上 下
6 / 41
第二章 後宮脱出大作戦

皇帝

しおりを挟む
宮女らしく立って待っていた。随分と長く待った気がした。静寂は私の鼓動を余りにも大きく響かせる。深く深呼吸しようとした時、遠くから足音が近づいてくるのが聞こえた。

皇帝陛下だ。名前も忘れたけど、皇帝陛下だ。
陛下が扉を開ける前に、私は傅いた。

「君は銀蓮インリェン…」
私は顔を上げ、陛下を見つめる。
「ではないね?」

ああ、良かった。銀蓮インリェンのフリなんかしていたら首が飛ぶところだった。

初めて見るこの国を統べる皇帝陛下は、黒髪を後ろで一つに束ね、長い前髪を顔の横に垂らしている。蝋燭の光に映し出される端正な顔だち、ツンと通った鼻に形の良い唇。憂いを帯びた優しげな瞳と強い意志を感じるまっすぐな眉。シンプルな服装に細くとも精悍な筋肉がひきたつ。こんなに美しい男性を見たことは今までにない。

しかし見惚れている暇などない。機嫌を損ねたら首が飛ぶかもしれない。
「はい、新しく入りました宮女の雲泪ユンレイでございます」
「そうか、良く似ているね」
銀貴嬪イングイビンと同じ雲峰ユンフォンの血が入っておりますためかと存じます」
皇帝陛下は少し考え込んだ。すぐに銀蓮インリェンの居場所を聞かれるかと思っていたのに、余計なことを言ったのかもしれない。
「そなた、姓はなんという?」
パイと…」
「いや、違う姓があるだろう。父か母か分からないがもう一つの姓の方だ」
天鵞絨ビロードのように甘く柔らかい声なのに、有無を言わせぬ力がある。この人に嘘はつけないと思った。実際私はまだ皇帝陛下に何ひとつ嘘をつけていない。
「母方は埜薇ヤーウェイでございます」
目を伏せて震えながら傅く私の頭から、皇帝は翡翠ひすいかんざしをぬきとると、蝋燭の光にあてて眺めた。昔を懐かしむような、優しい眼差しだった。
「いかにも、埜薇ヤーウェイ翡翠ひすいに違いない。そなたの言葉に嘘偽りはないようだ」
皇帝は私の顎をひき、顔を上げさせる。
「さすれば、そなたは銀蓮インリェンの従姉妹にあたるのだね。ここまで似ているのも無理はない」

戦禍を逃れた埜薇ヤーウェイ家の姉妹がいたとして、1人は北峰ベイフォン、もう1人が蔡北ツァイベイに逃れていたとしても何ら不思議ではなかった。雲峰ユンフォンの地理を考えれば、逆の方向へバラバラに逃げたとしたら自然なことだ。

銀蓮インリェンに関所ですれ違えたかもしれないのに会えなかったことを残念に思った。母方の親戚だったのかもしれない。異母妹に親近感を感じることはなかったけど、似ている顔で一緒のタイミングで同じ場所で望まぬ婚礼から逃げていた銀蓮インリェンは肉親だと思えた。

皇帝陛下は口を開く。
「して、銀蓮インリェンはどこにいる?」
本当は「ここにはおりませぬ」と答えるつもりだった。実際「どこにいるかも知りませぬ」と答えるのは嘘ではないからだ。

でも、皇帝陛下と話してみると、不思議とこの方のお役に立ちたいという気持ちが湧いてくる。これは皇帝の力なのだろうか、それとも天性の魅力なのだろうか。ええい、ままよ。私は正直に答えることにした。首を刎ねられても仕方はない。

銀蓮インリェン小龍シャオロン白樂京パイラウジンの関所で逃げたようです。偶然、通りがかった私が身代わりとして入宮してまいりました」

皇帝の反応が怖かった。幼馴染とはいえ、花嫁を盗まれたのである。しかし、その反応は意外なものだった。
「それは良くやったな!ぜひ脱走劇を見たかったぞ」
皇帝は少年のような顔で愉快そうに笑い飛ばす。
「計画がうまくいくか心配しておったのだ。輿入りを口実に家を抜け出して駆け落ちさせる。いやあ、小龍シャオロンが頑固者なあ、説得に骨を折ったが、成功したならばそのかいがあるというものよ」
そして、私を引き寄せた。
「そなたが通りがかったのもきっと偶然ではない。僥倖、天啓、運命だろうよ。銀蓮インリェンが後宮入りしたときいて本当に肝を冷やしたぞ。だが、そなたがいてくれて良かった」

