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狩猟大会③

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 給仕に紅茶を注いでもらったティーカップを持ち上げ、周囲を見やるセラティーナはチラチラと自分に視線が集まっていると知り小さく息を吐いた。どうやら帝国の魔法使いに求婚されたと既に話が回っているようで。流したのは大方ルナリア伯爵夫人かグリージョ公爵夫人辺り。腕を組んで瞼を閉じている父もセラティーナと同じく紅茶を楽しんでいるエルサも気にしている素振りは一切ない。

 自分も気にしないでおこうと紅茶を飲んだ。
 こういう時、令嬢達はグループを作って皆会話をしたり、参加していない紳士達もテーブル席から離れた場所で立ったまま輪を作っている。


「御機嫌よう、セラティーナさん」


 サブレかマフィンか、どちらを頂こうと考え始めた矢先、グループを作って会話を楽しんでいたグリージョ公爵夫人エリスがいつの間にかプラティーヌ家のテーブルの側にいた。瞼を閉じていた父は上に開きエリスへ視線をやった。


「御機嫌よう、グリージョ夫人」
「シュヴァルツや旦那様から聞いて大変驚きました。貴女が帝国の魔法使いに求婚されたと聞いて。一つ聞いてもよろしくて?」
「ええ」
「貴女、シュヴァルツが好きではなかったの?」


 エリスとは会っても殆ど話はしておらず、実際にどの様な人なのかはあまり知らない。彼女からしたら、婚約予定だったのに母に乗り換えた父の娘という点で既に嫌だったのだろうが。


「ええ。好きではありません」


 さらっと口にすると扇子を握るエリスの手に若干力が込められた。セラティーナに近付き、腰を折って耳元に顔を近付けた。


「シュヴァルツは貴女に一度もプレゼントを贈った事がないでしょう? なのに貴女は毎年シュヴァルツに贈っていたじゃない。シュヴァルツはルチアさんを好きなのに健気な事と思っていたの。違うとは言わせないわよ」
「……」


 ティーカップの縁に口をつけ、吐きたくなる溜息をグッと堪えた。折角注いでもらったのにすぐに空になり、仕方なくソーサーの上に置いた。


「一つ聞きますが婚約者が相手の誕生日にプレゼントを贈るのは義務として当然なのでは? それに私は婚約者として定期的に贈り物を送っていますが個人として送った事はありません」
「……まるで婚約者だから仕方なく送っていたと言いたげね」
「ええ。婚約者でなかったら、関わりなんて持ちたくない方ですから」
「なっ!」


 エリスと違って堂々と声を出しているから近くにいる人には会話は届いている。エリスがこのテーブルに近付いた時点で周囲の視線が此方に集中していた。


「これ、シュヴァルツ様にもルチア様にも何度も言いましたが二人揃って信じてくれないので夫人から言い聞かせてください。私はまっっったくシュヴァルツ様を好きではありません。私が今までシュヴァルツ様にしてきた事は全て婚約者としての義務です。義務を放棄してきたシュヴァルツ様に今更とやかく言うつもりはもうありませんので夫人は一切お気になさらず」


 嫌味に聞こえるだろうがセラティーナとしてはそんな気はない。事実を告げているだけ。

 何度同じ説明をしたら良いのかと疲れる一方、自分以外の女性と仲睦まじくするシュヴァルツに今まで何も言ってこなかったのもある意味原因だとしたら自分のせいでもある。
 きっぱりと言い放たれたエリスが驚きで体をわなわなと震わせていれば、わざとらしい溜め息を父が吐いた。今度は父に視線が集中した。


「馬鹿らしい。お前の倅をセラティーナが好きでなかろうと、あろうと、既に帝国の魔法使いの求婚を此方は受け入れるつもりだ。駄々を捏ねて話を伸ばしているのはお前の倅だ」
「シュヴァルツはずっとセラティーナさんを好きではなかった! なのにいきなり、セラティーナさんとやり直したいと言い出しておかしいじゃないですか! ジグルド様やセラティーナさんがシュヴァルツに何かしたのでしょう?」
「するか。それこそ馬鹿らしい」
「な……なっ……」


