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何故そうなった?⑤

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 乾いた音が人気の少ない道にえらく響いた。華奢で力も大して強くないルチアに打たれた程度で体勢は崩れずとも、頬に食らった衝撃はまあまあ強かった。


「ルチア!」


 珍しく怒気が含まれた声を上げるシュヴァルツが泣きながら荒く呼吸をするルチアをセラティーナから距離を取らせた。後ろにやったエルサが「お姉様!」と悲鳴に近い慌て声を上げ、すぐにセラティーナの前に来るとシュヴァルツに負けず劣らずの怒気を込めた声を上げた。


「いくら聖女様と言えど、伯爵令嬢が公爵令嬢に手を上げる等言語道断ですわ! この件について我がプラティーヌ家はルナリア伯爵家に抗議します!」
「私は聖女よ! 聖女である私の大切なシュヴァルツを馬鹿にしたセラティーナ様が悪いのよ!」
「いいえ! グリージョ様が聖女様を愛していようと正式な婚約者はわたくしの姉セラティーナです。王家が承認した婚約が嫌なら、正式な手続きを済ませれば良いだけの話。それをせず、お姉様がいるせいで結ばれないからと悲劇のヒーローとヒロインに浸る貴方達にお姉様を責める権利はありません!」


 止まらない涙を流しながらもエルサに怯まず、悪いのはセラティーナだと頑としてルチアは譲らない。


「そんな酷い言葉を言わなくてもいいじゃない! 私とシュヴァルツが想い合っているのは本当なのに!」
「なら、尚更正規の手続きを経て一緒にいるべきでは? 先程、グリージョ様はお姉様との決められた約束をすっぽかして聖女様と会っていたと言っていました。事前に連絡もせず、約束を破るなんて我が家では絶対に考えられません」


 信用第一、時間厳守を基礎として父に叩き込まれたエルサやセラティーナからすると、相手への気持ちはなくても簡単に約束を破ったシュヴァルツが悪い。大商会を運営し、当主自ら指揮を執る事も珍しくないプラティーヌ家からすると有り得ない。


「な、だ、大体エルサ様、貴女セラティーナ様がお嫌いなのでしょう? 嫌いな相手を庇うのは」
「嫌いとか好きとかではないです。わたくしは常識を言っているだけに過ぎません。相手がお姉様だろうが何だろうが聖女様が我が家を侮辱した事実は変わりません。屋敷に戻り次第、速やかにルナリア伯爵家、並びに大聖堂に抗議します」
「っ!」


 今度は大聖堂までも追加となった。王国が崇拝する神を祀る大聖堂は聖女を支援する大きな後ろ盾。聖女教育も大聖堂の役割。伯爵令嬢でもあるルチアが公爵令嬢のセラティーナを私的な理由で暴力を振るったとなると問題は大聖堂にも向く。
 大聖堂の名を出されると先程までの勢いは消え、涙を流したまま悔し気にエルサを睨みつける。心を常に穏やかにし、激情に囚われない事を何よりも重きに重んじる。心が乱れれば聖女の能力が低下してしまう恐れがある為と言われている。


「ルチア、いい加減にするんだ」
「シュヴァルツっ」
「これは私とセラティーナの問題であって、ルチアには関係ない。セラティーナに謝罪をするんだ」
「っ……」


 頭のどこかでは手を上げた時点で自分の負けだと理解しながらも大切な人を馬鹿にされ黙ったままではいられない。シュヴァルツに諭され、涙を彼のハンカチで拭いてもらうと心の乱れが幾分か治まった。赤くなった目元をシュヴァルツが指でそっと撫で、優しく目を細めた。溜め息を吐きたくなったセラティーナはまだ怒りが消えないエルサの頭をポンポンと撫で前に出た。

 そして告げた。


「謝罪は不要です」と。


 面食らう二人にふわりと微笑んだ。


「先程エルサが言った通り、ルナリア伯爵家と大聖堂、追加でグリージョ公爵家に抗議の連絡を後程入れますので」
「なっ」


 更にグリージョ公爵家も抗議の対象となった。不安げに自分を呼ぶエルサを安心させると鋭さと冷たさが格段に増した灰色の瞳に見られていた。怯まず、負けじとセラティーナも睨み返す。


「何故かは、シュヴァルツ様がよく分かっている筈」
「セラティーナっ」
「良い機会です。改めてグリージョ公爵様に今回の件と今までの件をお話しして——改めて婚約破棄を求めます」


