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26~海の魔女
しおりを挟む坊ヤ……妾ノ坊ヤ……ッ!!
「懐かしい顔ぶれに、こんなところでも会えるなんてね……!」
うめき声と共に、波が激しく動く。波打ち際にいたディーヴァの膝まで、波が押し寄せてきた。
坊ヤ――――――!!
「現れたわねーーー!!マーレ!!!」
海の底から現れたモノ、それは海の魔女と恐れられている怪物。上半身が長い緑の髪を持つ女の姿で、下半身が醜い海蛇。海の中でトグロを巻き、その上半身をディーヴァたちの前で露にした。
赤い宝石が付いた杖を持ち、貝殻と宝石が連なった装飾品を身につけて。豊満な胸を白い布だけで隠した姿で、ディーヴァを苛立った目付きで上から見下す。ディーヴァも負けじと、ふんぞり返って睨み返した。
「妾の坊やをたぶらかす女はお前か!ディーヴァ!!」
「……たぶらかすとかはさておき。マーレ!!あんた、なんで起きているのよ?!三十年前にあたしが封印して、今も蛸壺たこつぼの中で眠っているはずなのに!!」
「あの時はよぅも妾を、あんな暗くて狭くて臭い蛸壺の中に押し込めてくれたものよ!お前への腹立たしさや憎らしさは、今でも忘れてはおらぬぞ!?」
「なーにが腹立たしさや憎らしさよ!それはこっちの台詞だっての」
「お黙り!!妾が妾の坊やを慈しむことの何が悪い!?アレスは妾の子じゃ、妾の子供がフィトラッカ国の国王になるのじゃ!!」
「妄想は自由だけど、それを赤の他人にまで押しつけるなってさんざん言ったわよね?アレスはあんたの子供じゃない!フィトラッカ国の国王夫妻の子供だって、何回も何度だって言ったじゃない!!何回同じことを言えば気が済むの!?」
今でこそ、海の魔女と恐れられているマーレではあるが。三十年前まで、マーレはまだ人間の少女だったのだ。
うら若き乙女であったマーレは、強く逞しい国王に恋をしていた。魔女の娘で、生まれつき強い力を持っていたマーレは。自分と結婚すれば、国を安寧に導いてやる。加護を与えてやるからと、国王に結婚を迫った。
しかし、相思相愛だった王妃がいたので。国王はマーレの求婚を断る。……だが、諦めきれなかったマーレはその王妃に嫌がらせを始めたのだ。身の回りから嫌がらせがはじまり、それらはだんだんとエスカレートして――――。
とうとう、王妃に呪いをかけた。アルベルティーナと同じ、体が衰弱し。いずれは衰弱して死んでしまうという、恐ろしい呪いだ。
「アレスから魔女の匂いがして、もしかしたらと思っていたけど――――まさかあんたが復活していたとはね。アルベルティーナの衰弱具合が、王妃の時の衰弱の仕方と同じだったからすぐにわかったわ」
「あの娘は贄じゃ、坊やが国王の座に就く為のな。娘を人柱とし、この国全体に呪いをかけた!!今度こそ、妾の計画に失敗はない!」
アルベルティーナにキスをした際に、マーレの魔力の経路を辿り。呪いの根源は、海に通じているとわかったのだ。……海には、マーレがいる。犯人は考えずとも、容易に知れた。三十年前、全てに絶望したマーレは海に飛び込み。底に沈みながら、下半身が海蛇へと変化して恐ろしい海の魔女となったのだ。
そして、このまま野放しにはしておけないと判断したディーヴァが。海蛇に変化したその瞬間を狙い、マーレを特別な蛸壺の中に厳重に封印した。海の底に沈め、二度と目覚められないように。
「あの時、……情けをかけるんじゃなかったわね。あたしが甘かったわ!」
「あの程度の封印など、十年もあれば簡単に解けたわ。目覚めた後は、坊やをあの男から引き離す為。色々力を尽くした。……少し囁いてやっただけで、人というものは。口さがなく噂を広めるのだから、因果な生き物よのぅ」
「……あんただったのね、アレスの外見の中傷を必要以上に広めたのは……」
マーレは妖艶に唇を持ち上げ、微笑んだ。
「妾が噂を広めた」
「なっ……ん……だと?!」
海岸の防波堤にもたれかかっていたアレスは、フラフラとおぼつかない足取りで海の方へと歩いていく。ディーヴァが大声でたしなめ、アレスはその場にくずおれた。
「妾の坊やが妾のものだと、そうハッキリ言ってやったまでのこと」
「そのせいでアレスがどれだけ苦しんだと思っているのよ!!王族の長子として、受けるはずたった誉れも背負うはずたった責任も全て投げ出さなきゃいけない事態に陥ったのよ!?」
「……そんなもの、すぐに取り戻せる。この国の全ては、坊やの物なのだから!坊やを国王に据えることが、妾の生き甲斐……っ!あぁ、坊や。妾の坊や……!!待っておれ?あと少しじゃ、あと少しでこの国は坊やのものじゃ」
下半身をグネグネと動かし、アレスの方へ向かおうとする。ゆっくりと、アレスの方へ手を伸ばしてきて。黒く染めた尖った爪が、鈍く光り恐怖が募る。
アレスはディーヴァの助言で、再び防波堤まで避難していたが。長い海蛇の体を持つマーレにとって、海に入ったまま壁際まで向かうのに。何の支障もなかった。だが、ディーヴァがそれを許すはずがない。マーレの行く手を、真っ向から阻んだ。
「だから!アレスはあんたの子供じゃないのよ!!あんたは子供を産んだことないでしょう?!処女のくせに!!!」
「人の秘密を平然とバラすでない!!……たとえ事実がどうであろうと、坊やは妾のものじゃ!誰にも渡さぬ!!」
