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第2章

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 明日の作戦の最終確認が終わった頃には、もう太陽が沈みかけるところだった。
 あと私たちがやるべき事は、明日に備えてゆっくりと身体を休めることだ。
 ここに来る途中に屋台で買って置いた夕食を食べて、私たちはそれぞれの寝室へと移った。

 私はヒースの部屋を1人で使わせてもらう。
 この部屋はヒースが悪魔に襲われた場所であるけれど、中は至って普通の子供部屋だった。
 少し壁や床に貼り替えられたような部分はあるけれど。
 きっと、その時に壊れたところをコンドラッドが修復したんだろう。
 いつでもキースが帰ってこれるように。少しでも辛いことを思い出さなくてすむように。

 部屋の中はヒースの年頃の男の子と言われたら想像するような感じで、おもちゃやその辺で拾ってきたような木の実や石なんかもあった。
 小さい子はそういうものが何かと好きみたいだ。
 でも、その中に混じって小さい子には少し難しそうな魔法についての本もあった。
 ただ飾っているだけではなくて、ちゃんと読み込んだような後もある。
 さすがキースの弟だなあ。

 そんな風に私が感心して部屋の様子を眺めていると、戸棚の上に飾ってある写真が目に入った。
 その写真にはキースとヒース、その両親の4人が肩を寄せ合いながら笑顔で映っていた。
 仲が良さそうな幸せそうな家族写真だ。
 その写真の中のヒースは何かを持っていて、それを嬉しそうに掲げていた。
 なんだろうとよく見てみると、それは蝶のようでその写真の隣に置いてあった蝶の模型のようだった。
 写真立てを裏返したそこには『初めての魔法道具』と書かれていた。
 もしかしたら、この蝶はヒースが初めて作った魔法道具なのかもしれない。
 写真に写るヒースの嬉しそうな顔が、新しい魔法道具を皆に見せる時のキースの顔に少し似ているような気がして、そっくりな兄弟なんだなあと笑みがこぼれた。

 だけど、こんなに幸せそうな家族なのに、それがもうなくなってしまったのかと思うと、私に何が出来るというわけでもないのにやるせない気持ちでいっぱいだった。
 私には幸せな家族というものがどういうものなのか分からないから尚更そう感じるのかもしれない。
 私はやり場のない気持ちをどうすることもできず、そっとその蝶に触れてみた。

 トントン

 その時、ふいにこの部屋をノックする音が響いた。
 明日のことで何かあったのだろうかと思い、急いで扉を開けると、そこには青い顔をして立ち尽くすキースの姿があった。

 “キース、どうしたの!?大丈夫?どこか具合が悪いなら、すぐに手当てするから!”

 どう見ても普通ではないキースの様子に、私は慌てて治療をしようとした。
 でも、薬箱のもとに駆け寄ろうとした私の腕をキースが掴んで止めた。
 その私に触れるキースの手も少し震えているようだった。

「………いや、君のおかげで最近はいつもより身体の調子が良いくらいなんだ。どこも問題はないよ。そうじゃなくて……違うんだ。実は、恥ずかしいことに俺は身体じゃなくて心に不調を、恐怖を抱いているみたいだから」

 キースの私を掴む手の力がぎゅっと強くなった。
 そして、覚悟するようにゆっくりと息を深く吐くと、部屋の中に一歩足を踏み入れた。

「この部屋はさ、前に言ったから覚えてるかもしれないけど、ヒースが悪魔に乗っ取られた場所でも、俺に呪いが埋め込まれた場所でもあるんだ。そして、俺が全てを失った場所でもある。俺はあの日から、一度もこの部屋に、この家に来ることが出来なかった。心の奥底で恐ろしいという気持ちと、どうしてこうなってしまったのかという後悔の念が渦巻いていたからかもしれない。ここに来ただけでこのざまだ。でも、それを乗り越えて次に進むためには、ここにもう一度戻ってくる必要があると思っていた。皆と一緒なら、この家に来れると思った……リュカ、君がこの部屋にいると思えば、再び来ることができた」

 キースの声は、いつもの様子からは考えられないほどに不安に満ちているようだった。
 平気そうに振る舞っていても、やはりキースの心には深い傷が刻まれてしまっていた。
 時間は心の傷を癒やしてくれるものであるけれど、その心に入り込んだ原因に向き合わないことには、完全には治ることはない。
 しかし、その治療には苦痛が伴う。
 それを分かった上で、キースは自らその苦痛を受け入れて、この部屋にやって来たのだった。
 キースの中で、ウィリアム様もジェラールも……そして私も、少しは心の支えになれているみたいだった。

 それなら……と、私は掴まれていない方の手をキースの背中に優しく当てて、彼が部屋の中にもう一歩踏み込めるように促した。
 キースがこの部屋を忌まわしい場所として思い続けているのはとても悲しいことだ。
 だって、この場所はキースの弟であるヒースが生きていた証のような場所でもあるのだから。
 それに、キースとヒースの思い出がたくさん詰まった場所でもあるのだから。

 キースは私が背中を押す手にしばらく踏みとどまっていたが、次第にゆっくりと前へ踏み出した。
 そして、部屋の中央まで来ると、くるりと部屋の中を見回した。

 “どう?全然大丈夫でしょ?ここは、ヒースの大切な思い出の部屋だよね。この場所は悪魔になんて奪われてなくて、ちゃんとここにある。何も怖がることなんてないって分かったよね?”

 こんなことを、ヒースをよく知りもしない私が言うことではないのかもしれないけど、今この場所にいるのは私だけだ。
 キースにかけるべき言葉をかける義務は私にあった。
 キースはさらに私の腕を強く握りしめると、しばらくして離した。
 そして、部屋の奥にある窓まで歩くと窓枠に手を掛け、空を見上げた。

「……そうだね。ヒースとの大切な思い出はちゃんとここにあった。悪魔が全てを奪ったわけじゃないんだね……ありがとう。決心がついたよ」

 そう呟いたキースの声は、もう震えてはいなかった。
 でも、どこか暗く寂しい音を含んでいるようにも思えた。


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