42 / 109
何故そうなった?⑤
しおりを挟む乾いた音が人気の少ない道にえらく響いた。華奢で力も大して強くないルチアに打たれた程度で体勢は崩れずとも、頬に食らった衝撃はまあまあ強かった。
「ルチア!」
珍しく怒気が含まれた声を上げるシュヴァルツが泣きながら荒く呼吸をするルチアをセラティーナから距離を取らせた。後ろにやったエルサが「お姉様!」と悲鳴に近い慌て声を上げ、すぐにセラティーナの前に来るとシュヴァルツに負けず劣らずの怒気を込めた声を上げた。
「いくら聖女様と言えど、伯爵令嬢が公爵令嬢に手を上げる等言語道断ですわ! この件について我がプラティーヌ家はルナリア伯爵家に抗議します!」
「私は聖女よ! 聖女である私の大切なシュヴァルツを馬鹿にしたセラティーナ様が悪いのよ!」
「いいえ! グリージョ様が聖女様を愛していようと正式な婚約者はわたくしの姉セラティーナです。王家が承認した婚約が嫌なら、正式な手続きを済ませれば良いだけの話。それをせず、お姉様がいるせいで結ばれないからと悲劇のヒーローとヒロインに浸る貴方達にお姉様を責める権利はありません!」
止まらない涙を流しながらもエルサに怯まず、悪いのはセラティーナだと頑としてルチアは譲らない。
「そんな酷い言葉を言わなくてもいいじゃない! 私とシュヴァルツが想い合っているのは本当なのに!」
「なら、尚更正規の手続きを経て一緒にいるべきでは? 先程、グリージョ様はお姉様との決められた約束をすっぽかして聖女様と会っていたと言っていました。事前に連絡もせず、約束を破るなんて我が家では絶対に考えられません」
信用第一、時間厳守を基礎として父に叩き込まれたエルサやセラティーナからすると、相手への気持ちはなくても簡単に約束を破ったシュヴァルツが悪い。大商会を運営し、当主自ら指揮を執る事も珍しくないプラティーヌ家からすると有り得ない。
「な、だ、大体エルサ様、貴女セラティーナ様がお嫌いなのでしょう? 嫌いな相手を庇うのは」
「嫌いとか好きとかではないです。わたくしは常識を言っているだけに過ぎません。相手がお姉様だろうが何だろうが聖女様が我が家を侮辱した事実は変わりません。屋敷に戻り次第、速やかにルナリア伯爵家、並びに大聖堂に抗議します」
「っ!」
今度は大聖堂までも追加となった。王国が崇拝する神を祀る大聖堂は聖女を支援する大きな後ろ盾。聖女教育も大聖堂の役割。伯爵令嬢でもあるルチアが公爵令嬢のセラティーナを私的な理由で暴力を振るったとなると問題は大聖堂にも向く。
大聖堂の名を出されると先程までの勢いは消え、涙を流したまま悔し気にエルサを睨みつける。心を常に穏やかにし、激情に囚われない事を何よりも重きに重んじる。心が乱れれば聖女の能力が低下してしまう恐れがある為と言われている。
「ルチア、いい加減にするんだ」
「シュヴァルツっ」
「これは私とセラティーナの問題であって、ルチアには関係ない。セラティーナに謝罪をするんだ」
「っ……」
頭のどこかでは手を上げた時点で自分の負けだと理解しながらも大切な人を馬鹿にされ黙ったままではいられない。シュヴァルツに諭され、涙を彼のハンカチで拭いてもらうと心の乱れが幾分か治まった。赤くなった目元をシュヴァルツが指でそっと撫で、優しく目を細めた。溜め息を吐きたくなったセラティーナはまだ怒りが消えないエルサの頭をポンポンと撫で前に出た。
そして告げた。
「謝罪は不要です」と。
面食らう二人にふわりと微笑んだ。
「先程エルサが言った通り、ルナリア伯爵家と大聖堂、追加でグリージョ公爵家に抗議の連絡を後程入れますので」
「なっ」
更にグリージョ公爵家も抗議の対象となった。不安げに自分を呼ぶエルサを安心させると鋭さと冷たさが格段に増した灰色の瞳に見られていた。怯まず、負けじとセラティーナも睨み返す。
「何故かは、シュヴァルツ様がよく分かっている筈」
「セラティーナっ」
「良い機会です。改めてグリージョ公爵様に今回の件と今までの件をお話しして——改めて婚約破棄を求めます」
本音では破棄ではなく、解消の形を取りたかった。穏便に事を済ませたかったがそうは言ってられなくなった。目を見開き、呆然とするシュヴァルツに呆れ今度こそ溜め息を吐いた。
「何故驚きます。つい最近言いましたよね」
「それは……」
「私もエルサもそろそろお店に入りたいのでお話はまた今度。さ、そこを退いてくださいませ」
素っ気なく、冷たく言い放つとまた傷付いた顔をしたシュヴァルツ。何故かセラティーナに冷たくされると傷付く。後ろにいるエルサも同じ気持ちなのか、半眼になってシュヴァルツを見ている。頬を膨らませまた泣き出したルチアが口を開いた。
「家族に嫌われているせいでセラティーナ様は性格が歪んでしまったのではなくて!? さっきからシュヴァルツに酷い事しか言わない!」
そろそろルチアの相手をするのが苦痛となってきてどうこの場から退散させようかと悩む。チラリとエルサを見やるとすぐに視線を戻した。勢いが止まったルチアが復活したせいでエルサの苛立ちと興奮も復活しそうな気配を纏っていた。前に出たがるエルサを落ち着かせつつ、止めても何の効果も発揮していないシュヴァルツに自分史上冷酷な態度をと言い聞かせ表に出してみた。
「シュヴァルツ様。聖女様を連れてこの場から消えてください。はっきり言います。——私はシュヴァルツ様が大っ嫌いです。貴方に好かれたいとも、好かれようとした事も一切ありません。だから、貴方に何を言われようと私には不愉快でしかありません。分かったらそこを退いて下さいまし」
「————」
——……い、言い過ぎたかしら……
またチラリと後ろを見てエルサを確認したら、青の瞳をキラキラと輝かせてセラティーナを見ていた。良かった、大丈夫だと安心して前を見直すとギョッとした。顔を青褪め、酷く傷付いているシュヴァルツが迷子の子供みたいに視線を彷徨わせていた。隣にいるルチアはセラティーナの氷を纏った怒気と言葉に涙を流しているが声を上げられないでいる。
頼りない腕がルチアの肩を抱き、二人ともフラフラとした足取りで去って行った。
横に来たエルサに言い過ぎてしまったと漏らすと強く首を振られた。
「いいえ、いいえ! あの手の人はお姉様みたいに普段怒らない人が本気で怒る事で言葉が通じます!」
「だといいけど……」
「屋敷に戻ったらお父様に速達往復便を出しますね。ルナリア家、グリージョ家、大聖堂に抗議を入れる経緯を伝えたらお父様だって了解します」
相手がセラティーナだろうとプラティーヌ家の者が侮辱されたとあらば、たとえ父だとしても黙ってはいない。打たれた頬は赤くなっていはいるが、頬に手を当てて痛みと赤みを魔法で取り除いた。治癒魔法ではなく、あくまで取り除いただけ。取り除かれた痛みと赤みは空へ向かって投げた。そうすればすぐに消えてしまう。
「さあ、気を取り直してお店に入りましょう」
「はいお姉様!」
「帰りにナディアへのお土産を買おうかしら」
「わたくしも侍女に何か買って帰ります」
姉妹が先程の件が無かったように店内入った時。組合の個室の壁に凭れ、人間の眼では捉えられない極小の妖精達が運ぶ声を聞いていたフェレスの目が開いた。瞳に月を宿した濃い青の瞳は見る者を恐怖に陥れる色を見せていて、この部屋にフェレス以外いないのは頷ける。
妖精達が運んだのはセラティーナの件もある。すぐに飛び出して行きたかったがセラティーナとエルサ二人だけで解決してしまった為、自分の出る幕はないと判断して留まった。
別の声も届いていた。
命と同等の魔力を奪われ、絶叫する妖精の悲鳴。
声は届いても居場所の判明に至らない。
約十八年、組合や王家に尻尾を掴ませていない辺り敵はかなりのやり手。特定拒否の細工は容易い。
「ふむ……」
目的が解れば、ある程度搾れるのだがそれも掴めない。膨大な魔力を溜めているのが大掛かりな儀式魔法の為なら、考えられるのは幾つかある。
国家転覆か、戦争を仕掛けるつもりか、それとも……。
「……死者の蘇生、か……」
——グリージョ公爵邸の温室にて。ガラスケースに納めている青薔薇をアベラルドは冷たく見つめていた。手に持つ古い絵姿をガラスケースに貼り付けてファラ、と恋し気に呟いた。
けれど絵姿の裏には“Minerva”とあった……。
286
お気に入りに追加
8,636
あなたにおすすめの小説
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら
みおな
恋愛
子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。
公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。
クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。
クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。
「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」
「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」
「ファンティーヌが」
「ファンティーヌが」
だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。
「私のことはお気になさらず」
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
【完結済み】婚約破棄致しましょう
木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。
運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。
殿下、婚約破棄致しましょう。
第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。
応援して下さった皆様ありがとうございます。
リクエスト頂いたお話の更新はもうしばらくお待ち下さいませ。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
愛しの貴方にサヨナラのキスを
百川凛
恋愛
王立学園に通う伯爵令嬢シャロンは、王太子の側近候補で騎士を目指すラルストン侯爵家の次男、テオドールと婚約している。
良い関係を築いてきた2人だが、ある1人の男爵令嬢によりその関係は崩れてしまう。王太子やその側近候補たちが、その男爵令嬢に心惹かれてしまったのだ。
愛する婚約者から婚約破棄を告げられる日。想いを断ち切るため最後に一度だけテオドールの唇にキスをする──と、彼はバタリと倒れてしまった。
後に、王太子をはじめ数人の男子生徒に魅了魔法がかけられている事が判明する。
テオドールは魅了にかかってしまった自分を悔い、必死にシャロンの愛と信用を取り戻そうとするが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる