10 / 46
1 クズだった私のこれまで
9 公爵夫人失格の烙印
しおりを挟む
久しぶりに会ったクリストファーは無言で、アイリーンを馬車にエスコートする。今日は何の日だったかしら? アイリーンが当たり散らすせいか、最近はアイリーンに仕える侍女たちも必要最低限の事をすると、話もせずさっさと仕事に戻っていってしまう。今日は、簡素な旅の装いで、夫も普段の豪奢な装いではなく同じく簡素な格好をしている。
しかし、途中、宿に泊まりながらの五日間の旅の間、観光することはおろか夫は口を聞くこともなかった。馬車の中や宿では、仕事の書類に目を通していた。
そんな味気ない旅の果てに着いたのは、人里離れた寒村にある公爵家にしては簡素なこぢんまりとした屋敷だった。
「私は反省しているんだ」
アイリーンにあてがわれた部屋を訪れたクリストファーのその言葉に、顔をあげて縋るような目線を向ける。
「自分の見る目のなさに。君はずっと、馬鹿にして見下していた妹に勉学で大事な部分である“考える”部分を肩代わりしてもらっていたんだね。ずっと隣にいたのに気づかなかったよ。確かに君は賢いから、学生時代は上手く隠し通せたんだろうね。
次期公爵だというのに、君が面倒な部分を妹に肩代わりしてもらっていることも、妹が君なんかより余程優秀だということも見抜けなかった。そこは反省する。
ただし、君の提案は却下する。君は知能もその程度だったのか? 次期公爵夫人として考えられないのか? 君の妹は“考える”力があったとしても、貴族令嬢として失格だ。そこの意見は変えない。所作や学力は及第点だが、外見、コミュニケーション能力など―そのあたりは君の得意分野だけど、壊滅的だ。今までの醜聞もある。
第二夫人にすることはまずない。第二夫人になるということは第一夫人になにかあったときに代わりに立つということだぞ、君の妹にそれができるか?さらに一つの家から二人娶るということがまわりからどう見られるか考えたことはあるのか? 妹を侍女にするということはどういう風に見られるか考えたことはあるか? 君はいつも自分の事ばっかりだな」
「あなただって、いつも公爵家のことばっかりじゃない!」
「当たり前だろう。私は公爵家に生まれて、次期公爵となるんだ。君は本当に貴族令嬢なのか?」
「違う、そうじゃなくて。そうだけど、貴族としての自分も大事だけど、人として一人の人として……」
だんだんと息が苦しくなってくる。確かに夫の言うことは正しい。正しいけどなにかが違う。いつも自分がマルティナに話す話し方にそっくりだと思う。力で相手を抑え込んで、自分を通す。それをされてみて、その重さに打ちのめされそうになる。
「それは貴族として、次期公爵夫人として義務を果たした上での話だろう? 私が一番憤っているのはなにかわかるか? まずは、私や公爵家に対して、自分の能力を偽っていたことに対する謝罪はないのか? 公爵家の嫁として不十分な自分への反省や謝罪はないのか? そして、なぜ自分で努力して、今まで誤魔化してきた部分を挽回しようとしないんだ? また、安易に妹を第二夫人や侍女にして、今までと同じように誤魔化そうとするんだ?」
「私だって挽回しようとしたわよ……でも誰も助けてくれないんだもの……あなただって冷たいし……」
今までの経験を、最大限に生かしてソファにしなだれかかり、目線を伏せて涙を瞳いっぱいに貯める。
「君と会うのはこれで最後になる。大丈夫。酷い待遇にはならない。君はこの公爵家の領地の別宅で、ずっと何不自由なく暮らすんだ。死ぬまで。綺麗なドレスも着られるし、美味しい食事も食べられる。世話をしてくれる侍女もいる。ただし、君に仕える者は何一つ話さないし、君がここから出られることもない。君を置いておくのは、公爵家にとっては無駄金だけどね。私や母が君という人間を見抜けなかった勉強代だと思うことにするよ。
公爵家のことは、何も心配いらない。第一夫人である君は重い病を患ってしまい病気療養中で、君の希望もあって秘書として、侯爵令嬢のアンジェリカを雇った。彼女は君とは違って、学園時代の評判通り優秀で、恙なく公爵夫人の抜けた穴を務めてくれているよ。だから、なに一つ心配ないんだ。
