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第六章

第41話 玉座

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「さてジャニス、この愚か者に、次はなにを見せつける?」

 エルウィンは落ち込んでいるようだ。

「次で最後よ」

 庭師たちも加わり、わたしを先頭にして城の玄関から入る。そのまま右にも左にも曲がらず、まっすぐ三つの部屋を抜ける。目当ての扉についた。大きな扉だ。

 ふり返り、みんなの顔を見る。みんなは何の扉か知っているから、困惑した顔だ。

「城主の許可がないと、入れない部屋は三つだけ。そうよね?」

 エルウィンがうなずく。少し嫌そうだ。

「城主の書斎と寝室、もう一つは?」

 わたしはあえて、エルウィンに聞いた。

「王の間だ」
「入ってもいい?」
「ああ」

 うしろの一団がざわつく。やっぱり、入ったことがない人が多いのね。ポケットから鍵をだした。大きな扉の鍵穴に差してまわす。がちゃり! と鍵があき、慎重に扉を押した。

 王の間に入る。大きな部屋だった。真っ白な大理石の柱が立ちならび、そのさきに同じく白い階段。

 階段の最上段には、黒光りする豪華な木の椅子、玉座があった。天井には、王の権威をあらわすかのように、戦の模様が描かれている。

「おお!」と、感動しながら歩く一団とは別に、エルウィンは不満そうだ。

「ここ、好きじゃないの?」
「それほど良い思い出はない。処罰を言いわたすには、効果的な部屋だ。だがもう、今では不要だ」

 ぎゅっと口を引き締めたエルウィンを見ると、ほんとに嫌なんだろう。言いたくない命令も、ここで言ったのかもしれない。

「それでは、わたくしから、ご案内いたします」

 柱の陰から、小柄な婦人がひとりあらわれた。

「リタ?」
「いつの間に?」

 うしろの一団がざわざわしている。わたしは、ふり返って解説することにした。

「王の間。この鍵を持っているのは、実はふたり」

 ポケットから、さきほどの鍵をだした。

「ひとりはエルウィン、もうひとりは」

 リタの元に歩き、鍵をわたした。

「歴代の掃除婦長、いまはリタね。」
「掃除婦長が?」

 誰かが、おどろきの声をあげた。

「王の間が、埃まみれでも困るでしょ。この部屋を守るのは掃除婦の役目なの」
「たしかに、きれいだ」

 みんなが口々にそう言って、ぴかぴかの床をなでる。わたしは、もう一度、リタとむき合った。

「お掃除を、お願いします」

 掃除婦長は、うなずいて手を二回叩いた。大理石の部屋に音が響きわたる。柱の陰から五人の掃除婦が現れた。バケツを持った何人かは、雑巾を濡らして床を拭く。ほかの者は柱をから拭きしていった。

 掃除婦長のリタは、階段をあがり玉座に近づく。小さな刷毛を取りだして、ほこりを丁寧に落としていった。刷毛が小さいと思ったのだが、王の椅子には複雑な彫刻がある。傷つけないようにするには、小さい刷毛がいいのだろう。

 メイド、大工、庭師たちは、そのようすを、ぽかんと眺めている。

「待って待って、洗剤、使わないの?」

 メイドのカーラが歩み出た。

「使えません」

 掃除婦長は手を止めず答えた。刷毛をしまうと、今度は小さな布巾で、椅子を拭きはじめる。

「それは無駄だよ。アンティーク用の洗剤はある」

 若き大工、ナサニエルが言った。

「わたくしたち掃除婦ですよ。試してないと思いますか?」

 掃除婦長は、ちらっと若き大工を見て、また玉座を磨きだした。

「一年、いや一〇年ならいいのです。では一〇〇年なら? いまある洗剤やワックスが、どんな影響があるか、わかりません」

 立ちあがって、ばん! と布巾をはたく。

「掃除婦たちの結論は、水拭き。あとは蜜蝋を少し塗るぐらいです」

 リタは「どうぞ」とエルウィンに玉座を勧め、階段を降りた。エルウィンは動かず、玉座を見つめている。

「たまげたな」
「ええ。掃除婦の連中が、お茶の時間に姿を見せないわけです。これは忙しい」

 声から察するに、大工長と庭師長だ。

「エルウィン?」

 わたしは、エルウィンの顔をうかがった。エルウィンは、無表情で玉座を見つめている。

「愚かどころか、裸の王だな」

 エルウィンはそう言うと、階段をあがって行った。王の椅子に手をついて、みんなを見る。

「これは、燃やそう」

 王の間にいた全員が目をむいた。

「な、なにを、おっしゃられますか」

 エルウィンは、玉座を軽く手のひらで叩いた。

「何百年前の椅子か忘れたが、これにすわれる人間ではないようだ」

 自分をあざけるような笑みを浮かべる。

「皆の苦労を露とも知らず、高いびきだ。亡き父も墓石の下であきれておろう」
「みんな、好きでやっていることです!」

 メイドのカーラが大きな声で言った。エルウィンが、首をふる。

「愚か者の宿命に、皆が連れ添う必要もない」
「それはちがいます! この城だからこそ、我ら職人が生きていけるのです」

 庭師長が、切実な顔で訴えた。

「馬鹿ね、エルウィン」

 わたしは、みんなの前に歩み出た。

「わたしが言いたかったのは、そうじゃないの」

 エルウィンが片方の眉を釣りあげた。彼の怒った顔を、はじめて見る。

「ここはね、大きな大きな秘密があるんだけど、その下に、小さな小さな秘密がいっぱいあるんだなって、感動したの」

 横に移動して、エルウィンとみんなの両方を見た。

「もうね、奇跡みたいな、お城。そこに少しでも住むことができて」

 わたしは両手を広げた。

「みんなのお陰。ほんとうにありがとう。わたしが言いたかったのは、それだけ」
「またいつでも」

 若きメイドのビバリーが、そう言いかけて、口をつぐんだ。自分が言えることではないとエルウィンを見る。その視線を受けてエルウィンは、わたしに言った。

「僕が眠っている時でも、いつでも来たらいい」

 返答に困った。ここの人たちには会いたい。でも、ここにくればエルウィンが眠っていることを感じてしまうだろう。それは、辛くはないのか?

 みんなが、わたしを見ていた。視線を避けて天井を見る。戦の絵だった。あまりにちがう世界。わたしの世界とは、ちがう。そう思えばいい。

 視線をおろして、城主と見あった。

「エルウィンは、最初に言ったでしょ。僕の家だって。ここは、エルウィンの家であり、みんなの家だと思うの。お城を守るなら、その家族だけのほうがいい」

 もう一度、みんなを見た。

「だから、もうこないと思う」

 エルウィンが口を引き締めた。メイドのビバリーが、泣いているのが見える。

「でもね!」

 わたしは声を大きくした。もう一度、階段の前に出て、エルウィンにむく。

「みんながエルウィンに言いたいのは、そうじゃないわよ」

 エルウィンが、首をかしげた。

「今日、いっぱい見たでしょ?」

 エルウィンがうなずく。

「ここの人、あれをずっと、続けそうでしょ?」

 エルウィンが、大きく、うなずく。

「安心して、ゆっくり眠ってねってこと!」

 エルウィンは、うなずく動きを止めた。そして、納得したように、何度も何度も、うなずいた。

 みんなが黙っている。余計なことだったのかも。でも、知れば知るほど、エルウィンに伝えたかった。

「はい、わたしのツアーは、これで終わり!」

 わたしは王の間を出ようと歩きだした。手を叩く音がして、ふり返ると大工長が拍手をしている。みんなも拍手をしだした。拍手は、わたしとエルウィンに送られる。

「いいツアーでしたよ」

 庭師長がそばに来て、そう褒められた。だんだん恥ずかしくなってきた。

「嬢ちゃん、おめえさんには感謝だ。なあ?」

 大工長が、となりのナサニエルに聞く。ナサニエルは玉座を指した。

「あの椅子は、何百年じゃなくて、昨年に、おれが作りました」
「ええ!」

 みんなの視線が、ナサニエルに集まった。

「だって、その、リタに頼まれて」

 みんなが一斉に、掃除婦長を見る

「それはその、朽ちてどうにもなりませんでした」

 みんなが「信じられない!」といった目で玉座を見た。大昔に作られた椅子にしか見えない。エルウィンも、置いていた手を離して、まじまじと見ている。

「だめなんだよ、密閉された空間に家具を置いちゃ」

 ナサニエルは、わかってないなあ、とばかりに、ぼやいた。

「いたっ!」

 大工長がナサニエルの、あたまを叩いた。

「おめえは、ほんっとに鈍い、鈍すぎる!」

 これには、わたしもエルウィンもみんなも、思わず笑ってしまった。
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