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第2章

73.従者の動揺

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 エクソシス王国に入ってからのドラゴンでの移動はとてもスムーズなものではあるけれども目立ってしまうということもあり、王都の少し手前で降りてそこからは地上を歩くこととなった。
 この辺りになってくると都市部に近いだけあって、道は整備されており魔物もほとんど討伐されているため警戒は怠れないが旅路に不安はない。
 平らにならされた道を歩けるだけでも、身体への負担も軽減する。
 そんな風な余裕のある状況では雑談にも花が咲くようだ。
 ウィリアム様とリュカは何やら楽しそうに二人で話をしていた。
 俺は二人の話す様子を後ろから眺めながら歩いていた。

「君はリュカの事をどう思っているんだい?」

 突然、俺の隣を歩いていた仮面の男、キースが話しかけてきた。
 俺はこの男に話しかけられるとは思っていなかったのでそのことに少し驚いた。
 この男とはしばらくともに旅をしているが、二人きりで話をしたことはほとんどない。
 一人でいるところを見かけても俺から声をかけようとは思わなかったからということもあるだろう。

 この男のことは好きになれない。
 見た目からして胡散臭くて信用ならない。
 人を食ったような態度が気に入らない。
 何よりも自分の命を軽く考えているところが我慢ならない。

 それでも、俺自身が徹底的に無視していたというわけでもないので話す機会がなかったのは、あちらも俺に興味がなかったからということだろうな。
 だが、どういう風の吹き回しかその男が何の前触れもなく、俺にそんなことを尋ねてきた。
 心意の見えない質問に内心、首をかしげつつも無難な答えを導き出そうとした。

「リュカさんはとても頼りになる方だと思っておりますよ。若くしてあれほど薬学に優れた方を見たことがありませんし、剣術もすばらしいですね」

 差し障りのないように、と思って口から出た言葉は俺の本心に他ならなかった。
 俺はリュカの事を薬学においても剣術においても尊敬しているし、好意的に思っている。
 無難な答えではあるけれども少しの嘘も含んでいない。
 それなのに、キースは俺の答えに少しも満足した様子は見せずに、小馬鹿にしたように笑ったのだった。

「はは、何とも模範的な答え方だねえ。まあ、それも本心から思ってることなんだろうけど。じゃあ、質問を変えよう。なんで君はさっきリュカとドラゴンに乗りたがっていたんだい?」

「それは………」

 一緒に乗りたいと思ったから。

 思わずそんな言葉が口をついて出そうになり、慌てて口を噤んだ。
 こんな合理的ではない考えが自分の中に浮かんできたことに、俺は酷く動揺していた。
 実際には、リュカは今ここにいる他の誰よりも馬を含めた獣の操縦経験は乏しいようだし、体型的に考えてみてもこの中では一番背の高い俺と小柄なリュカがペアを組む方が均等なバランスとなりドラゴンにとっても重量が分散して良いということもあるので、完全に非合理的というわけでもない。
 だが、色々と考えたところでそれは後付けに過ぎない。
 まず真っ先に俺の頭に浮かんできたことが、リュカとドラゴンに乗りたい、俺がこの手でリュカをドラゴンに乗せたいということだったのだから。

 どうして、こんなことを思ってしまったのだろうか。
 俺はリュカに知らず知らずのうちに執着していたということだろうか。
 俺はリュカとあの日、約束をした。
 リュカの大切な居場所を奪ってしまう代わりに、彼の新しい居場所を見つけるということを。
 きっと、優しいリュカは俺のためにただ許すということをせずにそんな提案をしてくれたのだろう。
 それでも、俺は存外に弱い人間だから、罪悪感を軽くするためにその約束に縋っていた。
 そこから、俺がリュカを守らなくては、とそんな風な意思も派生しているのかもしれない。

 だが、俺にはウィリアム様をお守りするという使命がある。
 ここでリュカとともにドラゴンに乗ることの選択は出来ないことは頭の中では分かっていた。
 それなのにあの時、リュカがキースのことを選んだ時、思わず声を抑えることが出来なかった。
 何故、俺を選んでくれなかったのかと思ってしまった。
 そんなこと考えれば分かるはずなのに。

 この感情は恐らく義務感の表れだろう。
 リュカのことを幸せにする責任は自分にある、と俺は思っているために他人がそれをしていると先を越されたという気持ちになってしまうのだろう。
 俺は自分でもどうすることの出来ない初めて抱いたこの感情に戸惑っていた。
 こんな感情はリュカの幸福への妨げにもなる。
 そんなことは分かっている。
 分かっているのだが………