「……虚しい夢を見るのは、もうやめなさいよ。アレスをあんたの子供だと言い張ったって、国王があんたのものだった事実は手に入らない」
「…………黙れ……っ!!」
「アレスだっていい迷惑よ!自分のせいで家族に災厄が降りかかるかもしれない……そう考えて、悩んで苦しんでたのよ?いい加減に、目を醒ましなさい!!」
「うるさい!!!」
激情に駆られ、杖をかざし魔法で攻撃してきた。海水で作られたたくさんの玉が、ディーヴァに襲いかかる。それらが爆発すると共に、砂浜が吹き飛び辺りに砂塵が舞う。……その一瞬の隙をつき、アレスを連れて逃げだした。
この場でマーレは倒せても、呪いが解ける訳ではない。きちんと解呪を行わなければ、呪いは解けずアルベルティーナは死ぬ。しかも今倒してしまったら、呪いが暴走して解呪も出来なくなってしまう可能性がある。今は、逃げなければいけない。
手に手を取り、二人は海辺から素早く逃亡した。煙が消えると、いなくなった二人に気づきマーレは悔しそうに歯ぎしりする。
「おのれ……っ!!……だが、そう急くこともない。もうすぐ、時は満ちる。あの男が愛した全てのものが、妾のものになる……!今に見ておれ!!」
うめき声が、夜の海から響いてくる。坊や、坊やと、子供を呼ぶ声が波の音と一緒に。海の底へと消えていった。
――――――その頃、ディーヴァは無事にアレスと共に海から離れた裏通りまで逃げてきた。足を止め、息を整えながら少し周りに視線を向ければ。人が行き交う、賑やかな様子が見える。
「(あぁ……戻ってきた)」
さっきまでのアレは、酒に酔いつぶれたせいで見た夢で。今やっと目覚めたんだ。そう思いたかったが、ディーヴァの容赦ない言葉で。アレスは一気に、現実に引き戻された。
「達が悪いでしょう?魔女ってやつは……」
大きく伸びをして、体をほぐしはじめる。面倒な相手と対峙して、疲れたのだろう。今夜はもう、部屋に帰って眠りたいと呟いた。……そんなディーヴァに、アレスはどうしても聞いておきたいことがあった。冷静な頭で、現状を把握出来る能力が備わっている。それに気づいたディーヴァは、さすがは第一王子よと心の中で称賛の言葉を贈った。
「………………その、マーレとかいう女が。俺の母親なのか?」
「あぁ、そのこと。勘違いしないでよね!あなたが産まれた時に、マーレの嫌がらせが始まったのよ。仲睦まじい家族の姿を見て、王妃がいる場所に自分がいられたら……あの場所には私が………私があの子の母親だ!と、いうわけ」
「妄想なのか?!」
「そう、妄想」
ディーヴァは遠い目をした。何度も、何回も、それこそこちらが億劫になるまで。マーレには、事実を教え続けた。二人は似ているところはないし。国王と体の関係はなかっただろうと、しつこく言い続けたのだ。
確かに、アレスの外見は王族の誰とも似ているところはない。だが、たったそれだけのことでマーレの子供だと認められるはずがなかった。ディーヴァの説得も虚しく、三十年の時が過ぎた今もマーレの妄想は続いている。
「……マーレの母親とあたしが知り合いだったから、マーレの話は聞いていたの。どうしているのかずっと気にしてて、三十年前にあたしが代わりに様子を見に行って……この結果よ。まさか、こんなことになるとはね」
「――――――待て。あの女の母親と、知り合い?マーレって女は、少なくとも五十歳前後だろう!?」
「マーレの母親は、マルガレーテと言って。ここから、山を二十くらい離れた場所にある、翠玉の森の番人をしているの。昔は、フィトラッカで暮らしていたんだけど。あたしが、森の番人が亡くなったってぼやいたら。代わりに、番人になってやるって言ってくれてね~」
「今聞きたいことはそんなことじゃない!!……お前の、歳は……っ?」
「百歳なんてもんじゃないわよ?」
五千年以上生きてマス。ピース。……そうは言えなかったが、充分だった。百歳以上。それを聞いて、アレスはその場にくずおれる。悲壮感漂う表情が、全てを物語っているようだった。
「歳がそんなに重要なこと?」
「重要!……か、どうかは、重要じゃないと言えないことはないかもしれない……かも」
「どっちよ」
「あぁ……」
違う意味で、疲れたようだった。多くの事実が一度に明らかになって、気が遠くなっていく。酒もほどよく体内を巡っていたので、心地よい疲労感がアレスを襲った。目眩を起こし、そのまま地面に倒れ気絶してしまった。
「あらあら、そろそろ限界だったみたいね」
「ディーヴァ!ご無事で!?」
都合よく、敵を蹴散らしディーヴァたちを捜していたカダルがやってきた。数十人を相手にし、傷どころか服に汚れすら見当たらない。その上で、ディーヴァにどこか変化は見られないかを入念に調べた。
「……服が濡れていますね」
「海水で濡れちゃったのよ」
「この国の気温が高いとはいえ、さすがに夜は冷えます。よろしければ、これを――――」
そう言って、自分が着ていた外套を脱ぎディーヴァに着せる。しっかりした素材で作られているので、着たら少し暑い。それでも着なければ、カダルから無言の圧力をかけられるからディーヴァは大人しく着ることにした。
「花の香りがするわね」
「用意された部屋には、たくさん花が飾っていましたから。香りが移ったのでしょう」
「いい香りだわ」
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