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嘘 1
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真田会長を振り払うようにして会場を後にし、駐車場までの道のりを歩く間、諦めきれずに葵の電話をずっと鳴らし続けた。
繰り返される冷たい呼び出し音は、鳴らすことを止めてもずっと耳の奥にこびりついていた。
連日の激務と、会場までのダッシュと、目の前で葵を攫われたトリプルパンチで、体も心も疲弊しきっているのに、自宅に戻ってベッドに身を沈めても、全く眠れない。
葵はもう、俺が葵に近づいた理由を聞いたのだろうか。
真田律は、長年抱えて来た秘密と、葵への思いを明かしたのだろうか。
二人はもう……
「っあああぁっ!!!」
何度も拳で枕を叩きつけ、 吐き気がしそうなイメージを追い払っても、すぐに浮かんで来てしまう。
もしかして、葵から連絡が来ているかもしれないと思い、電源の切れてしまったスマホを鞄から取り出し、充電器に繋ぐ。
しかし、起動の表示が消えても、ディスプレイに何も通知が来ていないのを確認すると、二度奈落の底に突き落とされた様な気持ちにさせられた。
やっと寝落ちた頃、着信音が鳴って飛び起きた。
スマホを引っ掴むと…利加子からのメッセージで。
…。
……。
………無事生まれたのか。
利加子が猿みたいな赤ん坊を、この上なく大切そうに抱いた写真が添付されて来た。
もう一度寝るのは無理そうなので、自分を更に虐めるが如く、幸せの絶頂にいる橘一家の元へ向かった。
*
「え…。唯人何でここに来たの?真田さんと一緒じゃないの!?」
特別室の扉を開けた途端、利加子が俺の心に核弾頭を打ち込んで来た。
「今その名前聞きたくない」
「まさか…ダメだったの!?あんなに頑張ってたのに?」
言葉にされると、ギリギリと鳩尾のあたりが痛み始める。
「も…その話いーから。妹?弟?」
利加子たちは、生まれるまでのお楽しみだということで、子どもの性別を聞いていなかった。
「妹よー。可愛いでしょ。ほらぁー、お兄ちゃんでちゅよー。抱っこちてもらおうねー」
壊れそうなくらい小さな体を、ズイッと差し出される。
秘書時代、忙しい橘さんの代わりに、父親学級にも参加させられていたので、それを思い出しながら、恐る恐る腕の中に抱いた。
「ちっさ…可愛いなー」
真っさらな命が、眩しい。
温かい。
傷だらけの心が、ほんの少し修復される。
「うん。この子には、とにかく元気で、幸せになって欲しいわ」
利加子は、俺の腕の中にいる赤ん坊の頭を優しく撫でた後、俺の頭にもぽんと手を置いた。
「もちろん、唯人にもね」
俺も、葵に幸せになって欲しい。
俺が、幸せにしてやりたかった。
こんなふうに、真綿に包むように、ずっと守って、愛したかった。
出会い方さえ間違っていなければ、この願いは叶ったんだろうか。
いや。
本当は最初から分かっていた。
葵を抱いたあの夜に。
葵がどれだけ真田律を好きかということも、俺じゃ幸せにできないということも。
いや。
今なら分かる。
俺にしかできない、葵を幸せにする方法が。
例えそれが自分の生き方に背くことであってもー。
「真田さん、りっちゃんと幸せに」
****
葵が、俺の元を去ってから、早くも1週間が経とうとしていた。
葵と真田律の逃避行の様子は、葵が去った朝には関係者の間に広まっていたので、俺の口からは人事部長、役員とその秘書たちだけに、葵が退職した事実だけを伝えた。
社長秘書の席は空いたまま。
別に秘書が居なくたって、仕事は回る。
そう、思っていた。
でもー
「葵、P社の手土産ーー」
気を抜くと、つい、誰もいない席に向かって話しかけてしまい、ひどく落ち込む。
とにかく考えないようにするために、ひたすら仕事に没頭した。
その矢先、通夜のような雰囲気の秘書課のフロアが急に騒がしくなった。
「真田さんが退職したって本当なんですか!?一体どうなってるんですか!?」
目をやると、中野さんが困り顔の長谷川のおばちゃんに食ってかかっていた。
三人がかりで宥めても、彼女はヒートアップするばかりで、ついには社長室に乗り込んで来た。
「中野さん…」
「社長!!葵は!?」
「ごめん。説明してる時間ないんだ。もう出ないと」
色々と協力してもらった中野さんには申し訳ないが、まだ説明できるほど心の整理ができていない。
逃げるよう社長室のドアを潜ろうとすると、半ギレ口調で中野さんが叫んだ。
「葵と連絡が取れないんです!!」
「え?」
「噂を聞いて…心配で…電話も繋がらないし、メッセージも届いていないみたいだし、家に行っても誰もいなくて!!」
なんだ。そんなのー。
今ごろ葵は、金目当てで近づいた俺のことなんてきれいサッパリ忘れて、やっと結ばれた真田律と真田本家で幸せに過ごしてるからだ。
そうでなければ、あんな嘘を吐いてまで葵を突き放した意味がない。
でも、家にいないのはともかく、あんなに親しかった中野さんからの電話に出ないのは何でだ?
「唯人くんっ!!」
首を傾げていたら、今度は勢いよく倉本のおばちゃんが社長室に飛び込んで来た。
「ちょ、呼び方!社員いるのに!!」
「そんなことよりこの記事!!!」
倉本のおばちゃんの手の中でクシャクシャになっているのは、今日の朝刊。
地方版の隅の記事。
経済トピックじゃないので、いつも俺が読み飛ばす欄。
「何?」
「ここ!よく見て!!」
「○○高校同窓会のお知らせ…?」
「違うっ!こっち!!」
小さな文字に目を凝らす。
『真田総合病院の副医院長真田律さん(26)が、(株)シノノメの会長の長女である東雲瑠美さん(27)と結婚することが分かった。』
繰り返される冷たい呼び出し音は、鳴らすことを止めてもずっと耳の奥にこびりついていた。
連日の激務と、会場までのダッシュと、目の前で葵を攫われたトリプルパンチで、体も心も疲弊しきっているのに、自宅に戻ってベッドに身を沈めても、全く眠れない。
葵はもう、俺が葵に近づいた理由を聞いたのだろうか。
真田律は、長年抱えて来た秘密と、葵への思いを明かしたのだろうか。
二人はもう……
「っあああぁっ!!!」
何度も拳で枕を叩きつけ、 吐き気がしそうなイメージを追い払っても、すぐに浮かんで来てしまう。
もしかして、葵から連絡が来ているかもしれないと思い、電源の切れてしまったスマホを鞄から取り出し、充電器に繋ぐ。
しかし、起動の表示が消えても、ディスプレイに何も通知が来ていないのを確認すると、二度奈落の底に突き落とされた様な気持ちにさせられた。
やっと寝落ちた頃、着信音が鳴って飛び起きた。
スマホを引っ掴むと…利加子からのメッセージで。
…。
……。
………無事生まれたのか。
利加子が猿みたいな赤ん坊を、この上なく大切そうに抱いた写真が添付されて来た。
もう一度寝るのは無理そうなので、自分を更に虐めるが如く、幸せの絶頂にいる橘一家の元へ向かった。
*
「え…。唯人何でここに来たの?真田さんと一緒じゃないの!?」
特別室の扉を開けた途端、利加子が俺の心に核弾頭を打ち込んで来た。
「今その名前聞きたくない」
「まさか…ダメだったの!?あんなに頑張ってたのに?」
言葉にされると、ギリギリと鳩尾のあたりが痛み始める。
「も…その話いーから。妹?弟?」
利加子たちは、生まれるまでのお楽しみだということで、子どもの性別を聞いていなかった。
