上 下
19 / 32

犬猿

しおりを挟む



「決して許さない。傷つけることも、殺すことも絶対に許さない。人間は弱くて、ひどくもろくて、簡単に死んでしまう生き物なのだから。そんなものに手を出せば、必ずあなたたちこそ破滅はめつする」
「見てきたように言うのね」
「知っているだけよ。弱い者は守りいつしむもの、傷つけみにじっていいものじゃない」
「それこそ知ってるわよ~!三年前、照葉にコテンパンにらしめられてからはどんなにムカつくやつでも手を出していないでしょう?」


 照葉が十五の時のことだった。
当時、いわく付きでもなんでもいいから予算をなるべく浮かせられる安い物件を照葉は求めていたのだ。
そんな時、いわく付きだがちょうど格安の物件が売りに出されていてこれは幸運と喜んで買おうとした。

 しかしいわく付き(現在進行形)の物件で、悪さをしていたのが庭に植えられていた椿の木。
つまり椿の妖だった。

 一重咲ひとえざきの椿の花をこれみよがしに道に落とし、本体のある木のところまで人間をみちびく。
艶美えんびな美女につられてのこのこやって来たら、捕獲完了。
あとは精気を吸い取りポイ捨てを繰り返すことをやっていたのだ。

 家に住む住人だけでなく、通りすがりの者なども餌食えじきにしていたらしい。
情けからか健康的な若い男しか手を出してはいなかったそうだが、それでも死んでも構わないと思っていたのだからもう駄目だった。

 結果、照葉は文字通りコテンパンにのした。
二度と悪さが出来ないように、力の大半を封じ込めた証として長く豊かな黒髪をバッサリ切って今のおかっぱ姿に落ちついたのである。


「・・・さすがに、髪を切ったのはやりすぎたと思ってはいるのよ」
「いいのよ。アタシの初めてが照葉だなんて、これほど光栄なことはないわぁ」
「言い方を考えろあばずれが」


 壁に打ちつける勢いで椿をひっぺがしたのは、真冬の水の冷たさをふくめたような声を持つ切れ長の目をした男だった。
青筋あおすじがこれでもかと顔中に浮かび上がっており、椿を見る目は呆れと侮蔑ぶべつが込められている。
椿から視線しせんらしたかと思えば、今度は照葉に顔を向けた。

 その表情は、信じられないほどほがらかで優しい笑顔を浮かべている。
ゆっくりと丁寧ていねいに手ぬぐいで椿が触れていた箇所かしょくと、二人の間をへだてるようにして座りこんだ。


「・・・これは一体なんの真似?」


 押し入れのふすまにめり込んだ椿は、おどろおどろしい声を発しながら男をにらみつける。
しかしそんな睨みはまるでそよ風のごとく軽く受け流し、涼しい顔をしていた。


「見てわからんか?汚らわしき不浄ふじょうの者から照葉様をお守りしている」
「そういうこと言っちゃう!?一緒に暮らして働いてるから少しは慣れあってあげようっていうアタシの優しさや配慮はいりょはまるっと無視なわけ?」
「そんな優しさや配慮などいらん。私は照葉様のお役に立てるだけでいい」
融通ゆうずうがきかない石頭が、照葉の役に立てるって本気で思ってるの~?」
すきあらば仕事を放棄ほうきしようとしているお前よりはるかに役に立っている」
「どうしてそういうこと言うのよ信じられない!」



しおりを挟む

処理中です...