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第14話 カラスがまた棋士と対局したら

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「皆さん、こんにちは、将棋風流記です」
画面中央でさわやかな笑みを浮かべた青年が頭を下げた。

棋士の富士林金太ふじばやし きんた五段だ。
昨今、棋士や女流棋士でも将棋動画を作成・公開している人が増えているが、その中でも富士林は先駆者の1人だ。軽快な語り口と様々な企画動画は多くのネットユーザーから好評を博している。

「今日はこちらのゲストをお招きしました。どうぞ!」
合図とともに4人、正確には3人と一羽が登場する。
カラスのクロ、飼い主の鈴香と馬場、そして佐倉。もはや将棋ファンにはおなじみになった面々だ。
「今日はよろしくお願いします」
富士森のあいさつに合わせて、3人が「お願いします」と頭を下げ、クロが「クワクワ」と鳴いた。
「カラスのクロ君です。これまでにも橋田五段や愛媛四段が対局されてきたのを皆さんもご覧になったと思います。まだの方はリンクをはってありますので、ぜひどうぞ。私も対局を見たのですが、いやー、強いですね。そこで対局したいと思ってお呼びしました」

富士林は3人に話しかける。
「最近はどんな風に対局しているんですか?」
「はーい!私は二枚落ちが多いです」
「私は飛車落ちと飛香落ちですね」
鈴香と馬場が答える。
「それで勝敗は?」
馬場が苦笑いする。
「なんだか前より勝てなくなってるんですよ」
馬場の言葉に佐倉が付け加えた。
「ずっとクロの棋譜を見てるんですけど、以前よりも駒落ち上手に慣れてきてるようです」
「へえ」
「最初からプロが駒落ちで指す指導対局とは違うことは分かってたんですが、平手以上に厳しく勝ちに来るみたいです。まあ、クロにとっては将棋は勝ちを目指すものって考えなんでしょうね」
「なるほど」

そこからクロの好物や日常生活などに話を移した後、富士林とクロが対局することになった。
盤を挟んで座った富士林と鈴香が駒を並べる。
2人が駒を並べ終わったところで、一同が動きを止める。
「クワッ」
クロがひと鳴きして右側の銀をくわえると、盤の横に置いた。
「銀落ちか…」
佐倉がつぶやく。

時間、もとい、日付を少し戻そう。

愛媛女流四段の対局後、その勝敗とともに駒落ちに至る経緯が佐倉から富士林に伝えられた。
「つまり指導対局を見たクロが手合い差を感じ取ってる、と」
「だと思います」
富士林が「うーん」とうなる。
「興味深いけど、プロとしてはつらい覚悟が必要だなあ」

通常、棋士同士の対局では平手、つまりハンデなしの対局が当たり前。
過去には段位差や対局結果によってプロ同士でも駒落ちの対局が行われたことがあったものの、現在では平手のみとなっている。もちろん名人や竜王といったタイトルホルダーの強豪が、新たに四段となったホヤホヤ新人棋士と対局する時も同じだ。
また、一部の棋戦では女流棋士やアマチュア強豪、プロ一歩手前の奨励会三段が参加することもある。もちろん、その時も平手のみとなっている。
ただし現在でも奨励会などでは段や級に応じた駒落ちが指されており、香落ちや角落ちの研究では奨励会を卒業して四段となった棋士よりも、現役の奨励会員の方が詳しいなんてこともある。

今日に戻ろう。

富士林のところを訪れた3人は、動画の収録に先立って指導対局を受けた。
鈴香は二枚落ち、馬場は飛車落ち、佐倉は角落ち。
プロ棋士ならではの指導対局が行われ、結果は鈴香が勝ち、馬場と佐倉は負け。
その3局をクロが見ていた。

その結果が銀落ちだった。

一般的な駒落ち対局では、角落ちの次に小さいハンデとして香落ちがある。
ただし大駒の角と小駒の香車では威力の差が大きすぎるため、昔は角落ち2局と香落ち1局の3局を一組とする角角香交じりや、両方の香車を落とす両香落ちなどのハンデが用いられたことがある。それに代わって近年取り入れられつつあるのが、金や銀を1枚ないし2枚落とすハンデだ。角落ちほど大きくないが、香車落ちほど小さくもない。

