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最終章

最終話 永遠の愛を誓って

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 魔女のリリィは赤ん坊のときに魔女の森で拾われてからもうすぐ十年を向かえる。魔術を学び、魔法を発動させる練習に勤しむ一方、年老いて衰弱した師匠の看病に精を出していた。
 リリィの師匠である大魔女マージェリィは、魔女の中ではものすごく長命らしい。

 リリィがまだ幼い頃、老いたエルフの行商人が後継者の甥を連れてやってきたときの会話を思い出す。

 ――お前まだ生きてんのか!
 ――当たり前でしょまだ死ねないわ!

 そう言って笑い合っていた。
 そのときに誰かもうひとり別の男性がそばに居た気がするのだけどはっきりと思い出せない。



 師匠はいつからか、ふとした折に左手の薬指に嵌められた指輪を見つめるようになった。ときにはいつも首から下げている大きな指輪と並べたりもしていた。
 リリィはその指輪の意味を書物で学んだが、なぜ魔女がしないはずの結婚をして結婚指輪というものを嵌めているのか、そして相手のものであるはずの指輪を自分で持っているのか師匠には直接尋ねられずにいた。師匠の心の一番大事なところに踏み込んでしまう気がして。



 師匠はいつだってとても優しい。
 いつだか最北端の森から来た大魔女がその弟子を連れてやって来た際、弟子とふたりで外で遊んだことがあったが、彼女らの系統の伝来である光魔法を教えてもらって様々な景色を出現させる練習をふたりでしている最中『師匠は魔法のことになるととても厳しいんだよね、普段は優しいんだけど』とぼやいていた。
 しかしリリィの師であるマージェリィはリリィに魔法の知識を授けてくれているときも練習中も、すぐに理解できなかったりたくさん失敗してしまっても『焦らないで大丈夫だからね』と落ち着いた声で言い聞かせてくれて、しわしわの手で頭を撫でてくれて、日が暮れるまで付き合ってくれたものだった。

 冬の雪がちらつく中でも屋外での練習に付き合わせたのがまずかったのだろうか――マージェリィ師匠は人生で初めて風邪をひき、それ以降一日のほとんどの時間をベッドの上で過ごすようになった。
『無理をさせてごめんなさい』と何度か謝ったが『あなたのせいじゃないのよ、もう歳だから。風邪は些細なきっかけに過ぎないのよ』と笑顔を向けられた。

 ただ、大好きな師匠に居なくなって欲しくなくて密かに魔術で寿命を伸ばせないかと調べていた時期があり、こっそり薬を作ってみるつもりで行商人にその材料を注文しようとしただけで目論見を見抜かれてしまい、そのときだけはこっぴどく叱られた。
 弟子が十歳を迎えるときに師である大魔女が息絶えるのは不変のことわりであり、それに抗うことはすなわち魔女という存在自体を否定するに等しいという。叱られた当時はその理屈が理解できずふてくされたものだったが、人を超越した存在である以上別の形で代償みたいなものを払うのだろうと今では理解している。

 師匠が次第に苦しげな咳を繰り返す時間が長くなってきて、辛そうな症状を和らげてあげたくて様々な薬を調合し、飲んでもらう日々が続いていた。
『調薬、上手になったわね。とても楽になったわ。ありがとう』とまた頭を撫でてくれるのだが、リリィが部屋を出てしばらくすると激しい咳の音が聞こえてくるので、薬を出すこと自体が無理をさせる要因になっているのではないかというのが目下のリリィの悩みだった。



 そうしてふたりで静かに時を刻み続けていたある日のこと。
 扉を叩く音が聞こえてきた。
 行商人が来たのかなと扉を開けると、そこには黒髪に浅黒い肌をした長身の男性が立っていた。

