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1 私が私を見つけるまでの日々
3 私の頭は空っぽらしい
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ずっと地獄のような愛玩動物のように扱われる日々が続いていたら、いくらマルティナ姉さまが傍にいてくれても、気が狂っていたかもしれない。
リリアンの身長が伸びて、体がすくすく成長しだすと、おじさまの膝に乗せられることもおばさまからべたべた触られることもなくなった。
それまで頻繁にあったお茶会にお母さまによって連れて行かれることが、パッタリなくなった。お母さま曰く『リリアンはマナーがなっていないから連れていて恥ずかしい』とのことだ。
今までは、マナーどころか愛玩動物のようにリリアンの意思を無視して、可愛がられることを求めていたくせに勝手なものだと思う。
そして、今度は別の地獄が待っていた。
リリアンは学習という学習が全て苦手だった。どうやらリリアンの頭は空っぽだったようだ。アイリーン姉さまとマルティナ姉さまを教えている家庭教師がリリアンも教えることになり、優秀な姉さま達と違ってリリアンは劣っていることがわかった。
リリアンには勉強がひとつもわからない。文字を追っているはずなのに、いつの間にか思考は別の所に飛んで行ってしまうし、内容も一つも覚えられない。数字の計算などはもっと悲惨で、言っている意味がわからないし、数字は読めるけど、それがどうして計算されるのかわからない。学習の初歩の段階でつまづいてしまった。
その家庭教師は早々に匙を投げた。新しい家庭教師が来ては代わり、それを何度も繰り返して、最終的にはすごく厳しい人になった。
「リリアン様、あなたはどうやらすごく我儘で甘ったれらしいわね。その心根から矯正してあげるから」
眼鏡をかけて、痩せぎすの中年のおばさまは、今までのどの家庭教師より厳しかった。リリアンが少しでも間違えると手を鞭で打つ。手の甲を打つと跡が残るのでいつも手の平を打たれた。
どうして勉強がわからないのか、リリアンが教えてほしいくらいなのに、それは教えてくれなくて、ただ出来ないことを責められる。
その状況に気づいてくれたのもマルティナ姉さまだった。
「リリアン!! あなたの手、どうしたの? 自分でしたの? 違うわよね? ……まさか」
マルティナ姉さまはリリアンの家庭教師に同席を頼み込み。部屋の隅でじっと見ていた。姉さまの目があるから、もしかしたら打たれないかもという期待と、鞭を使っていることを人目に曝してくれれば状況が変わるかもしれないという気持ちが半々だった。
家庭教師は自分の方針を悪いとは思っていなかったようで、いつものように授業を進め、容赦なくリリアンの手を鞭打った。
「その鞭打ちに、意味はあるのでしょうか?」
静かにいつもの授業風景を見守っていたマルティナ姉さまは、家庭教師に問いただす。
「私はこのやり方で三十年やってきました。これで矯正されなかったお子様はいません。伯爵夫人にも罰の鞭打ちの許可はいただいています」
「……そうですか。わかりました」
マルティナお姉さまなら、なんとかしてくれるそんな期待はあった。でも、お母さまが鞭打ちを認めているとなると、さすがに今回ばかりはダメかもしれない。リリアンは鞭打ちの日々が続くことを覚悟した。
うん、痛いほうが、自分の意思を無視されてベタベタ触られるよりは全然ましだ。まだ、耐えられる。
◇◇
「お母様、リリアンの家庭教師がリリアンを鞭打つのをご存じですか?」
「はっ? なにを突然言い出すのよ。リリアンはちょっと甘やかしすぎて、勉強とマナーが全然追いついてないのよ。甘えてるのよ。だから、ちょっとぐらい厳しくしないとダメなのよ」
その日の夕食時に、突然マルティナ姉さまは切り出した。
