初恋トラウマ

鳴尾

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初恋トラウマ

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「転校生を紹介します。今日から13歳クラス、A班の一員になるジリル・スコットランド君です。さ、ジリル君、挨拶して。」

先生に促されて入ってきたのは、男か女か分からない、中性的な、整った顔の…子どもだった。

「ジリル・スコットランド。11歳。」
「ジリル君は飛び級をして今日から13歳クラスになりました。みんな仲良くしてあげてね。」

先生がそう言って、ジリルは俺の隣に座った。
 休み時間、ジリルの席の周りにはたくさんの人が集まって、飛び級はすごいだとか、勉強はどうやってしているのだとか、色々なことを聞いていた。
 ジリルは笑ってその質問ひとつひとつに丁寧に答えていて、俺はなんだかそれにムカついた。

「なあ、お前なんでそんな格好してんの?女なの?男なの?どっち?」
「えっと…僕は、男…だよ?」
「見えねぇ~。女見てえになよなよした格好してよ。」

クラスメイトがやめろよと止めるまで、俺はジリルにあたって、ジリルは何も言い返さずに笑ってた。
 それが俺は、余計にムカついた。
 なんだよ、なんで笑うんだよ。怒れよ。

 それからもジリルはクラスの人気者で、クラスの中心にはいつもジリルがいた。

 そんなある日、ジリルが授業に居ないときがあった。前の時間は確かにいた。でも今はいない。先生は行方を探そうとも、誰かに聞こうともせず、どころか話題にもあげず、まるで最初からそこに誰もいなかったみたいに授業をした。
 次の時間になったらジリルは戻ってきていて、まるでさっきからずっといたみたいになんてことない顔をしてそこに座っていた。
 先生もずっとジリルはそこにいたみたいに、なんにも言わないで授業をする。
 なんでか分からなくて、気になって、それがすごく気持ち悪いと思った。

 それからジリルはときどき授業に出なくて、先生は何も言わなくて、気がつくとジリルは戻ってきてる、そんなことがあった。
 クラスメイトたちも少なからず気になっていたと思う。けどみんな聞いちゃいけない気がして、誰もそのことについて触れなかった。
 なんとなくジリルに近づく人が減っていって、気づけばジリルの周りには誰もいなくなっていた。
 でも俺はずっとジリルのことが気になっていた。
 なんでかは分からないけど、ジリルを無視できなかった。

 あんなひどいこと言っておいて、俺はジリルが気になってる。

 でもきっと先生もジリルも、聞いても教えてくれない。
 悩んだ末、俺はどこかから戻ってきたジリルに自分のノートを手渡した。

「なに…これ?」
「さっきのノート。お前、頭いいのかもしれねえけど授業聞いてなかったら分かんねえだろ。」
「…ありがとう。」

ジリルはそう言って笑った。
 それから俺は、ジリルがいなくなる度にノートをふたり分とって、戻ってきたジリルにノートを渡すようになった。

 それが俺の日課になって、最初は申し訳なさそうにしてたジリルも、慣れてお礼にってクッキーとか、お菓子を持ってくるようになった。

 俺はジリルに、どこにいるのかを聞かなかった。聞いたらこの関係が終わってしまう気がしたから。

 ある日、ジリルが二時間連続で居ないときがあった。
 今までは1時間で戻ってきていたのに、どうしたのか気になった。今まで気になっていたものが溢れ出して、俺はもう我慢が出来なくなった。

「先生、ジリルはどこ?」

俺は先生に聞いた。
 先生は困った顔をして、すぐ戻ってくるから。そう言った。
 けどその日、ジリルは戻ってこなかった。
 俺は先生に、ジリルにプリントを届けるから、と押し切ってジリルの居場所を聞き出した。

「ジリル君は保健室にいるわ。」

俺は保健室まで走った。プリントは教室に忘れた。
 保健室の扉を勢いよく開けると、保健医の先生に怒られた。

「保健室では騒いではいけませんよ。」
「ごめんなさい。」
「それで、どうしたのですか?具合が悪いようには見えませんが。」
「ジリルに会いに来ました。」
「まあ、ジリルちゃんに。ジリルちゃん、おともだちが来てるわよ。ええっと…。」
「スティーブ・オルカです。ジリルと同じ13歳クラス、A班の。」
「スティーブちゃんですって。」

先生が声をかけた向こうから、驚いた顔のジリルが出てきた。

「どうして…?」

そう聞くジリルの顔色は真っ青だった。

「プリント持ってきた!」

そこまで言って俺は、プリントを教室に忘れたことに気がついた。

「ごめん、プリント教室に置いてきた。ついでにお前の荷物も持ってくるから、帰ろうぜ。」

俺は早口でそう言って、保健室から出た。
 何しに来たんだか分からない。急に恥ずかしくなった。俺は何をしてるんだ。
 教室に戻ってジリルに渡すプリントとジリルの荷物を持って、俺は保健室に戻った。
 保健室に戻ったとき、ジリルはいつもの顔をしていた。さっきの真っ青が見間違いだったのかと思うくらい普通で、いつもの笑顔をしていた。

「スティーブちゃん凄いわねえ。」

俺のそばで先生が囁く。

「ジリルちゃん、スティーブちゃんがプリント届けに来たのに忘れて取りに帰ったこと知って大笑いしちゃって、笑って元気になっちゃった。」

なんか不服だったけど、ジリルが元気になったならまあいいかと思った。

「ありがとう、スティーブ。」

ジリルはそう言って俺から荷物を受け取った。
 ジリルはいつもスクールバスで学校に来てスクールバスで帰ってたから、俺はジリルの家を知らなかった。母ちゃんの車で来て歩いて帰る俺の家の場所も、ジリルは知らなかったと思う。

「家、どっち?」

校門で俺が聞く。

「あっち。」

ジリルが指さした方角は、俺の家と同じだった。
 俺たちは他愛のない話をしながら帰り道を歩いた。

「明日の小テストやだなあ。」
「えっ、明日小テストなの?」
「ジリルがいねえときに先生が言ってた。」
「知らずに明日行って後悔するところだった。」
「お前ならできるだろ。」
「そんなことないよ。」

ジリルは元気そうで、ふらついたり顔色が悪くなったりすることもなく、普通に歩いてる。なんで保健室にいたんだろう。

「ここが僕の家。」

しばらく歩いて、ジリルが白い屋根の家を指さした。おとぎ話に出てくるみたいな、可愛い家だなって思った。
 でもそれ以上に驚いたのは

「俺ん家、ここ。」
「えっ」

俺の家が、ジリルの家の向かいだったってこと。

「引っ越してきて、挨拶してなかったから知らなかった。」

挨拶すればよかったな、とジリルが呟く。

「今度休みの日に遊びに来いよ。」

俺はそんなジリルと、遊ぶ約束をして別れた。

 それからジリルはときどき家へ遊びに来て、母ちゃんと妹のティアとも仲良くなった。
 でもやっぱり学校ではときどき保健室へいってた。
 変わったことは、俺と一緒に帰るようになったこと。
 行きも帰りもスクールバスだったジリルは、帰りだけスクールバスに乗らないで俺と一緒に帰るようになった。
 俺がスクールバスを契約してなかったからだ。
 俺は朝スクールバスが来る時間に起きられなくて、母ちゃんに送ってもらってたから。

