上 下
2 / 41
第一章 後宮潜入大作戦

異変

しおりを挟む
異変は白樂京パイロウジンの関所に差し掛かる前に起こった。

首都は異民族の侵攻を防ぐ為にいくつもの城壁で囲まれている。異民族だけではない。ならず者や盗賊の類いなど、首都にふさわしくない者や通行許可者を持たない者も厳しく調べられる。関所は内側に入れば入るほど厳しい審査基準が設けられ、その1番内側の中海京ゾンハイジン紫琴宮ズーチンゴンの玉座に座るのが皇帝陛下である。

一介の商人の娘である私は1番外側の白樂京パイロウジンの関所すら越えたことはない。今回南鞍ナンアンまで下るためには、中心を通る必要はなく1番外に位置する白樂京パイラウジンを右に回ることによって山越えを避けられるはずであった。

旅人にとって関所というのは厄介なものだ。内側が安全であればあるほど、外側に危険が滞留している。例に漏れず、関所越え前の宿場町は審査を通過できなかった者たちの溜まり場になっていた。

「なんでも関所の役人が出張中だから、審査結果は2日待ちだってよ」

私の護衛が酷い南鞍ナンアン訛りで、輿を引く馬の御者に告げる。宿場町で足止めをくらいそうだ。
旅人目当てに飯店や賓館が建ち並び、享楽的な遊戯施設も多い。護衛たちは、1番高そうな賓館の部屋に私を放り込むと、いそいそと遊びに出かけた。無口で可愛げも面白みも無い娘といても、そりゃあつまらないだろう。部屋の扉の前に見張りの1人も置かずに行ってしまったことに、私は大人しい箱入り娘を演じて良かったと思った。

北峰ベイフォンの街を出てから、私はずっと逃げる算段をしていたのである。いや、家を出発する前から準備をしていた。妹の服の下には盗んだ弟の狩衣が仕込んであった。この地域は特に小さい足で小柄な女性が多いから、背が高い私が狩衣を着て、頭をひっつめたお団子にすれば男性に見えるに違いない。良家の子息に見られても厄介だから、狩衣は丁度いい変装だった。あとは弓を背負い、関所を通ることなく山越えをすれば良いだけだ。路銀も店の手伝いで出た誤差をずっと貯めていたへそくりがある。学校に戻ることは叶わないが、随分と先生は可愛がってくれ、男だったら科挙を受けられるのにと残念がってくれていた。どこかの宿屋で手紙をかけば、貴族の家庭教師は無理でも、働き口を推薦してくれるかもしれない。死んだ祖父よりも高齢な男の第五夫人なんてごめんだった。その目当てが薬問屋の経理だとしても、あれだけの支度金を出したのだから一生無給労働させられることは間違いない。

準備を手早く整えて、母のかんざしだけ胸元に仕舞う。白すぎる肌には、眉墨を粉にして油で薄めて塗る。まだらに日焼けした狩人らしい肌色になった。あとは路銀を分けてあちこちに仕込む。

盗人にあったら差し出して命乞いをするつもりだ。命まで取られる場合は仕方がないから、それ以上の対策は考えないことにした。虎穴に入らずんば虎子を得ず。多少のリスクは仕方ない。白樂京パイラウジンに入ってしまったら貴族や町人が増えるから、狩衣で逃げるのは難しくなってしまう。逃げるなら今しかなかった。

予定通り山道に入る。地図は、御者が持っているものを盗み見て記憶して描いたものがある。古く険しい山道だが、江南ジャンナンの方に抜けられるはずだ。江南ジャンナンの街は大河に沿って発展してきた古く大きい街である。先生がどこの仕事を紹介してくれるかは分からないが、北峰ベイフォン南鞍ナンアンは避けなければいけない。どこに移動するにしても船に乗れる街だったら移動しやすいだろう。

下準備の甲斐あって、迷いなく山道を進む。江南ジャンナンまでは走っても3日はかかるだろう。日が暮れるまでには次の宿場町まで移動したい。小走りに進む足取りは軽快だった。次の街には自由が待っているのだ。

しかし次の宿場町に差し掛かろうとする最後の峠でのことだ。私は襲われた。身のこなしや素早さには自信があったが、短剣で応戦する私を最も簡単に黒装束の男が取り押さえる。これは強盗ではない。それを感じたのは男の動きがあまりにも洗練されていたからだ。専門的な教育を受けた間者のようだ。私を傷つけることなく、短剣を叩き落とし。私を運ぶ。追っ手ではない。向かい側から来たのだ。

