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第5話

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(私の魔力が、とおっしゃったの……?)

 信じがたい言葉に目を見開いたラティミーナは、表情を戻すことも忘れたまま顔を上げて魔王を見た。
 端整なその顔には、安心させるような笑みが浮かべられている。その自然な表情からは、無理をしている様子はみじんも見受けられない。
 それでもラティミーナはたった今聞かされた言葉が信じられず、おそるおそるその気持ちを口にした。

「失礼ながら、お尋ね申し上げます。貴方様は今、わたくしの魔力を『心地よい』、と……そうおっしゃいましたか?」
「ああ。そなたの魔力の波動は、我の波長と合っているのやも知れぬな。このような心地よさを感じたことなど今まで一度としてない。もはや運命的と言えよう」

 と言って、少し歯を見せて笑う。
 照れくさそうにも見える魔王の顔つきに、ラティミーナは目を奪われてしまった。

 少年の素直さを思わせる、飾りけのない微笑み。
 とくん、と心臓が脈打つ。

(『不快ではない』ではなく、『心地よい』と言ってくださるなんて)

 温かな気持ちが胸いっぱいにあふれだす。それは涙となって、頬を濡らしていった。
 両手で顔を覆えば、涙が指を伝い、手のひらに広がっていく。久しぶりに流した涙は、自分でも驚くほどに熱かった。

「……ラティミーナ嬢」

 すぐそばから呼びかけられて、そっと手の中から顔を上げる。
 すると、魔王ウィゾアルヴァールドが目の前に立っていた。静かに手を差し伸べてきて、ラティミーナの頬に手を添え、親指を横に滑らせて涙を拭っていく。

「泣かせてしまってすまない」
「いえ! そんなっ、ちがっ、あの、その……!」

 ラティミーナは完全に混乱してしまった。
 詫びられたことへの申し訳なさより、初めて男性の方から触れられたその優しい感触に、心臓が爆発しそうになる。顔のあまりの熱さに目がぐるぐると回りだす。
 ラティミーナがくらくらしていると、魔王の手が離れていった。

「すまない、なれなれしく触れてしまって」
「いえ、あの、すみません、わた、私っ、殿方に触れられるのが初めてでございまして……! 嫌だとか迷惑だとか、そういうわけでは……!」
「そうか。いずれにせよ、困らせてしまう真似をしてしまってすまない」
「いえ、そんな……!」

 ぶんぶんと首を振ってみせてから、高い位置にある顔を見上げる。
 魔王は一瞬だけラティミーナに笑みを返すと、すぐに視線を外して遠くの一点を見据えはじめた。


 魔王ウィゾアルヴァールドは、何もない空間を見ていた目を伏せると、一度だけ小さくうなずいた。

「ふむ。外に動きがあったようだ。広間の騒ぎが国王にまで届いたらしい。今、国王と対面するのは面倒だ。残念だが、そなたとの茶会は終了としよう」
「は、はい」

 ラティミーナは、国王にこの騒ぎが知れてしまった心配より、魔王が『残念』とまで言ってくれたことの喜びの方が勝ってしまった。
 温かな気持ちを胸に抱きしめてうつむき、ひとり微笑む。

(こんなにも素敵な方と一緒に過ごせるなら、魔力が尽きるまでここに居たいとまで思ってしまうわ。閉じ込められた直後は、出たいと切望していたのに)

 魔界の王をここに留め置くなどという、身勝手な願望までいだいてしまうほどに、魔王との茶会は心躍るひとときだった。

(こんなこと、思ってはだめ)

 強く自分に言い聞かせて、もう少しだけと願う気持ちを抑え込む。
 ラティミーナが黙り込んでいると、魔王が安心させるような声音で語りかけてきた。

「ラティミーナ嬢。われがそばにいる限り、そなたの魔力の放出についてはわれが抑えてやるゆえ心配無用だ」
「……! お気づかい、恐縮です……!」

 心を揺らしてしまっても、魔王様が受け止めてくださる――。
 人よりずっと優しい魔界の王。胸の奥から湧きでる幸せな気持ちでさえ、あふれるがままにさせてもらえる――。ラティミーナは、今まで味わったことのない深い喜びを感じた。

 温かな気持ちに浸るラティミーナに、魔王が今度は教師のような頼もしげな口調で話しかけてくる。

「ラティミーナ嬢」
「は、はい」
「人間の魔力程度で作られた牢など、われが指を打ち鳴らせば即座に消滅させられる。だがこの際だ。自身の魔法で壁を打ち破ってみないか?」
「私の魔法で、ですか!?」

 予想だにしなかった提案に思わず声を張り上げてしまう。
 魔王が現れたときに放った魔法は、内壁の数枚しか破ることはできなかった。

(本当に、私にそんなことができるの……!?)

