Lovely Eater Deadlock

久末 一純

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一番大事な仕事の基本~その二十二~

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 名前を知ること。そこから全ては始まるのかもしれない。
 知らないの名前を知るということ。
 分からない名前を知ってもらというとこ。
 それこそが自分と相手、互いの関係の始まりであり、それがいかなるものであろうとも、いかなるものになろうとも最初の一歩になることに変わりはない。
 逆に言えば互いの名前を知らないということは、たとえ互いにどれだけ長くの月日を過ごし、多くの年月を重ね、数え切れない歳月をともに生きてきたとしてきたとしても、そんな互い関係は始まってすらなく、そこには互いの関係など初めから存在していないに等しい。
 名前を知るということこそが、未知なるものを既知へと変える。
 無意識に眼に映るだけの灰色の風景の一部に過ぎなかったものが、無味乾燥で姿のないただの数字の一に過ぎなかったものが、その色とかたちが見えてくる。
 曖昧でぼやけたなかからはっきとした輪郭が浮かび上がり、骨格を軸とし肉づけがされ皮で覆われ神経が通り脳に繋がり暖かな血の通う、
意志と、心と、感情をもった生きた存在として認識できる。
 それが人類同士の間であろうと人外同士の間であろうと、はたまた両者入り混じった結び付きであったとしても何も変わることはない。
 それほど初手が重要な一手であるにも関わらず、その大事な一手をまた失敗したとしかと思えない鉛色の空気が自分と相手双方の間に重たく横たわっていた。
 相手がこちらの挨拶と自己紹介に返事を返してくれるまでは。
 それまでの、永遠を感じるほどに永い狭間、だが実際には数秒にも満たない程度の一寸の間に、世に云うところのというものを存分に味わうことのなった。
 姉ののほうを見れば先ほどとは違い、やれやれと溜息とともに聞こえてくるように小さく手を降るだけだ。
 回線からは今この現場でともに仕事に望んでいる亜流呼や傷仁だけでなく、この接続コネクトの親である九区利を始めとして繋がっている全員のものであろう思いが確かなものとして感じられた。
 それは救いようのない者への呆れと、事態がより困難になったことへの煩わしさと、あとでという恐ろしい制裁の意志が言葉がなくとも、寧ろ言葉など必要なく、最早静かな怒りと諦念とともにれ以上ないほど十二分に伝わってきた。
 こういうときだけはどんなに些末で些細なことでも九区利の能力への技倆の高さが身勝手なことこの上ないが少々恨めしかった。
 一応俺にも多少感度が鈍くとも若干感性が悪くとも、ひとの意志を感じる心がある。
 そうあるはずだ。確信したものが、この身の何処かにあるはずだ。
 今こうして感じているものは皆の意志と思いに
 だが彼女が挨拶と自己紹介を返してくれたことにより、そんな地獄の一丁目から解放される。
 それと同時に回線越しから安堵の雰囲気と、次はもっと上手くやれという無言の圧力をひしひしと感じる。
 いやあまり変わらないのではと思ったが、俺にとって彼女の言葉ははまさに福音に等しい意味を持っていた。
 たとえそれをもたらした相手が黒ずくめで正体不明の復讐者だとしても。
 そもそも本来の福音を授けるという存在の素性自体、
 そうしてお互い何とか挨拶と自己紹介を、さて次はどうすればいいかと元来ならばまたしても悩むところ。
 一難去ってまた一難。
 それが終わりなく続くのが人生であり、それが終わるときが人生の終わりなのだと
 だからといって投げ出すつもりも逃げ出すつもりも全くないが。
 そうだ、いや寧ろ……、これは考えるべきじゃない。
 心の裡から湧き出たものに蓋をして溶接し、強引に目をそらし意識の焦点を今やるべきことに集中して絞り込む。
 そうしていれば余計なものあってはならにものが目に入ることはない。
 そう今やるべきはこの会話を続けること。
 そして今回だけは次の言葉を悩む必要はなかった。
 かたちはどうあれ彼女の言葉に救われたのは事実なのだ。ならばどうすればいいかなどたった一つに決まっている。
「ありがとう。助かった、礼を言わせてくれ」
 本心からの感謝を示す。それ以外に言うべき言葉はない。
 ただ俺にとっては当然の感謝でも向こうにしてみればそんな言葉を受ける心当たりが全くない。
 当惑と戸惑いに塗りつぶさた眼を白黒させながら、それでも返事を返してくる。
 そして彼女が被る仮面に入る罅が大きくなる。
「はあ……それは、どういたしまして……っ!」
 言い終わった瞬間、撥条仕掛けのように大きく後方に飛び退り俺から距離をとる。
 
 反射的な動きにも関わらず一切の無駄のない動きだ。
 よい訓練を受けたその上で、さらに本人が弛まぬ修練を積んできたこがよく伺える。
 音もなく地に足を降ろし、こちらを眼を向けたときには仮面を被り直していた。
 素顔を覗かせていた罅も既に取り繕われている。
 先ほどまでの警戒の色ををより深く濃くその身に纏わせていく。
 当惑も戸惑いも湖面の瞳から消え去り、代わりに羞恥と後悔が浮かんでいる。
「どうしてだ……!」
 仮面を通して詰問する要点のみを穿つ針の声は、最初に聞いたものよりも固く低く、そして鋭かった。
 俺はその問いに答えを返す。
 試験なら間違いなく零点だ。そしてこの場では何点かは考えるまでもない。
 それが悪手であることは分かりきっていた。
 それでもを答える気にはならなかっただけだ。
 そして相手がどう思うか周囲が何を思うかなど一切斟酌することなく解っている間違いを口にする。
「そんな綺麗な眼をした男はいない」
 その答えを聞いても今度は仮面に罅が入ることもなく、その湖面の瞳も凪ぎを湛えたままだった。
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