだ火曜日だ。それなのに、今週いっぱい聡志と会えないなんて。
しかも、別に遠くに居る訳ではない。聡志はこの家の中に居るというのに。近くに居るのに会えないなんて、そんなの金弥には耐えられなかった。

『キン君、移っていいよ!』
『ダメよ。凄く苦しいんだから』

 元気になったら、また遊んでね。
 そう言って無情にも閉じられた玄関の扉の前で、金弥は、ただ黙って立ち尽くすしかなかった。『凄く苦しいのよ』と、聡志の母親は言った。だとすると、聡志だって今、凄く苦しいに違いない。

-------キンー!昨日の続きやるから、早くこいよー!

 聡志に、何かしてあげたい。力になりたい。そして、何より一緒に居たい。
 聡志は、いつも金弥に“楽しい”をくれた。あと、“安心”もくれる。その他には“あにめ”も“宝箱”も。聡志はたくさんの事を金弥に教えてくれた。

『サトシぃ、あいたいよう』

 けれど、幼い金弥には何も出来ない。
 ただ、聡志が元気になって『キンー!』と、会いに来てくれるまで、どうする事も出来ないのだ。

 そして、金弥はこの時、聡志からまた新しい気持ちを貰った。
 “会いたい”、“恋しい”という、誰かを切望する感情を。当時、四歳の金弥は強烈に、その身に焼き付けたのだ。


        〇

 その後、聡志は空気の乾燥する冬は勿論の事、黄砂、ハウスダストなど、空気に微かな変化がみられる度に、何かにつけて熱を出した。
 一見すると、金弥よりも聡志の方が丈夫そうに見える。
 そんな、元気の塊のように見える聡志だったが、その実、体は金弥の方が圧倒的に強かった。

 なにせ、金弥は殆ど熱など出した事などなかったのだ。

『サトシ、また熱……』

 金弥は、聡志が熱を出す度に、腹の中の“恋しさ”をマグマのように滾らせた。

聡志と会えない。それはもう金弥にとっては死活問題だった。
なにせ、金弥にとって聡志は“神様”なのだ。最早、世界そのものと言ってよかった。

『オレ、サトシに会いたい』

 苦しい、辛い、もどかしい。最後には、聡志に対する怒りさえ込み上げてくる中、幼い金弥はその恋しさを滾らせるだけ滾らせながらも、腹を抱えて耐えるより他なかった。

『ごめんね、キン君』
『なんで?どうして、また熱が出たの?』
『最近、急に寒くなったからね。だから、今日は学校はお休み』
『いつまで?』
『熱が下がって元気になるまで、かな。キン君も、風邪引かないようにね』

 そう言ってバタンと閉じられた玄関の扉を前に、金弥は小さく息を吐いた。聡志が居ない学校に行くくらいなら、熱が出た方がマシだ。

『かぜは誰かに移すと良くなるって、誰かが言ってた』

 それなら、と、金弥は二階にある聡志の部屋を見上げた。

『あそこに、サトシが居る』

 十歳の金弥はふと思った。
 会いたいと言っても、聡志のお母さんは会わせてくれない。だとしたら、自分で会いに行くしかない。
五歳の頃と違って、金弥も十歳になった。体も随分成長した。行動力もついた。あの頃の、泣いてばかりいた自分ではない。

『物置の上に登って、屋根に飛び移れば……行ける。サトシに会える』

 金弥はランドセルを聡志の家の物置の裏に隠すと、ブロック塀を伝い、物置の屋根へと飛び乗った。そしてそこからは、周囲の大人が見ていれば、きっと悲鳴を上げたであろう行為を繰り返しながら、金弥はやっとの事で、聡志の部屋の窓まで辿り着いた。

 掌も膝も、様々な所にぶつけたり擦ったりして、ジワリと血が滲んでいる。けれど、そんな痛み、金弥は一切気にならなかった。

『サトシだ……』

 カーテンの隙間から中を覗いてみれば、ベッドの上に横たわる聡志が居た。

 カラ。

 幸運な事に、鍵は開いていた。金弥は屋根の上に靴を脱ぎ捨てると、聡志の部屋へと忍び込んだ。

『サトシ?サトシ、寝てるの?』

 ベッドの中を覗き込めば、顔を真っ赤にして苦しそうに息をする聡志の姿。

『っはぁ、っはぁ、ぁう』
『っ!さ、さとし!』

 こんな聡志は初めてだった。
 何かにつけ体調を崩しがちだった聡志だったが、それでも、金弥の前ではいつも元気だった。元気じゃない時には、いつも聡志は金弥の前から隠されてきた。

 だから、初めて見たのだ。
 こんなに苦し気で、辛そうな聡志の姿を。

『っはぁ、っはぁっ』
『さ、とし。さとし、さとし』

 金弥は聡志のベッドの脇に駆け寄ると、苦し気な聡志の表情に釘付けになってしまった。そして、口元から漏れる吐息に、耳を澄ませる。その吐息だけで、金弥は全身に滾るような熱を帯び、背筋にピリと、痺れるような感覚が走った。

『……あぁ、さとし』

 部屋に入るまで、聡志の顔を見るまで。
 確かに金弥は聡志の身を案じ、会えない苦しさに身を焦がしていた筈だった。もちろん、心配もした。
 けれど、聡志の姿を見た瞬間、その感情は一気に、また初めての感情へと塗り替えられてしまっていた。

 またしても、金弥は聡志から新しい感情を得たのだ。

「ふー、ふぅ。さとし、さとし」

 聡志の、焼けるように熱い肌に、金弥は手をソッと這わせた。
 金弥の呼吸が、聡志を見る度に浅く、そして短くなる。腹の底にあった恋しさが、欲を帯び、“劣情”に変わった瞬間だった。

『サトシ、あついね』
『っはぁ、ぁ』
『キン君が、治してあげるから』

 だから、いいよね。
 そう、言い訳をするように金弥は腹の中の劣情に誘われるまま、聡志の薄く開く唇に、そっと自身の口を重ねた。

 何度も、何度も、何度も、何度も。

 口付けをしながら、金弥は、強く願った。聡志の熱を自分にも分けて貰えないだろうか、と。

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