上 下
1 / 11

side マルティナ① 過去の亡霊

しおりを挟む
 「お姉様、生きていたんですね……」
 夢に出てきたり、日常生活の折にふっと頭の中に浮かんだ姉がそこにはいた。イメージの中の姉はきらびやかで美しく、いつも見下すような冷たい目でマルティナを見ていた。体が勝手に小さく震えてくる。
 もう、過去のことでしょう? 大したことはされていないでしょう? 私はお姉様から解放されて、隣国に渡って、ブラッドリーと結婚して、娘だって生まれている。仕事も順調だ。もう、お姉様のことは乗り越えたんでしょう? 大丈夫、大丈夫……隣にはブラッドリーもいる。そう、自分に言い聞かせるのに、続く言葉が出てこない。マルティナは浅い呼吸を繰り返した。鼓動がやけに体に響く。
 「大丈夫、マルティナ? ゆっくり呼吸して」
 大きくて温かい手が背中をなでる。右隣りの斜め上を見上げると、夫であるブラッドリーの心配そうな目と目が合う。ブラッドリーの存在にふわっと心が軽くなる。いつもブラッドリーは頼りになって温かい。頷いて、ゆっくり呼吸をする。

 「マルティナ、別に取って食べたりしないから、そんなに怯えないでよ。この通りピンピン生きいてるわよ。クリストファーも。私に会いに来るためにこの国に来たわけじゃないかもしれないけど、長旅お疲れ様。なにもない所だけど、ゆっくりしていって」
 相変わらず尊大な物言いをする姉のアイリーンに目を向けた。アイリーンは昔と違って、簡素なワンピース姿で、化粧っ気もなくアクセサリーもつけていない。でも、年を重ねても周囲の人を虜にした美しさは健在のようだ。アイリーンも娘を一人、生んだと聞いている。そして、今もお腹の辺りがふくらんでいる。母親になったせいか、表情が柔らかくなった気がする。それでも、また姉の言葉に傷つけられるかと怯える気持ちが拭えなかった。私だって母親になったのに情けない。マルティナは自分の震えを誤魔化すように、左手を右手でぎゅっと握りしめる。

 「そりゃ、亡くなったって聞いてたし。マルティナちゃんとリリアンが伯爵家から除籍されて十年経ったから、母親と姉の墓参りでもするかってこの国に来たら、生きてますよー、会いますか?って言われて。来てみたら本当に生きているし、びっくりもするわよ」
 固まって何も言えないマルティナに代わって、妹のリリアンの夫で、ブラッドリーの従弟で親友でもあるエリックが答えてくれた。
 「だって、本当にあなたって悪の女王様みたいだったじゃない。マルティナちゃんに悪魔の所業をしたのよ。マルティナちゃんがどれだけ苦しめられたかわかってる?」
 なかなか言葉の出ないマルティナの代わりにエリックが援護してくれた。マルティナは伴侶だけじゃなくいい友人にも恵まれているようだ。思い出したくもないのに、この国に十年ぶりに帰って来てから、繰り返し昔の出来事が鮮明にぐるぐると頭に蘇っていた。マルティナはこの国の伯爵家の令嬢として生まれた。美しくて優秀な姉のアイリーンと可愛くて愛嬌のある妹のリリアンの間に挟まれた地味でなんの取柄もない次女として。母親の愚痴を聞き、姉の学業を手伝い、課題を代わりに行い、逆らっても口では勝てない。悪夢のような日々。あの頃の息苦しさまで、鮮明に蘇る。
 「マルティナはわたくしの出来損ないで醜い妹よ」
 「使い道のないあなたを便利に使ってあげているんだから、感謝してほしいくらいだわ」
 「あなたは一生、わたくしの引き立て役でいたらいいのよ」
 「この出来損ないが!!! 」
 姉に投げつけられた数々の言葉が頭に響く。

 「せっかく遠くからここまで来てくれたんだ。立ちっぱなしというのも疲れるだろう。お茶を用意したからそちらに移ろう」
 横から、アイリーンの夫で元公爵家当主のクリストファーが声をかける。クリストファーも昔の鋭利で人を寄せ付けない雰囲気はなく、その美貌は変わらないが雰囲気がずいぶん柔らかくなったようだ。表情を強張らせて立ちすくむマルティナを見て、困ったように笑う。
 「ほらほら、せっかくの再会なんだから、お言葉に甘えよう。この国の紅茶、マルティナ好きだっただろう?」
 今ではマルティナの生家のスコールズ伯爵家の当主となった従弟のマシューがいつもの軽い調子で言う。マシューはいつの間にか、ブラッドリーやブラッドリーの兄やエリックと親しくなり、伯爵家の運営の傍ら商会を立ち上げて、忙しくしているようだ。いつもはこの国との取引がある時は、エリックやブラッドリーが単身で来ていた。両親や姉のその後について教えてくれたのもマシューだ。母と姉は亡くなったと聞いていた。今回は、子どもも長旅できるぐらい大きくなったし、祖国でのことにけじめをつけるいい機会だということで、母と姉の墓参りをしようとリリアン一家と共にこの国にやってきた。姉はまだ生きていると教えられたのは先ほどのことで、母の墓参りをしている時だった。姉の現在についてはなにも聞いていない。マシューに押し切られるようにして、連れてこられた。母の墓のある伯爵領の片隅から数時間で着いてしまい、自分の想いはぐちゃぐちゃで、一体どんな気持ちで挑むのか定まらないままここに来た。昔の恨みをぶつけたいのか? それとも、姉のことなんて乗り越えたんだと証明したいのか? それでも、姉に会ってみて、自分は何一つ変わっていない気がした。姉の表情を伺い、一言一言が気になる、あの頃の自分に引き戻された気がする。 