銀が外された盤面を見た鈴香が「えっ…」と声を上げて富士林を見る。
富士林は「うんうん」と数回うなずいた。
「このままで指してみましょう」
富士林の笑顔を見た鈴香は「よろしくお願いします」と頭を下げる。それに続いてクロが「クワッ」とひと鳴きした。
「よろしくお願いします」
富士林も応じて対局が始まった。

コトン
クロが飛車先の歩を1つあげる。

パチン
富士林も飛車先の歩を突く。

コトッ
クロが角道を開ける。

パチッ
富士林も角道を開けた。

「銀落ちとはなあ」
離れたところから見ていた佐倉がノートパソコンを操作しながらつぶやく。
「珍しいよね」
馬場のささやきに佐倉が「いや」と首を振る。
「プロの対局では皆無だけど、アマチュア強豪では研究して人が結構いるよ」
「そうなんだ」
「ソフトで形勢分析をすると、300点から400点差くらいって」
「ふーん…」
言い換えれば、クロは富士林との棋力差をそのくらいに感じ取ったことになる。しかし馬場も佐倉もそこまでは口に出さなかった。
「クロが居飛車で銀がないってことは、攻撃がちょっと緩む感じ?」
馬場の問いかけに佐倉が首を傾げる。
「昔は『攻めは飛角銀桂』なんて言ってたけど、今は飛角桂の3枚でも十分に攻めが決まっちゃう時があるからなあ」
「それに『3枚の攻めは切れる(攻め切れない)が、4枚の攻めは切れない』なんてのもあったな」
「あったあった」

2人が小声で盛り上がっているのをよそに、クロと富士林の対局は進んでいく。
銀が1枚少ないクロがバランスを考えたのか雁木がんぎ模様に進めると、富士林が飛車を横に動かして揺さぶりをかける。クロは飛車を下段に引いてじっくり構えた。

パチン

コトン

ピシッ

コトリ

パチッ!

ひときわ駒音高く富士林が歩を突く。
その歩をクロが取ると、再び富士林が歩を突き捨てた。

「開戦は歩の突き捨てから、か」
佐倉が口にしたように、富士林からの攻撃が始まった。

その後も富士林は飛車、角、銀を絶え間なく繰り出していくが、クロの巧みな指し手に攻めが続かない。
富士林はチラッとクロを見るものの、真っ黒な羽根に真っ黒な目が輝くのみ。

『まいったなあ』

こんな時に対局相手の顔色を伺うことで、自信のあるなし、優劣のヒントを察することができる場合もあるのだが、カラス相手では何も感じられない。
「クワッ」
そんな富士林を逆にクロが見つめる。
真っ黒な瞳が心の奥底まで見透かされそうに思った富士林は、あわてて盤面に視線を移す。
「行くしかない、か」

パチン
攻めを継続するため飛車を切ってクロ陣の金と交換する。

コトン
クロは角で飛車を取って手駒に加える。

ピシッ
持ち駒になったばかりの金を角取りに打ち込む。

カタッ
間接的に富士林の玉を睨むように角を移動させる。

「うーん」とうなって富士林の手が止まった。

「富士林先生、攻め急ぎ?」
馬場の質問に佐倉が「おそらく」と答えた。
「飛車を引いておけば、まだ互角だったと思う。さすがにこの後の反撃が厳しいな」
佐倉が操作するパソコンの画面には、クロの側に1000点ほどのリードが表示されていた。

パチン

コトッ

ピシリ

コトン

クロの二枚飛車が富士林陣に襲い掛かる。
富士林は手堅く受けるものの、ジリジリと押されて受け無しになった。
「負けました」
富士林が駒台に手を置いて頭を下げた。
「ありがとうございました」
「クワァ」
鈴香とクロも頭を下げた。