 本音では破棄ではなく、解消の形を取りたかった。穏便に事を済ませたかったがそうは言ってられなくなった。目を見開き、呆然とするシュヴァルツに呆れ今度こそ溜め息を吐いた。


「何故驚きます。つい最近言いましたよね」
「それは……」
「私もエルサもそろそろお店に入りたいのでお話はまた今度。さ、そこを退いてくださいませ」


 素っ気なく、冷たく言い放つとまた傷付いた顔をしたシュヴァルツ。何故かセラティーナに冷たくされると傷付く。後ろにいるエルサも同じ気持ちなのか、半眼になってシュヴァルツを見ている。頬を膨らませまた泣き出したルチアが口を開いた。


「家族に嫌われているせいでセラティーナ様は性格が歪んでしまったのではなくて!? さっきからシュヴァルツに酷い事しか言わない!」


 そろそろルチアの相手をするのが苦痛となってきてどうこの場から退散させようかと悩む。チラリとエルサを見やるとすぐに視線を戻した。勢いが止まったルチアが復活したせいでエルサの苛立ちと興奮も復活しそうな気配を纏っていた。前に出たがるエルサを落ち着かせつつ、止めても何の効果も発揮していないシュヴァルツに自分史上冷酷な態度をと言い聞かせ表に出してみた。


「シュヴァルツ様。聖女様を連れてこの場から消えてください。はっきり言います。——私はシュヴァルツ様が大っ嫌いです。貴方に好かれたいとも、好かれようとした事も一切ありません。だから、貴方に何を言われようと私には不愉快でしかありません。分かったらそこを退いて下さいまし」
「————」


 ——……い、言い過ぎたかしら……


 またチラリと後ろを見てエルサを確認したら、青の瞳をキラキラと輝かせてセラティーナを見ていた。良かった、大丈夫だと安心して前を見直すとギョッとした。顔を青褪め、酷く傷付いているシュヴァルツが迷子の子供みたいに視線を彷徨わせていた。隣にいるルチアはセラティーナの氷を纏った怒気と言葉に涙を流しているが声を上げられないでいる。
 頼りない腕がルチアの肩を抱き、二人ともフラフラとした足取りで去って行った。
 横に来たエルサに言い過ぎてしまったと漏らすと強く首を振られた。


「いいえ、いいえ! あの手の人はお姉様みたいに普段怒らない人が本気で怒る事で言葉が通じます!」
「だといいけど……」
「屋敷に戻ったらお父様に速達往復便を出しますね。ルナリア家、グリージョ家、大聖堂に抗議を入れる経緯を伝えたらお父様だって了解します」


 相手がセラティーナだろうとプラティーヌ家の者が侮辱されたとあらば、たとえ父だとしても黙ってはいない。打たれた頬は赤くなっていはいるが、頬に手を当てて痛みと赤みを魔法で取り除いた。治癒魔法ではなく、あくまで取り除いただけ。取り除かれた痛みと赤みは空へ向かって投げた。そうすればすぐに消えてしまう。


「さあ、気を取り直してお店に入りましょう」
「はいお姉様!」
「帰りにナディアへのお土産を買おうかしら」
「わたくしも侍女に何か買って帰ります」



 姉妹が先程の件が無かったように店内入った時。組合の個室の壁に凭れ、人間の眼では捉えられない極小の妖精達が運ぶ声を聞いていたフェレスの目が開いた。瞳に月を宿した濃い青の瞳は見る者を恐怖に陥れる色を見せていて、この部屋にフェレス以外いないのは頷ける。
 妖精達が運んだのはセラティーナの件もある。すぐに飛び出して行きたかったがセラティーナとエルサ二人だけで解決してしまった為、自分の出る幕はないと判断して留まった。

 別の声も届いていた。
 命と同等の魔力を奪われ、絶叫する妖精の悲鳴。
 声は届いても居場所の判明に至らない。

 約十八年、組合や王家に尻尾を掴ませていない辺り敵はかなりのやり手。特定拒否の細工は容易い。


「ふむ……」


 目的が解れば、ある程度搾れるのだがそれも掴めない。膨大な魔力を溜めているのが大掛かりな儀式魔法の為なら、考えられるのは幾つかある。

 国家転覆か、戦争を仕掛けるつもりか、それとも……。


「……死者の蘇生、か……」

  

 ——グリージョ公爵邸の温室にて。ガラスケースに納めている青薔薇をアベラルドは冷たく見つめていた。手に持つ古い絵姿をガラスケースに貼り付けてファラ、と恋し気に呟いた。

 けれど絵姿の裏には“Minerva”とあった……。




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