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また『神の玩具』が起点となって、王都に混乱の火種が生みだされることとなっていた。
今回の中心にいるアンリは、大したことをしているわけではないのだが、立場や相手といった物を一切考えていなかった。
この世界の人たちと考え方が違うせいなのか、この世界のことを理解しようともしていないからなのか。
「……よくもまぁ、婚約者が決められた後に男漁りをするものだ……」
レッドは大きくため息をこぼす。
アンリの行動に呆れた思いしか出てこないのだ。

貴族は平民たちに比べれば、理解出来ない程に名誉を重視している世界である。
そのため、名誉に傷がつくことを恐れ、嫌がるし、そのような事態になった場合はその事実を消すように動く。
一番早いのは、その原因となる相手を排除することであり、その者を排除しなければ汚名を返上できない場合などもあるのだから、相手を排除することに権力を振るう。
あの世界は、陰湿で、傲慢で、それでいて笑顔で相手を牽制し合わなければいけない。
レッドは改めて、気楽に仕事を選べる冒険者という仕事が性に合っているのだと、実感する。
だがそれとともに、その厄介な貴族世界に関わる仕事についたタカヒロのことが心配になり、自分はその世界にあまり関わりたくないのだが、そうとばかり言っていられないのだろうとも思う。
貴族世界について考えてしまうと、陰鬱な気持ちになってきてしまい、レッドは思わず体を伸ばして、大きく息を吐いた。

「もう疲れたのですか?」
リベルテがレッドの様子を見て少しからかうような口調で言ってくる。
リベルテの目が笑っているのがわかるので、レッドにもからかってきていることはわかっている。
わかっているが、言い返せる言葉は出てこない。
もうそれなりに日が過ぎているのだが、ずっと寝ているしかなかった時期があったのが原因で、自ら選んだ仕事であるが、思いのほか負担を感じさせられていたのだ。
屈み続ける姿勢に、腰と膝が少し痛み出てきていて、特に辛いのが腰だった。

レッドたちは今、畑の依頼を受けて来ていた。内容は雑草の抜き取りと間引きだ。
雑草抜きは昔から農家はやってきているのだが、間引きと言うのはここ最近の手法で、ファルケン伯のハーバランドから広まってきたものだ。
たくさん植えている方が、収穫量が多くなると思われてきたのだが、不要な葉や茎、芽を取っていくことで中心の茎が太く育ち、大きく、そして多くの実をつけるようになっていくことがわかったのだ。
不要であったり取っても良い芽や葉がどれかと言うのは、ずっと畑仕事に就いてきている本職なら経験でわかることが多いのだろうが、その本職の中でも正しく理解できていない者もいて、葉や芽を摘むことで却って弱らせてしまうことも聞くことがある。
そんな状態で、人手が必要な時に依頼を出される冒険者たちで理解している者は少なく、広まってきている方法で育てている農家は、王都ではまだ多くはない。
ただ、ファルケン伯が提唱する前からそうしていた農家も居るらしく、人の知恵にレッドは一人感心したものである。

依頼を出した農家は、そのハーバランドから広まってきている手法を取り入れている農家であったため、レッドは雑草抜きを担当し、不要な葉や芽を摘むのはリベルテに任せることにしていた。
レッドは必要な芽や葉を摘んでしまいそうで、説明された後すぐにリベルテに重要な方を頼み込んで作業に入っていたのだが、一人で土に根を張る雑草を抜く作業を続けると言うのは、畑が広いこともあって作業を続けていくほど、考えていた以上に体、特に腰への負担が大きかったのである。
だからレッドはリベルテの、もう疲れたのか、と言う言葉に返せる言葉が無く、黙って背筋を伸ばしたり、軽く腰を叩いたりするだけだった。
もちろん、そんな仕草は年寄りくささを強調するだけで、リベルテが大きく笑う。
陰鬱になりかけていたレッドであるが、ふとした笑い声はつられるもので、レッドも大きく笑い声を上げる。
笑うことで気持ちが軽くなっていき、上に広がる青空が気持ちよく感じられるようになってくる。

今回の話は、城で貴族たちによって動く話である。
これまで以上に、ただの冒険者であるレッドたちが関われる話では無い上に、関わろうとしても手を出す術は何もない。
出来ることとすれば、その騒動の火の粉がレッドたちや王都で暮らす人々に降りかかってこないことを祈るか、降りかかってきた際に、動けるように備えるだけであった。
今の自分たちの生活を大事にするだけ。
大きく息を吸い込んだ頭は、先ほどまでに比べるとすっきりしていて、レッドは自分の中心を見つけられた気がした。
「よっし。続きをやるとするか!」
「気合入れすぎて、本格的に痛めないようにしてくださいね。さすがにそんな看病はしてあげませんよ」
ますは目の前の仕事をしっかりとこなそうと、気合を入れなおすレッドに、リベルテからまたからかい半分の言葉が掛けられる。
これまた言い返したいレッドであったが、すでに痛む腰を思えば、言い返しても恰好悪い思いをするだけになりそうで黙るしかない。
出来ることとすれば、本当にそうならないように気をつけることだけで、レッドは気持ちゆっくりと屈むようにする。
気合を入れたわりに年寄りっぽいレッドの動作が、リベルテの笑いを一層誘ったらしく、またリベルテが笑い声を上げていた。
久しぶりに見るリベルテの屈託の無い笑い声に、レッドは眩しい物を見るような目になる。
リベルテが最初に笑ってくれたのが何時だったのか。レッドはそれが思い出せなかった。

「そろそろ休憩されてはいかがですか?」
少し離れた所から、畑の持ち主で依頼主ある老人から声が掛けられる。
もう陽は一番高いところに昇っていて、ここまで時間が経っていたことにレッドはまったく気づかなかった。
それくらい集中して作業をしていたのだが、作業が終わったのは一面がやっとだった。
レッドはまた体をぐいっと伸ばすと、関節から音が鳴り、それとともに、うあ~、と体から吐き出すような声が出てしまう。
本格的に腰に違和感を覚えてきていて、レッドは休憩は素直にありがたいと思っていた。
老人の方に向かって歩いていくが、近くにリベルテの姿が見えず、レッドはリベルテを目で探す。
「リベルテは……」
近くを見回すが見当たらなく、少し視点を遠くへ向けると次の畑の方でその姿が見えた。
リベルテは軽やかな足取りで、老人の所に向かってきていた。

「年に差はない。年のせいじゃないはず。……無いはず」
レッドは軽く腰を叩き、肩や首を動かしながら歩き出す。
腰や肩など痛みを感じるが、ゆっくりと吹く風と気持ちの良い青空に、のんびり過ぎていくような時間が感じられる。
レッドは少し目を瞑ってゆっくりと息を吸う。今のような時間がやっぱり好きなんだとはっきりと思えた。
「レッド。遅いですよ。ほら早く座って」
レッドが一番遅く到着すると、リベルテがレッドを急かす様に言いながらも、コップに水を注いでくれる。
井戸から汲み上げられたばかりの水は冷えていて、早くもうっすらとコップに水滴を滲み出させていた。
レッドはそれに惹かれるように一気に飲み干す。途中で止められなかった。

「っはぁ~~。美味いな」
「天気も良いですしね。結構汗もかいてますから、冷たい水がとてもありがたいです」
レッドが飲み干したコップに、リベルテがまた水を注いでくれる。
レッドはリベルテに感謝の言葉を口にし、今度は一口だけ口をつけ、ふぅっとゆっくりと息を吐く。
茣蓙に腰を下ろし、用意されていたサンドイッチを食べながら、青々としている畑に目を向ければ、目の前に広がる風景がとても贅沢なものに感じられてくる。
陽射しは強めで暑い日であるが、木陰であればそれはだいぶ和らぎ、時折吹く風が心地良い。
「良い景色だよな」
レッドから独り言が漏れるが、リベルテはちゃんと拾ってくれ、微笑みながら、そうですねと相槌を返す。
とても穏やかで、平和で、レッドはこういった時間を守りたいと強く思う。
そしてそう思った時、ふと、『神の玩具』たちはこのような時間を経験しているのか疑問に思った。
『神の玩具』たちは、何かに追われるように生き急いでいたように思えたのだ。

今、城にいるアンリという女性も、彼女自身が望む先があって、そこに辿り着くために動いているはずだった。
だが、彼女は周りを見ていなさすぎるのだ。
自身の考えだけに固執して動いていて、今居る立場も状況も、相手の立場も状況も何も見ないで、何も考えないで、気にすることすらもしないで動いている。
そんな独りよがりの行動のツケが、大きく彼女自身に災いを持って跳ね返ろうとしているのだ。
そしてそれは、彼女が行動してきた結果なのだから、それを今更無かったことになど出来もしない。
彼女が本当に心から望むのであれば、時間をかけてゆっくりと周囲を見ながら動くべきだったし、本気で想う相手がいたのであれば、その相手にだけ想いを寄せるように動くか、立場と状況を理解して飲み込めば良かったのだ。
彼女はそんな時間を持つことも、立ち止まることも、しようともしなかった。

レッドはまた、気の重い息を大きく吐いてしまう。
「天気が荒れるかもしれませんな」
ふと、老人が陽射しを遮るように手を翳しながら、少し遠くを見て言う。
天気が良いと言った後のすぐの言葉が、大きく気の重そうな息を吐いてしまったレッドへの遠まわしの批判に思えてしまい、レッドは老人を胡乱気に見てしまう。
「本当。遠くの山の方ですけど、雲が黒いですね」
リベルテも同じように陽射しを遮るように手を翳しながら遠くを見て、老人に同意の声をあげる。
そこでやっと、レッドも遠くに目を向けた。
山間の方に黒く厚そうな雲があるように見える。
一雨きそうなことを予期させるものだが、それが王都に来なければ良いのにと、レッドは何故かそう思った。
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