「小さき魔女、リリィよ。我は汝の師匠、マージェリィに会いに来たのだが息災だろうか」
「……はい。ところであなたは私のことをご存じなのですか?」
「ああ、やはり我のことは憶えておらぬよな。我も主……マージェリィと共に、赤子の頃の汝の面倒を見たものだ。とはいえ汝がごく幼い頃にこの家を去ったゆえ、記憶がなくて当然であろう」
「すみません、おぼろげにどなたかがいらっしゃったような覚えはあるのですが……。あなただったのですね」

 今さらながらに頭の中の様々な符号が合致していく。かつて師匠は悪魔を召喚し、ずっとふたりで暮らしていたという話を一度だけ聞かせてくれたことがあった。角は見当たらないとはいえきっとその悪魔がこの人なのだろう。『ふたりで暮らしていた』という言葉を憶えていたせいか、自分がこの家で暮らし始めた頃にはすでに居なかったと思い込んでしまっていた。

 扉をくぐるような仕草をして入ってきた悪魔を師匠の部屋へと案内する。
 師匠はベッドの上で枕に寄りかかって窓の外を見ていた。ゆっくりと振り向き、客人の姿を目にするなりぽかんと口を開く。

「レヴィメウス!? あなたどうしてここに……!」

 叫んだ直後に激しく咳き込み始める。
 悪魔は慣れた様子で師匠の傍らに腰を下ろすと、曲がった背中を撫でさすった。
 肩で息をする師匠を優しい眼差しで見つめながら、温かな声音で話を切り出す。

「主にどうしても会いたくて、魔王に頼み込んで人間界に落としてもらったのだ。誰にも召喚されず人間界に来るには悪魔をやめるのが条件であるがゆえ、なかなか首を縦に振ってくれず、今になってしまった」
「なんて無茶なことを……!」

 しわがれた声で悪魔を責める言葉を口にしながらも、その目は眩しいものを見る風に細められ、涙が浮かべられていた。やつれてしわしわになった頬に幾筋も透明な雫が伝い落ちていく。

「……でも嬉しいよ、レヴィメウス。最期にあなたに会えて、本当に良かった」

 リリィが今まで一度として耳にしたことのない口調で話す師匠が、動かしづらそうに腕を持ち上げて自分の首筋に手をやろうとする。意図を察した悪魔は師匠の襟足に両手を差し込むと、ネックレスを外した。
 チェーンと指輪とを、師匠の手の上に乗せる。師匠はそれを愛おしげに撫でると、悪魔に微笑みかけた。

「またこれ……嵌めてくれる?」
「ああ、もちろんだ主よ、我が妻マージェリィよ」

 師匠が震える手で大きな指輪を摘まみ、悪魔の長い左手の薬指にゆっくりと嵌めていく。
 指輪が指の根元に届いた、その瞬間。

 目も開けていられないほどの光が部屋中に溢れ出した。

 真っ白な光が次第に収束していく。

 リリィが視界を取り戻すと、ベッドの上には若々しい魔女の姿があった。
 びっくりするほど美形な魔女が、溌剌とした声を弾ませる。

「わは~。なんでだろ、あなたと出会った頃の姿に戻っちゃった」
「ああ。懐かしいな。その姿も、声も。その口調も」

 声を震わせ目を細めた悪魔が師匠の皺ひとつない両手を取り上げ、ぎゅっと握りしめる。その黄金色の瞳は涙に濡れていた。
 若い頃の姿に変わった師匠が、魔法の光よりずっと目映い笑みを浮かべる。

「会いに来てくれて本当にありがとう、私のレヴィメウス。愛してる。愛してる……永遠に」
「我もだ。我も主を、我が妻マージェリィを……永遠に愛している」

 見つめ合うふたりの距離が近づいていき――唇を重ねる。
 その様子をリリィは涙を流しながら見守った。

(すごくすごく、愛し合っていたんだな、師匠と悪魔さんは)

 口付けを交わすふたりから再び光が放たれる。その輝きの中、悪魔が師匠の体をベッドの上にそっと横たえる。
 光が収まる頃には師匠は老婆の姿に戻っていて――口元を微笑ませたまま目を閉じていた。