「…………。」

 俺はキースからかけられた問いに何と答えれば良いのか分からず、言葉を紡げずにいた。
 引きつった笑みを浮かべたまま固まる。
 どんな交渉でも、どんな尋問にでも、いつだってうまく言い繕える自信はある。
 あるはずなのに………このことに関しては、適当な出任せを言うことさえしたくはなかった。

 すると、そんな俺の様子を見たキースは一つ息をついた。
 でもそれは、決して馬鹿にするようなものではなく、優しい響きを含んでいた。
 そして、何の脈絡もなくこんなことを言い出したのだった。

「ふっ………じゃあさ、俺はリュカの左側を守るから、君はリュカの右側を守っておくれよ」

「………は?何故、私が右側なのですか?」

 俺は一瞬、この男が何を言っているのか分からなかった。
 そのために、なんとも見当違いな質問をしてしまった。
 いや、少し考えたところでその意味は理解できなかったのだが。

「ああ、それはさ、俺は右側がよく見えないからね。そっちに関しては少し不安がある。どうしても反応が遅れてしまうんだよ」

 あ………

 そうか。この男は悪魔の呪いのせいで右目が見えないのだった。
 この男が普段、常人と同じように歩いたり作業したりしているために、そういった不利があることに気がつかなかった。
 考え無しに聞いてしまったことに、俺は罰が悪く感じた。
 だが、キースは少しも気を悪くしたような様子は見せずに、そのまま言葉を続けた。

「だからさ、君が俺の右側にいてくれれば安心できる。俺たちでリュカの両隣を守ろうじゃないか」

 少し芝居がかったようにそう言ったキースは、親愛の証というように俺と肩を組もうとしてきた。
 当然、俺はそれを無言で躱したのだが。
 茶化したような態度を取るキースは本気で言っているのかいないのか。
 いや、キースの中にあるリュカを守りたいという気持ちは疑いのないものだろう。
 何の根拠もないけれど、どうしてだか俺はそんな風に感じていた。

 ふと、俺の中に素朴な疑問が浮かんだ。
 俺とキースとでリュカの両横を守るとしたら、誰がリュカの後ろを守るのかということだ。
 俺個人の印象に他ならないが、信頼する相手の背中をまず一番に、守りたいと思うものだろう。
 実際、横であれば自分一人でも十分にカバーできるが、後ろは警戒が希薄になることもあるだろう。
 背中は最も信頼の出来る者に任せたいと思うものだろう。
 キースはどう考えているのだろうか。

「では、リュカの後ろは誰が守ると言うのですか?」

「それは、ウィルだよ」

「ウィリアム様が、ですか。しかし………」

「ウィルこそが、リュカの背中を、リュカのことを守るべきなんだ」

 キースは、俺が尋ねると間髪を入れずにそう答えてきた。
 そして有無を言わせないというように、決して大きいと言うわけではないのに力強い声と、意思をはっきりと宿した瞳で俺にそう言いきった。
 確かにウィリアム様とリュカは旅の中で親密な関係になっているようにみえる。
 それは俺やキースにも言えることだけれど………まあ、やはりウィリアム様が一番か。
 特に強固な理由があるわけではないが、なんとなくそのことに納得してしまう自分もいた。

「……分かりました。あなたに言われてというのはしゃくですが、私も気持ちは同じです。右側は私が守ります。あなたはせいぜい死なないように頑張って下さいね」

「はは。君、随分言うようになったねえ。まあ、取り繕わない君の方がよっぽどいい顔してるよ」

 すんなりと認めるのが何だか悔しくて、そんな風に憎まれ口をきいてしまった。
 気に入らないこの男には取り繕うことさえ面倒に思ってしまった。
 子供じみた事をしてしまったと思ったが、そんな俺の言葉を聞いたキースはいつものようににやりとした笑みを浮かべていた。

 まったく、この男のこういった態度が気に入らないのだ。
 だが、相容れないと思っていたこの男とも、志も守りたいと思うものも同じだ。
 きっと、何があったってうまくいくだろう。
 そんな何の根拠もないことをぼんやりと考えていた。

 もうすぐ決戦の舞台、エクソシス王国の王都に到着する。
 何年も過ごしてきたはずのその場所が今はとても遠く感じる。
 それでも、この仲間となら何処に行っても大丈夫な気がした。
 その時、いつの間にか俺の少し前を歩いていたキースが振り返ってきた。
 また何か茶化されるのかと思ったが、その表情は意外にもいつになく真剣なものだった。

「そうだ。君だけ知らないのもフェアじゃないから教えるんだけど………実は、リュカは女の子なんだよ」

「………は?」

 キースの様子は決して冗談を言っているようには見えない。
 俺はキースの発言に再び言葉を失ったのであった。

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