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湖へ①

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 機嫌を損ねる発言をしただろうかと思案しても心当たりがなく困ってしまう。
 いつの間にか紅茶が置かれていた。シュヴァルツにばかり意識を注いでいたせいで気付けなかった。ティーカップを持ち上げ一口飲むと温くなっている。置かれてからそれなりに時間が経っているということとシュヴァルツとそれだけ話していたとなる。

 セラティーナもシュヴァルツも言葉を発しない。これ以上は時間がただ過ぎていくだけ。先に言葉を発しようとしたセラティーナだがシュヴァルツに阻止された。


「セラティーナ」
「はい」
「明日の午後、噴水広場に来てくれ」
「はい?」
「セラティーナが私との婚約に消極的なのは、私とルチアの関係なのは分かっている。だが……ルチアと婚約する気はない」
「!?」


 素っ頓狂な声が出そうになったのを耐え、驚愕に染まった瞳でシュヴァルツを凝視してしまう。目の前にいるシュヴァルツは本物なのか? 偽物ではないかと疑ってしまう。
 王国に住む貴族でシュヴァルツとルチアが幼い頃から両想いの相思相愛と知らない者はあまりいない。彼だってよく知っている筈だ。

 固まって言葉が出ないセラティーナをそのままに、席を立った。

 何度もシュヴァルツが放った言葉の意味を解析しても答えは同じだった。理解不能、意味不明の四文字しか出なかった。散々ルチアと仲睦まじい光景を見せられ続け、挙句周囲にも相思相愛の二人の仲を引き裂く悪女と嘲笑されてきた。最も婚約解消なり破棄なりを願っていた筈のシュヴァルツが正面から否定してきた。
 目の前にいたシュヴァルツはやはり偽物で、本物はグリージョ公爵家に捕らわれているのではと本気で考えそうになった。

 翌日、疑問を強く抱きながら言われた通り噴水広場にやって来たセラティーナは、本当に噴水広場にいたシュヴァルツを発見して眩暈を感じた。何度か約束を反故され、ルチアと逢い引きを堂々としていたシュヴァルツがセラティーナを待っている。このまま帰ってしまおうかと思考が過った瞬間、灰色の瞳が此方を捉えた。見つかったからには何処へも行けない。

 側まで来たシュヴァルツを見上げた。


「……本当に待っていたのですね」
「私から言い出したんだ。来るに決まっている」
「義務として決まっている逢い引きには、事前の報せもないのに、ですか」
「……」


 シュヴァルツと会えなくて怒っているのではない。何時間も待たされた挙句、後から聞かされたのがルチアとの約束を優先させたからという不義理にも程があるからだ。待ち合わせの時間が過ぎても、報せの一つや二つ送ってくれれば、セラティーナだって無駄に待っている事もなかったのだ。

 自分に会えなくて怒っているのではなく、時間を無駄にされた事にセラティーナが腹を立てているとシュヴァルツも分かっているようで「あの時は済まなかった……」と頭を下げた。


「結構ですわ。今更謝罪なんて。あの時に頂けていれば、私も小麦の粒くらいにはシュヴァルツ様を許しました」
「……」


 殆ど許さないと言っているも同等。顔を上げたシュヴァルツは複雑な面持ちをしている。


「今後は気を付ける」


 差し出された手を取って歩き出した。いつもはグリージョ家お抱えのカフェでお茶をし、セラティーナが話題を振って時折シュヴァルツが相槌を打って終わる。今日も同じだろうと密かに嘆息すると行き先がおかしいと気付いた。カフェの方向とは違う。


「何処へ向かわれるのですか?」
「君も王都に住むなら知っているだろう。外に観光名所の一つである大きな湖があると。今日はそこへ行く」
「いつもと同じカフェで良いのでは?」
「いつもと同じでは君も退屈だろう?」
「退屈なのはシュヴァルツ様の方でしょう」
「退屈と思ったことはない」


 退屈には見えなくても此処にいるのが嫌なのだとは伝わっていた。敢えて言わず、湖へ行く為にグリージョ家の馬車に乗り込み、御者が二人の乗車を確認後出発された。

 昨日の今日で態度が違い過ぎる。シュヴァルツにとってセラティーナは、愛するルチアと結ばれず愛してもいない女と婚約しないとならないと憎んでいた筈だ。

 直接危害を加えられた経験は一度もなくても、会う度に冷たく鋭い眼光で睨まれる。


「セラティーナ。昨日、組合で何をしていたかやはり言えないか」
「シュヴァルツ様にご迷惑は掛かりません。あくまでも、私個人の用で赴いただけですので」
「頑なに言わないのは疚しい事があるからではないのか」
「誰にだって一つや二つ秘密を抱えているものです」


 執拗に詮索され、内心うんざりに思いながら淡々と言葉を返していく。セラティーナにとって昨日は前世愛した夫との再会を果たせた嬉しい一日だった。屋敷に戻ってからは散々でも、それを引き摺らず翌日すっきりと朝を迎えられた。但し、シュヴァルツの件がなければ更に良かった。


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