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心臓

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「初代魔王が聖女の願いを聞き入れなかった本当の理由は、願いを叶えれば聖女が勇者の元に帰ってしまうからだ。嫉妬にかられた魔王は、彼女を自分の手元にとどめておくために、交渉を拒んだ」

 戦争が始まろうとしているときでも、魔族の命運をかかっていても、抑えられない欲求に従って初代魔王は聖女と共にあることを優先したのだろうか。だとしたら、それは随分理性的ではない行動だ。
 聖女への恋心が、初代魔王を愚かにしたのかもしれない。

「だが聖女は、魔王の目の前で勇者の手にかかって死んだ」

 カイドルさんからも同じ話を聞いた。だけどあの時聞いた授業よりも、今の魔王の話の方がなぜか生々しく響く。

「悔やんだよ、もちろん。自分が手を貸せば、聖女は少なくともあんな死に方をしなくて済んだんだから」

 それは、臨場感の違いなのかもしれなかった。
 カイドルさんは千年前の記憶を語り継いで授業をしてくれたけど、魔王はまるでその場にいた当事者のようにわたしに語り掛けるから。

 その考えに至って、ようやく彼の視線と言葉の意味がつながった気がした。
 目の前にいる当代魔王。彼の肉体は初代魔王の複製で、彼の魂は初代魔王から譲られたものだという。

 初代聖女が勇者に殺された瞬間、この人はそれを目撃していたのではないだろうか。

「記憶があるんですね? 初代魔王と、聖女と、勇者の」

「ああ、そのためのクローンだ。覚えているよ、俺の目の前で血を流して絶命しつつある聖女。その温もりも、遺言も」

 そこで、魔王は何かを思い出すかのように黙った。穏やかだった顔に一瞬だけ苦悶の表情が浮かぶが、すぐにもとに戻る。
 魔王の言葉にははっきりわかるほど後悔がにじみ出ていて、とても嘘をついているとは思えない。
 だけどだからこそ不思議で、わたしは疑問を口にする。

「なぜ、あなたは自分の体を複製してまで生き続けているんです?」

 魔王は、言うべきかどうか迷うみたいに、わたしを見て一度だけ黙った。
 しかしすぐに、

「聖女。あなたの心臓は、今は肉の形をしているが、取り出せば宝玉に変化する」

 なんてとんでもないことを言った。

「はい?」

 意味が分からないわたしはまぬけな声を出して聞き返すが、魔王は今度は真剣な目を向けて告げた。

「宝玉とは存在と非存在の間にあった世界創造のためのエネルギーがカタチを持ったもの。それが時代に合わせて形を変えて、はじまりの聖女の心臓になった。そして心臓が止まって聖女が死んだときに宝玉は砕け散り、その力は大気に拡散されたんだ。
 世界中に拡散された宝玉のエネルギーは時間をかけて素養のある赤ん坊を見つけては、もう一度心臓に結集して新たな宝玉となり、聖女を産みだす。要するに、あなたの心臓そのものが、宝玉の正体なんだ」

 さらっとそんなこと言われても、さすがに信じられるわけがない。わたしの心臓は今このときも動いている。宝玉なんかじゃない。あるはずがない。

「いいえ、わたしは人間です。人間の両親のもとで産み落とされました。宝玉を産める人間なんて、いないでしょう?」

 わたしの反論は至極当然のものであったはずなのに、魔王はそれにほとんど関心を示さない。

「確かに生まれた時にはまだ何の変哲もない人間だったはずだ。だが幼いころ、あなたの瞳や髪はもっと違う色じゃなかったか? それはまだ、宝玉の力がおまえの体に馴染んでいなかったからだよ」

 覚えは、あった。

 今ではすっかり白銀の髪と光によって彩りを変える赤の瞳をしているが、もっと幼いころ、七歳くらいまではわたしの髪も瞳も、色素の薄い茶色だった。成長に合わせて色彩が変わっていっても周りの人が「それが当然」という態度だったので、そんなものか、と幼いわたしも深くは考えずにほとんど忘れてしまっていたけれど。

 どくん、と鼓動を感じる。

 本当にこの心臓は、かつて戦争の原因となった、宝玉なのだろうか。

「つまりわたしは……人間では、ないと?」
「厳密に言えばそうなるな」

 なんでもないことのように言われて、めまいがごまかしきれない。

 よろめいたわたしをふわりと受け止めた魔王の顔が間近に迫る。紫色の瞳が、案じるように揺れてわたしを覗き込んだ。

「人間かどうか、なんてそんなに重要なことか? 魔族を見ろ、あれだけバラエティーに富んでいてもみんな魔族だ。なんなら、聖女も魔族のくくりに入ればいいんじゃないか?」
「そういう問題ではありません!」

 とぼけたことを言う魔王にぴしゃりと言っても、ピンときていない、みたいな顔をされた。

 長い時間を生きる魔族に比べれば、わたしの十六年の人生なんて塵芥に等しいかもしれないけれど、でも。

 人間として、人間のために生きてきたのだ。いきなりそれは違うなんて言われたって、簡単に受け入れられるはずがない。
 それに、わたしの心臓が宝玉なのだというのなら、そもそも魔族はわたしの中の宝石を取り出すために、わたしを攫ったのかもしれないじゃないか。