「お母様はリリアンの手がこんな状態になっていることをご存じですか?」
徐にマルティナ姉さまは、リリアンの酷い方の手の平を母に向ける。
「食事中にそんなものを見せないでよ! 侍女にきちんと手当するよう言いつけるからそれでいいでしょ! このまま、マナーや勉強が身につかなくて困るのはリリアンなのよ! せっかく可愛く産んであげたのに、マナーや勉強が身に着かないなんてもったいないでしょ! 文句があるなら、マルティナ、あなたがリリアンのマナーや勉強を見なさい!」
母は酷い状態のリリアンの手から目を逸らして、まくし立てる。
「わかりました。リリアンのマナーと勉強は私が見ます」
「あんた、安請け合いしちゃって大丈夫なの? わたくしの方も手を抜くことは許さないわよ」
「わかっています、お姉様」
「マルティナ、あなたがリリアンをきちんと躾けられなかった暁には、今回より厳しい先生をリリアンにつけますからね」
「わかりました、お母様、お姉様」
アイリーン姉さまやお母さまの畳みかけるような言葉にも、凛としてマルティナ姉さまは返事をした。自分がいくら理不尽な目にあっても、黙って耐えているのに、リリアンのことになるとお母様に盾突いてでもかばってくれる。そのことがうれしいような悲しいような気分になった。
マルティナは今までの家庭教師と違って、まずリリアンがなぜわからないのか、どんな風に文字や数字を捉えているのかそこから、一緒に紐解いていってくれた。
「たぶん、認識っていうか、文字や数字の見え方がきっと違うのね……」
普通の勉強の分野は、色紙や絵を使ったりして、家庭教師とは全然違う方法で教えてくれて、基礎的な事はなんとか身につけることができた。
「リリアンはお洒落が好きでしょう? ほら所作を綺麗にするとリリアンの可愛いドレスやリリアンがもっと映えるわよ。どう? 手をこうするのと、こうするのどっちが綺麗かしら?」
理解できないというより、やる気のでないマナーや所作は、リリアンの好きなものに絡めてやる気を出してくれた。優しくて面倒見の良いマルティナ姉さまのおかげで、リリアンは学習の問題のはじめの山をなんとか越えることができた。
リリアンの身長が伸びて、体がすくすく成長しだすと、おじさまの膝に乗せられることもおばさまからべたべた触られることもなくなった。
それまで頻繁にあったお茶会にお母さまによって連れて行かれることが、パッタリなくなった。お母さま曰く『リリアンはマナーがなっていないから連れていて恥ずかしい』とのことだ。
今までは、マナーどころか愛玩動物のようにリリアンの意思を無視して、可愛がられることを求めていたくせに勝手なものだと思う。
そして、今度は別の地獄が待っていた。
リリアンは学習という学習が全て苦手だった。どうやらリリアンの頭は空っぽだったようだ。アイリーン姉さまとマルティナ姉さまを教えている家庭教師がリリアンも教えることになり、優秀な姉さま達と違ってリリアンは劣っていることがわかった。
リリアンには勉強がひとつもわからない。文字を追っているはずなのに、いつの間にか思考は別の所に飛んで行ってしまうし、内容も一つも覚えられない。数字の計算などはもっと悲惨で、言っている意味がわからないし、数字は読めるけど、それがどうして計算されるのかわからない。学習の初歩の段階でつまづいてしまった。
その家庭教師は早々に匙を投げた。新しい家庭教師が来ては代わり、それを何度も繰り返して、最終的にはすごく厳しい人になった。
「リリアン様、あなたはどうやらすごく我儘で甘ったれらしいわね。その心根から矯正してあげるから」
眼鏡をかけて、痩せぎすの中年のおばさまは、今までのどの家庭教師より厳しかった。リリアンが少しでも間違えると手を鞭で打つ。手の甲を打つと跡が残るのでいつも手の平を打たれた。
どうして勉強がわからないのか、リリアンが教えてほしいくらいなのに、それは教えてくれなくて、ただ出来ないことを責められる。
