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第2章

83.

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 もう、全部終わりだ。
 こんな偽りだらけの幸せな世界、続くはずがないなんてことは分かっていた。
 全部、自分がしてきたことの結果だ。
 私は森の中を行く当てもなく、ただひたすらに走り続けていた。

「エリザベート!!」

 後ろから、そう叫ぶ声が聞こえてきた。
 もう呼ばれることはないと思っていたその名前が。
 もう、口に出しては貰えないと思っていたその声、声変わりしても名残があるあの時から少し大人びた声から。

 私は無意識的に弾かれるように振り返り、その場に立ち止まった。
 そして、すぐに追いついたその声の主に私は腕を掴まれる。

「……はあ…はあ……っ、良かった……追いついた。今度は、今度こそは絶対に離さない。絶対に俺の前からいなくならせたりなどしない!」

 息を切らしながら、私のもとに現れたのはウィリアム様だった。
 どれだけ時間が経っても、その燃え上がるような赤い髪と強い光を宿した瞳はあの時から少しも変わっていない。
 それでも、私は、私の方はあの時から随分と変わってしまった。

 “……離して下さい。私の事を許したりなんてしなくて良いですよ。私はあなた達のことをずっと騙していたんですから。もう、一緒にいる資格なんてないんですから。それに、純粋だったあの頃の私はもういません。その名前の私はもう、ここにはいませんから……”

 優しい彼は、私の事を許して連れ戻すことなんて、いとも簡単にやってしまうだろう。
 でも、その優しさに私の方が耐えられない。
 そんなことをされても、私が居場所だと思えるところはそこにはない。

 それなのに、私の気持ちをそう伝えたのに、ウィリアム様は私を掴む腕の力をいっそう強くした。
 そして、そのまま私の事を自分の方に引き寄せると、両腕で私を優しく包み込む。
 その抱擁の中、ウィリアム様は赤子をあやすようなゆっくりとした口調で、優しく私に語りかけたのだった。

「……俺はダンジョンで、お前にあの話をしたよな。俺が昔、大切な人に気持ちを伝えることが出来なかった話を。そして、俺はその時に出来る最大限のことをしようと決意した。伝わるまで何度でも諦めずに伝えよう、と」

 ダンジョン……
 あの時も、今と同じようにウィリアム様に抱きしめられていた。
 今もあの時もウィリアム様の優しさは変わっていないけれど、私に触れる腕が心持ち壊さないように繊細な気がした。
 ウィリアム様は抱きつく腕をほどくと両手で私の肩を掴み、私をウィリアム様が真正面に向きなおらせた。
 そして、柔らかい声音ながらも力強い意思を込めて私にこう伝えた。

「だから、俺は伝える。後悔しないように、今、俺が伝えたい気持ちを。エリザベート……いや、リュカ。俺は幼い頃、図書館で共に過ごしたお前のことがずっと好きだった。直接伝えることは出来なかったが。だが、お前はその頃から自分は変わってしまったと言うけれども、俺は今のお前を好きだと言える。きっとこれから先もずっと、変わっていくお前を何度だって好きになる。俺はお前のことが好きだ!大好きだ!俺にはお前が必要だ。どうか俺についてきて欲しい。俺をお前のそばにいさせてくれ」

 ………昔読んだ物語の中では、主人公であれば王女様でも侍女でも村娘でも、王子様が誰の元にでもやって来て愛の言葉を伝えていた。
 運命の相手がその子達のことを好きだと伝える。
 そんな物語を読むたびに私もその女の子達と同じ気持ちになって、その物語の中の王子様を好きな気持ちを感じたり、その女の子が好きだと言われたことに嬉しくなったりもした。
 でも、それは私に言ってくれているわけでは決してない。
 私はどんな物語の主人公にもなれないと分かっているから。

 それなのに、心の中では、私もこんなことを言われてみたいなんて思ったりして。
 好きな人に好きだと言ってもらえることを夢見たりして。
 ウィリアム様に、私を好きだと言ってもらえること願ったりして。

 だから、私はウィリアム様が発した言葉に耳を疑った。
 私が自分の願望から作り出した幻聴ではないか、夢なのではないか、と。
 だけど、ウィリアム様の力強い声は私の耳に残り、掴まれている肩は若干痛いほどに彼の存在を感じさせる。
 何よりも、目の前には真っ直ぐに痛いほどに私を見つめる赤い瞳があった。
 しっかりと私のことを見てくれていた。

 ウィリアム様は私が一番欲しかった言葉をくれた。
 もう、疑いようはないのかもしれない。
 これは現実に起こっている出来事なんだろう。
 私はそのことを頭の中ではちゃんと理解していて、喜びで溢れている。

 ………けれども、私の胸にはあの日のことがまだ深い傷として残っていた。
 心には不安が募るばかりで、どうしてもウィリアム様に返事が出来ない。
 返事をする代わりに、私の瞳からはとめどなく涙があふれ出した。

「……そんな風に泣かないでくれ」

 ウィリアム様はそう呟くと、私に顔を近づけた。
 そしてそのまま、彼の唇が私の唇へと重なる。
 その初めての感触は、温かく甘い味がした。

 思わぬことに、私の目は大きく見開かれ涙も止まった。
 それでもしばらくの間、ウィリアム様と私はついばむようなキスをした。
 名残惜しげにゆっくりと唇が離れると、ウィリアム様と私は再び向かい合った。

「どうしたら、お前に不安がなくなるくらいに俺の気持ちを伝えられるのだろうか、泣き止んでもらえるだろうかと思って……リュカ、今、俺が出来る最大の方法だ。どんな方法をとっても少しでも多く、お前に愛を伝えたい。俺はお前が好きだ。愛している。言葉にするとそんなちっぽけなものでしか表せないが、何度だってこの気持ちを伝える。………また、俺のことを好きになってはもらえないだろうか?」

 ウィリアム様は不安げに私にそう問いかける。
 私の頭の中ではウィリアム様の言葉が、行動が反芻され、顔が真っ赤に熱く染め上がる。

 そしてそのまま、私は熱に浮かされた頭をこくん、と頷かせたのだった。


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