そのうち、アンジェリカが第二夫人になるかもしれないね。でも、君は妹を第二夫人に、などと提案するほど寛容な人だから、何も気にならないだろう。噂好きの社交の場でも、きっと、結婚してすぐに病に倒れた悲劇の第一夫人のことなど忘れ去られていくよ。君の散々な結果に終わった次期公爵夫人の茶会の話とともにね。
そうそう、あまりに侍女に当たったり、暴れたり、物を壊すと、医師に注射を打たれるし、癇癪や問題行動が酷いと、本当に君が重い病気になって儚くなってしまうかもしれないよ……」
見たこともないほど、冷たい目をした夫は、公爵家は第二夫人を娶るので大丈夫だという事と、アイリーンが問題行動を起こしたら、どうとでもなると匂わせて、去って行った。
「ひっ、ひっ、……嫌……嫌……嫌ああああぁぁぁぁぁぁぁああ………」
アイリーンの絶叫が屋敷中に響き渡るが、誰も来ることはない。
「助けて……助けて……たすけて……お母様……こんな生活嫌だ……」
今まで築いてきた自信も希望も粉々に砕かれた。
子どものように泣きじゃくる。
「マルティナ……たすけてよ……」
ああ、自分がマルティナにやってきたことが返ってきたのかしら。
あの子の心を粉々に砕いてやったから、今、私の心も砕かれているというの?
アイリーンには人里離れた静かな屋敷で、憎しみと懇願に塗れて孤独に、残りの人生を過ごすしか選択肢はなかった。
しかし、途中、宿に泊まりながらの五日間の旅の間、観光することはおろか夫は口を聞くこともなかった。馬車の中や宿では、仕事の書類に目を通していた。
そんな味気ない旅の果てに着いたのは、人里離れた寒村にある公爵家にしては簡素なこぢんまりとした屋敷だった。
「私は反省しているんだ」
アイリーンにあてがわれた部屋を訪れたクリストファーのその言葉に、顔をあげて縋るような目線を向ける。
「自分の見る目のなさに。君はずっと、馬鹿にして見下していた妹に勉学で大事な部分である“考える”部分を肩代わりしてもらっていたんだね。ずっと隣にいたのに気づかなかったよ。確かに君は賢いから、学生時代は上手く隠し通せたんだろうね。
次期公爵だというのに、君が面倒な部分を妹に肩代わりしてもらっていることも、妹が君なんかより余程優秀だということも見抜けなかった。そこは反省する。
ただし、君の提案は却下する。君は知能もその程度だったのか? 次期公爵夫人として考えられないのか? 君の妹は“考える”力があったとしても、貴族令嬢として失格だ。そこの意見は変えない。所作や学力は及第点だが、外見、コミュニケーション能力など―そのあたりは君の得意分野だけど、壊滅的だ。今までの醜聞もある。
第二夫人にすることはまずない。第二夫人になるということは第一夫人になにかあったときに代わりに立つということだぞ、君の妹にそれができるか?さらに一つの家から二人娶るということがまわりからどう見られるか考えたことはあるのか? 妹を侍女にするということはどういう風に見られるか考えたことはあるか? 君はいつも自分の事ばっかりだな」
「あなただって、いつも公爵家のことばっかりじゃない!」
「当たり前だろう。私は公爵家に生まれて、次期公爵となるんだ。君は本当に貴族令嬢なのか?」
「違う、そうじゃなくて。そうだけど、貴族としての自分も大事だけど、人として一人の人として……」
だんだんと息が苦しくなってくる。確かに夫の言うことは正しい。正しいけどなにかが違う。いつも自分がマルティナに話す話し方にそっくりだと思う。力で相手を抑え込んで、自分を通す。それをされてみて、その重さに打ちのめされそうになる。
「それは貴族として、次期公爵夫人として義務を果たした上での話だろう? 私が一番憤っているのはなにかわかるか? まずは、私や公爵家に対して、自分の能力を偽っていたことに対する謝罪はないのか? 公爵家の嫁として不十分な自分への反省や謝罪はないのか? そして、なぜ自分で努力して、今まで誤魔化してきた部分を挽回しようとしないんだ? また、安易に妹を第二夫人や侍女にして、今までと同じように誤魔化そうとするんだ?」
「私だって挽回しようとしたわよ……でも誰も助けてくれないんだもの……あなただって冷たいし……」
今までの経験を、最大限に生かしてソファにしなだれかかり、目線を伏せて涙を瞳いっぱいに貯める。