 返答に困っていると、魔王が一歩距離を詰めてきた。
 ラティミーナに触れる直前で手を止め、申し訳なさげに問いかけてくる。

「少しだけ、手を握ってもいいだろうか」
「は、はい……!」

 ラティミーナの手が、大きな手に包み込まれる。

「……少し、驚かせてしまうやも知れぬが……」
「――うっ!?」

 つぶやきが聞こえてきた次の瞬間、全身に衝撃が走った。目の中に光が弾ける。
 ラティミーナ以上の強力な魔力を流されたのだった。

 とはいえ、不快感などまったくなく――。それどころか、まるで手に手を添えられて文字の書き順を教わったかのような、『魔力をこう操ればよかったんだ』という腑に落ちる感覚がした。

 すぐに手を離した魔王がおもむろに歩きだし、ラティミーナの背後に回り込む。

「ラティミーナ嬢。今の強さで火魔法と風魔法を混ぜて放てば、そなたは間違いなく、この牢を構成するすべての障壁を跡形もなく消滅させられる。万が一、そなたがそなた自身の魔法の威力に耐えられず吹き飛びそうになったとしても、われが後ろで支えてやるから存分に力を発揮するがよい」
「はい、やってみます……!」

 たった今教えられたことを、体の中で再現する。
 魔力の強さ、流れ、属性の違う魔法の組み合わせ方――。かつて王宮魔導士に覚えの良さを恐れられたラティミーナは、自分がその特技を持っていることをありがたく思わずにはいられなかった。

「……――いきます!」

 自身への掛け声で心を奮い立たせる。
 深い集中。視覚、聴覚、嗅覚も触覚も、すべてが魔法のかなたに消え去ったかのような錯覚を覚える中、全身全霊で火魔法と風魔法を同時に放つ。

 ドーム状の空間に、すさまじい音と熱風が渦巻く。
 その衝撃に耐えきれなかったラティミーナが後ろに数歩よろめくと、ぐっと強く腰を支えられた。




 おそるおそる、目を開く。

 そこは、魔法牢に閉じ込められたときに立っていた広間の中心だった。

 壁際に避難したパーティーの参加者たちが、おびえきった顔をしてラティミーナたちを見ている。
 その手前では、王宮魔導士たちが青ざめた顔をしていた。
『せっかく完成させた魔法牢が……!』とつぶやきながら、次々と膝を突く。誰もが両手も床に突いて、がっくりとうなだれた。

 落ち込むその姿からラティミーナが視線を外すと、ふと、ディネアック王子とモシェニネの寄り添う姿が目に映った。手に手を取り合い、目の前で起きたことが信じられないと言わんばかりに揃ってぽかんと口を開けている。

 何と申し開きをすればいいのだろう――ラティミーナが言葉を探していると、不意に魔王が耳打ちをしてきた。
 それは、とある魔法の出し方だった。
 人間界には存在しない魔法が、魔界にはあるらしい――。ラティミーナは弾かれたように振り向くと、驚きを口にした。

「そのような魔法があるのですか……!?」
「ああ。楽しかろう? できそうか?」
「はい、やってみます!」

 目を伏せ、腹の前で手のひらを上にして構える。
 その手の中に軽く魔力を溜めて、親指で弾いて正面に飛ばす。

 魔王から教えられた魔法の効果は、すぐに現れた。

「『なんで出てくんのよあの女! やっと全部うまくいったと思ったのに! 王妃になって贅沢ざんまいする予定が』……ぎゃっ!?」

 モシェニネが、背中から踏みつけられたかのような悲鳴を上げながら両手で口を押さえる。ラティミーナが放ったのは、狙った相手の心の声を引き出す魔法だった。
 また魔王が顔を近づけてきて、ラティミーナに小声で話しかけてくる。

「(上手だ、ラティミーナ嬢)」
「(ありがとうございます、ウィゾアルヴァールド様)」

 小声で言葉を交わして、微笑みあう。
 ラティミーナたちがほんわかとする一方で、モシェニネが顔を真っ赤にして金切り声を上げた。

「なに今の!? あんた一体、私に何したの!?」
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