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生首坂――namakubizakaーー『四天王寺ロダンの挨拶』より
その24
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24
木枠のガラス窓が微かに震える。それはピアノの旋律に触れて、揺れているのだった。巡査は普段は飲まないワインをグラスに入れて音楽を聴いている。しかし聴き入ろうとはしていない。聴き入ろうとするのはロダンが今から自分に話すこと、そう、彼が知り得ていることだ。
ピアノが奏でる単音が旋律へと変わり、それがロダンの心を揺らす時まで、自分は待ちたい。待つという事が今の自分に与えられた仕事なのだ。
ロダンは静かに目を閉じている。それは音楽を聴いているのか、それとも今から自分に向かって話すべきことを整理しているのか。
おそらくその両方だろう、巡査がそう思った時、ロダンの瞼が開いた。
淀むような瞳が、ゆっくりと何かを捉えていく。その何をしっかりと掴んだのだろう、ロダンははっきりと、しかしゆっくりと話し始めた。
「あの時、田中さんと別れた僕はやはり心に釈然としないしこりを抱えていました。それはあまりにも三室魔鵬のことといい、生首と『三つ鏡』のレプリカの重さの事といい、やはり何か釈然としなかったのです」
ロダンが首を撫でる。
「それに僕は大学の卒業論文で彼の事を研究課題として扱っていたのですよ」
「三室魔鵬を?」
「ええ、僕はしがない三流美大の出身なんですが、卒業論文は彼がテーマでした。論文のテーマは彼の作品についてですが、その…一般的に謂われている彼の女性への趣向ですが、あれは本当に事実なのかどうかですね」
「つまり女好きという事が本当かどうかだね?」
ロダンが頷く。
「ええ、その通りです。僕が以前田中さんに話した時に言ったおいおいというのはこのことです。実際、僕が研究して調べてみると彼の女好きというのは、どうも彼が幼くして母親を亡くしたコンプレックスから来ているという事からの女性への敬慕からきているようで、世間一般に割れている、分かりやすく言えばスケベ根性なんてもんじゃないという事なんですよ」
ピアノの音が高く響く。それがロダンの言葉に反射して、巡査の心に響いた。ロダンが続ける。
「だから意外なんですけど、まぁこれは僕の持論ですが、彼は真に純粋で美に対する謙虚さが溢れている人物だが、しかしながら内面のシャイな部分を隠すために世間に対しては女性に手を出す人間と言う泥臭さを良い意味で自分の宣伝や尊大さを作り出すための虚構にすり替えていた、というのが僕の結論です。芸術家にはそうした人格創作は得てして多いことです。だから彼の作品は作品も美しく、だからこそ万人が認め得るものだったという事なんです」
巡査はそこで腕を組んだ。
「じゃぁ…君のそこからの視点に立てば、成程、X氏が君に言った過去のあのことについては、しっくりと来ないよね。彼があの老婦人に手を出したなんていうのは」
「そうなんです。しかし、あまりにもX氏の話は論が立ち、完璧だったもんですから信じてしまいました」
――信じてしまいました。
巡査は顔を上げた。
「そうなんです。信じてしまったんです、あまりにもX氏の嘘が見事だったものですからしっくりと心の中に落ちてしまって、思わず嗚呼と唸ってしまったのです」
ロダンは頭を激しく掻いた。
「やはり、いけませんぜぇ、田中さん。これでも四天王寺ロダン、役者で売っている男っす。それが見事にX氏の作り出したフィクション劇に見惚れてしまい、堂々と劇場を去ってしまったというのだから、役者失敗ですよ。相手の見事な演劇、いいや脚本にやられてしまったのですから」
ロダンはどこの方言ともつかぬ言葉で一人まくしたてる。
――見事にX氏の作り出したフィクション劇
――相手の見事な演劇、いいや脚本にやられてしまった
ロダンの言葉に巡査は小躍りした。
「つまり、全てが有馬春次と、結び付くんだね」
ロダンは首を縦に振る。
「彼は詐欺をしている、と君は言った。警察は正直に言うとX氏夫婦の殺人罪で手配したんだよ。しかし、どうも見立てが違うようだ、君は詐欺罪と言っている。それはどういうことなのか、教えてくれ」
ロダンは何度も何度も頭を掻く。その各指に合わせてピアノのリズムが早くなっていく。まるで二つは一つの瞬間までつながって行くようだった。それはどこに向かうのか?
ピアノの音が止まった。
突如、沈黙が訪れた。
沈黙は広がり、やがてその沈黙を破るべくロダンの唇が開いた。
「『三つ鏡』を使った密売、いや…模造品を使って本物と偽って売買していたんです。X氏もその御婦人も、そして有馬春次も。彼ら三人はそうした詐欺犯罪グループだったのですよ」
木枠のガラス窓が微かに震える。それはピアノの旋律に触れて、揺れているのだった。巡査は普段は飲まないワインをグラスに入れて音楽を聴いている。しかし聴き入ろうとはしていない。聴き入ろうとするのはロダンが今から自分に話すこと、そう、彼が知り得ていることだ。
ピアノが奏でる単音が旋律へと変わり、それがロダンの心を揺らす時まで、自分は待ちたい。待つという事が今の自分に与えられた仕事なのだ。
ロダンは静かに目を閉じている。それは音楽を聴いているのか、それとも今から自分に向かって話すべきことを整理しているのか。
おそらくその両方だろう、巡査がそう思った時、ロダンの瞼が開いた。
淀むような瞳が、ゆっくりと何かを捉えていく。その何をしっかりと掴んだのだろう、ロダンははっきりと、しかしゆっくりと話し始めた。
「あの時、田中さんと別れた僕はやはり心に釈然としないしこりを抱えていました。それはあまりにも三室魔鵬のことといい、生首と『三つ鏡』のレプリカの重さの事といい、やはり何か釈然としなかったのです」
ロダンが首を撫でる。
「それに僕は大学の卒業論文で彼の事を研究課題として扱っていたのですよ」
「三室魔鵬を?」
「ええ、僕はしがない三流美大の出身なんですが、卒業論文は彼がテーマでした。論文のテーマは彼の作品についてですが、その…一般的に謂われている彼の女性への趣向ですが、あれは本当に事実なのかどうかですね」
「つまり女好きという事が本当かどうかだね?」
ロダンが頷く。
「ええ、その通りです。僕が以前田中さんに話した時に言ったおいおいというのはこのことです。実際、僕が研究して調べてみると彼の女好きというのは、どうも彼が幼くして母親を亡くしたコンプレックスから来ているという事からの女性への敬慕からきているようで、世間一般に割れている、分かりやすく言えばスケベ根性なんてもんじゃないという事なんですよ」
ピアノの音が高く響く。それがロダンの言葉に反射して、巡査の心に響いた。ロダンが続ける。
「だから意外なんですけど、まぁこれは僕の持論ですが、彼は真に純粋で美に対する謙虚さが溢れている人物だが、しかしながら内面のシャイな部分を隠すために世間に対しては女性に手を出す人間と言う泥臭さを良い意味で自分の宣伝や尊大さを作り出すための虚構にすり替えていた、というのが僕の結論です。芸術家にはそうした人格創作は得てして多いことです。だから彼の作品は作品も美しく、だからこそ万人が認め得るものだったという事なんです」
巡査はそこで腕を組んだ。
「じゃぁ…君のそこからの視点に立てば、成程、X氏が君に言った過去のあのことについては、しっくりと来ないよね。彼があの老婦人に手を出したなんていうのは」
「そうなんです。しかし、あまりにもX氏の話は論が立ち、完璧だったもんですから信じてしまいました」
――信じてしまいました。
巡査は顔を上げた。
「そうなんです。信じてしまったんです、あまりにもX氏の嘘が見事だったものですからしっくりと心の中に落ちてしまって、思わず嗚呼と唸ってしまったのです」
ロダンは頭を激しく掻いた。
「やはり、いけませんぜぇ、田中さん。これでも四天王寺ロダン、役者で売っている男っす。それが見事にX氏の作り出したフィクション劇に見惚れてしまい、堂々と劇場を去ってしまったというのだから、役者失敗ですよ。相手の見事な演劇、いいや脚本にやられてしまったのですから」
ロダンはどこの方言ともつかぬ言葉で一人まくしたてる。
――見事にX氏の作り出したフィクション劇
――相手の見事な演劇、いいや脚本にやられてしまった
ロダンの言葉に巡査は小躍りした。
「つまり、全てが有馬春次と、結び付くんだね」
ロダンは首を縦に振る。
「彼は詐欺をしている、と君は言った。警察は正直に言うとX氏夫婦の殺人罪で手配したんだよ。しかし、どうも見立てが違うようだ、君は詐欺罪と言っている。それはどういうことなのか、教えてくれ」
ロダンは何度も何度も頭を掻く。その各指に合わせてピアノのリズムが早くなっていく。まるで二つは一つの瞬間までつながって行くようだった。それはどこに向かうのか?
ピアノの音が止まった。
突如、沈黙が訪れた。
沈黙は広がり、やがてその沈黙を破るべくロダンの唇が開いた。
「『三つ鏡』を使った密売、いや…模造品を使って本物と偽って売買していたんです。X氏もその御婦人も、そして有馬春次も。彼ら三人はそうした詐欺犯罪グループだったのですよ」
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