 「ママ、行こう! お花もいっぱい咲いているし、素敵なところね!」
 無邪気に笑う娘のローレンに手を引かれて、マルティナも皆の後に続く。なぜこんな辺鄙な場所に住んでいるのか? なぜ死亡したことになっている夫で元公爵家当主のクリストファーと一緒にいるのか? と気になることはたくさんある。だが、まともに姉と話すことなんてできるのだろうか? アイリーンとクリストファー夫婦と親し気に話すマシューの後ろに着いて行きながら、マルティナはため息をついた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたを許さない

四折 柊
恋愛
 ルーシーは平民だったが学園での成績を認められヒューズ公爵家に養女に迎えられた。そして学園を首席で卒業し、そのあとの祝賀会を兼ねた夜会で国王陛下に言祝がれるはずだった。ところがその場に向かう途中でヒールが折れて階段から落ちてしまう。幸い無事だったが一歩間違えれば死んでいたかもしれない。義理の姉オフィーリアの婚約者のマイロ王太子殿下がそれはオフィーリアの仕業だと言う。慕っていた義姉がそんなことをするはずがない。義姉は罰として領地で軟禁されることになった。一週間後に殿下は言った。「ルーシー。喜んでくれ。私とルーシーの婚約が無事にまとまった。愛し合う二人が結ばれるのは当然のことだ」私は殿下を愛していない。愛する人は別にいる。どうしてこんなことになってしまったのか? 真実を知るためにルーシーは部屋を抜け出した。 ※注意:残酷な表現あり。暴力や怪我などの描写があります。ご不快な方はくれぐれも自衛をお願いします。ブラウザバックして下さい。全7話。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

鈍感令嬢は分からない

yukiya
恋愛
 彼が好きな人と結婚したいようだから、私から別れを切り出したのに…どうしてこうなったんだっけ?

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

皇太女の暇つぶし

Ruhuna
恋愛
ウスタリ王国の学園に留学しているルミリア・ターセンは1年間の留学が終わる卒園パーティーの場で見に覚えのない罪でウスタリ王国第2王子のマルク・ウスタリに婚約破棄を言いつけられた。 「貴方とは婚約した覚えはありませんが?」 *よくある婚約破棄ものです *初投稿なので寛容な気持ちで見ていただけると嬉しいです

よくある父親の再婚で意地悪な義母と義妹が来たけどヒロインが○○○だったら………

naturalsoft
恋愛
なろうの方で日間異世界恋愛ランキング1位!ありがとうございます! ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 最近よくある、父親が再婚して出来た義母と義妹が、前妻の娘であるヒロインをイジメて追い出してしまう話……… でも、【権力】って婿養子の父親より前妻の娘である私が持ってのは知ってます?家を継ぐのも、死んだお母様の直系の血筋である【私】なのですよ? まったく、どうして多くの小説ではバカ正直にイジメられるのかしら? 少女はパタンッと本を閉じる。 そして悪巧みしていそうな笑みを浮かべて── アタイはそんな無様な事にはならねぇけどな! くははははっ!!! 静かな部屋の中で、少女の笑い声がこだまするのだった。

(完結)夫に殺された公爵令嬢のさっくり復讐劇(全5話)

青空一夏
恋愛
 自分に自信が持てない私は夫を容姿だけで選んでしまう。彼は結婚する前までは優しかったが、結婚した途端に冷たくなったヒューゴ様。  私に笑いかけない。話しかけてくる言葉もない。蔑む眼差しだけが私に突き刺さる。  「ねぇ、私、なにか悪いことした?」  遠慮がちに聞いてみる。とても綺麗な形のいい唇の口角があがり、ほんの少し微笑む。その美しさに私は圧倒されるが、彼の口から紡ぎ出された言葉は残酷だ。 「いや、何もしていない。むしろ何もしていないから俺がイライラするのかな?」と言った。  夫は私に・・・・・・お金を要求した。そう、彼は私のお金だけが目当てだったのだ。 ※異世界中世ヨーロッパ風。残酷のR15。ざまぁ。胸くそ夫。タイムリープ(時間が戻り人生やり直し)。現代の言葉遣い、現代にある機器や製品等がでてくる場合があります。全く史実に基づいておりません。 ※3話目からラブコメ化しております。 ※残酷シーンを含むお話しには※をつけます。初めにどんな内容かざっと書いてありますので、苦手な方は飛ばして読んでくださいね。ハンムラビ法典的ざまぁで、強めの因果応報を望む方向きです。

婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。 6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。 14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します! 前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。 【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】

処理中です...