皇帝はさも当たり前かのように私に口づけをする。
銀蓮インリェンが逃げるのはいいが、蔡北ツァイベイの責任問題の落とし所と、今後の後宮の扱いについては胃が痛かったからね。朕には敵が多くてね。だがそなたが銀貴妃イングイフェイになってくれたら、全て解決する。ありがとう」

あれ?貴嬪グイビンじゃなかったっけ?気が遠くなるような錯覚を覚える。無邪気に私に抱きついてくる子供のような皇帝陛下をみるに、私が宮女としてお払い箱になる日はまだ遠そうだった。

【第一部 完】
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

京都式神様のおでん屋さん

西門 檀
キャラ文芸
旧題:京都式神様のおでん屋さん ~巡るご縁の物語~ ここは京都—— 空が留紺色に染まりきった頃、路地奥の店に暖簾がかけられて、ポッと提灯が灯る。 『おでん料理 結(むすび)』 イケメン2体(?)と看板猫がお出迎えします。 今夜の『予約席』にはどんなお客様が来られるのか。乞うご期待。 平安時代の陰陽師・安倍晴明が生前、未来を案じ2体の思業式神(木陰と日向)をこの世に残した。転生した白猫姿の安倍晴明が式神たちと令和にお送りする、心温まるストーリー。 ※2022年12月24日より連載スタート 毎日仕事と両立しながら更新中!

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

後宮の不憫妃 転生したら皇帝に“猫”可愛がりされてます

枢 呂紅
キャラ文芸
旧題:後宮の不憫妃、猫に転生したら初恋のひとに溺愛されました ★第16回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました!応援いただきありがとうございます★ 後宮で虐げられ、命を奪われた不遇の妃・翠花。彼女は六年後、猫として再び後宮に生まれた。 幼馴染で前世の仇である皇帝・飛龍に拾われ翠花は絶望する。だけど飛龍は「お前を見ていると翠花を思い出す」「翠花は俺の初恋だった」と猫の翠花を溺愛。翠花の死の裏に隠された陰謀と、実は一途だった飛龍とのすれ違ってしまった初恋の行く先は……? 一度はバッドエンドを迎えた両片想いな幼馴染がハッピーエンドを取り戻すまでの物語。

本日、訳あり軍人の彼と結婚します~ド貧乏な軍人伯爵さまと結婚したら、何故か甘く愛されています~

扇 レンナ
キャラ文芸
政略結婚でド貧乏な伯爵家、桐ケ谷《きりがや》家の当主である律哉《りつや》の元に嫁ぐことになった真白《ましろ》は大きな事業を展開している商家の四女。片方はお金を得るため。もう片方は華族という地位を得るため。ありきたりな政略結婚。だから、真白は律哉の邪魔にならない程度に存在していようと思った。どうせ愛されないのだから――と思っていたのに。どうしてか、律哉が真白を見る目には、徐々に甘さがこもっていく。 (雇う余裕はないので)使用人はゼロ。(時間がないので)邸宅は埃まみれ。 そんな場所で始まる新婚生活。苦労人の伯爵さま(軍人)と不遇な娘の政略結婚から始まるとろける和風ラブ。 ▼掲載先→エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう ※エブリスタさんにて先行公開しております。ある程度ストックはあります。

下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー 庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。 そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。 しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

冥府の花嫁

七夜かなた
キャラ文芸
杷佳(わか)は、鬼子として虐げられていた。それは彼女が赤い髪を持ち、体に痣があるからだ。彼女の母親は室生家当主の娘として生まれたが、二十歳の時に神隠しにあい、一年後発見された時には行方不明の間の記憶を失くし、身籠っていた。それが杷佳だった。そして彼女は杷佳を生んですぐに亡くなった。祖父が生きている間は可愛がられていたが、祖父が亡くなり叔父が当主になったときから、彼女は納屋に押し込められ、使用人扱いされている。 そんな時、彼女に北辰家当主の息子との縁談が持ち上がった。 自分を嫌っている叔父が、良い縁談を持ってくるとは思わなかったが、従うしかなく、破格の結納金で彼女は北辰家に嫁いだ。 しかし婚姻相手の柊椰(とうや)には、ある秘密があった。

処理中です...