69 / 284
第1章:俺の声は何!?
58:新しい基準
しおりを挟む
その日、ちょうど、二人が庭に出て遊んでいる時だ。
『金弥!どこに居るの!?金弥!』
『っ!』
『早く帰って来なさいって言ったでしょう!あんまりお邪魔すると、仲本さん家にもご迷惑になるからって!どうして言う事を聞かないの!?』
金弥の母親が、眉間に皺を寄せて酷く苛立った様子で向かいの家から飛び出してきた。空を見上げてみれば、日は深く落ちかけている。
楽しい時間は、いつもあっという間なのだ。
『ごめんね、聡志君。いつも金弥と遊んでくれてありがとう。もう金弥は連れて帰るから……金弥!ほら、来なさい!帰るわよ!』
『……ぅ、ぃや』
こんな怒った母親と共に家に帰るなんて、金弥にとっては地獄以外の何者でもなかった。嫌だった。帰りたくなかった。聡志とずっと一緒に遊んでいたかった。
しかし、金弥が小さく『いやだ』と拒否を口にした瞬間、母親の顔がこれでもかという程歪んだ。その瞬間、金弥の中で膨れ上がった恐怖とストレスが、一気に彼の指へと向かう。
ぜんぜんおいしくないけど、いたいけど、はやく、じぶんのゆびを、たべないと。
『キン!お、おちゃらかしよう!』
『……え』
『さ、聡志君?』
『せっせっせーの、よいよいよいよい!』
気付けば、金弥の手はまたしても聡志の手の中にあった。聡志の顔を見てみれば、今の聡志は必死に笑おうとしてはいるものの、顔が引きつっていた。
『おちゃらか、おちゃらか、おちゃらか。ほい!』
そりゃあそうだ。
いくら聡志とは言え、相手は大人だ。しかも、金切声をあげ、怒鳴りつけてくる……話の通じない“恐ろしい敵”だ。
しかし、聡志はいつもの如く金弥の手を取った。
『おちゃらか、どーてん。おちゃらかほい』
『おちゃらか、まけたよ。おちゃらかほい』
『おちゃらか、かったよ。おちゃらかほい』
リズム良く続く、聡志のいつもより必死な歌声。この歌遊びは、本人たちが終わらそうと思わなければ、延々と続くのだ。
それに対し、金弥はやっと気づいた。聡志の突然始める『おちゃらか』の意味を。
『サトシ……』
結局、延々と続く『おちゃらか』に、みかねた金弥の母親は、戸惑いながらも金弥を無理やり引っ張って連れ帰った。
そんな金弥の後ろ姿に、聡志は大きな声で言ったのだ。
『キンー!また明日―!また明日もあそぼうなー!毎日いっしょにあそぼうなー!』
それは、金弥に言っているというより、金弥の母親に向かって放たれている言葉だと、それはすぐに分かった。その声を背中に聞きながら、金弥は、その瞬間自身の中で何かがピタリと埋まるのを感じた。
『サトシ……』
金弥は真っ暗な部屋で、布団にくるまりながら、自身のボロボロの指を見た。
『サトシ、サトシ』
聡志は、一度だって金弥に対し『やめろ』とか『そんな事するな』と言った否定を含むような静止はしてこなかった。『おちゃらかしよう』と、笑って口にすることで、金弥のストレスからくる、半ば自傷行為ともとれる癖を止めていたのだ。
『サトシサトシサトシサトシ』
何度も、何度もその名を口にする。
聡志の名を口にする度に、金弥の中にあった『金弥とは一体何なのか』という、不明瞭さが一気に開けて行く。歪で、不安定だった気持ちが、酷く安定していくのが分かった。
その日から金弥は、日々、自分自身の存在に明確な“解”を得ていった。
--------いいなぁっ!カッコいいよなー!おれもこんな風になりてーな!キンもそう思うだろ?
--------この時のセリフがカッコよくて!もう一回言うから聞いてろよ?
--------今までのアニメの主人公で一番好きなのが誰かって?ええぇぇっ!すぐには決めらんないよ!ちょっと待てよ!かんがえるから!
