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セラティーナのせい③

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 セラティーナが覚えている限りルナリア伯爵夫人は、勝手に他人の名を騙って買い物をする人間ではない。直接会った回数は少なく、挨拶程度しか言葉を交わさなかったので詳しい人となりは知らないが聖女を産み育てた母とあって、社交界では注目されてきた貴婦人。
 先程の店員とのやり取りを聞いているとルチアの話の通じなさは、母親譲りな気がしてならない。店の奥から突然現れたセラティーナとエルサの二人を目にし、ルナリア伯爵母娘の顔が青くなる。一応、自分達のしている事が良くないとは理解していたようだ。

 逆に言えば、理解する判断能力があるのならどうしてしまうのかが理解不能である。


「ルナリア伯爵夫人。先程からのやり取りを見させて頂きました。私は伯爵夫人にその様なお話は一切聞いておりません。他人の名を騙って代金を支払わないのは如何なものかと思いますが?」
「な、あ、あらセラティーナ様。これは、その」


 言い訳も儘ならないのなら、尚更大それた事はすべきじゃない。見る見る内に顔色が悪くなり、同じ言葉を繰り返す。
 周囲の客達の視線が自分達に集まっている。小声でエルサを呼び、目配せをすると意味を察し、責任者にルナリア伯爵夫人とルチアを別室へ連れて行くよう指示をした。


「お二人とも同行してくれますね?」
「……」


 青褪めたまま力なく頷く夫人と更に顔色の悪いルチアは責任者の後に続いて奥へ行く。


「皆様、お騒がせしてしまい申し訳ありません」


 セラティーナとエルサで残った客達に謝罪を述べ、奥へ行った。


「セラティーナ様、エルサ様、此方です」


 部屋の前で待っていた責任者に案内され、二人はルナリア母娘を入れた部屋に入った。椅子に座り、青い顔のまま震える二人にそっと溜め息を吐いたセラティーナは向かい側に座った。エルサもセラティーナの隣に座った。


「伯爵夫人、ルチア様。一体どういう事か説明して頂けますか。今のルナリア伯爵家でも十分に買える物に私の名を騙る必要はありましたか?」


 ルチアが発端で起きたプラティーヌ家と息の掛かった商会との取引停止は、大きな打撃をルナリア伯爵家に与えた。まだ日も浅いのでブティックで新作のドレスを買う余裕は十分にある。
 言い逃れは出来ないと覚悟したのか伯爵夫人がルチアに似た顔でセラティーナを睨みつけた。


「そもそも悪いのはセラティーナ様ではありませんか!」
「私ですか?」
「ルチアとシュヴァルツ様は幼い頃から愛し合っていたのですよ。隣国との関係改善の為、王太子殿下と婚約出来なかったのは仕方なかったと諦められます。セラティーナ様とシュヴァルツ様に関してはそうではありません。セラティーナ様がみっともなくシュヴァルツ様との婚約にしがみついているせいで何時まで経ってもルチアは……!」


 ……見目だけではなく、やはり中身も同じだった。脱力したくなるセラティーナはぐっと堪え、隣のエルサが半眼で二人を見ているのを一瞥後口を開いた。


「歴代の聖女は王族と婚姻を交わすのが習わしでありながら、ルチア様が王太子殿下と婚約されなかったのは国同士の関係も考え私も仕方ないと思います。だからと言って、シュヴァルツ様と婚約出来ない理由を全て私のせいにされても困ります」


 何度も何度もルチアに話してきた内容を母親にも丁寧に説明をした。セラティーナとの婚約を強く望んだのはグリージョ公爵アベラルドであり、父ジグルドもセラティーナも望んでいない。説得をするなら、責めるならセラティーナではなくグリージョ公爵に言ってほしい。ついでにセラティーナはシュヴァルツに一切未練がないから婚約にしがみついていないと話した。


「じゃ、じゃあ、どうしてシュヴァルツはセラティーナ様とやり直したがるの? セラティーナ様がこっそりシュヴァルツに言ったのではないの? 本当はシュヴァルツが好きだって。カエルレウム卿に嫁ぎたくないって!」
「言っていません。シュヴァルツ様が婚約者として私に歩み寄る姿勢を婚約が結ばれた頃から見せてくれていたら、私も少しはシュヴァルツ様の言うやり直しを受け入れても良いと考えたかもしれません」