猿轡をされて大人しくなった私を、私が今夜泊まる予定だった宿場町まで運び、その街で一等豪華な賓館の最上階の部屋に放り込もうとして、扉を開けると部屋では首を吊りかけている小太りの役人の後ろ姿が見える。小さくて小太りの役人がコミカルに勢いよく乗っていた椅子を蹴り飛ばして縄に向けて決死の小さなジャンプをすると、同時に黒装束の男はすかさず縄を切る。小さくて小太りでナマズ髭の役人は潰れたカエルのようにしばらくうつ伏せにピクピク横たわっていたが、黒装束の男が抱き起こして椅子に座らせた。恨めしそうな目で男を睨んでいる。

「なぜ、死なせてくれないの⁉︎今死ねなくても、都に戻ったら死ぬまで酷い拷問をうけるかもしれんのよ⁉︎いやよ⁉︎」
甲高い声で随分と物騒な事を喚いている。
銀蓮インリェンのお嬢さんは連れ戻してきた」

黒装束の男が私を指す。私は「違う、人違いだ!」と叫ぶが猿轡をかまされている為に、ウーウー唸っているような音しか出なかった。

「ホントにー⁉︎でも顔ちょっと黒くないかしら…、1週間も逃げてて日焼けしたの⁇」
「いや、油を塗ってるだけだと思いますぜ」
男が私の頬を袖で擦る。油が取れて、そこだけ白い肌が露出した。
「長い手足に、色素が薄い眼、整った顔は男装じゃ隠せやしないですよ。お嬢さん」
猿轡が外される。良かった、これで人違いに気付いてもらえる。
銀蓮インリェンじゃないです、私」
間髪入れずに、答える。

「ちょっとー⁉︎小黒シャオヘイ、この子銀蓮インリェンじゃないっていってるけどー⁉︎」
「いや、どう見ても銀蓮インリェンのお嬢さんですよ」
「そうよねえ、あービックリした。違ってたらもう一回自殺しなきゃいけないとこだわ!ホント帰ってきてくれて良かったわ」
自殺をもう一度させてしまうのは申し訳ないけれど、私はもう一度繰り返した。
「2人とも私の顔を良く見てください。銀蓮インリェンじゃないです」

小さくて小太りでナマズ髭でオカマ口調の役人と小黒シャオヘイと呼ばれた黒装束の男はマジマジと私を見た。そうして顔を見合わせ、もう一度私の顔を見た。

「すごく似てるけど…この子違うわァァアアア‼︎」

甲高いオカマの叫び声は賓館中に鳴り響いたのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

後宮の不憫妃 転生したら皇帝に“猫”可愛がりされてます

枢 呂紅
キャラ文芸
旧題:後宮の不憫妃、猫に転生したら初恋のひとに溺愛されました ★第16回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました!応援いただきありがとうございます★ 後宮で虐げられ、命を奪われた不遇の妃・翠花。彼女は六年後、猫として再び後宮に生まれた。 幼馴染で前世の仇である皇帝・飛龍に拾われ翠花は絶望する。だけど飛龍は「お前を見ていると翠花を思い出す」「翠花は俺の初恋だった」と猫の翠花を溺愛。翠花の死の裏に隠された陰謀と、実は一途だった飛龍とのすれ違ってしまった初恋の行く先は……? 一度はバッドエンドを迎えた両片想いな幼馴染がハッピーエンドを取り戻すまでの物語。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

ヤンデレストーカーに突然告白された件

こばや
キャラ文芸
『 私あなたのストーカーなの!!!』 ヤンデレストーカーを筆頭に、匂いフェチシスコンのお姉さん、盗聴魔ブラコンな実姉など色々と狂っているヒロイン達に振り回される、平和な日常何それ美味しいの?なラブコメです さぁ!性癖の沼にいらっしゃい!

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

NPO法人マヨヒガ! ~CGモデラーって難しいんですか?~

みつまめ つぼみ
キャラ文芸
 ハードワークと職業適性不一致に悩み、毎日をつらく感じている香澄(かすみ)。  彼女は帰り道、不思議な喫茶店を見つけて足を踏み入れる。  そこで出会った青年マスター晴臣(はるおみ)は、なんと『ぬらりひょん』!  彼は香澄を『マヨヒガ』へと誘い、彼女の保護を約束する。  離職した香澄は、新しいステージである『3DCGモデラー』で才能を開花させる。  香澄の手が、デジタル空間でキャラクターに命を吹き込む――。

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

処理中です...