「君と会うのはこれで最後になる。大丈夫。酷い待遇にはならない。君はこの公爵家の領地の別宅で、ずっと何不自由なく暮らすんだ。死ぬまで。綺麗なドレスも着られるし、美味しい食事も食べられる。世話をしてくれる侍女もいる。ただし、君に仕える者は何一つ話さないし、君がここから出られることもない。君を置いておくのは、公爵家にとっては無駄金だけどね。私や母が君という人間を見抜けなかった勉強代だと思うことにするよ。
公爵家のことは、何も心配いらない。第一夫人である君は重い病を患ってしまい病気療養中で、君の希望もあって秘書として、侯爵令嬢のアンジェリカを雇った。彼女は君とは違って、学園時代の評判通り優秀で、恙なく公爵夫人の抜けた穴を務めてくれているよ。だから、なに一つ心配ないんだ。
そのうち、アンジェリカが第二夫人になるかもしれないね。でも、君は妹を第二夫人に、などと提案するほど寛容な人だから、何も気にならないだろう。噂好きの社交の場でも、きっと、結婚してすぐに病に倒れた悲劇の第一夫人のことなど忘れ去られていくよ。君の散々な結果に終わった次期公爵夫人の茶会の話とともにね。
そうそう、あまりに侍女に当たったり、暴れたり、物を壊すと、医師に注射を打たれるし、癇癪や問題行動が酷いと、本当に君が重い病気になって儚くなってしまうかもしれないよ……」
見たこともないほど、冷たい目をした夫は、公爵家は第二夫人を娶るので大丈夫だという事と、アイリーンが問題行動を起こしたら、どうとでもなると匂わせて、去って行った。
「ひっ、ひっ、……嫌……嫌……嫌ああああぁぁぁぁぁぁぁああ………」
アイリーンの絶叫が屋敷中に響き渡るが、誰も来ることはない。
「助けて……助けて……たすけて……お母様……こんな生活嫌だ……」
今まで築いてきた自信も希望も粉々に砕かれた。
子どものように泣きじゃくる。
「マルティナ……たすけてよ……」
ああ、自分がマルティナにやってきたことが返ってきたのかしら。
あの子の心を粉々に砕いてやったから、今、私の心も砕かれているというの?
アイリーンには人里離れた静かな屋敷で、憎しみと懇願に塗れて孤独に、残りの人生を過ごすしか選択肢はなかった。
3
お気に入りに追加
112
あなたにおすすめの小説
平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る
新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます!
※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!!
契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。
※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。
※R要素の話には「※」マークを付けています。
※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。
※他サイト様でも公開しています
獣人公爵のエスコート
ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。
将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。
軽いすれ違いです。
書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。
婚約破棄寸前の悪役令嬢に転生したはずなのに!?
もふきゅな
恋愛
現代日本の普通一般人だった主人公は、突然異世界の豪華なベッドで目を覚ます。鏡に映るのは見たこともない美しい少女、アリシア・フォン・ルーベンス。悪役令嬢として知られるアリシアは、王子レオンハルトとの婚約破棄寸前にあるという。彼女は、王子の恋人に嫌がらせをしたとされていた。
王子との初対面で冷たく婚約破棄を告げられるが、美咲はアリシアとして無実を訴える。彼女の誠実な態度に次第に心を開くレオンハルト
悪役令嬢としてのレッテルを払拭し、彼と共に幸せな日々を歩もうと試みるアリシア。
巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる