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約束の樹の下で

約束の樹の下で 2

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母が息を引き取ったのは、私が12歳の時だったわ。


その前の数ヶ月、体調がとても悪くて意識のない日も多く父はより母につきっきりで私が母に近づくことすらも許さなかった。

だから、母との会話を私はほとんど覚えていない。

記憶にある母は、いつもベットの上で寝ているか苦しそうにしているか。

そして父はといえばそんな母に付き添い、決して私の方には振り向かない背中しかその時はほとんど見ていなかった。



『うぅっ・・・うぅぅ』



母の死の悲しみを、私は家ではなく村の外れにある大きな大木の下で膝を抱えて泣いていた。

家では父が母を失った悲しみのあまりに荒れ狂っていたから、あの場所に私がいるわけにはいかなかった。


いいえ、私が絶対にいたくなかったのよ。

そんな私のそばに来たのは、やっぱり父ではなかった。



『ベル、ここにいたんだね』


私もヨハンも、背が伸び幼い頃よりだいぶ大きくなったけれどヨハンは変わらず細身で華奢だった。

そして、穏やかで優しさに溢れたその目と表情は何も変わらない。


『ヨハン、ヨハン!お母さんが!お母さんがっ!!』

『ベル!!』


ヨハンは泣き続ける私を抱きしめ、泣き止むまでずっとそばにいてくれていた。


『・・・・ありがとう、ヨハン。だいぶ落ち着いたわ』

『そっか、よかった』

『よくここだって分かったわね?』



村の外れのこの場所は、知らない人の方が多いのに。



『だってずいぶん前にお父さんに怒られたベルが、ここで泣いてたから』

『や、やだ!!あの時見てたの!?』

『ごめん、その時は声かけられなくて』



母に少しでも元気になってもらおうと、パルの実や他の果物を持って帰ったら、病気が悪化したらどうするんだ!?と、急に怒り出した父に殴られ、私はここで1人泣いていた。

あの頃から父はおかしかったのかもしれない。



『ねぇ、ベル』

『なぁに?』



その時、気持ちのいい風が顔の前に吹き私は心が晴れやかになるのを感じた。

だが、その風とともに私の顔の前に来たのはヨハンだった。


『よ、ヨハン??』


いつになく、真剣な顔になぜか心臓が早鐘を打ち出す。


『ぼく、今仕事の合間に色んな本を読んで勉強をしてるんだ』

『そうなの?それはすごいじゃない!』

『それで、もしぼくが大人になって1人で生活ができるようになったら・・・・』

『なったら?』

『ぼくと一緒に、この村を出ていかない?』

『!!??』



ニッコリと、ヨハンが眩しい笑顔を向ける。

その笑顔に太陽の光が反射して、私はあまりの眩しさに目を閉じた。


『・・・・・・・・』


閉じたまぶたの裏にヨハンと別の村や町で楽しく過ごす2人が簡単に浮かび、私の口元もすぐに笑みが浮かぶ。

朝と夕方は、2人で話しながら水を汲みにいってもいい。