そして、毎晩。その日の聡志の言葉を反芻しては綺麗に答えのカタチを整えていく。
『きん君、サトシの好きなのになる』
聡志が好きで、聡志がなりたいもの。それが“金弥”になる事。そうすれば、聡志はずっと“金弥”と一緒に居てくれる。
そして、小学校に上がる頃までに、金弥は少しずつ、少しずつ変化していった。
『サトシー!オレさー!』
『いこうぜ!サトシ!』
『なぁ!サトシー!』
元気で明るくて、堂々としていて、声もハキハキして。もちろん自分の事を“きん君”なんて呼ばない。一人称は必ず、“オレ”だ。アニメの主人公のように、勇気があって、笑顔で、仲間の手を引いて、何にでも興味を持って、強くて、カッコ良くて。
ともかく、金弥は“聡志の好きな主人公”になれるように自らを変えて行った。そうすることが、聡志の“一番”で居られる事だと信じた。
『サトシ、サトシサトシサトシサトシ』
金弥を突き動かしたのは、己の価値観とは別の“仲本聡志”という、新たな基準。言わば、篤い、篤い、信仰心だった。
金弥にとって仲本聡志は、“神様”になっていたのだ。
----------
-------
----
「……っはぁ、っはぁ。っく、サトシ。サトシっ」
金弥は夜になると、何度も何度も、彼の信じる神様の名前を呼ぶ。そうして、真っ暗な部屋の中で、今日も一人、神への信仰を深めるのだ。
自身の手の中に吐き出された熱が、酷く生々しい匂いと生ぬるさを放つ。
シンと静まりかえる、一人暮らしの部屋。そこは、こうして金弥が熱を吐き出した後、いつも寂しさを増幅させる。あぁ、早くずっと“一緒”にならないと。
------お前の低い声って、なんか、飯塚さんの声に似てるかもな。
「……サトシは、きん君の」
金弥は、聡志の望む自身の低い声で、記憶の中の全ての“仲本聡志”を抱き締めた。
山吹 金弥の中には、いつになっても“子供の頃”の彼が眠っている。
『金弥!どこに居るの!?金弥!』
『っ!』
『早く帰って来なさいって言ったでしょう!あんまりお邪魔すると、仲本さん家にもご迷惑になるからって!どうして言う事を聞かないの!?』
金弥の母親が、眉間に皺を寄せて酷く苛立った様子で向かいの家から飛び出してきた。空を見上げてみれば、日は深く落ちかけている。
楽しい時間は、いつもあっという間なのだ。
『ごめんね、聡志君。いつも金弥と遊んでくれてありがとう。もう金弥は連れて帰るから……金弥!ほら、来なさい!帰るわよ!』
『……ぅ、ぃや』
こんな怒った母親と共に家に帰るなんて、金弥にとっては地獄以外の何者でもなかった。嫌だった。帰りたくなかった。聡志とずっと一緒に遊んでいたかった。
しかし、金弥が小さく『いやだ』と拒否を口にした瞬間、母親の顔がこれでもかという程歪んだ。その瞬間、金弥の中で膨れ上がった恐怖とストレスが、一気に彼の指へと向かう。
ぜんぜんおいしくないけど、いたいけど、はやく、じぶんのゆびを、たべないと。
『キン!お、おちゃらかしよう!』
『……え』
『さ、聡志君?』
『せっせっせーの、よいよいよいよい!』
気付けば、金弥の手はまたしても聡志の手の中にあった。聡志の顔を見てみれば、今の聡志は必死に笑おうとしてはいるものの、顔が引きつっていた。
『おちゃらか、おちゃらか、おちゃらか。ほい!』
そりゃあそうだ。
いくら聡志とは言え、相手は大人だ。しかも、金切声をあげ、怒鳴りつけてくる……話の通じない“恐ろしい敵”だ。
しかし、聡志はいつもの如く金弥の手を取った。
『おちゃらか、どーてん。おちゃらかほい』
『おちゃらか、まけたよ。おちゃらかほい』
『おちゃらか、かったよ。おちゃらかほい』
リズム良く続く、聡志のいつもより必死な歌声。この歌遊びは、本人たちが終わらそうと思わなければ、延々と続くのだ。
それに対し、金弥はやっと気づいた。聡志の突然始める『おちゃらか』の意味を。
『サトシ……』
結局、延々と続く『おちゃらか』に、みかねた金弥の母親は、戸惑いながらも金弥を無理やり引っ張って連れ帰った。
そんな金弥の後ろ姿に、聡志は大きな声で言ったのだ。
『キンー!また明日―!また明日もあそぼうなー!毎日いっしょにあそぼうなー!』
それは、金弥に言っているというより、金弥の母親に向かって放たれている言葉だと、それはすぐに分かった。その声を背中に聞きながら、金弥は、その瞬間自身の中で何かがピタリと埋まるのを感じた。
『サトシ……』
金弥は真っ暗な部屋で、布団にくるまりながら、自身のボロボロの指を見た。
『サトシ、サトシ』
聡志は、一度だって金弥に対し『やめろ』とか『そんな事するな』と言った否定を含むような静止はしてこなかった。『おちゃらかしよう』と、笑って口にすることで、金弥のストレスからくる、半ば自傷行為ともとれる癖を止めていたのだ。
『サトシサトシサトシサトシ』
何度も、何度もその名を口にする。
聡志の名を口にする度に、金弥の中にあった『金弥とは一体何なのか』という、不明瞭さが一気に開けて行く。歪で、不安定だった気持ちが、酷く安定していくのが分かった。
その日から金弥は、日々、自分自身の存在に明確な“解”を得ていった。
--------いいなぁっ!カッコいいよなー!おれもこんな風になりてーな!キンもそう思うだろ?
--------この時のセリフがカッコよくて!もう一回言うから聞いてろよ?
--------今までのアニメの主人公で一番好きなのが誰かって?ええぇぇっ!すぐには決めらんないよ!ちょっと待てよ!かんがえるから!
そして、毎晩。その日の聡志の言葉を反芻しては綺麗に答えのカタチを整えていく。
『きん君、サトシの好きなのになる』
聡志が好きで、聡志がなりたいもの。それが“金弥”になる事。そうすれば、聡志はずっと“金弥”と一緒に居てくれる。
そして、小学校に上がる頃までに、金弥は少しずつ、少しずつ変化していった。
『サトシー!オレさー!』
『いこうぜ!サトシ!』
『なぁ!サトシー!』
元気で明るくて、堂々としていて、声もハキハキして。もちろん自分の事を“きん君”なんて呼ばない。一人称は必ず、“オレ”だ。アニメの主人公のように、勇気があって、笑顔で、仲間の手を引いて、何にでも興味を持って、強くて、カッコ良くて。
ともかく、金弥は“聡志の好きな主人公”になれるように自らを変えて行った。そうすることが、聡志の“一番”で居られる事だと信じた。
『サトシ、サトシサトシサトシサトシ』
金弥を突き動かしたのは、己の価値観とは別の“仲本聡志”という、新たな基準。言わば、篤い、篤い、信仰心だった。
金弥にとって仲本聡志は、“神様”になっていたのだ。
----------
-------
----
「……っはぁ、っはぁ。っく、サトシ。サトシっ」
金弥は夜になると、何度も何度も、彼の信じる神様の名前を呼ぶ。そうして、真っ暗な部屋の中で、今日も一人、神への信仰を深めるのだ。
自身の手の中に吐き出された熱が、酷く生々しい匂いと生ぬるさを放つ。
シンと静まりかえる、一人暮らしの部屋。そこは、こうして金弥が熱を吐き出した後、いつも寂しさを増幅させる。あぁ、早くずっと“一緒”にならないと。
------お前の低い声って、なんか、飯塚さんの声に似てるかもな。
「……サトシは、きん君の」
金弥は、聡志の望む自身の低い声で、記憶の中の全ての“仲本聡志”を抱き締めた。
山吹 金弥の中には、いつになっても“子供の頃”の彼が眠っている。
51
お気に入りに追加
240
あなたにおすすめの小説

ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。
八十神天従は魔法学園の異端児~神社の息子は異世界に行ったら特待生で特異だった
根上真気
ファンタジー
高校生活初日。神社の息子の八十神は異世界に転移してしまい危機的状況に陥るが、神使の白兎と凄腕美人魔術師に救われ、あれよあれよという間にリュケイオン魔法学園へ入学することに。期待に胸を膨らますも、彼を待ち受ける「特異クラス」は厄介な問題児だらけだった...!?日本の神様の力を魔法として行使する主人公、八十神。彼はその異質な能力で様々な苦難を乗り越えながら、新たに出会う仲間とともに成長していく。学園×魔法の青春バトルファンタジーここに開幕!

平凡ハイスペックのマイペース少年!〜王道学園風〜
ミクリ21
BL
竜城 梓という平凡な見た目のハイスペック高校生の話です。
王道学園物が元ネタで、とにかくコメディに走る物語を心掛けています!
※作者の遊び心を詰め込んだ作品になります。
※現在連載中止中で、途中までしかないです。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──


家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
俺は魔法使いの息子らしい。
高穂もか
BL
吉村時生、高校一年生。
ある日、自分の父親と親友の父親のキスシーンを見てしまい、平穏な日常が瓦解する。
「時生くん、君は本当はぼくと勇二さんの子供なんだ」
と、親友の父から衝撃の告白。
なんと、二人は魔法使いでカップルで、魔法で子供(俺)を作ったらしい。
母ちゃん同士もカップルで、親父と母ちゃんは偽装結婚だったとか。
「でさ、魔法で生まれた子供は、絶対に魔法使いになるんだよ」
と、のほほんと言う父親。しかも、魔法の存在を知ったが最後、魔法の修業が義務付けられるらしい。
でも、魔法学園つったって、俺は魔法なんて使えたことないわけで。
同じ境遇の親友のイノリと、時生は「全寮制魔法学園」に転校することとなる。
「まー、俺はぁ。トキちゃんと一緒ならなんでもいいかなぁ」
「そおかあ? お前ってマジ呑気だよなあ」
腹黒美形×強気平凡の幼馴染BLです♡
※とても素敵な表紙は、小槻みしろさんに頂きました(*^^*)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる