forgive and forget

恩田璃星

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嵐 3

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*******

 「依子さーん!昨日…」

 夕方の給湯室。
 ひょっこり現れて声を掛けてきた神田くんが私の顔を見て言葉を呑んだ。

 「大丈夫…じゃなかったんですね」

 昨日、あの後の桐嶋は酷かった。
 本当に朝まで待ったなしで、激しく私の事を攻め続けた。

 だけど、最後まで篠原さんとは何もなかったとは言わなくて。

 お陰で肉体的にも精神的にもボロボロになった。

 朝の時間、桐嶋は不機嫌な感情をばら撒きまくって、全然会話もないまま家を出て行った。

 「教えようと思って連絡したんですけど、メッセージ既読にもならなかったからもう寝ちゃってるんだと思って…」

 「…教えるって何を?」

 「桐嶋さんの作戦…?」

 「…は?」



 「いや、作戦ってほどのものでもないんですねど。昨日、桐嶋さんから俺に話があるって言われて。送る順が都築さん、篠原さん、俺に変わったんです」

 …じゃあ、篠原さんとは昨夜二人きりになってないってこと?

 「篠原さん、家に着いた時には寝ちゃってて、ゆすっても叩いても起きなくて。仕方なく桐嶋さんが玄関まで担いで行ったんですよね。その時にしっかり篠原さんの香水のにおいが桐嶋さんに移っちゃって」

 「それで篠原さんの香りがしたのか…」

 「…ってことは依子さんちゃんと気が付いたんですね。桐嶋さん、最初は文句言ってたんですけど、『これで依子嫉妬しねぇかな』とか言い出して…」

 私はその思惑にまんまと引っ掛かったのね…。

 神田くんの複雑な顔を見て、赤面するしかできない。

 「あの桐嶋さんに『嫉妬させたい』って思わせるなんて。さすが俺の依子さん」

 「…からかいたかっただけじゃない?」

 「そんな感じじゃなかったですよ。むしろちょっとかなり真面目な顔で言ってて笑えました。おまけに俺にあんなこと言ってくるし…」

 「あんなこと?」

 神田くんは困ったように笑った。


 「『ありがとう』って」

 ちょっと予想外過ぎて頭の回転が追い付かない。

 「えっ?誰が?」

 「桐嶋さんがです」

 「誰に?」

 「俺にです」

 無意識にぶわっと鳥肌を立てる失礼な私。

 「『神田のお陰でまた逢えた』って。冗談じゃないですよ。俺だって依子さんのこと好きなのに」

 そう言えば、桐嶋と再会したのは神田くんの取引先のパーティーの付き添いだったな。

 「…ありがとうって…似合わなさすぎて気持ち悪いんだけど」

 「そうなんですよ!俺初めて言われました。でもその後『もう俺と婚約してるんだから絶対手ぇ出すな』ってしっかり釘刺されましたけどね」

 うわ…言いそう。

 「で。今日見たら依子さん、『寝かせてもらえませんでした』って顔に書いてるし。しっかり桐嶋さん喜ばせちゃったわけでしょ?…あーあ。なんか二回振られた気分…」

 神田くんの瞳が揺れ、久々にあのスタイリング剤の香りがしたかと思うとぎゅーっと抱き締めらる。

 不思議なことにもう私の心臓は跳ねない。

 「泣かされたら言ってください。殴りに行くんで」

 「ありがと。しっかり鍛えといて」

 その二言だけ交わすと、神田くんはすぐに腕を解いて夕方からの打ち合わせのために会議室に向かった。


 あ。桐嶋の誕生日、聞き損ねたな。

 そう思いながら背中を見送った。




 「あっれ~?園宮ちゃん。何見てるの?」

 残業を片付けて桐嶋の誕生日プレゼントを探すためにスマホと睨めっこしている私の背後で渡辺さんの声がした。

 思わず画面を隠す。

 「な、んでもありませんよ?」

 「あーやーしーいーなーってそれ私も昨日見てたサイトなんだけど」

 「それは…奇遇ですね…」

 「園宮ちゃん、彼氏できたんでしょー?」

 渡辺さんの目が…目が!

 「いや、あの、父のものを…」

と苦しい言い訳をしていると

 「彼氏じゃなくて、婚約者、よね?」

と聞いたことのあるハスキーボイスが、フロアの入り口で響いた。

 振り返った先に立っていのは篠原さんだった。

 「昨日はお邪魔しました」

 会釈しながら両方の口角を持ち上げて、にっこり笑う。

 昨夜は綺麗だと思った仕草に、今は身構える自分がいた。


 夕方からの神田くんの打ち合わせは篠原設計とだったのか。

 色々聞きたいことがありそうな渡辺さんを振り切って篠原さんのところへ行く。

 「いえ。何のお構いもせず失礼しました。昨夜、大丈夫でしたか?」

 渡辺さんに聞こえないよう、できるだけ声を落として話す。

 「ええ。依子さんの忠犬くんのお陰で道を踏み外さずに済んだわ」
 
 心なしか昨日より更に挑発的だ。
 忠犬って神田くんのことだろうか?

 「そう言えば依子さん。冬馬のことよく知らないって言ってたわよね?」

 何が『そう言えば』なんだ。
 接続詞の使い方おかしいでしょ。

 なんて思っていても口にはできない。

 「ハァ」

気のない返事しかできなき。

 「もう仕事終わってるんだったら今からごはん行かない?うち、今日ちょうど主人が出張でいないの。良かったら冬馬のこと色々教えるけど?」

 絶対に消化不良起こす相手とのごはんは全力でお断りしたい。

 「折角のお誘いですけど、今日はこの後予定が…」

 スッと篠原さんが鞄から出したスマホが私の口の動きを止めた。

 「これ、冬馬に送ってもいいなら断れば?」

 上品なネイルが施された指に挟まれたスマホの画面には、さっきの給湯室での私と神田くんが映し出されていた。

 「これ…!いつの間に?」

 「アマノって自由な社風で良いわね。あんな人目につく所でいちゃいちゃできるなんて」

 「いちゃいちゃなんてしてませ…」

 「してないって言える?」

 突き付けるように改めてズイッと目の前に掲げられた。

 「しかも婚約者のある身で」

 私には疾しいことはなにもない。
 だけど、この写真を桐嶋が見たらどんな反応をするだろう。

 怒る?
 悲しむ?
 傷つく?

 記憶に散らばる桐嶋の表情や、昨日自分が苛まれた感情に当てはめて苦しくなる。

 神田くんと桐嶋の関係だって拗れてしまう可能性もある。
 神田くんにとって桐嶋は大学の先輩であるだけでなく、大事な取引先の社長でもあるのに。

 「…私の行きつけでいいわよね?」

 7センチはあるであろうハイヒールの踵をカツンと鳴らして、篠原さんはエレベーターのボタンを押した。

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