ヨハンのにぎるおにぎりはおいしいから朝ごはんは交代で作って、仕事を終えてからの夜ごはんは一緒に作れたら楽しいだろうな。

そのあと、星を見ながら色んなことを話して、ただただ2人でゆっくりな時間を過ごしたい。



『いいわね。ヨハンとなら、私この村を出るわ』

『ほ、本当っ!?』

『えぇ。その代わり、家事は2人で分担よ?』

『や、やったぁぁぁ!!!』



ヨハンがこんなに嬉しそうなところを、すごく久しぶりに見た気がする。

いつも笑ってるけど、辛い時でも彼はよく笑顔でいたから。



『そしたら僕たちが大人になったらこの樹の下で待ち合わせして、一緒に村を出よう!』

『大人って、どれくらい?』

『そうだなぁ~~結婚できるくらいかな?』

『そうね。そしたら私たちが18歳になっても同じ気持ちだったら、この樹の下で待ち合わせね!』

『うん!じゃ、はい!ベル、ゆびきり!』



最初にこの『ゆびきり』をヨハンに教えてもらったのは、もっと私たちが幼い頃だったわ。



『やくそくをするときは、こうやってこゆびをぎゅってさせてゆびきりするんだ!おかあさんにおしえてもらったんだよ!』



ヨハンの母親は、ヨハンが6歳の時に病気で亡くなっていた。

彼によく似た面ざしの、優しい人だったらしい。

ヨハンが小指だけを立てて私の前に右手を差し出してきたので、私も指を真似て小指を立ててその指に近づける。



『こうやって、しっかりこゆびどうしをくっつけて』



それは、私たちにとってはいつも神聖な何かの儀式のようだった。



『『 ゆ~びき~りげんまん、う~そついたらはりせんぼんの~ます、ゆ~びきった♪』』



2人の声がぴったりと合わさりながら、小指が最後はすっと離れていく。


『そういえば、こうやってゆびきりするのなんて久しぶりね』

『そうだね。でも、今からすごく楽しみだ!』

『そうね!それまでに色々、準備しないとね』



この時の私はヨハンとの幸せな未来を心に描いて、毎日がとても幸せな気持ちだった。


いつかこの暮らしは終わると。

今だけなのだからと、そう思えばどんなことも耐えられるような気がしたのよ。







でも、ヨハンと別れて家に帰れば、辛い現実が待っている。

父は母が亡くなってから日に日に荒れていく中で仕事も全くしなくなり、その悲しみと苦しみをお酒に逃げることで紛らわしていた。

母が生きていた頃のような、主に母に向けられた優しさを感じる姿は一切なくなり、苛立ちを物に当てることも増えた。


家では父の怒鳴り声と物が割れる音が響くことが多く、私は少しでも家にいたくなかったこともあって、村中の家に何か仕事がないかお願いし少しでもいつか村を出る時のためにとお金を貯めることにしていた。


ヨハンと家を出れば、解放される。

そしてそれは、私が16歳になってからすぐのこと。




『・・・・・おい、金はどこだ?』



父が、正気でいたことなんかここ数ヶ月ろくになかった。

なのに、どこから聞きつけたのか私が仕事を増やしてお金を稼いでいることを嗅ぎつけた父は、私の部屋の数少ない棚や宝物を入れた箱も全部壊してひっくり返して、毎日少しずつ貯めたそのお金を取っていってしまった。