 ジリルは1日か2日に1回保健室に行って、先生はジリルに渡すプリントを俺に渡すようになった。

 その週は、珍しくジリルが一度も保健室に行かなくて、ずっと教室で授業を受けていた。
 珍しいなって思ったけどそのことは口に出さずに、俺はまた適当な話をしていた。
 それは家のそばまで来たときだった。
 突然ジリルが動かなくなって、その場で膝をついた。苦しそうに息を吐いて、胸をぐっと抑えている。陸に打ち上げられた魚みたいに口をパクパクして、必死に息をしようとしてるけど上手く息ができてない。
 俺はどうしたらいいか分からなくなって、半ばパニックでジリルを背負った。
 家はもうすぐそこだったから、俺は荷物を放り出してジリルを背負って、ジリルの家まで行ったんだ。
 ジリルの家のチャイムを何度か押したけど、家の中には誰もいないのか返事はない。
 俺は諦めて今度は自分の家のチャイムを押した。
 泣きそうになるのを堪えながらチャイムを何度も押していたからか、すぐに焦った顔の母ちゃんが扉を開けた。
 母ちゃんは俺の背中で苦しそうにしているジリルを見て、こっちに寝かせて!と叫んだ。
 俺は母ちゃんの言う通りにして、ジリルを寝かせてから鞄を取りに行った。
 鞄を持って家に戻ると、ジリルはちょっと落ち着いていて、母ちゃんがジリルに水を飲ませてた。

「大丈夫かい?病院行ったほうがいいかい?」
「いえ…よくあることなので。」

ジリルは真っ青な顔でそう言って力なく首を振る。
 この顔は見たことがある。最初に保健室へ行ったときに見た顔だ。

 30分くらいして、ジリルは本当にさっきまでのが嘘みたいに元気になった。顔色も普通。
 でも母ちゃんはちょっと心配そうだった。

「お父さんかお母さんは?近いけど心配だから迎えに来てもらいな。」

するとジリルは、びっくりすることを言った。

「お父さんとお母さんはあの家には住んでません。あの家に住んでるのは僕だけです。」
「お父さんとお母さんは?」
「僕が前に住んでたところで弟と一緒に暮らしてます。家にはシッターの人が交代で来てくれるから…。」

それを聞いた母ちゃんはちょっと考えて、それからジリルに聞いた。

「今日の晩御飯は?」
「分かりません。あと1時間くらいしたらシッターさんが来るからそれから…。」
「じゃあ今日は家でご飯食べていきな。それからお風呂に入って、スティーブの部屋で一緒に寝な。また倒れたら大変だろう?」

母ちゃんの意思は強くて、ジリルも最初は拒んでたけど、結局押し切られて泊まっていくことになった。
 それが決まってから母ちゃんはシッターさんとジリルの両親の電話番号を聞いて、あちこちに電話をしていた。
 その日、ジリルは俺たちと一緒に晩御飯を食べて、お風呂に入って、俺のベッドで寝た。
 ジリルはずっと楽しそうだった。

 そしてときは流れ…。

「今日から15歳クラスか。」
「実感ないね。」
「また同じA班だしな。」
「今年もよろしくね。」

俺たちはどちらも飛び級することなく、一緒に15歳クラスに上がって同じクラスになった。
 あれからジリルは俺の家で暮らすようになって、いつの間にか向かいの家は売却されていた。
 ジリルは朝俺を起こして、俺は寝ぼけ眼でジリルと朝ごはんを食べて、母ちゃんの車でジリルと学校へ行く。
 授業を受けて、一緒に歩いて帰る。
 一緒にご飯を食べて、風呂に入って同じ部屋で寝る。いつの間にか俺の部屋のベッドは二段ベッドになっていて、ジリルは俺の上で寝るようになった。
 ジリルが倒れる頻度はめちゃくちゃ減って、今では月に一度くらいしか倒れてない。
 急に姿を消す以外に変なところなんてなかったジリルは、その社交性でまたクラスの中心に戻ってる。ジリルの親友はおれだけど。

 ある休日、突然ジリルがベッドの上で話し始めた。

「スティーブに言いたいことがあるんだ。」

その頃にはジリルが倒れることに疑問を抱かなくなっていた俺は、今日の晩御飯のリクエストかな?それにしては大袈裟だよな、とかぼんやりと考えていた。

「僕がよく倒れてた…今もたまに倒れるけど…その理由。」

その瞬間、忘れかけていた二年前の思いがあっという間に蘇った。
 そうだ、俺は元々、それが気になってジリルに声をかけたんだ。ノートをとったり、プリントを届けるようになったんだ。