「……わたしを誘拐したのは、この心臓が狙いだったのですか? わたしから心臓を取り出せば、魔族は宝玉を手に入れることができる、と?」

「違う!」

 わたしの糾弾に近い問いに、魔王は即座に反応した。その語気の強さに彼の腕の中で身をすくませると、気まずくなったみたいに腕を解いて離れていった。
 視線を魔王の墓に向けて、わたしから一歩分の距離をおいて彼は続ける。

「宝玉は願いを叶えるためのエネルギー資源でしかない。そこに誰かの願いという意志の力が加われば、宝玉はただ、願ったものを願ったままに実現してしまう。本来聖女という殻は、それを管理し、制御するためのシステムなんだ。
 だが聖女を喪えば、無尽蔵のエネルギーが裸のまま現界する。手に入れた瞬間にむしゃくしゃして世界の崩壊を願えば、その願いはたちまち実行されてしまうが、そんな力は世界にとってのリスクでしかない。
 だから魔族はもう、宝玉を手に入れようとは思っていない。それは、どうか信じてほしい」

 魔王の言葉が、魔族の言葉が、どこまで真実なのかはわからない。もしかしたら皆でわたしを騙そうとしているのかもしれない。
 だけど、それでも、今目の前で懺悔するように語るこの人の言葉を疑いたくない。

 騙されたくないのに、信じたいだなんて矛盾している。
 この行動もまた、理性的ではない。

「でも、それが真実なのだとしたら、初代魔王は聖女を看取って無尽蔵のエネルギーを一度は手に入れたことになります。それなのに、なぜ魔族は今の立場に甘んじているのですか? どんな願いでも叶えられるのなら、魔族はここまで追い詰められることはなかったのではないですか?」

「それは……」

 魔王が言いよどむ。
 しかし、やはりわたしを騙そうとしているのか、と視線を厳しくしたわたしに気が付くと、一度首を振ってからもう一度話始めた。

「確かにあのとき、初代は宝玉を手に入れた」

「ならば、なぜ?」

 なぜ魔王は人間を滅ぼさなかったのだろう。魔族による世界の支配を実現しなかったのだろう。
 魔王の話が本当なら、宝玉にはそれだけの力があるはずなのに。

「……聖女が勇者に殺されて、聖女の心臓が宝玉に変わった瞬間、勇者は焼きこげるように消失した。与えられた加護の負荷が大きすぎて、聖女を喪えば勇者は存在することすら世界に許されなかったんだ。
 ただ一人残された初代の手に宝玉は残った。そして魔王は、願ってしまった」

「何を願ったんですか?」

「聖女と出会いからやりなおしたい、と。
 初代は悔やんでいたんだ。聖女の願いを聞き届けず、人間と歩み寄ろうとしなかったことを。自分が聖女を手に入れようとしたせいで、彼女は死に追いやられてしまった。だから……もう一度出会いからやり直すことができれば、今度は彼女を絶対に大切にするのに、という後悔と願いに、宝玉は反応した」

 はじまりの聖女を愛してしまった初代魔王。彼女を手に入れるためにあえて要求を退け、自分の手元に留めたが、それがきっかけとなって聖女は勇者に殺されてしまう。
 目の前で愛する女性を失い、仇となる勇者も消えうせた。

 初代魔王の後悔が、慟哭が、絶望が、宝玉の持つエネルギーに作用する。
 世界で一番強力な魔力を持つ魔王と、世界の根源たるエネルギーを秘めた宝玉ぶつかりあい、相反して、願いをいびつな形で実現する。

 はじまりの聖女は生き返らなかった。それは初代魔王の願いではなかったから。
 『魔王と聖女が出会いからやり直す』ためには、聖女はもう一度生まれなければならなかった。

 だから、聖女は数世代に一度、神託によって世界に授けられるのだ、と魔王は語る。
 それが宝玉によって叶えられた、魔王の願いだったから。

「初代の願いに反応して、宝玉は霧散して消え去ってしまった。以来この土地は、魔力が淀んで作物が育ちにくい。魔族のほとんどはそれを、主神の愛する聖女を死に追いやった魔族への罰だと信じている。だが実際は、初代が宝玉を歪んだ形で利用してしまったことによる反作用だ。
 歴代魔王は真実を知りながら、歴史を語ることに階級を設けることでそれを秘匿した。魔族が聖女に罪悪感を抱くのは、魔王にとって好都合だったから」

 憎い仇の勇者の味方であるはずの聖女に、魔族のみんなが優しくしてくれる理由はこれだったのか、と思った。
 聖女に対して罪悪感は、同じ肩書を持つ者への慈しみに変わるだろう。

 そうやって一つ一つ、魔王は聖女を迎える準備を時間をかけて整えていった。
 すべては、聖女ともう一度出会うためだったと魔王が言う。

「聖女、あなたはこの国の希望だ。あのとき、俺の誘いに乗ってくれてありがとう」

 あの微笑みで、魔王がわたしに礼を述べる。
 わたしは近くのベンチに腰を下ろして、ため息をつく。
 もう、頭の中で情報が飽和しそうだ。今日だけで驚くことがありすぎた。
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