「ホントに参ったなあ。感想戦は無理っぽい?」
鈴香が首を振る。
「はい、クロが分からないと思うので」
「…だよねえ」
富士林は顔を両手で覆う。5秒ほどそのままでいたが、パッと手を離した。
「じゃあ、もう1局!」
鈴香がクロを見ると、「分かった!」とばかりに「クワア!」と鳴いた。
2人が駒を並べ終わると、クロの動きを待つ。
クロは前局で横に置いた銀を盤上に戻すと、それ代わって金を外した。

富士林が大きくうなずく。
「うん、お願いします」
「よろしくお願いします」
「クワクワ」

コトン
クロが飛車先の歩を突く。

パシッ
富士林も飛車先の歩を突く。

コトッ
クロが飛車先の歩を伸ばす。

パチン
富士林も飛車先の歩を伸ばす。

佐倉と馬場は先ほどと同じように少し離れたところから見守る。
「連敗は避けたいだろうし、厳しい勝負になったなあ」
佐倉の言葉に馬場も「うむ」とうなずく。
「金落ちと銀落ちはハンデとしてどうなの?」
「金落ちの方がちょっと大きいかな。ただ300点から400点差は変わらない」
「指し手の好みで分かれそうだな」
「確かに、馬場さんなら金と銀のどっちが欲しい?」
馬場は「難しいなあ」と腕組みして考えた。
「振り飛車党は居飛車党かでも分かれるだろうし、攻め将棋か受け将棋かでも分かれるだろうしね」

2人が話している間もクロと富士林の指し手が続く。

前局以上に富士林が前のめりになって盤に向かっている。
ふとクロが富士林を見上げて「クワッ」と小さく鳴いた。
富士林が顔を上げると、クロが盤面に向けて顔を戻した。

パチッ

コトン

パチリ

コトッ

中盤から終盤へと局面が進む。

「富士林先生が優勢だな」
ノートパソコンを見た佐倉がささやく。画面には富士林の方に1500点ほどの優位が示されている。
「そうなの?私の目には互角に見えるけど、金の差は残ってる」
佐倉の言葉に馬場が遠目に盤面を睨む。
「いや、ここまで来ると駒の損得よりも、この後の寄せ合いで間違えなければ…だけども」
それを聞いた馬場が顔をしかめる。
「『終盤は駒の損得よりスピード』か、だけどクロは終盤も厳しいからなあ」
「しかし富士林先生も連敗は避けたいだろうし…」
「うーむ」

パチン

トコン

ピシッ!
ほんの少し駒音高く富士林の飛車が成り込む。

コトッ

パチッ

コトン

パチン
富士林がクロの玉の横に金を打った。

クロが羽根を広げて駒台を覆う。
「クワクワッ」
ひと鳴きして頭を下げた。
「『負けました』ですって」
鈴香の言葉に、富士林が「ありがとうございました」と一礼した。
背筋を伸ばした富士林は「勝てたけど、強いなあ」と言いつつ、大きく深呼吸した。

その後は再び銀落ちで対局し、富士林が勝利。
さらに4局目は香落ちで対局し、クロが勝利した。

「クワア」
「クロが疲れたって」
富士林が望んだものの、5局目は指されなかった。
「そうか、ありがとう」
富士林がクロの首筋を撫でると、クロは気持ち良さそうに目を閉じた。

収録が終わると、佐倉や馬場を加えて即席の振り返りが始まる。
佐倉のノートパソコンで優劣を追いかけつつ、局面の分水嶺を探る。
「金落ち、銀落ちなんて初めてですよ」
「アマ強豪ではソフトの試しも兼ねて、そこそこ指されてるんですけどね」
「そうなんですね。良い経験になりました」
そんな3人を見つつ、鈴香はクロにチーズを与えていた。

「今日は本当にありがとうございました」
鈴香がニコニコ顔で頭を下げる。
彼女が背負ったリュックサックの中には、「攻めっ気200%」と書かれた富士林五段の直筆色紙が入っていた。
「こちらこそありがとう。動画を公開できたら連絡するね」
「はい!富士林先生も将棋、頑張ってください!」
富士林が「だね」と苦笑いする。

3人と一羽を見送った後、富士林がスマートフォンを見る。
着信のあった中の1件に電話をかけた。
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