 容赦なく吐き捨てられる言葉の数々はどれもエリスを絶句させる。


「お前は倅とルナリアの娘が婚約してほしかっただろうな。今まで王族としか婚姻を許されていなかった聖女と自分の倅が婚約すれば、今後あるかどうか分からない事例となると自慢のネタが増えるからな」
「下品な! 下品な女を妻に選び、私を捨てただけはありますわね」
「ああ、下品なのは認めよう。だが、お前もお前で品がないんじゃないか?」
「貴方と一緒にしないでっ」
「そうか? セラティーナが最低限でも婚約者の務めを果たしていたのにも関わらず、お前の倅はその最低限さえ務めなかった。アベラルドは口酸っぱく倅に言っていただろうがお前はどうなんだ? 倅に婚約者の義務を果たせと言ってきたのか?」
「っ」


 唇を噛み締め、何も言えないエリスを見る辺り、父の言い分は当たっている。会った時からセラティーナを認めないと目が語っていたから、今回の件でルチアとシュヴァルツを婚約させる良い機会だと思ったのは間違いない。そうしないとルナリア家が窮地に立たされるとなると尚更。けれど最終的な決定権は当主たるアベラルドにある。

 エリスが出来るのは精々通らない意見を申すか、シュヴァルツを焚き付けルチアを選ぶよう仕向けるかくらい。


「さっき、セラティーナがお前の倅へ定期的に贈り物をしていると言っていたな」


 セラティーナの耳元で囁かれたエリスの言葉はセラティーナにしか聞こえない。何故聞こえたのかと言いたげなエリスに呆れた眼をやる父は、扇子で口元を隠さず囁くから唇の動きで大体の会話内容を掴んだだけだと放つ。


「お前の倅は一度たりともセラティーナに贈り物をしていないな。確か、メッセージカードだけが届くと」と瞳を向けられたセラティーナは肯定の意味で頷き、花束の一つも貰った覚えがないと付け足した。側にいるエリスの顔は真っ赤で肩は震えている。


「どうせ、お前が仕向けたんだろう。セラティーナに勘違いをさせるな、ルナリアの娘だけに贈れとな」
「っ! で、でも、セラティーナさんは一度もプレゼントを貰えない事に不満を言わなかったとシュヴァルツは……!」
「他に好きな女性がいる相手に態々言う理由もありませんし、これが政略結婚なのかと納得していました。それに欲しい物は理由さえはっきりしていれば買ってもらっていたので不便もありませんでした」とセラティーナは口を挟み、近くにいた給仕を呼んで紅茶を注いでもらい、ティーカップを持ち上げていた。実際シュヴァルツからプレゼントを貰えず、悲しいとも腹立たしいとも感じなかった。こんなものか、としか思えなかった。


「グリージョ夫人も私がシュヴァルツ様を好きだと思っていたようですが違いますよ。好きではありません。私からこれ以上話すつもりはありません」


 何を言ってもシュヴァルツもルチアも話が通じなかったなら、同じ部類に入るであろうエリスにも言ったところで無駄なのだ。


「強がりはよしなさいセラティーナさん。帝国の魔法使いに嫁いだところですぐに飽きて捨てられるわよ」
「そうですか。そうなったら、帝国の組合に置いてもらいます」


 実力さえ証明すれば何者だろうと重宝するのが帝国である。


「家族にも愛されない、婚約者にも愛されない、折角嫁いだ魔法使いにも愛されない。そんな惨めな人生を貴女は歩みたいの?」
「そうであったとしてもプラティーヌ家の娘として育てて頂いた自覚はあります。元々、あまり深く気にしない性格なので気にしておりません。私の人生をどうしようが私の自由。貴女にどうこう言われる筋合いはありません」


 憎々し気に睨まれ続け、それよりも、と一人身を小さくして移動をしていないルナリア伯爵夫人へ向き、ご一緒しないのかと問うた。二人が親友で大変仲が良いのは社交界では有名な話。エリスは気まずげに目を逸らし、これ以上いても自分が不利になるだけだと漸く去って行った。

 心の中でもう誰も来ませんように……と願うばかり。控え目な声のエルサに呼ばれると「ずーっと聖女様がお姉様を睨んでいますよ」と教えられた。

 どうせエリスが言い負かしてくれるのを期待したのに、実際言い負かされ退散したのはエリスなものだから当てが外れて睨んでいるだけ。早く婚約破棄をしたい、と心の底から願う。

 父も同じ気持ちだったようで面倒臭い連中だと大きな溜め息を吐き出した。

 まだまだ視線の数は減らないものの、これ以上誰も来ないのを祈った。

 紅茶を飲み、マフィンを頂こうと手を伸ばしたら「セラティーナ」と呼ばれ、振り向いた先にはフェレスがいた。


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