forgive and forget

恩田璃星

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キス×2 1

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 暮れ始めた秋の空が、フロントガラスの向こういっぱいに広がっている。
 いつもはノスタルジーを呼び起こす赤から濃紺のグラデーションが、今日は禍々しく思える。

 長い沈黙を破ったのは桐嶋だった。

 「安心しろ。盛ったガキじゃないんだからお前なんか襲ったりしねぇよ」

 「は?じゃあ、あの時私を襲ったのは盛ったガキだったからってこと!?」

 ついカッとなって口から出てしまった私の言葉に驚いたのは私だけではなかったようで、ほんの一瞬桐嶋の顔が固まった。

 「へえ。まだ覚えてたのか。あんな昔のこと。…そうか。そうだよな。お前確か『初めて』って言ってたもんな」

 「…最っ低」

 一瞬表情を崩せたと思ったのに反撃を食らって、こんな言葉しか絞り出せなかった。

 分かっていた。
 私がたまたまあの日、あの時間、あの場所にいたから暇つぶしにされただけ。

 桐嶋にとっては今の今まで忘れ去られていたような些細なことだ。

 再認識して、さっきより更に気分が悪くなってきた。

 「お前の家、どこ?」

 「は?」

 「送る。具合わるいんだろ?」

 誰のせいだ!と心の中で素早く突っ込む。

 家を教えるのに躊躇いがなかったわけではないけど、一秒でも早く解放されたい気持ちの方が優って住所を伝えた。

 桐嶋は慣れた手つきでナビを操作すると、私の家の方へと車を進めた。

 家に着くまでの約30分間、私はずっと目を閉じ、鞄を抱きしめて寝たふりをし続けた。

 これ以上何も話したくない。

 ナビが目的地に着いたことを告げ、桐嶋がゆっくりと車を停めた。

 ああ、やっと解放される。

 そう思って目を開けようとした時だった。

 ふわっとタバコの香りがしたのと同時に唇に何かが触れた。


 それは確かに桐嶋の唇だった。


 即座に舌がねじ込まれる。


 暴れてみても右手と左肩を掴まれていて逃れられない。

 でも、あの時みたいにやられっぱなしは絶対嫌だ。

 「っん」

 息継ぎの時に漏れた声で、一瞬緩められた手を振り払い、思い切り桐嶋の顔を引っ掻いた。

 「ぃってー…」

 私が付けた引っ掻き傷が三本、右頬にくっきりと刻まれ微かに血が滲んでいる。

 色んな種類の恐怖が混ざり合い、瞬時にロックを解除して転がるように車から降りた。

 猛ダッシュで部屋に駆け込んで施錠。

 それと同時に玄関でズルズルとしゃがみ込んでしまった。

 何てバカなんだろう。
 あんなヤツの言うことを信じて、隙を作った。

 ジャケットの袖で何度も何度も唇を擦っても、妙に生々しく桐嶋の感触が残っていた。

*****

 憂鬱な月曜日の朝。

 FAXとメールの確認に入る前に給湯室でコーヒーを準備していたら、神田くんが現れた。

 「おはようございます。依子さん。あ、今日はメガネなんですね」

 「おはよー。神田くん。うん。最近PC見るときメガネの方が楽なんだよね」

 今日も身を屈めて私の顔を覗き込む。

「…昨日、大丈夫でしたか?」

 質問の意図が一瞬分からなかったが、考えたら、桐嶋に拉致された件以外にないか。

 「大丈夫大丈夫」

 「本当に?」

 「うん」

 「桐嶋さんの車に乗せられたのに?」

 「どういう意味?」

 射るような、真っ直ぐな視線が突き刺さる。

 いつも人懐っこい、柔らかい神田くんとは何か違って戸惑った。

 キスされたと正直に言うべきか。
 それ以前に桐嶋との関係をどこから説明するべきか。

 「園宮ちゃーん?」

 迷っていると隣の席の渡辺さんがやって来た。
 渡辺さんは私より3つ先輩で、育休明けのワーキングマザー。
 仕事もできるし、明るくて飾らない大好きな先輩。

 「あら、神田くんまた園宮ちゃんとじゃれてたの?」

 「アハハ。昨日日曜日で会えなかったから構って欲しくて」

 あ。いつもの神田くんに戻ってる。

 「あんた達、土曜日は一緒にパーティーだったんじゃなかったっけ?…っていけない。園宮ちゃんに電話掛かってきてるんだった。二番で保留にしてるから急いでね」

 「あ、ハイ。」

 月曜日の朝一から電話なんてどこかの現場でトラブルかもしれない。

 急いでデスクに向かったせいで給湯室で続けられていた渡辺さんと神田くんの会話は私の耳には届かなかった。

 「あーあ、行っちゃった。折角依子さん充電してたのに…こんな早くにどこからですか?」

 「K-Designの社長。…って、あれ?あそこ神田くんの取引先じゃなかったっけ?」
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