「妹よー。可愛いでしょ。ほらぁー、お兄ちゃんでちゅよー。抱っこちてもらおうねー」
壊れそうなくらい小さな体を、ズイッと差し出される。
秘書時代、忙しい橘さんの代わりに、父親学級にも参加させられていたので、それを思い出しながら、恐る恐る腕の中に抱いた。
「ちっさ…可愛いなー」
真っさらな命が、眩しい。
温かい。
傷だらけの心が、ほんの少し修復される。
「うん。この子には、とにかく元気で、幸せになって欲しいわ」
利加子は、俺の腕の中にいる赤ん坊の頭を優しく撫でた後、俺の頭にもぽんと手を置いた。
「もちろん、唯人にもね」
俺も、葵に幸せになって欲しい。
俺が、幸せにしてやりたかった。
こんなふうに、真綿に包むように、ずっと守って、愛したかった。
出会い方さえ間違っていなければ、この願いは叶ったんだろうか。
いや。
本当は最初から分かっていた。
葵を抱いたあの夜に。
葵がどれだけ真田律を好きかということも、俺じゃ幸せにできないということも。
いや。
今なら分かる。
俺にしかできない、葵を幸せにする方法が。
例えそれが自分の生き方に背くことであってもー。
「真田さん、りっちゃんと幸せに」
****
葵が、俺の元を去ってから、早くも1週間が経とうとしていた。
葵と真田律の逃避行の様子は、葵が去った朝には関係者の間に広まっていたので、俺の口からは人事部長、役員とその秘書たちだけに、葵が退職した事実だけを伝えた。
社長秘書の席は空いたまま。
別に秘書が居なくたって、仕事は回る。
そう、思っていた。
でもー
「葵、P社の手土産ーー」
気を抜くと、つい、誰もいない席に向かって話しかけてしまい、ひどく落ち込む。
とにかく考えないようにするために、ひたすら仕事に没頭した。
その矢先、通夜のような雰囲気の秘書課のフロアが急に騒がしくなった。
「真田さんが退職したって本当なんですか!?一体どうなってるんですか!?」
目をやると、中野さんが困り顔の長谷川のおばちゃんに食ってかかっていた。
三人がかりで宥めても、彼女はヒートアップするばかりで、ついには社長室に乗り込んで来た。
「中野さん…」
「社長!!葵は!?」
「ごめん。説明してる時間ないんだ。もう出ないと」
色々と協力してもらった中野さんには申し訳ないが、まだ説明できるほど心の整理ができていない。
逃げるよう社長室のドアを潜ろうとすると、半ギレ口調で中野さんが叫んだ。
「葵と連絡が取れないんです!!」
「え?」
「噂を聞いて…心配で…電話も繋がらないし、メッセージも届いていないみたいだし、家に行っても誰もいなくて!!」
なんだ。そんなのー。
今ごろ葵は、金目当てで近づいた俺のことなんてきれいサッパリ忘れて、やっと結ばれた真田律と真田本家で幸せに過ごしてるからだ。
そうでなければ、あんな嘘を吐いてまで葵を突き放した意味がない。
でも、家にいないのはともかく、あんなに親しかった中野さんからの電話に出ないのは何でだ?
「唯人くんっ!!」
首を傾げていたら、今度は勢いよく倉本のおばちゃんが社長室に飛び込んで来た。
「ちょ、呼び方!社員いるのに!!」
「そんなことよりこの記事!!!」
倉本のおばちゃんの手の中でクシャクシャになっているのは、今日の朝刊。
地方版の隅の記事。
経済トピックじゃないので、いつも俺が読み飛ばす欄。
「何?」
「ここ!よく見て!!」
「○○高校同窓会のお知らせ…?」
「違うっ!こっち!!」
小さな文字に目を凝らす。
『真田総合病院の副医院長真田律さん(26)が、(株)シノノメの会長の長女である東雲瑠美さん(27)と結婚することが分かった。』
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