「師匠……?」

 まさか、とよろよろとベッドに歩み寄る。
 悪魔が立ち上がり場所を開けてくれたところに乗り上げて師匠の顔を覗き込むと、師匠はすでに息を引き取っていた。

「師匠、師匠っ……! うわああああん!」

 眠るように目蓋を下ろした師匠にすがりつき、ただ泣き叫ぶ。
 師匠はもう、二度と頭を撫でてはくれなかった。



 目が溶けてしまうかと思うくらいに散々泣いたあと、そういえば、と振り向くと悪魔はずっとその場に立ち尽くしていた。

「すみません、お構いもせず……」
「ふ。そう大人びた物言いをするでない、小さき魔女よ」

 日はすっかり暮れていて、昇り始めた月が淡く室内を照らしている。その薄明かりの中で悪魔が切なげに微笑んだ。

 ランプを灯そうとそちらへ視線を向けただけで、意図を察してくれたらしき悪魔がリリィを手で制し、代わりに明かりを灯してくれた。その仕草も手慣れていて、それだけでも長らくここで暮らしていたであろうことが窺い知れる。
 ランプを点けて振り返った悪魔の目は赤らんでいた。
 黄金色の瞳が温かな色の光を浴びて煌めいている。宝石のようなその目を見上げて問い掛ける。

「師匠の旦那様ってあなただったのですね」
「ああ、魔女は婚姻を結ぶことはないとは知りながら、われが召喚主である彼女を……マージェリィを深く愛しすぎたゆえ、どうしても契りを結びたくなってしまったのだ」
「それほどまでに師匠とあなたは愛し合っていたのですね」
「……ああ」

 泣き跡の残る目を、師匠の方へと向ける。

「亡き魔女は、土に……還すのだよな」
「はい。できれば手伝ってもらえるとありがたいんですけど……」
「ああ。我で役に立てるなら」

 魔法を掛けた大きな白い布で師匠の亡骸を包んでいく。
 布でくるまれた師匠を悪魔が抱き上げて、馬車へと連れていってくれた。


 魔女の森を往くこと一時間。海の見える丘に到着する。そこにはマージェリィ師匠の系譜である歴代魔女の墓が四基並んでいた。

 魔法で土に大きな穴を開け、悪魔がその中に師匠をそっと寝かせる。土を被せていく間、悪魔はずっとその黄金色の瞳を潤ませたままだった。

 墓石を立て、名を刻もうとしたら、悪魔が『我にやらせてはもらえぬだろうか』と申し出てきた。
 悪魔も魔女のように魔法が使えるんだ――そんなことを思いながら、悪魔が風魔法で【マージェリィ】と刻む様子を見守る。
 墓石に刻まれた名を見て、改めて師匠が遠いところへ行ってしまったことを実感し、リリィは再び涙を流した。

 悪魔と並んで墓前に膝を突き、祈りを捧げる。
 思い出が溢れて止まらない。
 魔法薬の調合に失敗して大爆発したとき、真っ黒になりながらもまずは怪我の心配をしてくれて、それから自分たちのぼろぼろになった姿を見てふたりで大笑いしたこと。
 変身魔法が初めてうまく行ったときに、笑顔でぎゅっと抱き締めてくれたこと。たくさん頭を撫でてくれたこと。
 美味しい料理を作ってくれて、酒場料理だというそれらが大好物だと笑顔で話してくれたこと。

 たくさんの愛情を注いでくれた師匠の恩に報いるために、立派な魔女になろう――。



 海風にすっかり体が冷え切った頃になり、くしゃみが出てしまった。
 隣で立て膝をして項垂れる悪魔が、目だけを上げて墓石を見つめたまま呼び掛けてくる。

「小さき魔女、リリィよ。頼みがある」
「はい、なんでしょう」
「主の墓に、青き花をたむけてはくれぬだろうか」
「青い花……満月の光を浴びて輝く丘の花ですね」

 そこで初めて悪魔が顔を上げ、黒髪をなびかせながら振り向いた。
 赤らんだその目は驚きに見開かれていた。

「青き花を知っているのか?」
「はい。師匠が一度だけ、青い花の咲く丘に連れて行ってくれました。そのときは満月ではなかったんですけど。……大切な人との思い出の場所だって」
「そうか……」