『父さん、そのお金は今すぐ返して!!お酒のお金はちゃんと渡したじゃないっ!?』

『うるせぇっ!!あんな金じゃ、ろくなお酒が買えねぇんだよっ!!』

『それは大事な、大事なお金なの!!』

『子どものくせに、親に逆らうんじゃねぇぇ!!』

『!!??』



父は私の顔や体をひとしきり殴り私の抵抗がなくなると、そのままお酒を買いに外へ出て行ってしまった。

母が生きていた頃も、母の病気が中々良くならないことに苛立ちを抑えきれない父から殴られたことは何度かあったが、すぐに我に返った父はその時はすまないと謝っていた。


わざとじゃないんだ!と。

だが、今はそんな父はどこかへ行ってしまった。



私は痛む体を引きずりながら、村の外れのあの場所へと歩いたわ。

2人の約束が果たされるのは、まだあと2年ほど。

18歳になればヨハンは大人として村長である父親から認められ、自分で生きる道を決めてもいいとその許しをもらえたとヨハンは話していた。

私は父に許しを得ることは最初から考えておらず、その時がくれば黙っていなくなろうと思っていた。


その場所に来ることで、私の心は救われたような気になったから。



『うぅぅ・・・ううぅ、お母さん。どうして、どうして私達をおいて死んでしまったの?グスッ!ううぅ・・・お父さんが愛してるのは、お母さんだけなのに!!』



満天の星空下で、私は泣き続けた。

泣いて泣きつかれて眠って起きたらこれは全部夢でお母さんは生きてて、お父さんも前のように優しい顔をしてる時があって。

家の仕事がきつくても、ヨハンと笑いあっている毎日が戻ってきたらいいのに。

そうして、私は本当にその場で眠ってしまった。


次に目が覚めたとき、私は知らない天井を眺めていた。




『ここは・・・?』

『ベル!気がついたんだね!』



ベットの脇にいたのは、ヨハンだった。



『ヨハン・・・・・なんで?』

『君の姿が見えないから、ずいぶん探したんだよ?あの約束の樹の下で君を見つけた時、どれだけぼくがほっとしたか!!』



ヨハンが私の体をしっかりと抱きしめる。

父に殴られた部分が少し痛んだけどそんなことがどうでもいいくらい、私は今この腕の中にいることが嬉しかった。

私の体のいたるところに包帯が巻かれていて、寝ている間に丁寧に手当をしてもらっていたことが分かる。


『ベル。君に、渡したいものがあるんだ』

『なぁに?ヨハン』

『これ』


ヨハンの手の中には、銀色の少し太めのブレスレットが2つあった。

細かな柄がかかれたそのブレスレットの裏の、ヨハンがある部分をそっと指差す。

そこには1つずつに、それぞれ私とヨハンの名前が彫られていた。

私は読み書きがあまりできないけれど、ヨハンに教えてもらって自分とヨハンの名前くらいは読めるようになった。



『ど、どうしたの?これ、すごく高かったんじゃない?!』


どう見たって、村で簡単に手に入るようなものじゃない。


『うん。旅の行商人から買ったんだけど、小さい頃からコツコツ貯めてたお金が全部なくなっちゃった!』



ニッコリとヨハンは笑うが、私の方は笑い事じゃない!

それがどれだけ苦労して貯めたお金かを、私は十分に知ってる!


『なくなっちゃったって、どうして!?』

『いいんだ。その為に、ずっと溜めてたんだから』

『・・・・・え?』



そして、『YOHAN』と書かれた銀のブレスレットを私の手首につけ、『BERU』と書かれたブレスレットをヨハンが自分の手首につける。



『ずいぶん前に、父さんの部屋にあった本で読んだんだ。村の外れのあの樹には伝説があって、お互いの名前を書いた銀色のアクセサリーを身につけて、木の下で愛を誓い合うと永遠にその2人は幸せになれるって』

『・・・・・ヨハン?』

『それを本で見つけてから、絶対にベルに銀のアクセサリーをあげよう!って、ずっと前から決めてたんだ』


ヨハンの言葉に、私の胸の熱くなり目と鼻の奥が涙でぐしゃぐしゃになっていく。



『バカ!!バカヨハン!!』

『べ、ベル??』

『私の気持ちも全然聞かないで、何勝手にこんなもの用意してんのよ!!』

『ごめん、迷惑だった?』

『バカっ!!!迷惑なわけないじゃない!!それならそうと、なんで早く言ってくれなかったの!?』



私は泣きながら、ヨハンの頭や体をポカポカとこぶしでたたく。



『ごめん、ベルをビックリさせたくて』


迷惑じゃないと聞き、ヨハンの顔に笑顔が戻る。


『それに、私の本名はベルじゃなくてイザベルよ!!書き間違えてんじゃない!!』

『あ、しまった!!』

『もう、ヨハンのバカ・・・・・大好きよ!!!』


そう告げると、イザベルはヨハンの首元に泣きながら抱きつく。

その細い背中を、ヨハンはしっかりと抱きしめ返した。



『うん。ぼくもずっと前から、ベルが好きだよ』

『ヨハン、約束・・・・絶対守ってね!!』

『うん、もちろん守る!』



そして、体をそっと離した私たちは、もう一度あの儀式をその場で繰り返した。



『『ゆ~びき~りげんまん、う~そついたらはりせんぼんの~ます、ゆびきった♪』』



そして、何度目かのゆびきりの後に、2人のくちびるが静かに合わさった。

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