「いつか話そうって、そう思ってて。」

ジリルはそう言って少し黙った。
 それから少し沈黙があって、ジリルは意を決したように話し始めた。

「僕、前の学校にいたときに仕事をしていて…その、その仕事は、少し人目を浴びるものだっだんだ。」

ジリルは何度か言葉を詰まらせながら、でも必死で話してる。

「少しだけ有名になって、でもそのせいで悪い人が僕のところへやってきて…それで…その…。」

ジリルはそれきり何も話さなくなった。ベッドの上段にいるジリルの姿は、下段にいる俺からは全く見えない。
 ジリルの顔を見にベッドをのぼってはいけないと思った。見るのが怖かったのかもしれない。

「前の学校に、僕のマネージャーだって名乗る人がやって来て、僕は先生に呼ばれて応接室へ行った。」

しばらくしてまた話し出したジリルは、今度はしっかりとした口調をしていた。

「応接室に入ったら知らない人がいて、僕の名前を呼んだ。僕が誰?って聞いたら、知らないの?って。」

また少し声が震えている。当時のことを思い出しているのかもしれない。

「その人は僕に愛してるって言って、僕を抱きしめた。それからのことは曖昧にしか覚えてない。でも、思い出す度に気持ち悪くなって、それで何度も倒れた。」

ベッドから飛び出して、ジリルを抱きしめたくなった。けどジリルの話の邪魔をしてしまうと思って、代わりに枕を強く掴んだ。

「僕を襲った男は、警察に捕まったあと、僕との子どもが欲しかった。って言ってたらしい。異変に気づいて先生にとめられるまで、その男は夢の実現のための行動をしていたらしい。」

その男が誰だか知っていたら、どこにいるか分かっていたら、俺はきっと今すぐ武器を持ってそいつの所へ行っていただろう。
 けど僕はそいつを知らない。知らないことが歯がゆくて、悔しい。

「前の学校にいたら、ずっとフラッシュバックしちゃってまともな生活が送れなくなるし、あの男が脱獄して戻ってくるかもって不安を拭いきれなかったから、両親は僕をあの地から遠ざけた。」

それでここに来たんだ。たったひとりで。
 両親と弟が前の土地に居る理由がやっとわかった。

「なあ。」

俺はジリルが話し終えたのを確認して話しかける。

「抱きしめてもいいか?」
「うん。」

小さな声が聞こえた瞬間に、俺はベッドの上段に飛び乗った。

「もうそいつは、絶対お前に会えない!お前の近くに来たら、お前の目に入る前に俺がそいつをぶっとばす!」

気がついたら泣いていた。

「なんでスティーブが泣くのさ。」

そうジリルに言われて初めて気づいた。
気づいても涙は止められなくて、俺はジリルを抱きしめたまま赤ちゃんみたいにわんわん泣いた。ジリルはひと言も喋らずに、ただ俺を抱きしめ返した。

「落ち着いた?」
「このこと、誰にも言うなよ?」
「言わないよ。僕のために泣いてくれたのに。」

ジリルはまだ俺を抱きしめて離さない。
 泣き疲れてちょっと冷静になった俺は、少し手を離してジリルから距離を取ろうとして、再びジリルの腕の中に戻された。
 ジリルはぎゅっと抱きしめたまま、俺を離さない。離れるかどうかちょっと考えたけど、涙でぐちゃぐちゃの顔を見られるのも嫌だったから、俺は大人しくジリルの腕の中に収まっていた。

「あのね、もうひとつ言いたいことがあるんだ。」
「なんだよ。」
「僕の名前。」
「名前?」
「うん。僕ね、本当はジリル・スコットランドって名前じゃないんだ。本名はリジー・ハーレイ。3年前、トップガールモデルの称号を手にした、ちょっとだけ有名なモデルなんだ。」
「…え?」

そう言ったジリル…いやリジー・ハーレイは、抱きしめていた俺の体を少し離して、今まででいちばん可愛い笑顔で俺を見た。
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