上 下
30 / 53
第四章

第30話 料理とダンスと

しおりを挟む
 料理におどろきすぎて、立ったままなのを忘れていた。ドロシーを立たせたままは悪い。近くのベンチに腰をおろした。

 スズキのパイ包みを、おかわりするのも忘れない。ソースを勧められたので、迷ったあげく、小さく分けて五種類すべてをかけた。ソースは、すべて美味しい。とりわけレモン風味のソースが美味しかった。

「オランデーズソースですね、それは」

 お皿に残ったソースを指でなめている時に言われた。マナーの悪さに気づき、思わず目を、ぎゅっとつむる。

「そのソースが気に入りましたか?」

 目を閉じ、指をくわえたまま、うなずいた。恥ずかしいこと、この上ない。

「今日は細かいことはいいのですよ」

 ドロシーは、フレンチの古典的なソースだと教えてくれた。この老女の頭には、いったい何冊分の料理辞典が入っているのだろう。

「こういう料理は、いまは流行らないのですけどね」
「わたしでは、とても作れない料理です」
「おや? ミランダが言うには、相当な腕前と、うかがっております」

 わたしは、ちぎれる勢いで首をふった。眼の前のドロシーなどとは、くらべものにならない。

「お客様を誘うのは無礼ですが、ご滞在中にお時間があれば、いくらでも、お教えいたしますよ」
「それはぜひっ!」

 ついフォークをにぎりしめ、強く答えてしまった。しかし、ご高齢の彼女に、そこまでどうなのか? とも思った。

「わたし、図々しくありません?」

 ドロシーが「ふふっ」と笑った。笑い方も上品だ。

「あなたがいなければ、この場はなかったのですよ」
「これはモリーのお手柄です。あの子のわがままが上手くいっただけで」

 近くに運転手のボブがきて「踊るかい?」というジェスチャーをした。わたしは丁寧にことわった。スケートと同じぐらい苦手だ。というより、ダンスなんて一度もない。

 ドロシーが、微笑んで首をふった。

「ここはせまい社会です。わずかな期間で、あなたは城の人間に好かれはじめています。誰にでもできることでは、ありません」
「買いかぶりすぎです。そんなことは」
「グリフレットは、歴代の執事の中でも変わり者ですが、人を見る目は良いようですね」

 執事は、わたしを勇気ある女性と言った。そうだろうか? これまで問題から逃げてきただけ、そんな気がする。

 ドロシーが、わたしの顔をのぞき込んで来たので、びっくりして顔をあげた。

「悩みを打ち明けるには、老人というのは、いい相手ですよ」

 こんな素晴らしい場で話すことなのか迷った。とはいえ、この城が抱える秘密にくらべれば、他愛もないことかも。手にしていた皿とフォークをワゴンに置く。わたしは話すことにした。

「今日、エルウィンと彼女が植えたという、樹を見たんです」
「北側にある、イチイの樹ですね」
「知ってましたか!」
「いえ、スタンリーから聞きました。使用人の中で、ちょっとした騒ぎですよ。明日は、みんなが隠れて、こそこそ見に行くでしょうね」

 ドロシーも、こそこそと見に行くのだろうか? それを想像すると、ちょっと笑えた。

「あの当時、エルウィンと一般の女性が交際するのは、命がけだったんじゃないかって思うんです」
「おっしゃる通りでしょうね。もはや童話の世界から、ハーレクインの世界です」
「ハ、ハーレクイン読まれるのですか!」

 おどろいたが、話が横道にそれそうなので、元にもどした。

「わたしには夫がいました。モリーを妊娠する前です。いまから考えれば、なんでつき合ったんだろう? と思えるような男でしたが」
「モリーは、その男性との子?」

 わたしは、うなずいた。

「でも、妊娠中に捕まって、いまでも塀の中なんです」
「あの子は、そのことを?」
「知りません。会わせる気もありません。でも、まだ正式には離婚していないのです」

 ドロシーが、もの問いたげな顔をした。

「そうですよね。五年もなにしてたの? と思われるでしょうが、実のところ、なにもしてません」
「ご主人、いえ、その男性と話はしたの?」
「そこなんです。実は刑務所に一度も面会に行ってません。夫に会うのも、刑務所に行くのも怖くて」

 ほったらかしにしてたら、五年も経ってた。なんて間抜けなんだと、自分でも思う。

「グリフレットからは、勇気ある女性と言われましたが、このていどなんです」

 ドロシーは、うなずきながら話を聞いてくれた。それから、ちょっと遠くを見て、口をひらいた。

「わたくしが二十五の時、はじめて、このお城に来たのをよく憶えています。母から話は聞いていましたので、とても怖くて」

 それはそうだろう。何百年も生きている人間がいるのだ。

「わたくしは、十八の時に母から聞き、お城に来たのが二十五。実に七年も、かかっています。あなたより臆病者かもしれませんね」

 七年か。わたしは、あと二年のあいだに刑務所に行って、離婚話ができるのだろうか。

「ちょうど、そのころに、フランケンシュタインという、アメリカの映画が流行ってましてね。ボリフ・カーロフという、ロンドン男が演じるフランケンシュタインが、それはそれは怖くて」
「わたしは、ドラキュラだと大騒ぎしました」
「おやまあ! でも、たしかに、ドラキュラのほうが似合いますわね」

 ふたりして大笑いした。そんな話をしていると、会場に流れていた音楽が、ゆるやかな曲に変わった。

「ジャニスは踊らないのですか?」

 ドロシーが急に聞いてきた。

「わたしは踊ったことがなくて。それこそ怖くて踊れません」
「それは褒められたことでは、ありませんね。どうでしょう、次は、必ず受けると」

 さきほど、運転手のボブが誘いに来たが、ほかに若い女性もたくさんいる。そもそも初対面の人が多い。わたしを誘いにくるとは思えなかった。

「そうですね」

 とりあえず笑って答えた。ドロシーが、わたしのうしろを見ていた。

「ドロシー?」
「旦那様が、こられます」

 ドロシーの目線のさきへ、ふりむいた。エルウィンが、にこやかな顔で歩いてくる。

「ドロシー!」

 年老いた元メイド長は「約束しましたよ」と言わんばかりの顔で微笑んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

処理中です...