 再び師匠の墓に向き直った悪魔が、その横顔を微笑ませる。

「……我との思い出を、ずっと大事に心にしまっておいてくれたのだな、主は」
「きっとそうなのでしょうね。私、またあの丘へ行って青い花をたくさん摘んできて、師匠に手向けます」
「頼むぞ、小さき魔女よ。さあ、真っ直ぐ家に帰り体を温めるのだぞ。風邪を引かぬようにな」

 その横顔は寂しげで、それでいて愛おしげで――リリィはしばらく目を離せなくなってしまった。

 もう一度くしゃみが出たところで我に返り、リリィは師匠の墓前を辞したのだった。



 家に帰り着いた途端、ひとりになったことを実感し、一度は止まっていた涙がまた溢れてきた。

 次に気付いたときには夕方になっていた。泣き疲れてソファーに倒れ込み丸一日眠ってしまっていたらしい。

 初めてひとりで過ごす魔女の家は恐ろしく静かで、胸が締め付けられる。耳を澄ませば、師匠の声が聞こえてくる気がした。
 森の木々のざわめく音が、外から聞こえてくる。
 風は確かに流れているのに、時が止まってしまったかのように感じられる。

 最後に食べ物を口にしたのはいつだったか――しかし空腹感は全くなかった。それでは体によくないと頭では理解していても、体が欲していないのが分かる。仕方なくコップ一杯の水を飲み始めたところでふと心に浮かんだことがあった。 

「悪魔さん、ずっと師匠のお墓の前に居るのかな……」 

 大事な師匠の旦那様を放っておけるはずもなく、家を飛び出し夕日に染まる丘で馬を見つけて魔法を掛けて、魔法で出現させた馬車に飛び乗った。

 墓に着く頃には水平線から大きな満月が昇り始めていた。大海原に月の道が描かれている。
 マージェリィ師匠の墓前に悪魔の姿はなかった。
 代わりに、小さく光るものが落ちていた。

「これは……」

 拾い上げて、手のひらに置いてじっと見つめる。それは師匠が最期に悪魔の薬指に嵌めてあげていた指輪だった。
 顔を上げれば、師匠の名の刻まれた墓石が微かな光のもやに包まれていた。

「そこに居るんですね、悪魔さん」

 ほんの少しだけ、光が揺らいだ気がした。
 リリィは口元を微笑ませると、膝を突き、師匠の墓のすぐそばに指輪を埋めた。

「本物の青い花はすぐに摘んで来ますから、今はこれで許してくださいね」

 魔法のステッキをくるくると回し、いつぞや練習した光魔法で一面に青い花を出現させる。
 師匠の前で一度だけ披露したことがあったその魔法。リリィが魔法で描き出した花畑を見て、師匠は涙を流して感激してくれた。

 その場に膝を突き、祈りを捧げる。

「マージェリィ師匠、悪魔さん。どうかいつまでも仲良く、安らかにお眠りください」

 元気をなくした姿を師匠に見せちゃいけない――リリィは颯爽と立ち上がり、青い花畑の中央に佇む墓石を見てほんの少しだけ微笑むと、海に背を向け歩き出した。



 満月から降り注ぐ光が、大海原と、魔法で作り出された青い花畑を照らし出す。
 一面の青い花から光の粒が立ち上り――それらが寄り集まっていき、ふたつの人影を形作る。

 背の高い男と、小柄な女が見つめ合い、笑顔に変わり――強く抱き締め合った。


 月光を浴びた魔法の青い花は、いつまでも輝きを放ち続けていた。



 〈了〉



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