社長の×××

恩田璃星

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律の十字架 5

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 俺の願いも虚しく、翌朝一番に葵の父親から電話がかかって来た。

 とても短い電話で、もしかしたら別の話かと思うくらいだった。
 でも、受話器を置くとき微かに震える葵の手を見て、そうではないと分かった。

 何も知らない母が電話の内容を尋ねると、葵は

 「あのひと、出て行ったそうです」

と苦々しく笑って答えた。

 もっと泣き喚いて取り乱すのかと思っていた俺は、密かに胸を撫で下ろしていた。

 俺の選択は正しかった。
 葵はもう母親のことを見切っていて、とっくに気持ちの整理はできていた、と。

 その日、学校でも葵の様子は普段と変わらなかったから、俺はさっきの勝手な解釈を確信に変えた。

 だから気付くのが遅れた。葵の異変に。

 ある日たまたま夜中に葵の部屋の前を通ると、ドアの隙間から灯りが漏れていた。
 いつもの葵ならとっくに寝ているはず。

 そう言えばここ数日、やたらあくびを咬み殺すような顔をしていた。
 ーもしかして、眠れてない?

 すぐに自分の部屋に戻って、この前父にもらった薬を手に取り、キッチンに向かった。
 牛乳を温め、薬を入れたマグカップに注ぎ、手早くかき混ぜ、葵の部屋へと急いだ。

 ドアをノックしても葵はなかなか出てこなかった。
 やっと覗かせたのは慌てて涙を拭った後の顔で、濡れた瞳の下には酷いクマができていた。

 それを見た瞬間、胸が締め付けられた。

 「りっちゃん、こんな時間にどうしたの?」

 「どうしたの?はこっちのセリフ。いつから?」

 「え?」

 「いつから寝てないんだって聞いてんだよ」

 「えーっと…いつからかな?」

 あの電話の日からか、という問いは喉の奥がつかえて言葉にならなかった。

 マグカップを差し出し、驚いた顔をして受け取った葵に何とか声を絞り出す。

 「全部飲め。飲んだら寝ろ。寝付くまで居てやるから」

 「…ありがと」

 葵は震える声でそう言うと、ホットミルクを懸命にふーふーと冷まし始めた。
 俺は葵の勉強机の椅子に座って、その様子を見つめた。



 礼なんか言うな。
 お前を泣かせたのも、眠れなくしたのも俺なのに。

 むしろさげすめ。
 お前を辛い目に遭わせておいて、ホットミルクを冷ますお前の唇が可愛いなんて…キスしたいなんて不埒なことを考えてる俺を。



 葵は言いつけどおり全部飲み終えると、いそいそと布団の中に入った。


 「大丈夫。今日は絶対眠れるから」

 そう言ってやると葵は穏やかに微笑み、目を閉じた。


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