[BL]デキソコナイ

明日葉 ゆゐ

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社会人編

1、幸せになりたかった。

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 言葉が出てこない。

 アコースティックギターを抱えたまま、目黒竜めぐろりゅうは背中から畳に転がった。振動で弦が揺れて鳴る。ようやく昨晩曲が完成したのに、今度は歌詞が浮かばない。

「(また締切延ばしてもらえるかな…)」

 目を閉じると、微かに打ち上げ花火の音が聞こえた。扇風機を止め、窓を開けてみる。と同時に、救急車のサイレンが、目の前の道路をけたたましく通り過ぎた。熱中症で高齢者が倒れたか、川で子どもが溺れたか。夏はよく人が死ぬ。サイレンが聞こえなくなると、再び花火の音が空に響いた。

 玄関の扉が開く。

「生きてるかー?」

 レジ袋の擦れる音と、冷蔵庫を開け閉めする音が交互に聞こえ、それが静かになると、部屋に空蝉叶夜うつせみきょうやが入って来た。彼は畳に転がっている竜を見ると、大きなため息をついた。

「…人の顔見て、ため息つくなよ」
「だって、おまえ悟りを開いた表情してる」
「菩薩顔?遂におれも、その域に到達したか」
「おい、めめ。現実逃避してる場合じゃないぞ」

 叶夜の指がギターの弦をはじく。

「まあ、まずは夕飯でも食おうぜ。どうせ食ってないんだろ」
「…そうだね…」

 いつから食べていないのか、思い出そうとしてやめた。叶夜を怒らせるだけだ。体を起こし、ギターをスタンドに置く。

「じゃーん。スーパーで冷しゃぶサラダが半額になってた」
「…お、美味そう」
「それから、冷やし中華」
「…季節だねぇ」
「あとはおにぎり。鮭とたらこ。これも安くなってた」
「…いいねぇ」

 テキトーに相槌を打ちながら、台所で取り分け皿と箸を探す。叶夜はまだなにかを言っている。この賑やかさに、何度救われたことだろう。思わず笑みがこぼれる。
  殺風景だった小さなテーブルは、あっという間に食べ物いっぱいになった。

「めめは鮭とたらこ、どっちがいい?」
「…キョーヤは?」
「うーん、実はオレ、たらこ苦手なんだよね」
「…なんで買ってきたんだよ」
「めめの大好物かもと思ってさ」
「博打じゃん」

 ふっと肩の力が抜けた。たらこを受け取り、叶夜に箸と皿を渡す。その後ろで花火の上がる音。窓を開けっ放しにしていたことを思い出し、竜はおろしかけた腰を上げた。この部屋は川に近いため、よく虫が出た。先日窓から入ってきた、手のひらサイズの蛾が脳裏をよぎり、思わず顔をしかめる。

「扇風機つけていい?」
「うん」

 テーブルにつくと、冷しゃぶサラダと冷やし中華がきれいに取り分けられていた。

「…おれ、おまえと出会えてよかったよ」
「は?なんだよ、急に。死亡フラグか?」

 半分冗談、半分本気。こいつがいなかったら、おれは生きてなかったかもしれない。

「明日スタジオに行くの、忘れてないだろうな」
「…あー、…その予定明日だったっけ?」
「めめが『その辺で楽曲を完成させるから大丈夫』って言ったんだが」

 大丈夫なわけないだろ、馬鹿が。過去の自分に悪態をつく。カレンダーに目をやると、明日の日付にはしっかりと大きな丸がつけられていた。どうして忘れていたんだろうか。こんな大事な日を。

  叶夜が「リスケする?」と言った。反射的に首を振る。

「今晩でなんとか完成させる」
「正気?」
「曲は出来てる。あとは歌詞が書ければ」
「歌詞はあと何割?」
「10割」

 おにぎりを口に突っ込み、立ち上がる。歌詞を書き留めているノートに手を伸ばすと、叶夜に腕を掴まれた。

「やめとけって、めめ」
「なにを」
「今から歌詞を全部書き上げるのは無理だろ」
「出来るかもしれないだろ」
「もし歌詞が書けたとしても、徹夜明けでおまえボロボロだぞ。そんな状態で外出したら死ぬぞ」
「大袈裟だな。ダンスレッスンを見に行くだけなんだから、大丈夫だって。最近は調子いいし、そのくらいで倒れたりしない」
「"見に行くだけ"なんだから、明日じゃなくてもいいんだよ。先方も『いつでも見に来てください』って言ってたし。無理することない。予定を変更しよう」
「いや、明日じゃないとダメなんだ」
「は?」

 叶夜が眉を顰めた。ノートを広げる。

「…明日は、合同レッスンなんだ。だから、おれが楽曲提供したグループ以外の関係者もスタジオに来る。つまり?」
「"目黒竜"を売るチャンスだと?」
「その通り」
「まじかよ。おまえいつからそんな仕事熱心になった?」
「失礼すぎるだろ」
「オレはてっきり、会いたい人でもいるのかと思ったわ」

 それ、正解なんだけど。

 口にはせず、鼻で笑う。さすが10年近い付き合いの男だ。おれのことをよくわかっている。

 それは、会いたいけど、会いたくなくて、もう会わないと思っているのに、いつだって一番会いたい人。

「でも、現実問題、今晩で完成させるのは無理だな」
「…無理無理言うな」
「こんなところで理想を語ってもしょうがないだろ」
「じゃあどうしろって言うんだよ」

 叶夜は片頬を上げて笑った。

「こんな時は奥の手を使うしかない」
「…奥の手?」
「そう。まあ、めめは頻繁に使ってるかもしれないけど」

 そう言って叶夜が差し出したのは、竜のスマホだった。


*********


 翌日13時。

 竜が叶夜とスタジオへ行くと、合同のダンスレッスンは既に始まっていた。

「思ったより人いるな」
「4組合同だから。2人グループと3人グループ、あと4人組が2つだったかな」
「おまえ詳しいな」
「そのくらいの事前準備、当たり前だろ」

 担当者に簡単な挨拶をすると、2人は隅に並べられたパイプ椅子に腰かけた。その場所は、レッスンをちょうど真後ろから見られるポジションだった。

「めめが楽曲提供したのは、どのグループ?」
「うーん、後ろ姿じゃわかんないな。T-ROSSOティーロッソっていう、男2人女2人の4人組グループなんだけど」
「男女混合か。最近増えてきたな」
「叶夜がプロデュースしてるグループは、男だけの5人組だっけ?」
「うーん、やっぱり混合の方が、今の時代は売れるんかなぁ」

 腕組みをしながら「うんうん」悩み始めた叶夜を横目に、竜は鏡越しに1人1人の顔を凝視した。1人くらい目が合うかと思ったが、壁一面の鏡を前にした男女たちは、恐ろしいほどの集中力でレッスンに臨んでおり、誰とも全く目が合わなかった。

「(その集中力をおれにも分けて欲しい)」

 楽曲提出の締め切りを延ばしてもらって、今日ここへ来ているなんて、口が裂けてもこの人たちには言えない。

「あ」

 思わず声が出た。叶夜が「どうした」と零す。

「てぃーなんとか、見つけたか?」
「···ああ」

 そう、見つけた。でも、見つけたのはT-ROSSOのメンバーではない。

 会いたいけど、会いたくなくて。

 もう会わないと思っていたのに、いつだって一番会いたかった人。

 竜の目線の先には、あの日病院に置き去りにした、独神流ひとりがみりゅうがいた。



 To be continued···
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