社長の×××

恩田璃星

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嘘 1

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 真田会長を振り払うようにして会場を後にし、駐車場までの道のりを歩く間、諦めきれずに葵の電話をずっと鳴らし続けた。

 繰り返される冷たい呼び出し音は、鳴らすことを止めてもずっと耳の奥にこびりついていた。

 連日の激務と、会場までのダッシュと、目の前で葵を攫われたトリプルパンチで、体も心も疲弊しきっているのに、自宅に戻ってベッドに身を沈めても、全く眠れない。

 葵はもう、俺が葵に近づいた理由を聞いたのだろうか。

 真田律は、長年抱えて来た秘密と、葵への思いを明かしたのだろうか。

 二人はもう……

 「っあああぁっ!!!」

 何度も拳で枕を叩きつけ、 吐き気がしそうなイメージを追い払っても、すぐに浮かんで来てしまう。

 もしかして、葵から連絡が来ているかもしれないと思い、電源の切れてしまったスマホを鞄から取り出し、充電器に繋ぐ。

 しかし、起動の表示が消えても、ディスプレイに何も通知が来ていないのを確認すると、二度奈落の底に突き落とされた様な気持ちにさせられた。





 やっと寝落ちた頃、着信音が鳴って飛び起きた。

 スマホを引っ掴むと…利加子からのメッセージで。

 …。

 ……。

 ………無事生まれたのか。

 利加子が猿みたいな赤ん坊を、この上なく大切そうに抱いた写真が添付されて来た。

 もう一度寝るのは無理そうなので、自分を更に虐めるが如く、幸せの絶頂にいる橘一家の元へ向かった。



 「え…。唯人何でここに来たの?真田さんと一緒じゃないの!?」

 特別室の扉を開けた途端、利加子が俺の心に核弾頭を打ち込んで来た。

 「今その名前聞きたくない」

 「まさか…ダメだったの!?あんなに頑張ってたのに?」

 言葉にされると、ギリギリと鳩尾のあたりが痛み始める。

 「も…その話いーから。妹?弟?」
 
 利加子たちは、生まれるまでのお楽しみだということで、子どもの性別を聞いていなかった。

 「妹よー。可愛いでしょ。ほらぁー、お兄ちゃんでちゅよー。抱っこちてもらおうねー」

 壊れそうなくらい小さな体を、ズイッと差し出される。

 秘書時代、忙しい橘さんの代わりに、父親学級にも参加させられていたので、それを思い出しながら、恐る恐る腕の中に抱いた。





 「ちっさ…可愛いなー」

 真っさらな命が、眩しい。
 温かい。

 傷だらけの心が、ほんの少し修復される。

 「うん。この子には、とにかく元気で、幸せになって欲しいわ」

 利加子は、俺の腕の中にいる赤ん坊の頭を優しく撫でた後、俺の頭にもぽんと手を置いた。

 「もちろん、唯人にもね」




 俺も、葵に幸せになって欲しい。
 俺が、幸せにしてやりたかった。
 こんなふうに、真綿にくるむように、ずっと守って、愛したかった。

 出会い方さえ間違っていなければ、この願いは叶ったんだろうか。


 いや。

 本当は最初から分かっていた。
 葵を抱いたあの夜に。

 葵がどれだけ真田律を好きかということも、俺じゃ幸せにできないということも。

 いや。

 今なら分かる。
 俺にしかできない、葵を幸せにする方法が。
 例えそれが自分の生き方に背くことであってもー。

















 「真田さん、りっちゃんと幸せに」

















 ****

 葵が、俺の元を去ってから、早くも1週間が経とうとしていた。

 葵と真田律の逃避行の様子は、葵が去った朝には関係者の間に広まっていたので、俺の口からは人事部長、役員とその秘書たちだけに、葵が退職した事実だけを伝えた。

 社長秘書の席は空いたまま。

 別に秘書が居なくたって、仕事は回る。
 そう、思っていた。

 でもー

 「葵、P社の手土産ーー」

 気を抜くと、つい、誰もいない席に向かって話しかけてしまい、ひどく落ち込む。
 とにかく考えないようにするために、ひたすら仕事に没頭した。

 その矢先、通夜のような雰囲気の秘書課のフロアが急に騒がしくなった。

 「真田さんが退職したって本当なんですか!?一体どうなってるんですか!?」

 目をやると、中野さんが困り顔の長谷川のおばちゃんに食ってかかっていた。

 三人がかりでなだめても、彼女はヒートアップするばかりで、ついには社長室に乗り込んで来た。




 「中野さん…」

 「社長!!葵は!?」

 「ごめん。説明してる時間ないんだ。もう出ないと」

 色々と協力してもらった中野さんには申し訳ないが、まだ説明できるほど心の整理ができていない。
 逃げるよう社長室のドアをくぐろうとすると、半ギレ口調で中野さんが叫んだ。

 「葵と連絡が取れないんです!!」

 「え?」

 「噂を聞いて…心配で…電話も繋がらないし、メッセージも届いていないみたいだし、家に行っても誰もいなくて!!」

 なんだ。そんなのー。

 今ごろ葵は、金目当てで近づいた俺のことなんてきれいサッパリ忘れて、やっと結ばれた真田律と真田本家あの家で幸せに過ごしてるからだ。

 そうでなければ、あんな嘘を吐いてまで葵を突き放した意味がない。

 でも、家にいないのはともかく、あんなに親しかった中野さんからの電話に出ないのは何でだ?

 「唯人くんっ!!」

 首を傾げていたら、今度は勢いよく倉本のおばちゃんが社長室に飛び込んで来た。





 「ちょ、呼び方!社員中野さんいるのに!!」

 「そんなことよりこの記事!!!」

 倉本のおばちゃんの手の中でクシャクシャになっているのは、今日の朝刊。
地方版の隅の記事。
 経済トピックじゃないので、いつも俺が読み飛ばす欄。

 「何?」

 「ここ!よく見て!!」

 「○○高校同窓会のお知らせ…?」

 「違うっ!こっち!!」

 小さな文字に目を凝らす。



 『真田総合病院の副医院長真田律さん(26)が、(株)シノノメの会長の長女である東雲瑠美さん(27)と結婚することが分かった。』



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