その状況に気づいてくれたのもマルティナ姉さまだった。
「リリアン!! あなたの手、どうしたの? 自分でしたの? 違うわよね? ……まさか」
マルティナ姉さまはリリアンの家庭教師に同席を頼み込み。部屋の隅でじっと見ていた。姉さまの目があるから、もしかしたら打たれないかもという期待と、鞭を使っていることを人目に曝してくれれば状況が変わるかもしれないという気持ちが半々だった。
家庭教師は自分の方針を悪いとは思っていなかったようで、いつものように授業を進め、容赦なくリリアンの手を鞭打った。
「その鞭打ちに、意味はあるのでしょうか?」
静かにいつもの授業風景を見守っていたマルティナ姉さまは、家庭教師に問いただす。
「私はこのやり方で三十年やってきました。これで矯正されなかったお子様はいません。伯爵夫人にも罰の鞭打ちの許可はいただいています」
「……そうですか。わかりました」
マルティナお姉さまなら、なんとかしてくれるそんな期待はあった。でも、お母さまが鞭打ちを認めているとなると、さすがに今回ばかりはダメかもしれない。リリアンは鞭打ちの日々が続くことを覚悟した。
うん、痛いほうが、自分の意思を無視されてベタベタ触られるよりは全然ましだ。まだ、耐えられる。
◇◇
「お母様、リリアンの家庭教師がリリアンを鞭打つのをご存じですか?」
「はっ? なにを突然言い出すのよ。リリアンはちょっと甘やかしすぎて、勉強とマナーが全然追いついてないのよ。甘えてるのよ。だから、ちょっとぐらい厳しくしないとダメなのよ」
その日の夕食時に、突然マルティナ姉さまは切り出した。
「お母様はリリアンの手がこんな状態になっていることをご存じですか?」
徐にマルティナ姉さまは、リリアンの酷い方の手の平を母に向ける。
「食事中にそんなものを見せないでよ! 侍女にきちんと手当するよう言いつけるからそれでいいでしょ! このまま、マナーや勉強が身につかなくて困るのはリリアンなのよ! せっかく可愛く産んであげたのに、マナーや勉強が身に着かないなんてもったいないでしょ! 文句があるなら、マルティナ、あなたがリリアンのマナーや勉強を見なさい!」
母は酷い状態のリリアンの手から目を逸らして、まくし立てる。
「わかりました。リリアンのマナーと勉強は私が見ます」
「あんた、安請け合いしちゃって大丈夫なの? わたくしの方も手を抜くことは許さないわよ」
「わかっています、お姉様」
「マルティナ、あなたがリリアンをきちんと躾けられなかった暁には、今回より厳しい先生をリリアンにつけますからね」
「わかりました、お母様、お姉様」
アイリーン姉さまやお母さまの畳みかけるような言葉にも、凛としてマルティナ姉さまは返事をした。自分がいくら理不尽な目にあっても、黙って耐えているのに、リリアンのことになるとお母様に盾突いてでもかばってくれる。そのことがうれしいような悲しいような気分になった。
マルティナは今までの家庭教師と違って、まずリリアンがなぜわからないのか、どんな風に文字や数字を捉えているのかそこから、一緒に紐解いていってくれた。
「たぶん、認識っていうか、文字や数字の見え方がきっと違うのね……」
普通の勉強の分野は、色紙や絵を使ったりして、家庭教師とは全然違う方法で教えてくれて、基礎的な事はなんとか身につけることができた。
「リリアンはお洒落が好きでしょう? ほら所作を綺麗にするとリリアンの可愛いドレスやリリアンがもっと映えるわよ。どう? 手をこうするのと、こうするのどっちが綺麗かしら?」
理解できないというより、やる気のでないマナーや所作は、リリアンの好きなものに絡めてやる気を出してくれた。優しくて面倒見の良いマルティナ姉さまのおかげで、リリアンは学習の問題のはじめの山をなんとか越えることができた。
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