 現実はそうじゃない。もう思い出すのも面倒なのではっきりとシュヴァルツに全く好意を抱いていない、友人としての情もないと言い放った。愛し愛される関係は無理でも、長い人生を共にするパートナーとして友人としての関係を築いていけたらと考えていた時期もあった。それらも既に消え去っている。


「私が何を言っても、私がシュヴァルツ様が好きだとお思いになるならそれは構いません。ですが、シュヴァルツ様と婚約出来ないからと言って、私の名を騙ったのは見過ごせません。追加でルナリア伯爵家を訴えます」
「なっ!?」


 驚愕に染まる二人に当たり前だと言わんばかりにセラティーナは溜め息を吐いた。溜め息しか吐いていない気がしてならない。


「ルチアは聖女なのよ!? 聖女にそんな事をしたら大聖堂側が黙っていないわ!」
「伯爵夫人。清らかな心を持たないとならない聖女が詐欺の真似をしたと知った大聖堂が味方すると思いますか?」
「あ……そ……それは……」


 セラティーナの指摘に夫人は勢いを無くし、多大に焦り始めた。隣にいるルチアも然り。久しぶりに誕生した聖女を甘やかしている大聖堂と言えど、犯罪紛いな真似をしたルチアを許しはしない。


「この件についてはしっかりとお父様に報告させて頂きますね」
「ど、ど、どうせ、セラティーナ様の言うことなんか公爵様はお聞きになりはしないわ!」
「そうだとしても、この場にいるプラティーヌ家は私だけではありませんが?」


 ハッとなった夫人がセラティーナの横にいるエルサに目を向けた。軽蔑の色が濃い青の瞳に睨まれ、ひっと声にならない悲鳴を上げた。


「私の言葉に耳を傾けなくても、エルサの言葉には耳を傾けてくれますわ」
「いいえ。お姉様の言葉にも耳を傾けて下さいます。お父様はあんな風ですが一切話を聞いてくれない人ではないので」


 遠回しに人の話を聞かず、一方的にセラティーナを悪者扱いする貴女達とは違うのだと言い放ったエルサ。唇を噛み締め、悔し気な表情を浮かべる夫人とルチア。


「ルチア様」
「! な、何よ」
「少し俗世を離れては如何でしょう? こんなことを続けていたら、本当に聖女の力を失われてしまいますよ?」
「嫌よ! もうすぐ『狩猟大会』があるのよ? 優秀したシュヴァルツに私が栄誉を与えないとならないのに、大聖堂に引き籠ってなんかいられない!」


 何度か優勝経験のあるシュヴァルツだが毎年優秀している訳じゃない。特に、今年は隣国の皇帝と皇太子が初参加となる。花を持たせる必要があり、優勝は狙わないと思われる。


「そうですか。ただ、一王国民として言わせてもらうと聖女の力は必要です。失われる事がないようにお願いします」
「そんなのセラティーナ様がシュヴァルツを離してくれたら良いだけよ! シュヴァルツを好きでないなら、私の許に来させてよ!」
「好きな相手を振り向かせたいのなら、ご自分でどうにかしてください」


 最後に言いたい言葉を残し、まだ喚く二人を置いてエルサと共に部屋を出た。一緒に出た責任者に「ルナリア伯爵に連絡を入れて引き取ってもらって」と伝えた。途端、体に疲れが押し寄せ項垂れたらエルサに心配されてしまい、大丈夫だと顔を上げた。


「こうなるのなら、もっと早くからシュヴァルツ様に婚約解消なり破棄をしたら良かったわね」


 言ったとしてもシュヴァルツは拒否していた気もする。


「聖女様の話の通じなさは、伯爵夫人譲りだったのですね」
「そうね……」
「夫人が聖女様とグリージョ様を意地でも婚約させたいのは、グリージョ夫人の願いでもありそうな気がしますね。確かグリージョ夫人は、元々お父様の婚約者候補でお父様がお母様を好きになったから婚約はなしになったと聞いた事があります」
「ええ……」


 今なら分かる。父が母を婚約者にしたのは祖母と一切血の関係がないからだと。グリージョ夫人は祖母の遠縁。可能性が低くてもゼロではない限り安心とは無縁。父に捨てられ傷付いた夫人に寄り添い、婚約したのがグリージョ公爵。


「あ……」


 グリージョ公爵が夫人を選んだ理由を考えた。祖母と遠縁だからだとしたら、目的は……ファラと似ている子が欲しかったから?


「お姉様? 顔色が悪いですよ」
「だ、大丈夫」


 強ち事実かもしれない予想に寒気を覚えてしまった。



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